松ひとり言

谷藤松で御座います。
末永くお付き合いの程よろしくお願い致します。

今朝の4時に≪100歳の浜田さん≫が亡くなりました

2015年08月30日 07時01分26秒 | 日記

  

今年2月、病院にて100歳の誕生祝いです、次の二枚は四月の地方選挙に行ってくれた時、これが最後の投票になりました

今朝の3時半に丸太町病院から電話が入りました、

『容態が急変したので直ぐに来られますか

顔だけ洗って準備をしていたら、又、電話が入りました・・・

『心臓が止まりましたので、決済しても宜しいですか・・・』

母の時と同じように、死にめに会えませんでした・・・

結局、死亡時間は、8月29日午前4時でした、

『大往生でしたよ、安らかに眠るように逝かれました』とは主治医の言葉

本当に優しい顔でした、浜田さんの人柄そのままの表情でした・・・お疲れ様でした

母に本当に良くして頂きました、・・・母が待っていますよ・・・

もう天国で逢っているかもね・・・

今から葬儀の準備などがあります、浜田さんの思い出は・・・

総てが終わってから・・・ゆっくりとブログします・・・

2月19日のブログ≪100歳の浜田さん、明日退院で~す≫を御覧あれ

 


私の大切な一枚の写真・・・貴船のおしげさん!

2015年08月29日 18時18分51秒 | 日記

私の家の1階の部屋は・・・仏間であり、詩吟の稽古場でもあり、

創価学会の拠点にも使われています、この部屋に李白が居ます

 

《2001年【李白生誕1300年祭】に四川省江油市から招聘を受けて妻と二人で行った時、頂いた拓本です》

でも今回の大切な写真は・・・李白には悪いのですが・・・もっと大好きで

思い出がいっぱい詰まっている写真なんです・・・・・では観ていただきましょう

《20年ぐらい前に、近江八幡の水郷めぐりをした時、途中の島に上陸した時の写真です、何時観ても素晴らしいです

私の後ろで素晴らしい笑顔の着物姿の女性が・・・貴船のおしげさん

正確に申しますと、岸根しげさん、吟号は≪舟遥≫(しゅうよう)と申されます

我が吟道松流の中にあって、伝説のお弟子さんなんです

もう亡くなられて・・・・・17・8年の歳月が流れて行きましたけど

松流の詩吟が好きで好きで、そして私・松の大フアンやったんです

ある時、糖尿病で入院をされた時がありまして、すぐにお見舞いに・・・

病室に入っても姿が見えないのです、アレと思ってもう一度よく見ると

足元に座って居られたんです、身体が半分ぐらいになっておられたんです

それでもテープレコーダーをベットに置いて私の吟を聞くのが楽しみ、と・・・・

それから元気になられて、退院という時に主治医が『何時退院しますか』との問いに

岸根さん即答されたそうです『水曜日に決めてます』主治医が『何でその日なの』と

岸根さん『そら、その日が詩吟のお稽古日やし』と答えられたとか

忘れもしません、その日貴船の教室に行きますと岸根さんが座っておられました

それから二ヶ月近くも、声が出ないのです・・・、それでも毎週座っておられた

そして、ついに詩吟が出来るようになられます、以前より大きな声で・・・・・

執念ですね、『わては詩吟で元気を貰ったので、わては詩吟が命だす』・・と

今でも吟道松流の御本尊様のように思っています

今までも、又此れからも・・・岸根さんの様なお弟子さんは現れますまい

発表会があるごとに、陣中見舞いとか部屋見舞いとかの名目で・・・

数知れず、頂きました、決して有り余っていない中からの心ずけでした

4年前に亡くなった母とも仲良くして頂いてました・・・・

今頃は天国で二人して、松流の詩吟を心豊かに吟じていられるでしょう

私は毎日、仏間兼詩吟道場でこの写真の前で岸根さんと対話しています

おしげさ~ん・・・色々と有難う御座いました、・・・母をよろしく頼みますね~

 


今!京都が凄い・・・第二弾≪国宝≫がさり気なく

2015年08月28日 20時27分19秒 | 日記

  

《前回で紹介した京都文化博物館で開催中の【レオナルド・ダ・ヴィンチとアンギアーリの戦い】展、この会場の下に国宝がいっぱい》

しかも、メイン会場のダ・ヴィンチ展の下の階で、さり気なく展示してあるので、

見逃してしまいそう・・・・・総てが国宝と言っても良いぐらい国宝だらけ

面白いのは・・・ダ・ヴィンチの時代の京都ではと言った関連性も面白い

因みに・・・レオナルド・ダ・ヴィンチが1452年の生まれ、室町時代の真っ只中

ダ・ヴィンチと合わせたわけでは無いのでしょうが、時代が日本とイタリアの架橋

では分りやすく年代別にダ・ヴィンチと並べてみよう

  足利義満(1358~1408)

  世阿弥 (1363~1443)

  山名宗全(1404~1473)

  細川勝元(1430~1473)

  一休宗純(1394~1481)

  太田道潅(1432~1486)

  足利義政(1436~1490)

  北条早雲(1432~1519)

  ダ・ヴィンチ(1452~1519)

  応仁の乱 (1467~1477)

こうして並べてみると、ダ・ヴィンチが室町時代に誕生しているのがよくわかる

1400年代は、イタリアのフィレンツェを中心にダ・ヴィンチやミケランジェロの時代

京都でも1400年代は今日の美術史の魁を作り上げた、室町文化が起こっている

この似かよった環境から京都とフィレンツェが姉妹都市を結びます(1965)

そして、今年で姉妹都市締結50周年を迎えるのである・・・だからダ・ヴィンチ展なのだ

 

足利義満と言えば、金閣寺創建で有名ですよね・・・この時代には、ダ・ヴィンチは影も形もありません

そして義満の孫の登場となる・・・今度は銀閣寺創建で有名な足利義政

ダ・ヴィンチより16歳年上になるのですね、・・・・・・

今回言いたかったのは、京都にこれだけの国宝があるという事です

本当に京都に生まれて幸せです、東寺百合文庫って凄いですね

これが足利義政の直筆なんですね・・・・・日本の芸術村であった、京都鷹ヶ峰の光悦村

ここから生まれた尾形光琳を中心とした【琳派】も400年を迎えます

色んな意味で今年は京都が凄い事になりますよ、

是非是非皆さま・・・・・京都へ・いらっしゃ~い

 


今!京都が凄い・・・今日から三ヶ月≪ダ・ヴィンチ≫漬け

2015年08月22日 17時31分01秒 | 日記

《いよいよ、今日から始まりました・・・・・レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展・・・・早速行って来ました凄かった》

将に≪アンギアーリの戦い≫一色の展覧会でした、何度も足を運ばないと

以前にもブログにしましたが、京都文化博物館の会員になっていると大特典

一年間休館日以外は、会員証を見せるだけで毎日でも行けると言うわけ

この様な大規模の展覧会でも条件は同じなのが嬉しい、五回行けば年会費以上

≪これが会員証です先日の ”原爆の子” もこれで行けるのですから≫

まるで文化博物館のコマーシャルですね、でも色んな展覧会や映画の(古き良き時代の)

お好きな方には、絶対お勧めです、京都に限らず京都近辺でしたら・・・(交通費が・・ね)

アンギアーリの戦い展の事は・・・今後ゆっくりとブログしていきます・・・期間3ヶ月ですから

会場内のセットも ”レオナルド・ダ・ヴィンチ” の時代を彷彿とさせる雰囲気でした

しかも、恥ずかしい事に、ダ・ヴィンチの事をほとんど知らなかった事を、思い知らされました

もちろん、アンギアーリの戦い展と銘打っているのですから、様々なアンギアーリの戦いがあります

私の大好きな、ルーベンスがこのアンギアーリの戦いを模写していた事には驚きました

もう一つ、”ダ・ヴィンチ” コーナが設けられていて、驚きの連続でした

ダ・ヴィンチの誕生が1452年4月15日て知ってましたか そんなに古い時代の人

ダ・ヴィンチ誕生から15年後に・・・我が京都では ”応仁の乱” が勃発し10年戦争に

あの ”モナリザ” は、ダ・ヴィンチ50才前後の作品です、

 

《代表作 ”モナリザ” が描かれたのが510年も前なんですね~こちらの有名な自画像は500年前なんですよ》

最後に先日、京都新聞に掲載された記事を載せて終わりにします

特に池田先生の記事を読まれんことを、内容の深さに敬服です・・・・・またね~

 

 

 

 


≪谷藤松≫本日72回目の誕生日・・・ブログ満二歳なり!

2015年08月18日 20時20分34秒 | 日記

二日前に【終戦日の翌日が大文字、その二日後が私の誕生日≫

と言うようなブログをいれました、大文字までで、誕生日は本日で御座い

先ずは、私の生まれた昭和十八年八月十八日(1943・8・18)のカレンダーを

これで、私の生まれた8月18日は水曜日という事が判ります

終戦の2年前で、日本は戦争の真っ只中でありました

食べるものも乏しい時代によくぞ育てて頂いた・・・感謝です

しかし、母の胎内の中で、梅毒と言う事が分り、サルバルサンを注射

その結果、元気に生まれたのですが、右目の視力が0・3しかありません

身体も弱くて、20歳前後の時、入退院をくり返しました、梅毒を消す為に

色々と検査や治療をしました、最後はペニシリンしかないと云う事で・・・

三年ぐらい打ち続けました、その時の先生がこれ以上打つのは怖いと言われ

『8000万単位を打ったので、この辺で辞めよう、これで大丈夫や』と・・・・・

お蔭様でそれ以後、梅毒の症状は出ませんでして今日に至っています

結婚もオーケーが出まして、元気な子どもを授かりました、現在47歳まだ独身

孫の顔を看られないのでしょうか今最大の悩みはこの事です(早く結婚しろ~)

結婚までの青春時代は持病との闘いで、結婚して幸せをつかんだ様な気がします

今は誰からも「72歳には見えませんね~」と云われるのが自慢の毎日です

今・・・・二階から『早やく食べよ~お腹と背中がひっつくで~』と家内の声・・・・・

途中ですが・・・嫁はん、怖いし・・・・・ここまでという事で

最後にこんなハガキを記念に作りました・・・・と言っても消印だけの事ですが

18年の8月18日の消印です、・・・・昭和なわけありません・・・平成の18年です