2011年、南スーダンは何十年にもおよぶ戦争を経て独立した。しかし現状では、行政は法律を守っていない。2013年12月以来、一定の民族を標的とした暴力行為が行われている。
世界で最も若いこの国が経験した内戦は、キール大統領とその前任のリエック・マチャル副大統領の間の権力争いによるものだ。キール大統領を支持するディンカ族と、マチャル副大統領を支持するヌエル族との民族紛争となった。
2015年8月27日、キールは首都ジュバにて平和協定に署名し、反対勢力との24ヶ月に及ぶ戦争を終わらせた。また同年8月17日、エチオビアのアディスアベバにてマチャルも平和協定に署名した。この協定の目的は、内戦を終わらせ、リエック・マチャルを副大統領に再度着任させるためだった。
ここでまだ不明瞭なのは、今後、法律をどのように遵守していくのか、また平和協定をどのように現実に生かすかである。
内戦は、何千人もの命を奪った。230万人が亡命し、人口の約半分が国内避難民となった。国際連合南スーダン派遣団によれば、20万人以上の一般人が残虐な争いから逃れ、首都ジュバにある国連平和維持活動の本部に避難している。
政府、反政府双方の兵士が、暴力行為や人権侵害で告発されている。強姦、略奪、民家への放火など、一般人に向けた直接の暴力である。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2013年12月に始まった南スーダンの紛争が及ぼした人的被害は世界的に見ても非常に大きい。
2015年秋、KANEREは南スーダンで取材してきたが、首都ジュバで新たに紛争が起き、たくさんの人が暴力を逃れ、新たな難民になっていることがわかった。「林の中や国境のあちこちに女性や子どもたちの姿があり、行き場をなくし、飢えていた。見るに耐えない」とKANERE記者は語る。
ウガンダ、エチオピア、ケニアの国境沿いには、ジュバでこの2年続いている新たな争いから逃れるため、多くの難民が押し寄せている。
400〜1,000人の難民がロキチョキオとナダパルをむすぶ国境でケニアに入った。そのうち数百人は政府派と反政府派の戦いの激化により亡命を余儀なくされた人たちだ。子どもの誘拐、女性の強姦、牛の強盗、民家や牧場への放火は、激しさを増すばかりである。
難民の多くは、必要書類を待ちながら国境沿いで待機し、ケニア国境は大混雑になっている。
【写真】国境にて、南スーダンの難民たち。カバタ・ボル撮影
KANEREが取材したところ、カクマ難民キャンプへ入るための書類を得るのに1週間以上かかったそうだ。デングさんは、「子どもたちと走ってきました。夫は林に行ったきり、戻ってきません」と言う。
ロキチョキオからナダパルに至る国境沿いには検問所が設けられ、UNHCRが受け入れ業務を行う事務所のほか、警察署、入国管理局もある。この検問所を通る多くの人々は、カクマに向かう。避難場所と援護を求めているのだ。
南スーダンから亡命してきた何千の人にとって、カクマ難民キャンプは新しい家である。何十年もの間、家もなく追われてきた人々にとって、カクマは静かな落ち着いた場所であり、生活の立て直しを行う場所である。
UNHCRとケニア難民省は、こうした新しい難民たちの登録と受け入れを行っている。そのほとんどは、女性と子どもたちである。
世界で最も若いこの国が経験した内戦は、キール大統領とその前任のリエック・マチャル副大統領の間の権力争いによるものだ。キール大統領を支持するディンカ族と、マチャル副大統領を支持するヌエル族との民族紛争となった。
2015年8月27日、キールは首都ジュバにて平和協定に署名し、反対勢力との24ヶ月に及ぶ戦争を終わらせた。また同年8月17日、エチオビアのアディスアベバにてマチャルも平和協定に署名した。この協定の目的は、内戦を終わらせ、リエック・マチャルを副大統領に再度着任させるためだった。
ここでまだ不明瞭なのは、今後、法律をどのように遵守していくのか、また平和協定をどのように現実に生かすかである。
内戦は、何千人もの命を奪った。230万人が亡命し、人口の約半分が国内避難民となった。国際連合南スーダン派遣団によれば、20万人以上の一般人が残虐な争いから逃れ、首都ジュバにある国連平和維持活動の本部に避難している。
政府、反政府双方の兵士が、暴力行為や人権侵害で告発されている。強姦、略奪、民家への放火など、一般人に向けた直接の暴力である。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、2013年12月に始まった南スーダンの紛争が及ぼした人的被害は世界的に見ても非常に大きい。
2015年秋、KANEREは南スーダンで取材してきたが、首都ジュバで新たに紛争が起き、たくさんの人が暴力を逃れ、新たな難民になっていることがわかった。「林の中や国境のあちこちに女性や子どもたちの姿があり、行き場をなくし、飢えていた。見るに耐えない」とKANERE記者は語る。
ウガンダ、エチオピア、ケニアの国境沿いには、ジュバでこの2年続いている新たな争いから逃れるため、多くの難民が押し寄せている。
400〜1,000人の難民がロキチョキオとナダパルをむすぶ国境でケニアに入った。そのうち数百人は政府派と反政府派の戦いの激化により亡命を余儀なくされた人たちだ。子どもの誘拐、女性の強姦、牛の強盗、民家や牧場への放火は、激しさを増すばかりである。
難民の多くは、必要書類を待ちながら国境沿いで待機し、ケニア国境は大混雑になっている。
【写真】国境にて、南スーダンの難民たち。カバタ・ボル撮影
KANEREが取材したところ、カクマ難民キャンプへ入るための書類を得るのに1週間以上かかったそうだ。デングさんは、「子どもたちと走ってきました。夫は林に行ったきり、戻ってきません」と言う。
ロキチョキオからナダパルに至る国境沿いには検問所が設けられ、UNHCRが受け入れ業務を行う事務所のほか、警察署、入国管理局もある。この検問所を通る多くの人々は、カクマに向かう。避難場所と援護を求めているのだ。
南スーダンから亡命してきた何千の人にとって、カクマ難民キャンプは新しい家である。何十年もの間、家もなく追われてきた人々にとって、カクマは静かな落ち着いた場所であり、生活の立て直しを行う場所である。
UNHCRとケニア難民省は、こうした新しい難民たちの登録と受け入れを行っている。そのほとんどは、女性と子どもたちである。
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