return to myself neo

鉄道趣味を中心として思いついたこや日々のことなどとりとめのない記事をひたすら書いていきます

2024年のセカンドバースデーを迎えて

2024-10-14 | 流星の彼方(回想録・雑記)
今年も無事に10月14(15)日を迎えることが出来ました
この日をセカンドバースデーとしている理由は旧ブログに書いたので詳しいことは省きますが自分にとっていじめによって壊れた心が戻ってくるきっかけがあったからです。

昨日の夜、フラッシュバックを起こしてしまいいじめで受けた心の傷はまだ残っているしまだ終わっていないと痛感させられました。もう30年前のことだというのに・・・本当に終わらないしいじめの後始末として月に1~2回通院して薬を飲んでという生活もかれこれどれだけ続いているのか。とはいっても自分は比較的症状が軽いし幸運にも恵まれたおかげで仕事もしているから十分な生活が出来ている。だけど中には長い人生からすればほんの僅かかもしれない子どもの頃の出来事にその後の人生を奪うことにも成りかねないからこそ、「いじめは被害者の心と体そして未来を奪う行為」だと言い続けたい。

この1年、色々なことがあった。そして自分ももう年上の立場なんからそれ相応の振る舞いをしなければいけないと実感したりした。気力も年齢のせいなのかかなり落ちていることもわかっている。それでも歩むことをやめて立ち止まることはしたくはない。心も体も問題ありまくりだけど自分らしくそして過去がもたらす胸の痛みは力に変えてこの先も進んでいきたい。この体が朽ち果てる時まで。


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2023年のセカンドバースデーを迎えて

2023-10-15 | 流星の彼方(回想録・雑記)

10月14(15)日は自分にとってのセカンドバースデー。

この日をセカンドバースデーとして大切に扱うようになった経緯に関しては前のブログで書いているので

長い放課後との出会い ~セカンドバースデーの日~ (diarynote.jp)

こちらを参照してください。

 

この1年、物理的に自分の存在を左右する危機的状況を迎え何とかくぐり抜けたりしたけどとにかく、この1年をくぐり抜けられたことに一安心しています。まだそのことについてはどんなに遅れてもすべて書くつもりですが、気持ち的には少し若い頃に戻った場面もあったかな。ただその一方で今でも過去のいじめのトラウマが残っているのも事実。

 

おそらく、トラウマは一生消えないだろうし自分にとってトラウマとなったいじめそして心の傷の回復どころか被害の全体も見渡せない・後遺症や不安定感も抱えている中での大学受験。

 

それは後遺症や辛い記憶として忘れることもできないし今も通院・服薬を要しているけどその反面、自分にとって何よりも力になっているのも事実。この頃に感じたこと、経験したことが自分の力の原点になっている、言わば諸刃の剣。過去は変えられないし受け止めるしか無い、そしていじめでも被害者の中には未来を失ってしまったような人もいる中で自分は、何とか立ち直れたしこうしてそれなりの生活ができている。だからこそ諸刃の剣を振るうことは時には自分の過去からくる辛さを呼び戻してしまうけどそれが、誰かのためになるなら構わず振り下ろしたい。どうやらまだまだ自分の過去の経験は必要とするような世の中のようですし。

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冬の雨 ~辛い記憶が戻る時~

2023-02-08 | 流星の彼方(回想録・雑記)

季節外れというかお前は南半球から書いているのか?というくらいの話が続きますがご容赦ください。

 

今回は、冬の雨の日の話。

ずっと前からこの冬の季節、それも雨の日はなおさら昔の辛いことを思い出しやすくなってしまうから苦手。その辛いことというのももう気がつけばあと数年で30年前、そう高1ははっきり言って最初の1ヶ月くらいかな?まともな時間をおくれたのは。でもその後はいじめの被害者となりクラスで孤立させられていたし、悪口とかそんな感じの精神的ないじめがずっと続いていた。それ自体は今振り返ればそんなに酷いものでは無かったけど当時の自分にとっては小学校時代もいじめの被害に遭っていたこともあったことによる増幅や、存在を否定され続けたことは精神的になとても大きなダメージとなり今もその時の傷が原因で苦しくなったりもすることが。

 

それでこの時期の雨が辛い記憶を呼び戻してしまうというのは、高1でも年が明け2月とか3月の頃の自分が置かれていた状況はと言うと、もういじめがあることで辛いとか苦しいなんてことを感じることを通り過ぎて寂しい・虚しいという感情そして、もうこの世から消えたくなってきていた。ちょうどこの頃は各地でいじめによる自殺が連日のように報道されていて自分もその中の一人になりたいと引き込まれていたのもあるのかもしれない。そして家と高校が近かったのもあって自転車で通学していてそういう時は、いわゆる無架線地帯とか海が見える場所とかに自転車を走らせてすこしは気分を紛れさせていたけどそれができないのが雨の日。放課後の行動範囲も縛られたことでより気分が塞ぎ込んでいたのが辛い記憶として残ってしまい今に至っている。

 

幸い、先生たちも薄々といじめに気がついていて学年末にはそれが確信になっていたこと。一部の同じクラスの人がいじめとともに様子がおかしいとという事を先生に話していたみたいで、それが2年の時のクラス分けを配慮してくれる話になりそこで消えたいという気持ちは無くなり生き残ることできた。それ以来、季節ごとに過去を思い出すし特にこの冬の雨は苦手なな日に。一体いつまでこんな気持続くのだろう。

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もう一つの誕生日 セカンドバースデーを迎えて

2022-10-14 | 流星の彼方(回想録・雑記)

セカンドバースデー=生まれ変わった日。10月14日、自分にとってそれは生まれ変わったと言っても過言ではない、とても大切な日。

前のブログでも書いたけど、筋金入りの鉄道マニア故に鉄道の日をセカンドバースデーにしているんだろうとツッコミが入りそうですがそれとはまるで別で、もう30年近く前になってしまうのだけど鈴木彩子さんの「長い放課後」という曲に出会ったこと。https://www.youtube.com/watch?v=U6sY1VTrK-s 

 

この曲に出会う頃の自分は、高校でいじめが続いた時から何か感情が無くなってきていったのがいじめが終わってからも続いていて、その頃の話も無意識のうちに遠ざけていたし丸で記憶が抜け落ちていたようになっていた。時間が経つにつれて何だかおかしいとか、本来の自分ではないと思ってはいたし、もやがかかった中にいるような感じもしたけどそれの正体も何かわからなかった。別の面から見れば心が壊れないように無意識のうちに記憶を封じ込めていたのかもしれない。

 

それが「長い放課後」との出会いによって、ようやく高校の時のいじめがあったことを思い出すとというか認識できる形になってもやから開放されるようになったということ。そこからは感情が戻ってきたり、無気力気味だったのも戻ってきた。その反面、深い心の傷を抱えていることを認識ぜざる得なかったということもあったけど。心の再生というよりも、生まれ変わったようになった日だからこの日をセカンドバースデーとずっと思っています。もちろん誰にも祝ってもらえるわけもない自分だけのひっそりとしたバースデー。今も毎年、必ず「長い放課後」を聞いて、この日があるから今があることを感謝するようになっています。

そして長い放課後はイジメによって亡くなられた人たちの鎮魂歌(=レクイエム)だと思っているからいじめに関係する事件のニュースを見たり聞いたりした後は一人でこれを聞いています、この前は、2度め目旭川に行き献花をしてきたこと。本当に自分だけでなく多すぎる人たちが苦しみ・命が失われ・人生を壊されるいじめの問題、完全に無くせなくてもせめて悲惨なことにはならないようになってほしいものです。

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ブチギレの昼下がり 無能な会見を見ながら

2022-09-24 | 流星の彼方(回想録・雑記)

相も変わらずだらけきった休日の昼下がり。まぁここまでは非常によくあることだけど、何となくいつものようにYouTubeなんて開いて注目の動画の中に、HTBチャンネルで旭川のいじめ事件で第三者委員会の最終報告の会見が流れていたからすかさず見ることに。

 

途中から見たから結局は、後半部分しか見てなかったけど見始めて10分もすればもう会見の酷さに呆れというよりもブチギレて思わずチャット欄が開放されていたからもう、遠慮するなくキレさせていただきました💢。

何というか、学校と教育委員会の責任を回避するための結論ありきの調査にこんだけの時間かけてきたのですかね?さらに亡くなったことといじめとの因果関係もボカすだけぼかしてというよりも、いじめが原因でPTSDの発症しそのことで引き起こされると考えるようなことも、まるで別に状況が起きた理由があるかのように言ってみたり、しまいには何を勘違いしたのか報告のための会見をてめーの辞職会見として使うのも出てくる始末。

 

全く、これが9人もの学識もある人たちの仕事ですかね?こんなことで恥ずかしいとも思わないその神経が凡人の己には理解できないです。これが、報道もされネットで大きく騒がれたいじめ事件の調査がこれでは何にもならない、さらに言えばこれは亡くなられた爽彩さんとご遺族の名誉を冒涜するようなもの。もうやり直しの第三者委員会が立ち上がるのは必然的なこととしか言いようがないです。

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再び 祈りの地へ ~旭川にて~

2022-09-18 | 流星の彼方(回想録・雑記)

旭川に降りてまずは今日泊まる予定の、駅近くのホテルに行って荷物を預かってもらい軽くなっていざスタート。

といっても、最初は目覚まし代わりに駅近くでソフトクリームが美味しい店を探してフィール地下に行ってみたりまぁあれこれやってからいざ出発。目指す場所は去年も訪れたあの場所。

また駅前からバスに乗り、でもなんだか初めて見る景色でも無いし気持ちに少し余裕が出てきたかな?そして永山という名前がついたバス停が連続するようになっても去年のようなドキドキ感も無く割と落ち着いた気分で永山中央公園に到着。

今回の旅のもう一つの目的と言えばそう、永山中央公園を訪れて献花と共に再び祈りを捧げること。奇しくもちょうど去年の3連休を使って北海道に来て中日に個々を訪れるのも一緒。去年、ここを訪れた時にはもう、再びこの地に足を踏み入れ祈りを捧げる自分も想像できたけど想像と違うのはこの雨模様の天気。写真を撮った時はちょうど上がっていたけどそのため休日だというのに閑散としている様子を映す写真に写すことができました。

 

去年と同じように、最初は爽彩さんが発見された場所で小さく手を合わせてから、献花台へ。去年の冬前から管理事務所内に移転していたのは聞いていたけど本当にお花・絵・メッセージカードなどが絶えることなくここにあり特にお花の世話もしてくれている人もいるという。本当にここを管理されている皆様には頭が下がる思いです。

 

自分が持ってきた花も一緒に並べてからは祈りの時間。祈りながら、最初の第三者委員会が不本意な結果だっただけにやり直しの第三者委員会がきちんとした調査をしてくれること、爽彩さんのおかげで繋がれる人ができ、自分も改めて過去に向き合うことができたことにも感謝していること。そんなことを思い、そしていじめで命や未来が失われることが無くなる未来が来ることを信じながら

 

永山中央公園を後にしたあとは旭川駅に戻ったら、北の恵み 食べマルシェ2022というイベントが開かれていてこれはということで、ちょっとお邪魔。そのなかで色々とつまみ食いしてお昼は完了。さらに気になる物があったからこれを買って夜は温めて食べることに決定。ということで一旦ホテルに戻ってついでに一休み。もうこれで終わりにしても良かったけどまだ日没まで少し時間があるということで再びバスに乗り今度は去年とは逆の順番でウッペツ川方面へ。

 

ここに来るのも去年に続いて2度目だけど、やっぱりわからない。あんな残酷ないじめや、爽彩さんが自ら命を絶とうとしていたなんて全く思えないありふれた日常が繰り返される場所で一体何が起きたのだろう。旭川駅に戻るバスの時間もあってあの中学校に向けて歩いたけどはっきり言って普通の住宅街の道である。でもこのどこかで無理矢理連れて行かれた場所があるのも事実。本当にわからない。でもわかっていることは一人の少女が深すぎる心の傷を負ってしまい、結果として命まで失ってしまったこと。

ホテルに戻れば今日はこれで終わり。今回の旅は留萌本線の廃止に合わせた葬式鉄もあるけど最大の目的は献花し祈ること。爽彩さんには本当に感謝しているけど直接お礼を伝えることはできない。だからこそこうして喧嘩し祈りを捧げに行くことは自分に出来る数少ないことだけに今後も続けたい。これが自分に出来る数少ないことなのだから。

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ものすごい皮肉な運命を目の当たりして

2022-09-04 | 流星の彼方(回想録・雑記)

明日は9月5日、去年の同じ日と同じく(天国のさーちゃんへ ~誕生日にむけての一言~ (diarynote.jp))、本来なら16回目の誕生日、青春真っ只中の女子高生になっているはずの爽彩さんのために今年も去年と同じように募金させていただきました。それよりも今日9月4日が何の日か知って愕然としてしまいました。それが何かというと2021年2月12日に山形県の酒田市で当時13歳の少女がいじめが原因で自ら命を経ってしまったのですが、亡くなられた石澤準奈さんの誕生日だったということ。

 

何で1歳違いとはいえ誕生日が1日違い、そして亡くなった日も1日違い、しかも命を失うことになった理由も同じ。これは一体どういう皮肉なことなのだろうか。

 

二人とも、本当はこんな形で命を失う必要なんて全く無い。むしろ適切なケアを受け少しでも傷ついた心を癒やし、未来に向かうべき若い命がこんなことになってしまったということに深い悲しみと。それに対して何の反省も無ければ隠し通してうやむやにしようとしている教育委員会という構図にやるせない怒りを感じています。天国で二人は今この世界をどのように思っているか、同じ理由で生きることを放棄せざる得なかった人たちのことどう思っているのだろう?一体どれだけの人の命、人生を奪えば学校は変わるのでしょうか。

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辛かったフラッシュバック

2022-05-17 | 流星の彼方(回想録・雑記)

夜、部屋の明かりを消してベッドに入って寝ようとしたけど胸が苦しくて呼吸が乱れてというか過呼吸のような状態になり、昔のいじめの記憶が蘇ってくる。

そう、フラッシュバックが起きたのだけど今回はいつも以上に苦しくて今まで見たこと無い場面が出てくる。おもむろに安定剤を飲んでベッドの中で丸まりながら収まるのを待っていて、どれだけ経ったのかはよくわからないけどだんだんと気持ちが落ち着いてきてやっと眠くなってくるから眠ったけど、朝になってみたらあまり眠れていない。

 

もう、四半世紀くらい前から眠る時は一番精神的に、不安定になる時間でいじめの光景が出ない単純なパニック発作で苦しくなったりするのは最初の頃の発作、辛かった大学受験が終わりさらに半年以上してからいじめの内容が出てくる、フラッシュバックが入ってくる。自分の場合、無意識のうちに記憶を封じ込める=抑圧というか、感情を麻痺させることで自分の心を守っていたようで。だから、高1の時のいじめが終わった後、半年以上経ってからようやくいじめがあったことを思い出す形で認識できるようになったし小学校のことは高校生の時にははほとんど思い出さなかった。それは氷が溶け出すかのように記憶が時間をかけて戻ってきたらこそ自分が壊れることなくいられた一方で、高校の時は内容の割に結果として深く傷つき、パニック障害など起こすことになったのも結局は小学生だった頃の時の心傷が残っていたからとわかったのも大学にはいったときから。

 

そして今になって新たに、小学校の時に自分のことを徹底的に避ける人がいたり、友だちと思っていた相手も時には加害者だった事を思い出してしまってやっぱり辛さが増してしまった。もうこれは変えることの無い事実だから受け止めるしか無い。でもその一方でこんな時にも優しい言葉をかけてくれたり他の人と同様に普通に接してくれている人がいたし、何ていうか完全に存在を否定されるようなこともなかった。ことも思い出して少しは安心した。

 

結局、小学校の時の頃だからもう30年以上経った出来事に対してもまだ完全には開放されていない自分がいる。だからといって完全な解放を望むのでもなくこの記憶も受け止めて力にしていければいいんだけどね。

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旭川のいじめ問題、ようやく認定

2022-03-27 | 流星の彼方(回想録・雑記)

毎回恒例、あまり冴えない休日を送っていたのですが夕方になりいきなりこんなニュースが

旭川の中2凍死、第三者委「いじめあった」と認定…調査結果を遺族に伝える : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

 

そう、去年の3月に被害者が亡くなられた旭川のいじめ事件の第三者委員会による調査で6項目が認定されたという発表。もうこれを聞いたときジーンとしてきたのととにかく嬉しかった。いじめがあった時からなら3年近く経ってようやくいじめが認められたということが。

 

初めましての方もいらっしゃると思うので、簡単に書きますが蒼い流星もかつていじめの被害者だったこと。その苦しみというか後遺症は今だに続いています。これについては、旧ブログ 流星の彼方(回想録)に関する日記 return to myself (diarynote.jp) に当時の自分のことなどを含めて書いているのでもしよかったらご覧ください。自分にはこの事件を知ってから、亡くなられた廣瀬爽彩さんには過去の自分をもう一度振り返るきっかけになったのとネット上でですが出会いのきっかけになってくれたのだから非常に感謝しています。それだけにこの知らせは嬉しい。そして、その後ネット上のいつも出入りしているところで、みんなでいじめが認められたこととこれからの始まりに乾杯。

まだこれから、真相の解明までにとても時間がかかるのは確実だしむしろこれからの道のほうが長いかもしれない。でも、今日ぐらいは喜んでもいいよね。大きな一歩を歩んだのだから。

 

今日の見出しの写真は前のブログでも使ったのですが、2021年9月に実際に旅行で現地に献花をしてきた時の写真です。あの場所はさらにお花の数が増えているという、今年もここには行ってまた祈りを捧げたい。

 

 

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