6月16日のブログで(3回連続)紹介した≪京都市学校歴史博物館≫
今回は秋の企画展・近代京都画壇の名品にみる【日本画 余白の美】を
《二種類のパンフレットを頂きましたが、残念ながら今回はカタログの製作は無く、猪原先生の素晴らしい絵を見て頂けないのが残念》
それが・・・まさか猪原先生の初期の作品が観られるとは思っても居なかった
今まで観てきた先生の絵とは、違って・・・こんなに繊細な絵を描いておられたとは
本当に、本当に・・・見て頂けないのが残念です伏見南浜小学校の所蔵が一点と
銅舵美術工芸高校の所蔵が一点ですので、会期が終わったら、この二校を尋ねるつもり
写真を撮らせていただけるか疑問ですけどね・・・・ネットで調べたのですがありません
《製作年代も昭和期だけです・・・【山桜】も【桔梗】も其れは其れは・・・優しいのです(絵が無いのに、言っても仕方ないやん)・・・》
二年前の9月のブログ≪日本画家≪猪原大華≫先生との黄金の思い出・・・・・
昭和48年1月3日の、将に先生との黄金の思い出です・・・私の詩吟を聞かれて
ご夫妻が嗚咽されて、先生から『その若さで・・・これだけ人を感動させる貴方が羨ましい』と
その時の猪原先生の優しさを、この二つの作品で今再びのお出逢いになったのでした
もう一つ・・・前回も展示されていた、「山口華楊」の【凝視】、今回クリアファイルで登場
《歴史博物館の字は 裏面が映りましたので・・・素晴らしい ”百獣の王” ・・・この先生の《黒豹》の絵も素晴らしい三和銀行所蔵です》
京都画壇には素晴らし先生方がいらっしゃったけど・・・今回も上村松園さんの息子さん
上村松篁さんの作品が幅を利かせていて・・・(私は上手いと思った事ありませんので・・・)
亡くなった私の母なんか、かなり辛辣でした『あの人の画いた鳥、土で作ったみたいで生きてない』です
これは、私たちだけではありません、「なんであんな絵が」「どこが良いの」・・・・・
やはり母親の七光りやと・・・・・それを本人は感じてないのか大画伯気取り・・・(ごめんなさい)
もう少し展示の場所も考えて欲しい・・・その息子の淳之さんも似たり寄ったり
すんまへん今夜はこのぐらいにしておきましょう・・・・・でも態度ですよ、心根ですよ
総てが・・・如実に作品に出るんですよね・・・先生ぶっては・・・・・ダメですよ
猪原先生のお人柄を・・・・・もっと・もっと・・・もう手遅れや~
京都だけではないと思いますが、雨が降りまへん
もう雨の訪れが途絶えて二週間以上?になります・・・
『そろそろ雨乞いをせねばならぬ』 時が・・・・・
今月の天気予報を見ても・・・・・ 傘マーク ”” が無いでしょう
御覧の通り ”” マークは今月最初の一日だけ、・・・では明日からは
,何んと云うことでしょう・・(ビフォーアフターか)
マークが無いんですよ・・・エライこっちゃ
皆さんの地域は如何でしょうか・・・御一緒に ”雨乞い” をしましょうか
これまた、降ったら降ったで・・・二年前の様に、嵐山も我が家の半地下も水浸し
まだ幸いな事に真夏と違って、温度が低いので助かってます (旱魃が怖い)
でも今週の日曜日は28度もあって、まるで ”戻り夏” の様相でしたけど
今年は地球がおかしいのかな・・・お互いに気をつけましょう~
10月1日付けのブログに、山崎豊子の実家が昆布の小倉屋山本やてを
載せました、ホンマに知らんかったんです二年前に亡くなっていた事も
山崎豊子スペシャルガイドブックを二年後の命日に偶然買ったことも不思議
そこで今回は山崎豊子と言う稀代の女流作家の華麗なる足跡を辿る事に
前回にも言ったけれど・・・・・よくこれだけ取材が出来たものだと・・・感心しきりである
あの塩吹き昆布【えびすめ】の小倉屋さんの長女が大学を出て(現在の京女)新聞社へ【20歳】
最初は毎日新聞大阪本社の調査部に入る。翌年大阪大空襲【1945年】この年学芸部に異動【21歳】
ナント副部長があの ”井上靖” さん、この辺からすでに ”華麗なるドラマ” が始まっていた
『自分の事を書くのなら、簡単に小説の一つや二つぐらい書けるよ』とのアドバイスからその気に
まず実家の昆布屋をテーマにした≪暖簾≫で新聞社在籍中にデビュー【33歳】
デビューしたばかりの新人作家に老舗の総合月刊誌から連載の話が・・中央公論社である
一旦は断っている、それは当然のこと・・・まだ毎日新聞社に在籍中なのだから
しかしあまりの熱心な誘いに受けざるを得なくなる、・・・いつ書くのですかの問いに!
~『毎日、よる社から帰って書きます、大体午後八時半から夜中の一時頃までです
日曜日は必ず、一日中書きます、土曜の夜はよく徹夜します~
この本吉本興業の創始者、美人興行師 ”多加” の物語≪花のれん≫で直木賞を【34歳】
この年、これ以上二足の草鞋は履けない・・・という事で毎日新聞社を退社、作家生活に入る
以下は・・・・・まさしく華麗なる作家生活をおくる事に・・・・・
1959年【35歳】短編集≪しぶちん≫、≪ぼんち≫の上巻を刊行。大阪府芸術賞を受ける
1960年【36歳】≪ぼんち≫下巻を刊行、≪女の勲章≫を毎日新聞朝刊に連載開始
1961年【37歳】≪女の勲章≫刊行、この年結婚している
1963年【39歳】≪女系家族≫刊行、≪白い巨塔≫をサンデー毎日に連載開始
1966年【42歳】映画≪白い巨塔≫公開、翌年≪続・白い巨塔≫サンデー毎日に連載開始
1973年【49歳】≪華麗なる一族≫刊行、≪不毛地帯≫の取材始まる
1976年【52歳】≪不毛地帯≫①②刊行、映画≪不毛地帯≫公開
1978年【54歳】≪不毛地帯≫③④刊行、テレビドラマ≪白い巨塔≫(田宮二郎主演)が話題を呼ぶ
1983年【59歳】≪二つの祖国≫刊行、アメリカで記念講演
1984年【60歳】≪二つの祖国≫が【山河燃ゆ】のタイトルでNHKの大河ドラマに
1991年【67歳】≪大地の子≫刊行、第五十二回文藝春秋読者賞を受賞
1995年【71歳】≪沈まぬ太陽≫(アフリカ篇)を週刊新潮に連載開始、≪大地の子≫がNHKテレビドラマ化
1999年【75歳】≪沈まぬ太陽≫刊行
2009年【85歳】≪運命の人≫刊行、第六十三回毎日出版文化賞特別賞受賞、映画≪沈まぬ太陽≫公開
2011年【87歳】≪約束の海≫取材開始
2013年【89歳】≪約束の海≫を週刊新潮に連載開始(翌年一月まで全二十回)、九月二十九日死亡
2014年・・・・・・≪約束の海≫刊行
以上です・・・・・凄いの一言です、殆んどが事実に基づいて書かれていて
その取材を現地まで足を運び、・・・・・最後の作品≪約束の海≫なんか87歳のとき
頭が下がります・・・・・どうぞ安らかに・・・と言っても天国でも取材を・・・・・・
先日京都国立博物館からメールが届きまして、初めて知ったのです
誠に恥ずかしい事なんですけど琳派400年の歴史的事実を
尾形光琳からの400年と思っていたのですが亡くなって357年なんです
このメールで知ったのが、本阿弥光悦が徳川家康から鷹ヶ峰の地を拝領して
本阿弥一族や、町衆、職人などの、法華宗徒仲間を率いて移住した。
元々、この土地は、追いはぎ等が出る、物騒な処であったのを
光悦が、この洛北鷹峰に芸術村(光悦村)築いて所謂、琳派の魁となる
この拝領した歳が、元和元年(1615)なので、琳派400年の記念の年となるのだ
そこで、今まで一度も訪れていない、鷹が峰の ”光悦寺” へカメラ片手に行って来ました
《源光庵前のバス停で降りて西へ進んでいきますと・・・タクシーが止まっています、きっと光悦寺へ観光客が乗りつけたのでは》
《タクシーの止まっている前が ”光悦寺” の入り口でした、詳しくはクリックで・・・長~い石畳の道を進んで行くと門があり更に》
《やっと入園受付に辿り着きました、入園料の300円を払って、いよいよ中へ、受付で一枚ものの解説書を頂いていざ》
《受付の向かい側に、 光悦寺の銘の入った本殿らしき建物が・・・・・日蓮宗なので日蓮の木像が・・・・》
《この下を潜り抜けると、幾つもの茶室が現われる、何しろ入り口からは想像出来ない広さである ”光悦垣” 早や紅葉の中に見事》
《72年生きて来て、しかも40年程前に、歩いて7分ぐらいの処に住んでいたにも関わらず、初めて目にする ”光悦垣” 素晴らしい》
《鷹峰三山・・・・・これまた知りませんでした、目の前の山が ”鷲ヶ峰” で ”鷹ヶ峰” は今居る処かな、・・・山賊が出た土地に》
《鷹峰三山の中心・・・鷲ヶ峰・・・・・その右側に、なだらかな流線型の ”天ヶ峰” 最高の快晴日和で・・・来て良かった・・・》
《この植木つくりのおじさんに『光悦さんのお墓は』と聞くと、親切に降りてきて『この奥です』と、・・・本阿弥光悦さんの墓です》
《墓のアップ、三つ目の茶室、市内がこんなに下に、五つ目の茶室、鐘楼です、中々立派な鐘楼と釣鐘が出口近くに》
《この二枚は、雨水を受ける ”トユ” が竹で出来ていたので、こちらの茶室も、トユが竹で出来ておりました、暖か味を感じます》
昼一時から、詩吟の教室が控えているので、光悦寺を後にして、バス停に・・・
その途中に ”血天井” で有名な ”源光庵” がありました、
《源光庵の入り口ですが、帰る時間が迫って来たのでちょいと覗いただけでした、鐘楼は何処のも魅力ありますね~》
《表示の左側(西方面)が、源光庵と光悦寺とあります、右側(東方面)には常照寺があります、吉野太夫で有名吉野門が見える》
《源光庵のバス停から一つ歩くと、釈迦谷口のバス停、7月22日付けの【新聞記事・小堀遠州の茶室・・】の時にも、右側奥》
《四条大宮行きの市バスがやって来ました・・・・・慌ただしい時間でしたが来て良かったです、帰宅はお稽古に間に合いました》
今週の金曜日に(二日後)今度は伏見の ”石峰寺” へ行く予定です
伊藤若冲が10数年掛けて完成した五百羅漢で有名なお寺です
今から二日後が楽しみです・・・・・お楽しみに