2009年1月の主要な予算削減はカクマキャンプの人道支援すべてのセクターに影響を及ぼした。KANEREの記者たちは予算削減の実質的な結果を調査し、生活環境への衝撃を検証した。このような貧弱なシステムになっても、最小限の権利保護は保証されるだろうか?
2009年度の予算削減は最近の削減傾向がまだ続いていることを示すもので、2006年以降、キャンプの人道支援は徐々に減ってきている。こうした傾向は資金提供者の疲弊、UNHCRの予算案,キャンプ人口の減少に起因している。
2005年12月以降、36,000人の難民が南部スーダンに本国帰還し、その他の者は第三国に再定住した。UNHCRの統計によると、2006年4月には、カクマキャンプは94,121人の難民を受け入れていた。2009年1月までに、その数は51,143人に減った。
「予算削減について話すとき、なぜ予算が削減されるのか、本当に影響を受けるのは誰なのかを知ることが大切だ」と、IRC(国際救済委員会)の上級職員は言う。彼の説明によれば、NGOは予算を考えるとき、キャンプ全体の人口を考慮する。それで、スーダン人が本国に帰還すると予算は減るのだという。
しかし、支援の縮小はキャンプの全住民に影響を及ぼすと感じている難民もいる。「スーダン人への予算が削減さられるだけではなく、すべての国籍の者が犠牲者になっている」とあるスーダンの難民は言う。
難民人口の減少は予算削減にそのまま反映されなければならないのだろうか? カクマ難民キャンプの人口が2008年に約16%(UNHCRの統計によると、2008年1月の60,578人から、2009年1月の51,143人)減少したのに対して、2008年から2009年にかけての予算削減は、はるかに大きかった。
いくつかのセクターでは、支援の支給量はほぼ半分に削減された。しかし大部分の支援で、難民の最低限のニーズに見合った基本的な事業能力を必要としている。
コミュニティ サービス
ルーテル世界連盟(LWF)のコミュニティサービス・ユニットは、個々の難民の事例の追跡とモニタリングを通して、社会福祉のネットワークを提供している。この傘のもと、4つの個別のユニットが現場で運営されている:平和構築ユニット、ジェンダー・ユニット、青少年とスポーツ・ユニット、子どもの発達ユニット。
2009年の予算削減は、現場で動いているコミュニティサービスのスタッフ数を激減させた。平和構築ユニットでは20人のスタッフのうち8人が削減され、ジェンダー・ユニットでは22人のうち8人;青少年とスポーツでは42人のうち21人;そして子どもの発達ユニットではスタッフ無しになってしまった。全体では、最初の3つのコミュニティ サービスのユニットで、現場スタッフの44%を失った。
平和構築、ジェンダー、子どものケースワーカーは、現場で首尾良く権利を保護する上できわめて重要だ。彼らはコミュニティからもたらされる全ての事例に当たり、個々の調査をしてフォローアップをした上で、報告書を出している。
その上、ケースワーカーは自分達のクライアントを代表して毎週の現場事務所会議に出席し、週毎の症例会議ではクライアントの進捗状況を議論する。彼らは個々のケースに関しても、どのように支援を進めるべきかか、LWFのコミュニティサービス事務所に勧告する。
予算が削減される前から、平和構築ケースワーカーは、自分達のすべての事例をカバーすべく、こき使われてきた。現在、残っているケースワーカーはさらに重い作業負担と向き合っている。平和構築ケースワーカーは、個人的不安、家庭内暴力、民族紛争とコミュニティ問題(例えば水道の蛇口の共有)に起因するすべての事例に対処している。
キャンプ全体をカバーするロジスティックスは厳しい―51,143人もの人口をかかえる難民キャンプで起きるすべての不確実な事例に対処するのは現在8人の平和構築ケースワーカーだ。例えば、2008年の終わりには1人の平和構築ケースワーカーが4つのコミュニティを担当していて、週当たりおよそ10の事例を引き受けていた。現在、彼は5つのコミュニティをカバーしていて、週当たりおよそ15の事例を引き受けている。
新たに引き受けるこの取扱い件数を「うまくこなせるとは思えない」と彼は言う。
ある平和構築ケースワーカーは、職員の減少により、一部のコミュニティへのサービスは「麻痺している」と報告している。ケースワーカーたちは、1月も 難民が緊急の苦情のため現地事務所にやってきたと報告する。しかしケースワーカーは持ち込まれたすべての事例をフォローアップできなかった。その結果、多くの事例はフォローアップもフィードバックもされずに未決定のままとなっている。
多くのケースワーカーがいなくなったため、2009年は、コミュニティサービス・ユニットが個々の事例のモニタリングとフォローアップを首尾よく続けられるかどうかわからない。「住民がこんなに多いのにケースワーカーがきわめて少ない。もっと大勢のスタッフが必要だ。もおう目一杯、働いているというのが実情だ――多くの事例が未解決のままになっている」とあるケースワーカーが報告している。
KANEREが接触を試みたLWFのコミュニティ・サービス職員は、組織的方針だとして、コメントするのを辞退した。
医療サービス
国際救済委員会(IRC)は、その良質な医療サービスで難民に人気がある。しかし最近の予算削減はIRCの医療サービスにも影響を与えている。
IRCは2007年までは、キャンプ内に4つの診療所と1つの総合病院を持ち、外来患者と入院患者にサービスを提供していた。2008年に1つの診療所が閉鎖され、2009年1月には更にもう一つの診療所が閉鎖となった。残った2つの診療所ですべての難民と地元住民の需要をまかなっている。
今では多くの難民が医療扶助を受けるために長距離を歩くことを余儀なくされている。また一部の難民は診療所の過密状態と長い待ち時間を報告している。
難民は次に何が起きるか非常に心配していると言う。難民の少年は「総合病院に行くと、その混雑振りに嫌気がさして、病気になっても家にいることもあります。病気がひどくなった時は、他の選択肢がないので病院に行くことにします」と言う。
キャンプ居住者はIRCが他の診療所も閉鎖するのではないかと恐れている。「第4診療所も閉鎖されるという噂を聞き、本当にショックを受けました」とあるエチオピア人の居住者が言った。第4診療所は第5地区を受け持っており、そこはキャンプの中で最も人口密度が高く、多くの国籍の人々が住んでいる地区だ。「しかし」、と、彼が続けた、「第4診療所の存続が決まったので嬉しい」
こういう心配はあるが、IRCの上級職員は、IRCが必要不可欠な医療はまだ提供できていると信じている。「サービスにかんして言えば、我々は以前と同じ良質なサービスをまだ提供している」と言う。
診療所は人口密度が低い地域だけで閉鎖されたに過ぎないと彼は断言する。「二つの診療所が閉鎖されたからといって、そこに住む人たちが我々のサービスを受けられなくなったといということではない。彼らには、第5診療所、または総合病院に行くという二つの選択肢がある。ただ、歩く距離がやや長くなるかも知れない」
しかし、長距離を歩くとなると、身体の弱い一部の難民にとっては問題だ。夫をなくし6歳の子を持つスーダン人の女性は「私達へのサービスがないがしろにされているように思います。特に障害者や、老人や子どもたちは、病気になっても治療を受けるために総合病院まで通うことができません。」と言う。
彼女はさらに、妊娠した母親たちは通常の出産前健診(ANC)を受けるのに、第5診療所まで長い距離を歩かなければならないので、非常に心配していると言った。IRCの上級職員も出産前健診に訪れる妊婦への懸念を表明した:「出産前健診はIRC 総合病院では行われておらず、第5診療所へ行くという選択肢しかない。」
医療が縮小されると、弱い難民やホストコミュニティの住人は、代替手段での治療にはしりかねない。医療の不足につけこんで、違法な模造薬を売りつけられる難民が出るおそれがあり、これが大きな医療問題を引き起こすことになるかも知れない。
最近の変化は、医療関係者により大きな作業負担を負わせるにことにもなっている。「かつては一晩に20-25人の急患を診ていましたが、その数は今では毎晩30-40人に増加しました」とは、ある夜勤医療助手の言葉だ。
「現実問題として、予算削減で影響を受けるのは、我々のスタッフです。多くの熟練スタッフが削減のせいでいなくなったことを寂しく思います。」と、IRCの上級職員は言う。
教育提供
予算削減によってカクマキャンプでは教育の機会が減った。LWF(ルーテル世界連盟)の教育部は幼稚園、小学校、中学校と3つのユニットを管理している。2006年以降、各ユニットで教育支援が縮小されている。
LWFは2006年には登録された学習者5,524人、教師とスタッフ174人で、7つの幼稚園を管理していた。しかし2007年以降、3、4、5才児のための就学前プログラムで活動を段階的に停止してきた。現在、同ユニットの活動は6つの学校で6才の子どもだけに限られ、登録された学習者は977人で、教師とスタッフ82人となっている。
2006年のLWF 小学校ユニットは小学校24、若い女性のための教育(YWE)センターと3、非正規教育(NFE)センター1を管理し、登録された学習者23,674人(その内7,112人が女子)、教師とスタッフ645人を有していた。現在、同ユニットは学校とスタッフの数を減らし、小学校10、登録された学習者6,776人、教師とスタッフ263人となった。若い女性のための教育(YWE)センターと非正規教育(NFE)センターは段階的に活動停止となった。
中等教育も大幅な縮小に直面した。2006年に、LWFは登録生徒数2,703人(その内317人は女子)、中学校4を管理していた。教師とスタッフは134人だった。現在、同ユニットは登録生徒数206人(その内35人は女子)、中学校1校だけで、教師とスタッフ36人で運営されている。
今日、カクマ・キャンプの教育支援は、対象となる青年の人数で、2006年25%になっている。比較として、今日のキャンプ総人口は2006年4月の54%だ。教育施設は2006年以降49%減り、教師とスタッフの40%がいなくなった。
学習者がこのように不釣り合いに減少したのは、ひとえにUNHCRの政策による。UNHCRはキャンプ内のスーダン人の若者への教育を「縮小」している。南部スーダン人の本国帰還を促す三国協定では、スーダン人の子どもは幼稚園、小学校のクラス1、中学校の学年1への登録はできないと定めている。
成人教育は終わるのか?
1994年以降、成人教育は、大人の読み書きの能力、特別支援教育、能力養成 / ビジネス管理訓練、女性の教育奨励というコースを提供してきた。2009年の今年、予算削減によりIRCはこのプログラムの実施を取り止めざるを得なくなった。
特別支援教育はLWFへ移されたが、残りの成人教育プログラムはいまだに宙に浮いたままだ。これらのプログラムはケニアのウィンドル・トラストに手渡されることになっていたが、このNGOにはこれらのプログラムのための予算がない。プログラムが再開する時期、あるいは、再開するかどうかは不明である。
カクマ難民キャンプの成人教育は社会の自立の基盤と発展のために基礎教育を提供する。これはキャンプ及びホストコミュニティで文盲を根絶するという構想のもとに始まった。プログラムは正規の教育を受けていない人を対象に、知識、技術を身につけさせ、やる気をおこさせるプロセスだった。
カクマの成人教育の歴史は1994年に遡る。成人教育プログラムの前のカウンターパート・マネージャーで、現在英国在住のジャルソ・キダによると、そのプログラムは数人の難民ボランティアによって木陰で始まったという。その後LWFの資金提供者がそれを引き受け、教師にインセンティブ(報酬)を払い始めた。長い間にプログラムの名称も構成も様々に変化した。やがて2001年にプログラムはIRC(国際救済委員会)に任されるようになり、成人特別支援教育(Adult and Special Needs Education)という名称になった。
2007年のレポートによると、成人教育は予想以上の仕事を成し遂げた。プログラムの学習者は初級、中級、上級を合わせて毎年およそ2,000人に達した。ビジネス・マネジメント、教師養成、特別支援教育訓練を合わせて2,133人が毎年養成講座に参加した。2007年には難民と地元住民を合わせて4,133人にも上る人たちが、これらの訓練の恩恵に浴した。
成人教育によって学習者は自立し、連携してコミュニティに根ざした問題解決ができるようになった。それぞれビジネスを成功させる技術を身につけた――あるスタッフは、1996年にビジネス・マネジメント訓練が始まると、キャンプでのビジネスが盛んになったと回想している。プログラムの終了後は、大勢の大人に引き続き中学校教育を受ける道が開け、他の者は英語を身につけたことで病院のアシスタントや警備員、教師の職まで手に入れることができるようになった。
2009年1月現在、成人教育センターに多くの学習者が殺到しているが、そこには教師はいない。残っているのは警備員だけだ。学習者だちはとまどいを隠せない。UNHCRのコミニュティ・サービスが他の選択肢を提供してくれるのか、それとも、成人教育はこのまま忘れ去られてしまうのか?
アダルトセンター5のIRCセキュリティ・スタッフによると、大人の男女300人ほどが、毎朝、授業を受けようとセンターに来ていたという。帰るように言っても、彼らは「先生を待っている」と言ってきかなかった。
教育を受けることを拒絶されたこの学習者たちは、2008年9月8日の国際成人デーの祝典で「教育は光だ」、そして「教育は生活への鍵だ」と歌った人々である。
KANEREの記者がこれらのメモを取っていたとき、エチオピアの難民コミュニティの2人の女性がレッスンを受けようとやって来た。彼女たちは、誤って記者を教師と思ったが、教師が一人もいないことを知りショックを受けていた。「私たちは光を見ましたが、それは奪われ、今や暗闇にいるのです。私たちの運命はどうなるのでしょう?」と女性たちは言った。
女性達はコミュニティリーダーと話したそうだ。リーダーからはUNHCRが辛抱するように言っているという話を聞いた。彼女たちは再び、どんなに失望しているかを、次のように話した。「UNHCRは父親みたいなものです。父親なら、私達が教育を受けられなくうなったとき、こんな風に見捨てたりはしないものです」
生徒たちはこの教育の行き詰まりに対して前向きの解決を望んでいる。希望には強い力があるものだ。希望があるところには、可能性がある。IRCはこんなことになるのを事前に食い止められたのではないかと思うが、UNHCRの力をもってすれば、解決策は見つかる。前途有望な生徒おに言わせれば、「運命は明るい!」
失業難民の暮らしを乱す
予算削減の発表は、難民スタッフメンバーにとって衝撃だった。予算が削減されれば破産状態は目に見えていた――経済的安定だけでなく社会と個人の幸福にも大きな影響を与えることが予測された。
働く人々は自分達の職業によって社会的ステータスを得る。NGOの難民スタッフは、いくつもある職業の中で医者や看護師、ケースワーカー、教師として働いている。予算削減によって個人の尊厳が損なわれると同時に、これらの肩書きまでも無くなり、元スタッフは「失業者」という地位に落ちてしまう。
予算削減の結果、最近になって教職を失ったソマリア難民のA.M.は、削減は「衝撃的だった」と言う。彼は予算削減がどれだけ個人の幸せに悪影響を及ぼしたか、かいつまんで話してくれた。「予算削減は、4つの面で私の生活を変えた。経済面、社会面、心理面、学問研究面で。」
「経済面で言えば、私は現在一文無しだ」と、A.M.は断言する。「自分に必要なものをまかなうことができない。失業している限り、高くつく物は借りることができない。」、失職による厳しい経済逼迫が原因で、「私と家族の関係は断ち切られてしまった」
家族の稼ぎ手は予算削減によって大きな影響を受ける。元稼ぎ手は家族に対して、伝統的な責務を果たすことができず、家族が経済的に追いつめられるのではないかと心配している者もいる。
予算削減に直面して難民のビジネスや企業活動も影響を受ける。インセンティブ(報酬)の支払いという形でコミュニティに入ってきていた金銭の流れが消えてしまうからだ。
A..M.は続ける――「社会的には、それなりに大事にしてもらう元となった仕事の肩書きもなくなってしまった。活動現場でできた友だちも失い、仕事で得た多くのクライアントも失った」
現場では、スタッフは色々な人と仲良く働いている。社会的背景、部族、派閥、国籍も様々だ。時には祖国で敵同士だった仲間もいるが、同じ現場のNGOスタッフとして、一丸となって働いていた。異文化間の絆もむすばれつつあったが、スタッフの何人かを失ったことで、それも崩壊するかも知れない。
「心理的にも失望状態で、何をすべきかわからない」と、A.Mは続ける。「新しい仕事を得るのは難しく、競争は厳しい。孤独なので悪いグループに入らされたり、不必要な行為に引きずり込まれるかもしれない。」
失業や破産の心理的効果はさまざまだ。昨日は「スタッフ」という名誉な肩書きを持っていたかも知れない者が、今日は「失業者」という肩書きで侮辱される。こうした個人のステータス突然の変化は、不名誉感や否定的な考えにつながるかもしれない。
A.Mは「学問的にも、スタッフに提供されるはずだった訓練の機会がなくなり、技術や経験までも失うかもしれない」と言う。社会とコミュニティの発展は、NGOによって提供される職業訓練、健康と教育セミナーを含む個人的上級プログラムによって押し進められる。今や多くの元スタッフはこれらの機会を奪われてしまった。
A.Mの個人的経験は、カクマキャンプで新たに失業した者の間に漂っている空気を表している。予算削減の結果、難民の失業は、様々な点でコミュニティに影響を及ぼしているようだ。
結論
人道支援組織によって提供される社会福祉事業に頼る難民と地元住民にとって、2009年1月の予算削減は気のもめる話だ。基本的な人道支援と教育プログラムは、こらまで様々な成果を上げてコミュニティを豊かにしてきた。現在、難民と地元住民は仕事やチャンスを失ったことで、こうした実績が消え始めるのではないかと心配している。
初等・中等教育は現在、教育を受けたいと望んでいる多くの若者いとって、手に届かないものになってしまった。弱者や危機に瀕している難民のための事例モニタリングというコミュニティ・ サービスのネットワークは、今や風前の灯火になっている。医療施設も熟練スタッフを大勢失い、患者全員の需要に応じ切れそうもない。その上、多くの難民に自信を与え、コミュニティに基づく問題解決を可能にしてきた成人教育プログラムも現在段階的に廃止されている。
難民と地元住民にとって、こうしたサービスの欠落は、チャンスを失い、ニーズも満たされないことを意味している。
しかし今後に望みはある。ケニアのダダーブ難民キャンプから50,000人のソマリア難民が移転してきたことで、多くのサービスが再開されるかもしれないし、拡大されるかもしれない。IRC(国際救済委員会)の上級職員によると、IRCが閉鎖した診療所を再開できそうで、サービスが再開されれば多くの熟練スタッフも活動に参加できるのではないか、という。この希望的観測の証として、一部のインセンティブ勤労者が職場に呼び戻されている。
ひとまず、難民と地元住民は次に何が起きるか待つことになる。
2009年度の予算削減は最近の削減傾向がまだ続いていることを示すもので、2006年以降、キャンプの人道支援は徐々に減ってきている。こうした傾向は資金提供者の疲弊、UNHCRの予算案,キャンプ人口の減少に起因している。
2005年12月以降、36,000人の難民が南部スーダンに本国帰還し、その他の者は第三国に再定住した。UNHCRの統計によると、2006年4月には、カクマキャンプは94,121人の難民を受け入れていた。2009年1月までに、その数は51,143人に減った。
「予算削減について話すとき、なぜ予算が削減されるのか、本当に影響を受けるのは誰なのかを知ることが大切だ」と、IRC(国際救済委員会)の上級職員は言う。彼の説明によれば、NGOは予算を考えるとき、キャンプ全体の人口を考慮する。それで、スーダン人が本国に帰還すると予算は減るのだという。
しかし、支援の縮小はキャンプの全住民に影響を及ぼすと感じている難民もいる。「スーダン人への予算が削減さられるだけではなく、すべての国籍の者が犠牲者になっている」とあるスーダンの難民は言う。
難民人口の減少は予算削減にそのまま反映されなければならないのだろうか? カクマ難民キャンプの人口が2008年に約16%(UNHCRの統計によると、2008年1月の60,578人から、2009年1月の51,143人)減少したのに対して、2008年から2009年にかけての予算削減は、はるかに大きかった。
いくつかのセクターでは、支援の支給量はほぼ半分に削減された。しかし大部分の支援で、難民の最低限のニーズに見合った基本的な事業能力を必要としている。
コミュニティ サービス
ルーテル世界連盟(LWF)のコミュニティサービス・ユニットは、個々の難民の事例の追跡とモニタリングを通して、社会福祉のネットワークを提供している。この傘のもと、4つの個別のユニットが現場で運営されている:平和構築ユニット、ジェンダー・ユニット、青少年とスポーツ・ユニット、子どもの発達ユニット。
2009年の予算削減は、現場で動いているコミュニティサービスのスタッフ数を激減させた。平和構築ユニットでは20人のスタッフのうち8人が削減され、ジェンダー・ユニットでは22人のうち8人;青少年とスポーツでは42人のうち21人;そして子どもの発達ユニットではスタッフ無しになってしまった。全体では、最初の3つのコミュニティ サービスのユニットで、現場スタッフの44%を失った。
平和構築、ジェンダー、子どものケースワーカーは、現場で首尾良く権利を保護する上できわめて重要だ。彼らはコミュニティからもたらされる全ての事例に当たり、個々の調査をしてフォローアップをした上で、報告書を出している。
その上、ケースワーカーは自分達のクライアントを代表して毎週の現場事務所会議に出席し、週毎の症例会議ではクライアントの進捗状況を議論する。彼らは個々のケースに関しても、どのように支援を進めるべきかか、LWFのコミュニティサービス事務所に勧告する。
予算が削減される前から、平和構築ケースワーカーは、自分達のすべての事例をカバーすべく、こき使われてきた。現在、残っているケースワーカーはさらに重い作業負担と向き合っている。平和構築ケースワーカーは、個人的不安、家庭内暴力、民族紛争とコミュニティ問題(例えば水道の蛇口の共有)に起因するすべての事例に対処している。
キャンプ全体をカバーするロジスティックスは厳しい―51,143人もの人口をかかえる難民キャンプで起きるすべての不確実な事例に対処するのは現在8人の平和構築ケースワーカーだ。例えば、2008年の終わりには1人の平和構築ケースワーカーが4つのコミュニティを担当していて、週当たりおよそ10の事例を引き受けていた。現在、彼は5つのコミュニティをカバーしていて、週当たりおよそ15の事例を引き受けている。
新たに引き受けるこの取扱い件数を「うまくこなせるとは思えない」と彼は言う。
ある平和構築ケースワーカーは、職員の減少により、一部のコミュニティへのサービスは「麻痺している」と報告している。ケースワーカーたちは、1月も 難民が緊急の苦情のため現地事務所にやってきたと報告する。しかしケースワーカーは持ち込まれたすべての事例をフォローアップできなかった。その結果、多くの事例はフォローアップもフィードバックもされずに未決定のままとなっている。
多くのケースワーカーがいなくなったため、2009年は、コミュニティサービス・ユニットが個々の事例のモニタリングとフォローアップを首尾よく続けられるかどうかわからない。「住民がこんなに多いのにケースワーカーがきわめて少ない。もっと大勢のスタッフが必要だ。もおう目一杯、働いているというのが実情だ――多くの事例が未解決のままになっている」とあるケースワーカーが報告している。
KANEREが接触を試みたLWFのコミュニティ・サービス職員は、組織的方針だとして、コメントするのを辞退した。
医療サービス
国際救済委員会(IRC)は、その良質な医療サービスで難民に人気がある。しかし最近の予算削減はIRCの医療サービスにも影響を与えている。
IRCは2007年までは、キャンプ内に4つの診療所と1つの総合病院を持ち、外来患者と入院患者にサービスを提供していた。2008年に1つの診療所が閉鎖され、2009年1月には更にもう一つの診療所が閉鎖となった。残った2つの診療所ですべての難民と地元住民の需要をまかなっている。
今では多くの難民が医療扶助を受けるために長距離を歩くことを余儀なくされている。また一部の難民は診療所の過密状態と長い待ち時間を報告している。
難民は次に何が起きるか非常に心配していると言う。難民の少年は「総合病院に行くと、その混雑振りに嫌気がさして、病気になっても家にいることもあります。病気がひどくなった時は、他の選択肢がないので病院に行くことにします」と言う。
キャンプ居住者はIRCが他の診療所も閉鎖するのではないかと恐れている。「第4診療所も閉鎖されるという噂を聞き、本当にショックを受けました」とあるエチオピア人の居住者が言った。第4診療所は第5地区を受け持っており、そこはキャンプの中で最も人口密度が高く、多くの国籍の人々が住んでいる地区だ。「しかし」、と、彼が続けた、「第4診療所の存続が決まったので嬉しい」
こういう心配はあるが、IRCの上級職員は、IRCが必要不可欠な医療はまだ提供できていると信じている。「サービスにかんして言えば、我々は以前と同じ良質なサービスをまだ提供している」と言う。
診療所は人口密度が低い地域だけで閉鎖されたに過ぎないと彼は断言する。「二つの診療所が閉鎖されたからといって、そこに住む人たちが我々のサービスを受けられなくなったといということではない。彼らには、第5診療所、または総合病院に行くという二つの選択肢がある。ただ、歩く距離がやや長くなるかも知れない」
しかし、長距離を歩くとなると、身体の弱い一部の難民にとっては問題だ。夫をなくし6歳の子を持つスーダン人の女性は「私達へのサービスがないがしろにされているように思います。特に障害者や、老人や子どもたちは、病気になっても治療を受けるために総合病院まで通うことができません。」と言う。
彼女はさらに、妊娠した母親たちは通常の出産前健診(ANC)を受けるのに、第5診療所まで長い距離を歩かなければならないので、非常に心配していると言った。IRCの上級職員も出産前健診に訪れる妊婦への懸念を表明した:「出産前健診はIRC 総合病院では行われておらず、第5診療所へ行くという選択肢しかない。」
医療が縮小されると、弱い難民やホストコミュニティの住人は、代替手段での治療にはしりかねない。医療の不足につけこんで、違法な模造薬を売りつけられる難民が出るおそれがあり、これが大きな医療問題を引き起こすことになるかも知れない。
最近の変化は、医療関係者により大きな作業負担を負わせるにことにもなっている。「かつては一晩に20-25人の急患を診ていましたが、その数は今では毎晩30-40人に増加しました」とは、ある夜勤医療助手の言葉だ。
「現実問題として、予算削減で影響を受けるのは、我々のスタッフです。多くの熟練スタッフが削減のせいでいなくなったことを寂しく思います。」と、IRCの上級職員は言う。
教育提供
予算削減によってカクマキャンプでは教育の機会が減った。LWF(ルーテル世界連盟)の教育部は幼稚園、小学校、中学校と3つのユニットを管理している。2006年以降、各ユニットで教育支援が縮小されている。
LWFは2006年には登録された学習者5,524人、教師とスタッフ174人で、7つの幼稚園を管理していた。しかし2007年以降、3、4、5才児のための就学前プログラムで活動を段階的に停止してきた。現在、同ユニットの活動は6つの学校で6才の子どもだけに限られ、登録された学習者は977人で、教師とスタッフ82人となっている。
2006年のLWF 小学校ユニットは小学校24、若い女性のための教育(YWE)センターと3、非正規教育(NFE)センター1を管理し、登録された学習者23,674人(その内7,112人が女子)、教師とスタッフ645人を有していた。現在、同ユニットは学校とスタッフの数を減らし、小学校10、登録された学習者6,776人、教師とスタッフ263人となった。若い女性のための教育(YWE)センターと非正規教育(NFE)センターは段階的に活動停止となった。
中等教育も大幅な縮小に直面した。2006年に、LWFは登録生徒数2,703人(その内317人は女子)、中学校4を管理していた。教師とスタッフは134人だった。現在、同ユニットは登録生徒数206人(その内35人は女子)、中学校1校だけで、教師とスタッフ36人で運営されている。
今日、カクマ・キャンプの教育支援は、対象となる青年の人数で、2006年25%になっている。比較として、今日のキャンプ総人口は2006年4月の54%だ。教育施設は2006年以降49%減り、教師とスタッフの40%がいなくなった。
学習者がこのように不釣り合いに減少したのは、ひとえにUNHCRの政策による。UNHCRはキャンプ内のスーダン人の若者への教育を「縮小」している。南部スーダン人の本国帰還を促す三国協定では、スーダン人の子どもは幼稚園、小学校のクラス1、中学校の学年1への登録はできないと定めている。
成人教育は終わるのか?
1994年以降、成人教育は、大人の読み書きの能力、特別支援教育、能力養成 / ビジネス管理訓練、女性の教育奨励というコースを提供してきた。2009年の今年、予算削減によりIRCはこのプログラムの実施を取り止めざるを得なくなった。
特別支援教育はLWFへ移されたが、残りの成人教育プログラムはいまだに宙に浮いたままだ。これらのプログラムはケニアのウィンドル・トラストに手渡されることになっていたが、このNGOにはこれらのプログラムのための予算がない。プログラムが再開する時期、あるいは、再開するかどうかは不明である。
カクマ難民キャンプの成人教育は社会の自立の基盤と発展のために基礎教育を提供する。これはキャンプ及びホストコミュニティで文盲を根絶するという構想のもとに始まった。プログラムは正規の教育を受けていない人を対象に、知識、技術を身につけさせ、やる気をおこさせるプロセスだった。
カクマの成人教育の歴史は1994年に遡る。成人教育プログラムの前のカウンターパート・マネージャーで、現在英国在住のジャルソ・キダによると、そのプログラムは数人の難民ボランティアによって木陰で始まったという。その後LWFの資金提供者がそれを引き受け、教師にインセンティブ(報酬)を払い始めた。長い間にプログラムの名称も構成も様々に変化した。やがて2001年にプログラムはIRC(国際救済委員会)に任されるようになり、成人特別支援教育(Adult and Special Needs Education)という名称になった。
2007年のレポートによると、成人教育は予想以上の仕事を成し遂げた。プログラムの学習者は初級、中級、上級を合わせて毎年およそ2,000人に達した。ビジネス・マネジメント、教師養成、特別支援教育訓練を合わせて2,133人が毎年養成講座に参加した。2007年には難民と地元住民を合わせて4,133人にも上る人たちが、これらの訓練の恩恵に浴した。
成人教育によって学習者は自立し、連携してコミュニティに根ざした問題解決ができるようになった。それぞれビジネスを成功させる技術を身につけた――あるスタッフは、1996年にビジネス・マネジメント訓練が始まると、キャンプでのビジネスが盛んになったと回想している。プログラムの終了後は、大勢の大人に引き続き中学校教育を受ける道が開け、他の者は英語を身につけたことで病院のアシスタントや警備員、教師の職まで手に入れることができるようになった。
2009年1月現在、成人教育センターに多くの学習者が殺到しているが、そこには教師はいない。残っているのは警備員だけだ。学習者だちはとまどいを隠せない。UNHCRのコミニュティ・サービスが他の選択肢を提供してくれるのか、それとも、成人教育はこのまま忘れ去られてしまうのか?
アダルトセンター5のIRCセキュリティ・スタッフによると、大人の男女300人ほどが、毎朝、授業を受けようとセンターに来ていたという。帰るように言っても、彼らは「先生を待っている」と言ってきかなかった。
教育を受けることを拒絶されたこの学習者たちは、2008年9月8日の国際成人デーの祝典で「教育は光だ」、そして「教育は生活への鍵だ」と歌った人々である。
KANEREの記者がこれらのメモを取っていたとき、エチオピアの難民コミュニティの2人の女性がレッスンを受けようとやって来た。彼女たちは、誤って記者を教師と思ったが、教師が一人もいないことを知りショックを受けていた。「私たちは光を見ましたが、それは奪われ、今や暗闇にいるのです。私たちの運命はどうなるのでしょう?」と女性たちは言った。
女性達はコミュニティリーダーと話したそうだ。リーダーからはUNHCRが辛抱するように言っているという話を聞いた。彼女たちは再び、どんなに失望しているかを、次のように話した。「UNHCRは父親みたいなものです。父親なら、私達が教育を受けられなくうなったとき、こんな風に見捨てたりはしないものです」
生徒たちはこの教育の行き詰まりに対して前向きの解決を望んでいる。希望には強い力があるものだ。希望があるところには、可能性がある。IRCはこんなことになるのを事前に食い止められたのではないかと思うが、UNHCRの力をもってすれば、解決策は見つかる。前途有望な生徒おに言わせれば、「運命は明るい!」
失業難民の暮らしを乱す
予算削減の発表は、難民スタッフメンバーにとって衝撃だった。予算が削減されれば破産状態は目に見えていた――経済的安定だけでなく社会と個人の幸福にも大きな影響を与えることが予測された。
働く人々は自分達の職業によって社会的ステータスを得る。NGOの難民スタッフは、いくつもある職業の中で医者や看護師、ケースワーカー、教師として働いている。予算削減によって個人の尊厳が損なわれると同時に、これらの肩書きまでも無くなり、元スタッフは「失業者」という地位に落ちてしまう。
予算削減の結果、最近になって教職を失ったソマリア難民のA.M.は、削減は「衝撃的だった」と言う。彼は予算削減がどれだけ個人の幸せに悪影響を及ぼしたか、かいつまんで話してくれた。「予算削減は、4つの面で私の生活を変えた。経済面、社会面、心理面、学問研究面で。」
「経済面で言えば、私は現在一文無しだ」と、A.M.は断言する。「自分に必要なものをまかなうことができない。失業している限り、高くつく物は借りることができない。」、失職による厳しい経済逼迫が原因で、「私と家族の関係は断ち切られてしまった」
家族の稼ぎ手は予算削減によって大きな影響を受ける。元稼ぎ手は家族に対して、伝統的な責務を果たすことができず、家族が経済的に追いつめられるのではないかと心配している者もいる。
予算削減に直面して難民のビジネスや企業活動も影響を受ける。インセンティブ(報酬)の支払いという形でコミュニティに入ってきていた金銭の流れが消えてしまうからだ。
A..M.は続ける――「社会的には、それなりに大事にしてもらう元となった仕事の肩書きもなくなってしまった。活動現場でできた友だちも失い、仕事で得た多くのクライアントも失った」
現場では、スタッフは色々な人と仲良く働いている。社会的背景、部族、派閥、国籍も様々だ。時には祖国で敵同士だった仲間もいるが、同じ現場のNGOスタッフとして、一丸となって働いていた。異文化間の絆もむすばれつつあったが、スタッフの何人かを失ったことで、それも崩壊するかも知れない。
「心理的にも失望状態で、何をすべきかわからない」と、A.Mは続ける。「新しい仕事を得るのは難しく、競争は厳しい。孤独なので悪いグループに入らされたり、不必要な行為に引きずり込まれるかもしれない。」
失業や破産の心理的効果はさまざまだ。昨日は「スタッフ」という名誉な肩書きを持っていたかも知れない者が、今日は「失業者」という肩書きで侮辱される。こうした個人のステータス突然の変化は、不名誉感や否定的な考えにつながるかもしれない。
A.Mは「学問的にも、スタッフに提供されるはずだった訓練の機会がなくなり、技術や経験までも失うかもしれない」と言う。社会とコミュニティの発展は、NGOによって提供される職業訓練、健康と教育セミナーを含む個人的上級プログラムによって押し進められる。今や多くの元スタッフはこれらの機会を奪われてしまった。
A.Mの個人的経験は、カクマキャンプで新たに失業した者の間に漂っている空気を表している。予算削減の結果、難民の失業は、様々な点でコミュニティに影響を及ぼしているようだ。
結論
人道支援組織によって提供される社会福祉事業に頼る難民と地元住民にとって、2009年1月の予算削減は気のもめる話だ。基本的な人道支援と教育プログラムは、こらまで様々な成果を上げてコミュニティを豊かにしてきた。現在、難民と地元住民は仕事やチャンスを失ったことで、こうした実績が消え始めるのではないかと心配している。
初等・中等教育は現在、教育を受けたいと望んでいる多くの若者いとって、手に届かないものになってしまった。弱者や危機に瀕している難民のための事例モニタリングというコミュニティ・ サービスのネットワークは、今や風前の灯火になっている。医療施設も熟練スタッフを大勢失い、患者全員の需要に応じ切れそうもない。その上、多くの難民に自信を与え、コミュニティに基づく問題解決を可能にしてきた成人教育プログラムも現在段階的に廃止されている。
難民と地元住民にとって、こうしたサービスの欠落は、チャンスを失い、ニーズも満たされないことを意味している。
しかし今後に望みはある。ケニアのダダーブ難民キャンプから50,000人のソマリア難民が移転してきたことで、多くのサービスが再開されるかもしれないし、拡大されるかもしれない。IRC(国際救済委員会)の上級職員によると、IRCが閉鎖した診療所を再開できそうで、サービスが再開されれば多くの熟練スタッフも活動に参加できるのではないか、という。この希望的観測の証として、一部のインセンティブ勤労者が職場に呼び戻されている。
ひとまず、難民と地元住民は次に何が起きるか待つことになる。
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