Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
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72014年8月号 エチオピア難民、ソマリアに追放

2014年11月01日 | 人権
あるエチオピア難民家族は難民の国外退去計画をかろうじてまぬがれたが、10代の息子はソマリアへ追放となった。

2014年4月5日土曜日の夜8時ごろ、ナイロビのマディナ病院で病気の治療を受けた家族が帰ろうとしたところ、突然、警察に呼び止められ逮捕された。身分証明書を提示したにもかかわらず、家族のうち3人が逮捕され、警察のバンでシャウリ・モヨ警察に拘留され、汚い収容所で一晩を過ごした。

この動きは警察の弾圧の一部で、不法移民をターゲットにしていると思われるケニア政府のウサラマ・ウォッチ戦略に従って行われたものだ。この弾圧により多数の難民が犠牲になった。ソマリア人コミュニティーは、ケニアでのソマリア人組織をターゲットにした作戦だと強く信じている。

4月6日午後2時に、この家族はカサラニ・スタジアムに連れて行かれ、厳しい選別を受けた。家族は母親と二人の息子で、エチオピア人なのに強引にソマリア人と言い渡された。

シュクリ・モハムド・ムアウィさん(52歳)、アブディカディル・モハメドさん(25歳)、そしてアハエメド・モハメドさん(18歳)は全員カサラニの同じ収容所に拘留された。彼らは難民証明書を所有しているにも関わらず、国外追放すると脅された。

シュクリさんは外国人証明書をケニア政府から発行されていたが、警察はこの外国人証明書は無効だと言った。アハエメド・モハメドさんは逮捕されたとき、失効した難民書類しか所持していなかった。そのため不法難民と見なされ、ただちに「国外追放」になると脅された。

同夜、シュクリさんは二人の息子と離され、パンガニ警察署に連れ去られた。二人の兄弟はカサラニに引き続き拘留された。


【写真】国際スポーツセンター・・・今では拘置所に

4月7日午後2時頃、シュクリさんは、ソマリア人の女性と子供でいっぱいのトラックに乗せられ、カサラニ・スタジアムに返された。アブディカディルさんは彼と家族が受けた幾多の脅しや誤った国籍の事などを苦々しくKANEREに語った。「我々はエチオピア人難民でありソマリア人でもテロリストでもありません。我々は身分を証明する書類を所持していたにもかかわらず、我々を守る法律が存在しないのです」

KANEBUによると、アブディカディルさんはUNHCRの書類を所持しており、カサラニ・スタジアムの警察官に10,000ケニアシリング($150相当)を支払って解放された。しかしこうした賄賂を支払っても、弟がソマリアへ追放されるのを止めることはできなかったという。

アブディカディルさんによると、その夜、彼の母親とその他大勢の拘留者たちはトラックに乗せられ未知の目的地へ連れ去られた。後で知ったことだが、母親はギジリ警察署で留め置かれ、満員の留置場で二晩を過ごしたことがわかったそうだ。

4月9日水曜日の午後、アハメド・モハメドさんは他の87人と共に強制的に飛行機に乗せられ、ソマリアに国外追放された。アハメドさんは数か月前に失効しているUNHCRとケニア政府の通行許可書を見せたが、審査段階でどの事務官も聞き入れてくれなかった。

アブディカディルさんによると、4月10日、彼の母親は大勢のソマリア人と一緒に再審査のためトラックでカサラニに戻された。その日、拘留者たちはスタジアムの日照りの中、乗ってきたトラックに長い間拘束された。さらに彼は排他的な審査について語った。母親はソマリア人の女性と子供と共にエムバカシ警察署に連れていかれ、4月14日まで拘束されたという。

シュクリさんは警察の収容所で少なくも16日間過ごしたが、何の罪にも問われず、法廷に出されることもなかった。彼女はUNHCRの命令書と政府発行の外国人証明書を所持していたにもかかわらず、自己主張するチャンスは一度も与えられなかった。

シュクリさんが予定された国外追放が阻止されたのは、ヒューマン・ライツ・ウォッチがエムバカシとスタジアムを視察し、難民登録されている人たちが国外追放されそうになっていることを突き止めたからだ。4月17日、アブディカディルさんは母親と再会できたが、アハメドさんはソマリアに国外追放された。

警察の弾圧により少なくとも5人のエチオピア人が国外追放された。4月から6月まで、ケニア政府はおよそ480人のソマリア人を追放したが、そのほとんどが不法移民と思われる。多くの不法移民がケニアで難民登録をしたがっているが、移民たちにその機会が与えられなかったことになる。

ウサラマ・ウォッチ作戦が始まり、難民が逮捕され、都市のあちこちの拘置所に拘束されている。カサラニは新しい意味での強制収容所になった。ここでは何か月もの間、ケニア保安部の特別班が国外追放をするための選別検査を実施している。

1951年の難民の地位に関するジュネーブ条約は、出身国に戻ると命を奪われる恐れがある外国人の追放を禁じている。ケニアはこの条約の調印国であり、2006年ケニア難民法を国内法として通過させているにもかかわらず、関係省は難民を落胆させている。

移民省の中の難民課は内務省とともに、ケニア国境の内側での庇護希望者の手続きを、もっと効果的に管理すべきである。


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