松ひとり言

谷藤松で御座います。
末永くお付き合いの程よろしくお願い致します。

覚えていますか? ポリドールレコードを・・・(西田佐知子を聞きながら!)

2014年01月23日 11時01分38秒 | 日記

今!西田佐知子のベストアルバムを聞きながら半世紀も前のことを

西田佐知子のデビューはなんと!58年も前の1956年の11月とあります

西田佐智子(知が智でした)の名前で伊那の恋唄と言う演歌だったそうです

(アカシアの雨がやむとき)の曲に恵まれるまで4年近く鳴かず飛ばずでした

しかも!この歌はB面だったとか、それにこの翌年に出た22枚目のシングルの

裏面に入れた「コーヒールンバ」がヒットチャートを急上昇し始めたのが拍車になり

地元の大阪で少しづつ売れ始めていた「アカシア・・・・」が前代未聞の大ヒット

第13回紅白歌合戦に出場を果たすのです・・・僕はこの辺からさっちゃんフアンに

懐かしいEP(ドーナツ盤)レコードのジャケットを引っ張り出してきましたので・・・・・

        

投げやりな?歌い方が少しハスキーな声にピッタリで、本当にシビレていた時代でした

1971年に関口宏と結婚して、あまり人前に出なくなったのが残念ですけど、・・・

最後の?ヒットはお酒の(菊正宗)のコマーシャルソングではなかったでしょうか

”やっぱり俺はァ~菊正~宗”・・・よく口ずさんだものです

あの頃、一人のポリドール歌手との出会いがありました、京都出身の歌手で

愛田健二さんです、まだ私も独身でした、その頃ラジオ京都(現在のKBS京都)に

「三時の希望ディスク」という長寿番組がありました、月~金の放送でした

ディスクジョッキーは市村義孝さんで、テレビでは福助足袋の提供の長寿番組で

「源平芸能合戦」?の司会も勤めていて、福助の福ちゃんで知られておりました

この「三時の・・・・」には友の会がありまして、月に一度?例会がありました

ちょうどその頃、友の会の会長を任されておりまして、妻とは友の会同士で

結婚式には、市村のおじさん(友の会では市村義孝さんをこの様に呼んでました)も

出席して下さり、又私の詩吟の大会の司会もして頂きました、その頃市村さんは

埼玉の草加市に住んでおられ、尋ねていった事もありました。

友の会は三時の希望ディスク家族の様な暖かい人達の集まりでした

ある時!例会に、デビュー曲「流れ星」の宣伝に愛田健二さんが来たのでした

そこで、次回二枚目のシングルの候補を二曲聞いてください・・・そしてどちらかを

選んで欲しいと言われ、満場一致で「京都の夜」・・・でしょう~という事になり

   

それが大ヒットにつながったのでした、本当に・・・懐かしい思い出です

このあと、友の会の会長をしていた関係で、食事に連れて行ってもらったり

一緒に風呂に入った事もありました、今年46歳の我が息子の赤ん坊の時

抱いてもらった事もありました、”愛田健二さん”お元気ですか・・・

愛田健二さんは「関西音楽学校」ではスティーブ長崎と言う芸名でした

校長先生が浅田憲司さん?でした、そして愛田さんは先生の養子に・・・

浅田先生にも大変良くして頂きました、・・・ステージで歌っている愛田さんを

ソデから心配そうに見ておられたのに、胸が熱くなった事もありました

浅田先生はNHKの「のど自慢」でアコーデオンの伴奏と指揮をされてました

この頃のポリドールに園まりが色っぽい声で歌っておりました、大フアンでした

ザ・ピーナツの曲を、歌詞を変えて歌ってミリオンヒットになったのが

 

逢いたくて逢いたくて」でした、予約の時点で何十万枚になって話題に

エエ!時代でしたなァ~、ポリドールの洋盤でも、あのアランドロンの

「太陽がいっぱい」の主題曲を出していたんですね~

  

ジャケット見ているだけで、懐かしさで・・・胸がジーンとしますね!

 

 

 

 

 

 


吟道松流の初吟会のプログラム作りました

2014年01月09日 13時15分09秒 | 日記

プログラムの表紙で(A4サイズ)で左が表で右が裏です

今年で我々、松流は40周年を迎えます、プログラムも以前は

印刷屋さんにお願いしていましたが、費用の事もあって、10数年前から

私がパソコンで作成するようになりました、下の写真で大きく見てください

パソコンが少々使えるようになって、本当に便利になりました

そして!楽しいです、人間の意欲に感謝ですね・・・・・

 

 

 


大河ドラマに和して”母里太兵衛”の黒田武士を

2014年01月05日 08時26分13秒 | 日記

今年最初の投稿です・・・・・本年も宜しくお願い致します

今年のNHKの大河ドラマは「黒田官兵衛」ですよね!

我が吟道松流では一年に4回行事があります!

初吟会春季吟詠大会吟遊会交歓吟詠会、です

春季・・・の時に「合吟コンクール」を行ってきています

その「課題吟」をここ数年、その年の大河ドラマから題材を!

直江兼続坂本龍馬平家物語、昨年は八重の桜でした

構成吟の中に必ず主人公・自作の和歌か詩を入れてきました

しかし!今年の黒田官兵衛(如水)の和歌や詩が見つかりません

たぶん、残っているのでしょうが、・・・そこで、ひらめいたのが

”黒田二十四騎”の一人で、”黒田八虎”の中にも入っている豪傑・・・

《母里太兵衛》にピンチヒッターとして登場していただきました。

読み方は《ぼりたへい》とかぼりでなくて《もりたへい》がありますが

我々は”もりたへい”できています、・・・さてこの人と言えば””でしょう

松口月城作の「名槍日本号」が中心になり、もちろん黒田節も入れます

そこにナレーション的な和歌を考えました、わたし松の自作です

次のような構成になりました・・・・・・

   人の世を 紡ぐ調べや 吟の道

          春にめざめし 酒の記憶よ

美酒元来吾が好む所

斗杯傾け尽くして人驚倒す

酒は呑め呑め呑むならば

日の本一のこの槍を

呑み取る程に呑むならば

これぞ誠の黒田武士

古謡一曲芸城の中

呑取る名槍日本号 

と言う流れになります、これを私が今月12日の初吟会で披露して

春季大会まで稽古に励み、数人づつの合吟でコンクールをします

このお話は有名なのでご存知の方が多いとおもいますが・・・・

京都の伏見城でのお話とか・・・・・主君黒田長政の命を受けて

酒豪で名を轟かせていた《母里太兵衛》が福島正則の屋敷に行きます

行く時に殿様から”絶対酒を飲んではならん”と言われてきたのに

福島の屋敷では酒盛りの真っ最中、「よい所へ来た!」と正則が

太兵衛に酒を勧めますが、殿様から言われてきているので、断ります

しかし、断りきれなくなり、一斗飲んで約束の褒美にと無理やり、槍を?

洒落でなく、”名槍日本号”を優々と持ち帰るというお話です

この”名槍日本号”は正親町天皇(おおぎまち天皇)から足利義昭、

義昭から織田信長、信長から豊臣秀吉、秀吉から福島正則にと

伝わってきている家宝を太兵衛に飲み取られたのでした

因みに昨年は《八重の桜》でしたので、新島襄の名詩「寒梅」中心で

最初にナレーション的な、和歌でなくて・・・今様形式で作りました

兄を慕いて都にぞ

 咲くや会津の八重桜

  梅に寄り添い二人して

   築く同志の学び舎を

    築く同志の学び舎を

庭上の一寒梅

笑って風雪を侵して開く

    打ち寄する 浮世の波は荒くとも

        こころの岩は うごかざりけり

争わず又力まず

自から百花の魁を占む

自から百花の魁を占む  

赤字の和歌は八重さんの自作です

このように毎年、初吟会を構成と吟とで楽しんでいます