うちのサークルで2021だけ参加した毎年3月に開催される池袋鉄道模型芸術祭、ですがこれに参加する・しないがちょっとした話題になったけどまぁ搬入が何かと不便とかもあったし2021年は余りに人の入りが悪すぎる・夏のコンベンション1本に絞ればいい ということで不参加決定。
来年もコンベンション1本に絞ってがんばりますか。
うちのサークルで2021だけ参加した毎年3月に開催される池袋鉄道模型芸術祭、ですがこれに参加する・しないがちょっとした話題になったけどまぁ搬入が何かと不便とかもあったし2021年は余りに人の入りが悪すぎる・夏のコンベンション1本に絞ればいい ということで不参加決定。
来年もコンベンション1本に絞ってがんばりますか。
この連休前のニュースで時代を感じざる得なかったことは、ついにロイヤルエンジンことEF5861が鉄道博物館で展示されるようになるということ。
ついに、この時代が来てしまったか。以前から列車の牽引は不可能な状態になっていただけに去就がどうなるか気にはなっていたけど同じJR東日本に引き継がれた僚機パックことEF5889とともに鉄道博物館で余生を送るというのは嬉しい反面ついにEF58の歴史にも幕を降ろすことになる。
とはいっても、特別な機関車として生まれこれからもその栄光の姿を残し続けるのは名誉あること。EF5861よ永遠なれ。
今日の写真は1996年の品川駅のイベントで撮影したもの。かつての品川駅は7~10番線は臨時ホームとして日中は列車の出入りが基本は無いホームになっていて時折こういう形で車両を展示するイベントが開催されいこの写真もそんな時の1コマ。品川駅も今となっては当時の面影もだいぶ薄くなってきたな。
相も変わらずだらけきった休日の昼下がり。まぁここまでは非常によくあることだけど、何となくいつものようにYouTubeなんて開いて注目の動画の中に、HTBチャンネルで旭川のいじめ事件で第三者委員会の最終報告の会見が流れていたからすかさず見ることに。
途中から見たから結局は、後半部分しか見てなかったけど見始めて10分もすればもう会見の酷さに呆れというよりもブチギレて思わずチャット欄が開放されていたからもう、遠慮するなくキレさせていただきました💢。
何というか、学校と教育委員会の責任を回避するための結論ありきの調査にこんだけの時間かけてきたのですかね?さらに亡くなったことといじめとの因果関係もボカすだけぼかしてというよりも、いじめが原因でPTSDの発症しそのことで引き起こされると考えるようなことも、まるで別に状況が起きた理由があるかのように言ってみたり、しまいには何を勘違いしたのか報告のための会見をてめーの辞職会見として使うのも出てくる始末。
全く、これが9人もの学識もある人たちの仕事ですかね?こんなことで恥ずかしいとも思わないその神経が凡人の己には理解できないです。これが、報道もされネットで大きく騒がれたいじめ事件の調査がこれでは何にもならない、さらに言えばこれは亡くなられた爽彩さんとご遺族の名誉を冒涜するようなもの。もうやり直しの第三者委員会が立ち上がるのは必然的なこととしか言いようがないです。
今日は、帰りの飛行機までの時間を使って日高本線を乗ってから帰ろうと思ったのだけど台風が接近してきていてすでに関西方面が欠航、関東も夕方以降は欠航になる可能性があるということで明日は仕事があるから何が何でも帰らないといけない、しかも流行病があるから会社には内緒にして旅行に行っているのでということでなおさら。そんなわけで昨日から飛行機の空席情報を見ながらお昼近くの便に変更。
というわけで、今日は旭川から新千歳へのロングアプローチ。お土産と朝食のジュンドックも旭川駅で買ってからいざ列車に。乗ったのはそれが去年と同じく特急オホーツク。660PSを叩き出すDML30HSZでは無いけどやっぱりキハ183は古めかしいけどたまらない。札幌に着いてからは快速エアポートの乗り換えの間に先頭車の写真と思ったらなんとリバイバル新塗装。やっぱりキハ183 500番台はこの色が一番似合う。
快速エアポートを降りて空港に着いてこんどはチェックインのはずがカウンターは長蛇の列(障害者割引を使っている関係でカウンターでのチェックインは必然)。並んでいるうちにどんどん時間が無くなってきて結局、チェックインも保安検査も搭乗時間ギリギリの人扱いで並んでいるのを抜け出してチェックインして本来なら締切時間過ぎているけど保安検査、出発時間にやっと機内に入ったけどこんなグダグダ具合から遅れての出発。さすがに天気が悪いだけ合って景色も良くないしちょっと揺れるけどそれでも羽田に無事到着。この後はちょっと遠回りになるけどリムジンバスを乗ったりしながら帰宅。
これで今回の旅は終了。目的は達成できたからひとまず良しとするか。
旭川に降りてまずは今日泊まる予定の、駅近くのホテルに行って荷物を預かってもらい軽くなっていざスタート。
といっても、最初は目覚まし代わりに駅近くでソフトクリームが美味しい店を探してフィール地下に行ってみたりまぁあれこれやってからいざ出発。目指す場所は去年も訪れたあの場所。
また駅前からバスに乗り、でもなんだか初めて見る景色でも無いし気持ちに少し余裕が出てきたかな?そして永山という名前がついたバス停が連続するようになっても去年のようなドキドキ感も無く割と落ち着いた気分で永山中央公園に到着。
今回の旅のもう一つの目的と言えばそう、永山中央公園を訪れて献花と共に再び祈りを捧げること。奇しくもちょうど去年の3連休を使って北海道に来て中日に個々を訪れるのも一緒。去年、ここを訪れた時にはもう、再びこの地に足を踏み入れ祈りを捧げる自分も想像できたけど想像と違うのはこの雨模様の天気。写真を撮った時はちょうど上がっていたけどそのため休日だというのに閑散としている様子を映す写真に写すことができました。
去年と同じように、最初は爽彩さんが発見された場所で小さく手を合わせてから、献花台へ。去年の冬前から管理事務所内に移転していたのは聞いていたけど本当にお花・絵・メッセージカードなどが絶えることなくここにあり特にお花の世話もしてくれている人もいるという。本当にここを管理されている皆様には頭が下がる思いです。
自分が持ってきた花も一緒に並べてからは祈りの時間。祈りながら、最初の第三者委員会が不本意な結果だっただけにやり直しの第三者委員会がきちんとした調査をしてくれること、爽彩さんのおかげで繋がれる人ができ、自分も改めて過去に向き合うことができたことにも感謝していること。そんなことを思い、そしていじめで命や未来が失われることが無くなる未来が来ることを信じながら
永山中央公園を後にしたあとは旭川駅に戻ったら、北の恵み 食べマルシェ2022というイベントが開かれていてこれはということで、ちょっとお邪魔。そのなかで色々とつまみ食いしてお昼は完了。さらに気になる物があったからこれを買って夜は温めて食べることに決定。ということで一旦ホテルに戻ってついでに一休み。もうこれで終わりにしても良かったけどまだ日没まで少し時間があるということで再びバスに乗り今度は去年とは逆の順番でウッペツ川方面へ。
ここに来るのも去年に続いて2度目だけど、やっぱりわからない。あんな残酷ないじめや、爽彩さんが自ら命を絶とうとしていたなんて全く思えないありふれた日常が繰り返される場所で一体何が起きたのだろう。旭川駅に戻るバスの時間もあってあの中学校に向けて歩いたけどはっきり言って普通の住宅街の道である。でもこのどこかで無理矢理連れて行かれた場所があるのも事実。本当にわからない。でもわかっていることは一人の少女が深すぎる心の傷を負ってしまい、結果として命まで失ってしまったこと。
ホテルに戻れば今日はこれで終わり。今回の旅は留萌本線の廃止に合わせた葬式鉄もあるけど最大の目的は献花し祈ること。爽彩さんには本当に感謝しているけど直接お礼を伝えることはできない。だからこそこうして喧嘩し祈りを捧げに行くことは自分に出来る数少ないことだけに今後も続けたい。これが自分に出来る数少ないことなのだから。
留萌で迎えた2日目の朝。今日は昨日乗った留萌線で今度は逆に深川を目指す流れに。そんな朝食はにしんそば。かつてニシン漁で栄えたという過去に思いを馳せなつつ甘辛なニシンがまたつゆにうまく合っていておいしかった。
留萌から乗ったのはそのまま函館本線に直通して旭川に向かう列車。車両は昨日とは違いキハ150。再びあの風景を楽しむはずが寝不足気味と食後ということもあって見事に爆睡w。途中深川付近で目が覚めた時には立ち客も見られるほどの混雑になっていて(といっても単行だから乗っているの絶対数は少ないけど)、深川で一旦人は減ってもまた増えていって終点の旭川に到着。
個々からは乗り換えてと言いたいけど、今日の列車はこれで終わり。この後は2つ目の目的を果たすことにしますか。
岩見沢に着いてからは、特急ライラックに乗り換え深川へ。そう、今回の旅の最初の目的がこれから乗る留萌線に乗ること。惜しくも来年の春には廃線になってしまうということでいわゆる、葬式鉄になってしまうけど乗りますか。
車両はキハ54でもかつて急行礼文に使用された赤帯が1本追加され車内はモケットこそ違うけど0系新幹線に使われていた転換クロスシート車。まさかこんないい車両に乗れるとは思ってもなかった。そして非冷房だから窓を閉めれば暑いから当然開けるけどあまり人も乗ってないし他にもということでかなり開けて風と列車が奏でる音を聞きながら留萌を目指すという贅沢な時間に。
どれも個性的な駅だった上に、恵比島駅までとそのさきでは風景が一変。最初は室蘭本線にも似た平坦線だったのがだんだんと平地が狭くなり峠を超え、その先には日本海が見えてきたら終点の留萌に到着。
景色もよく魅力的な路線だけに無くなるのは惜しい。駅についたらまだ日没まで時間もあるし雲が出ているけどこれくらいならということでタクシーに乗り込み、急ぎ黄金岬へ。
完全に晴れてという日没は見られなかったものの来てよかった。都会にいるとこういう日没を見ることも皆無で何だか子ども頃、城ヶ島でみた夕焼けもこんな感じだったなと思いだしたりも。ここからはホテルへはバスも無いからということで1時間弱歩いてホテルに到着。着いてからは今度は買い出し。さすがにまだ外で飲むのに抵抗感があるので部屋で籠城ということで近くのスーパーやセコマであれこれ買ってそれをパソコンを見ながら流し込んで留萌での一夜はふけるのであった。
台風が気になるものの帰りに多少の影響が出るかもしれない程度なのでw3連休のうちの前半に結局行くことにしたけどさぁ何がどうなることやら。
今回は、愛用の(川口)・赤羽~羽田空港のリムジンバスの時間とも合わないから赤羽までバスで出て上野東京ラインで品川に出てあとは京急といういつものルート。そして羽田空港に着いて保安検査もくぐりゲートに向かっている時に遠くに見えたのは新しい政府専用機。
ということは誰か要人が乗るのだろう?そして飛行機はANA便とはいえコードシェアのためADOの機材で運航。まぁといってもこれといって可も不可もないフライトで新千歳空港に到着。
新千歳空港に着いてからは今回の旅が本格的に始まるけどはっきり言って初日の今日は乗り潰しの記録作りがメインということで南千歳で特急北斗を見送ったりしつつまずは普通列車で沼ノ端へ。
721系に乗ったけどやっぱり北海道の車両は雪の付着などによる破損等が相次いだだけにやむを得ないとわかっても窓が汚くてほとんど外が見えない。本当にこういうところは残念でしょうがない。まぁ普通列車に載っている人のうちどれだけスマホを見ているのか考えればどうでもいい話かもしれないけど。沼ノ端ではお目当ての室蘭本線には時間があるから一度改札を出て駅近くのホクレンショップでお昼にということでおにぎりと飲み物を買って今度は室蘭本線へ
室蘭本線のお供はキハ150。親子連れが数組程度に高校生が数人とあまり乗っていない状態で出発。途中追分を過ぎ三川まではローカル線となった今では過剰設備としか言えない複線区間。ただここもかつては道内の炭田から採れた石炭を苫小牧港へ運ぶための重要路線で東海道~山陽本線を走る1300トン列車列車も裸足で逃げだす2800トン列車が走っていたというまたすごい路線。しかもD51単機でこの両数を引っ張ってこれるだけあって本当に勾配も殆どなく雄大な北海道の風景が続く。やっぱりこういう景色を見ていると北海道に来たなと感じるし癒される。
岩見沢に着いてからはさらに乗り継いで、今日の目的地は最後の秋を迎えることになったあの路線に行きますか。
今週末はコンベンションの最終的な片付けとして横須賀へ。車両やバス・トラックを回送?してこれにて2022年のコンベンションも完全終了。そして来週は3連休が連続する。
こうなればということで、遅きに失した感もあるが旅行のプラン組。今回の目的地は最初から決めてあって北海道。何とか空いている飛行機とホテルあってあとはそれに合わせて時刻を当てはめていけばいいだけ。
あれこれ欲張りつつも思うようにプランができてこれで一安心。あとは来週出発するだけ。それにしても頭の中に大まかにプランがある時はすぐに行きたい場所・乗りつぶしのターゲットも決まるけどそれが断片的な時は本当に苦労するな。
今日は午後から何とほぼ半年前の案件を片付けるための会議にお呼ばれ。というわけで会社の人の車に乗せられ和光の辺りへ。
それにしてもまさか半年前の案件がまだ終わってなかった(途中でボスに引き継いでしまい最後までいなかったもので)というのもビックリだったけどこっちは最後の後始末の段階で一悶着あったらしかったけどこれも方向性を決めて終了。その後は色々と雑談というか愚痴まじりというか色々な話をしておかげで部署内にいたらわからない情報も聞けて助かりました。
会議のあとは途中まで行きに乗せてもらった人の車で行ってキリのいいところでタクシー。またオフィスに戻って来たのはいいけどここでも定時近くになってから会議と言うか打ち合わせ。
こっちの方はまぁそんな大きな話は出なかったものの毎度のことながら煮えきらないというかなんというか。そんな会議をやって遅くなったから今度は、会社の人を送るために久々の足立ルートで帰宅。
余り外に出ないからこういう外出って結構珍しくかんじてしまうんだよな。