松ひとり言

谷藤松で御座います。
末永くお付き合いの程よろしくお願い致します。

我が家の恒例≪吊るし柿≫・・・西条柿を買いにタントで2時間

2014年10月30日 18時16分46秒 | 日記

 

     

《西条柿が沢山吊るしてありました、今日から家内が皮をむく作業に入ります、今回買ったのは15キロ、でも100個もありませんよ》

  

《15キロ秤に掛かったのを、ダンボールに詰めている家内です、干し柿の効能書きです、干すことで体に良い成分が凝縮と・・・》

桑村農園さんに毎年京都の梅津から約2時間掛けて『タント』で走るのも

出来上がった柿の甘さが他のとはぜんぜん違うから、奈良からも来てました

今年の夏の福知山の水害の時、この辺の柿畑毛も、腰まで水に浸かったとか

そんな中でよくぞこれほどまでに育ったね、見た目は何時もと変わりませんよ

水害の被害の中で、これだけの収穫があったことに感激して家路につきました

夕方に着いたので、写真も薄暗いですが、農園の近辺を見て下さい

 

 

 

 

      

 《野生の柿も有ったけど、水害でコスモスもありません 帰途に、コンビニでソフトを、・・・アレッ三日月と飛行機雲・・・》 

《バカ家族三人組》の恒例になった西条柿を求めてを・・・・・よう~やるわ


40年祭を≪雄琴・花街道≫で・・・ミシガンにも乗船!

2014年10月28日 16時04分40秒 | 日記

   

我が吟道松流も早いもので創立40年を迎えました

春にも40周年の吟詠大会を行ないましたが、吟遊会として

身内だけのレクリェーション兼ねての会をと言うことで

事務局で計画をたててくれたのが今回の雄琴温泉≪花街道≫

それが、それが出足から大失敗でした、いやいや宗家の私がです

バスの時間を1時間勘違い携帯にジャンジャン≪今何処ですか≫

バス停に行ってもお弟子さんが居ない・次の集合場所のだった

そこで、やっと1時間の勘違いに気が付き、太秦天神川までタクシー

直接、大津港まで・・・ミシガンの出航は10時00分・・・無理やわ~

でも太秦天神川から乗った大津行きの到着時間9時57分・・・・

事務局さんと携帯のやり取り・・・・「一番後ろに居て下さい・・・」慌てて移動

このアドバイスで助かったんです、出口へのエスカレーターが目も前に

浜大津駅に【あさか観光】さんと稲ちゃん(事務局)が手を振って待ってて

『早く早く・・・まだ、間に合いますから』・・走った・・・走った息もゼ~ゼ~

ホントに紙一重でミシガンに乗れました・・・奇跡です・・・皆さんにご迷惑かけて

    

《でも、私達の所為で1分遅れで出航ホントにごめんなさい、・・・でも良かった上はミシガンの模型とその容量です、900トンやて》

1時間20分程の船旅です、天気は最高で夏のような暑さでした、

本当にゆったりした時間を過ごす事が出来で、大満足でした

お弟子さん達も言っていました、『こんなひと時が必要ですね~』と

  《みんな、楽しそうでしょう船上って、素晴らしいですね~これも良いお天気が最高のご馳走ですけどね》

 

《屋根がカーブしている白い建物が、【びわこホール】です、取りあえず大きいです、向こうに霞んで見えるのが大津プリンスです》

さて、この船は≪外輪船≫でアメリカのミシシッピ川を彷彿とさせる

素晴らしい造りで、船内も舞台でショーをやったりで、雰囲気抜群ですよ

     

     

《無事!大津港へ帰ってきました、左の作務衣姿が私です、その前が事務局、その横が家内で、後列の真ん中が息子です》

 

《朝、浜大津駅に着いた時は、ここを左に走ったのです・・・・坂本行きの京阪電車が石山方面からの到着です・・・雄琴へGO

  

《真っ直ぐの線路を坂本へ向かっています、・・・坂本に着いたら・・・・花街道からの送迎バスが待ってて・・・結構距離が有りました》

     

《20分近いバスの旅・・日吉大社の境内を・・・花街道に到着です・・矢絣のお姉さんがお出迎え・・・玄関から中々の雰囲気でしたよ》

 

     

     

楽しくて、本当に有意義な40年祭・吟遊会でした、

食後に温泉にまで入らせて頂き、(男性だけでしたが)

命の洗濯をすることが出来、最高に幸せでした

次は2年後の私の吟道50年です、・・・・・頑張りま~す

 

 

 

 

 

 

 


携帯電話族からスマホ族・・・親指から人差し指へ

2014年10月27日 08時44分36秒 | 日記

携帯電話の時代は親指の動きに感動していました

どうして?こんなに早く正確に親指が動くのか、特に若い女性

バスに乗っている時、その動きをうっとりして見ていて、

ギョロッと見返されたこともありました、それが今では人差し指に

今は電車に乗ると、殆んどの人が、スマホでゲームに夢中ですよね

若者だけではありません、おっさんも、おばはんも人差し指を動かしてる

この前なんか、前に座っていた40歳ぐらいの男性のしなやかな動き

スマホの画面に出ている、いろとりどりの顔のような物を人差し指で

消していくのですが、一つづつではなく、くるくるっと画面の顔を

それはそれは見事に撫でるのです、上に、下に、横に、そして廻します

あれだけ夢中になれるのですね~、あの華麗な(加齢や無いで)

指の動きに拍手です機種が変わると使う指まで変わる

では、ここで携帯電話の歴史を調べましたので少しお付き合いを

《世界で初めて携帯電話ご登場するのは1970年の大阪万博の電気通信館やそうです》

              

 《1985年にポータブル電話機(ショルダーホン)が登場、》

 

《1987年にショルダーホンを小型化した携帯電話を発売・・・・・

この頃事務所の所長が使っていたのを思い出します》

《1989年に初の超小型携帯電話が発売されます》

《1991年にデジタルホンが参入、超小型携帯電話≪ムーバ≫が発売される

《1998年、(前年にショートメールサービス開始)、この年漢字ショートメールサービスを開始》

《2000年アナログ方式が終了、この年カメラ付きの携帯電話が登場》

そして翌年の2001年、撮影した映像を電子メールに添付出来る、≪写メール≫サービスを開始

2009年3月30日、文部科学省が、公立小中学校への携帯持込を原則禁止を全国の教育委員会に出す

2010年4月1日にNTTドコモより≪ドコモスマートホン≫が発売される

めまぐるしい、進化で付いて行けないけど、我が家にもあります

これから先、何が出てくるか楽しみですね~

 

 

 

 

 

 


京都では雨の中、昼は時代祭り、夜は鞍馬の火祭り

2014年10月22日 16時48分19秒 | 日記

今日は取材には出掛けられなっかたのでネットから写真を拝借

 

 《この写真は本日のでは有りません残念ながら朝から生憎の雨でした・・・時代祭りの先頭を行く山国隊です、・・・・》 

 

《京都の時代祭りは明治から平安時代までを、その時代の歴史的人物がその当時の扮装で、・・・・・まずは明治からです》

  

 《和宮、清少納言、小野小町、巴御前、等、女性人が多い中凛々しい男性です、御所を12時に出発、平安神宮までのコース》

昨日、岡崎の二ヶ所の美術館にジャポニスム芸術を鑑賞して来ました

その時に今日の観覧席の準備が整っていました、その時の写真です

 

 

《今日は雨の中2時30分ごろに行列が正面の平安神宮に向かって、静々と進んで行った事でしょう・・・雨で気の毒でしたけどね》

  

《小野小町は歩きなんですね、知らなかった、清少納言は輿に乗ってですから楽ですね、巴御前はさすがに馬上の人が良く似合う》

鬼が大笑いしますけど、来年は御所と平安神宮の二ヶ所から

取材することをお約束致します、特に来年は72歳の年男ですから(関係ないがな

さて、本日はもう一つ、鞍馬で京都三代奇祭の一つ、≪火祭り≫がもうすぐ始まります

  

《この様に、大松明に火を点けて担いで、練り歩きます、火が体に近ずくと少しづつ水をかけます・・・これが重いのです》

《火が肩まで近ずいているでしょう、この松明が鞍馬寺の山門前に集結します・・・・》

そして、由岐神社から神輿がまず三門まで下りてきて

三門から下へは階段を担いで下ります、その時【ちょっぺ】

と言って、神輿の前に両足を開けて乗ります、そしてそのまま

階段を駆け下りるのです、火祭りのクライマックスです

このシーンを来年写真に収めたいと思っています

さすがのネットにもこの写真だけが有りませんでした・・・

  

《松明の勢ぞろいです、鞍馬寺の三門前です、まだの方是非見られたらと思います、担ぐ人の扮装はこの様に・・・・・》

私も、昭和48年ごろ大松明を担いで三門まで行き階段の

中ほどで、《祭礼(サイレイ)やサイリョウ》と大声を張り上げた事が

大変に懐かしい思い出です・・・・・詩吟の教室が鞍馬にあったから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


京都岡崎の二ヶ所の美術館でジャポニズム文化が満開

2014年10月21日 18時24分16秒 | 日記

 

《10月21日、時代祭りの前日やったんです、思い立って近代美術館へ【ホイッスラー】に会いに・・・目的は友の会員に成る為》

世界で20年ぶりの回顧展とパンフレットに有ります

ホイッスラーはボストンの生まれで、(1834~1903)

パリの印象派の画家たちと交流を持ちながら、

ロンドンを拠点に活躍した19世紀後半を代表する画家とあります

会場には【モネ】からの手紙が展示されていました

凄くソフトなタッチで描かれていて、浮世絵に憧れを持っていて、特にこの絵が心に残りました

   

《パンフレットの表と裏を入れましたので参考にして下さい、後半のノクターンと名付けてシリーズの淡いブルーが素敵でした》

近代美術館は最初に言った様に『友の会員』になる為で、本当は

向かいの京都市美術館の≪ボストン美術館華麗なるジャポニスム展≫が目的

でも【ホイッスラー】が素晴らしくて予定よりゆっくり鑑賞しました

次にお向かいにある、京都市美術館に移動しました、

《向かいに見えているのが京都が誇る、京都市美術館です、丁度平安神宮の大鳥居が真ん中に堂々と佇んで居ます》

 

《二種類の看板です、左の方が美術館の前にあって、右の方は京都らしい雰囲気でしょう、平安神宮寄りに立っています》

展示場は写せないので、中に入って、ここまでは写してもOKの所までを

  

《正面入って右に行きますと、『写真が暗くてすみません』、チケット売り場が、・・・・場外でなく場内売り場は珍しいですね》

《この赤が実際のように出ないんです、申し訳ないのですが・・・この赤を知りたかったら美術館へ足をお運びくださいませ》

では、こちらもパンフレットを見ていただきましょう、

何と言っても【クロード・モネ】の≪ラ・ジャポネーズ≫につきます

等身大とありますが、もっと大きく感じました、”修復後世界初!”

これは絶対見ないと損しますよ言葉で伝えられへんどっせ

修復前の色がどんなんやったか分かりませんが、素晴らしいです

赤のうちかけの刺繍が3Dを見ているような立体感で(これも直に見んとね~)

   

《せめて雰囲気でも、・・・・・エエ~見たくなりましたて・・・・・行って下さい、広重と北斎の浮世絵も沢山有りますよ》

美術館を出たら、薄暗くなっていました、工事中の京都会館(ロームシアター京都)の前と

【みやこメッセ】を覗いて、家路につきました・・・・・