松ひとり言

谷藤松で御座います。
末永くお付き合いの程よろしくお願い致します。

来世は富士山に抱かれて

2013年08月31日 14時35分24秒 | 日記

 ~本年!待望の世界遺産に登録された富士山に、4年前家族3人が

息子の運転で行った思い出を、その時の写真と共に呟きです~

≪2009・1・3≫早朝の河口湖を皮切りに富士五湖めぐりに出発です

これ以上の快晴はお目に掛かれないほどの、素晴らしい天気に恵まれ

しかも日が暮れるまで、富士山の凛々しい姿を赤富士になるまで・・・

シャッターを押し続けました。                                 

                          

                                        [早朝の河口湖2009・1・3〕

途中、バックミラーにも富士の姿が浮かび上がり、思わずパチリ!

食事をする時間もモッタイナイ気分で走りつづけました。

西湖からの富士は少し遠慮気味で、湖に映る姿も可愛くもあり!

本当に飽くことのない、様々な表情に瞬く間に夕暮れ、時間を

忘れて富士桜自然墓地公園に到着したときは夕陽の出迎え

左の写真はパンフレットからですが、右側が富士に抱かれた

谷藤家の墓です、思わず、石川丈山の富士山が口をついて!

  

「桜花爛漫の富士桜墓地公園」 《夕日に眩しい谷藤家の墓》

赤富士に見送られながら帰途についたのでした。

次回は富士山に関する雑談を自分なり呟きで・・・・

 

 

 

 


≪江雪≫の柳宗元は私の大恩人

2013年08月29日 15時39分14秒 | 日記
                





 8年間お世話になった静吟詩堂を出て独立した理由!

一つや二つではありませんが、最大のきっかけ、

一番の後押しをしてくれたのが、≪江雪≫

是だけでは、”何のこっちゃいな”?ですよね

江雪は今降り止んだばかりの銀世界を詩っています

シーン!と言う言葉がピッタリの、『静寂の世界』

~千山に鳥の飛ぶこと絶え~と吟じ始めた時

今までに無かった違和感に気がつきました

録音テープを何度も聞いてると・・分りました

~飛ぶこと~の大ゆりを何時も通りに振ってると

鳥が飛んでしまうのです・・鳥の飛ばない節調とは

誠に単純な発想だが、大ゆりを途中で止めてみた

すると!次の~絶え~がキラキラ輝きだした

鳥が飛ばなくなったのです、いや”そんな気がして

封建的な詩吟の世界では、一から世話になって来た

この流派で自分勝手に流れを変えることはご法度

師匠との間で、ごたごたが絶えなかった時期

自分の流れを作る時が来たのかも・・と

なんとも、勝手な思いから、一匹狼になりました

後悔は一片の欠片もありませんでした

その身勝手のお陰で松流が誕生!

来年で独立して40年を数える事になります

この間、250作品程の作譜が出来ています

この≪江雪≫は「風の吟を聞く」をクリック

(月あかり)の3番目に入っています

是非お聞き下さるようにお願いします

松《風の吟》の世界をお楽しみください















いろは歌の謎との出会いとその作譜

2013年08月28日 16時03分14秒 | 日記

篠原央憲著「いろは歌の謎」との出会いは昭和52年の春でした

それに作者の生家が、妻の実家の隣りと言う不思議でした

何か目に見えない因縁らしきものを感じたのです

さて「いろは歌」は昔から習字のお手本帖で

弘法大師(空海)の作と教えられてました

それがなんと!柿本人麻呂の作と云うのです

しかも怨念に包まれた嘆きの歌と云うではありませんか

全体の詩の内容は次の通りで、無常の世を歌っています
                                       い ろ は に ほ へ 
  色は匂えど散りぬるを
                                       ち り ぬ る を わ 
   わが世たれぞ常ならむ          
                                       よ た れ そ つ ね 
    有為の奥山今日こえて
                                       ら む う ゐ の お 
     浅き夢みし酔いもせす
                                       や ま け ふ こ え  
この詩をなぜか?子供のときから、7文字づつ読んでました
                                       あ さ き ゆ め み 
右のように、各行の終わりの文字を並べると、な・なんと!
                                       ゑ ひ も せ 
「とかなくてしす」即ち『咎なくて死す』になるのです

宮廷歌人であった柿本人麻呂がなぜ石見の国(島根)へ

政治に巻き込まれ、無実の罪で流罪の人となる

宮廷歌人と言う華やかな時代も一瞬に過ぎ去ってしまう

まさしく、この世は無常〔常がなく何が起こるか知れない〕

奥山越えとは、刑場に引き出されるとの意味とか・・・

まだこの時期には「いろは歌」を吟じる発想はなかったが

7年後の昭和59年の春に私の中で息づき始めるのです

吟道松流10周年記念大会に夢にまで見た横笛の名手

藤舎推峰(当時)先生の出演が決定したのでした

お弟子さんに一流の音色を聞かせて上げたい!

の気持ちが先生に通じ出演が、その上詩吟の伴奏も

この瞬間!閃いたのが「いろは歌」でした

横笛用と尺八用の二種類、作譜して当日を迎えました

京都北野にあるエンゼルハウス(京都こども文化会館)

上手に推峰先生の笛、下手に鴨童先生の尺八、

最初に笛の甘い音色に乗って朗詠し終わると

舞台裏へ移動して下手の鴨童先生の尺八へ

その移動の間に舞台にはドライアイスが幻想の世界を

そして二人の先生の掛け合い演奏が即興で始まり

やがて笛の伴奏から尺八の伴奏へと移り、

詩吟調の「いろは歌」が始まる・・・・・

この時の音源ではありませんが、このHPの中の

「風の吟を聞く」の《月あかり》から4番目に

「いろは歌」を入れていますので是非とも

お聞き下さり感想を頂ければ嬉しいです













































漢詩の大正天皇と和歌の乃木希典

2013年08月24日 09時46分21秒 | 日記
今月のはじめ、約2年振りにジュンク堂へ

吸い寄せられる様に行き、素晴らしい本に

出会いました、石川忠久著「漢詩人・大正天皇」

京都店の3階に漢詩関係のコーナーがありまして、

その棚の中で、私の来るのを待っていたかのような

熱い眼差しを感じました。そこにこの本があったのです

明治天皇と昭和天皇の間でひっそりと、在位もわずか15年

誠に申し訳ありませんが、印象に残っていなかった大正天皇

ところがこの本に接して、将に目からうろこが落ちました

なんと!48年の短い生涯の中、1367首の漢詩を残された

歴代の天皇さまの中では、群を抜いた数なのです

第二位が江戸初期の後光明天王で98首、

因みに三位は平安初期の嵯峨天皇で97首、

まして大正天皇は明治29年から大正6年までの

22年間で1367首、毎月5首から6首のペースなのです

その数ある中に、乃木希典の名前を見つけてびっくり

「乃木希典の花を惜しむ詞を読みて感有り」という題です

    草長び鶯啼いて日沈まんと欲す

    芳桜花下花を惜しむこと深し

    桜花再び発いて将軍死す

    詞裏長く留む千古の心


乃木希典の和歌「花を惜しむ」とは・・・・・

    色あせて梢にのこるそれならで

         散りし花こそ恋しかりけり   


大正天皇の皇后さま《貞明皇后》も天皇と同じ題の詩がある

因みに今私は、天皇、皇后の詩に乃木さんの和歌を入れた

構成吟を作譜中で完成すれば是非披露したいと思ってます













私の乃木希典、《金州城》への想い

2013年08月23日 15時05分59秒 | 日記
地元、京都の吟士権大会で優勝したのが昭和44年、もう44年前です

優勝はこの吟で、と決めたのが佐野竹之助の「出郷の作」でした。

この前の年が準優勝だったので”来年こそこの吟で”と選びました。

桜田門に井伊直弼を討つべく水戸を出ずる時の作、目的は違えど

決然と優勝決定戦に挑む心に「出郷の作」の魂を植えつけたかった。

それから2年後、今度は乃木希典の「金州城」にて文部大臣賞を受賞

44年から46年までの約2年、練習は乃木希典の「金州城」一本でした

「凱旋」「爾霊山」「法庫門営中の作」そして此の「金州城」

すべてが乃木希典の反戦歌、或いは鎮魂歌と云って良いと思う。

私が「金州城」を選んだのは≪二度と悲惨な戦争を起してはならない≫

との思いを、コンクールの場を借りて訴えたかったからでした。

その結果文部大臣賞を頂くことに成ったのです。

さて、乃木希典が名詩「金州城」作成の背景と大意を少しだけ!

日清戦争で落とした金州城で10年後、まさか長男が戦死しようとは

日露戦争で(長男)勝典中尉が戦死したのは、明治37年5月27日の事

父、希典が雨のそぼ降る金州に到着するのが十日後の6月7日であった

辺り一帯見渡す限り、あまりの凄まじさに馬でさえ進めない有り様

やがて雨も上がり、西日が雲間から差し始めた時、 

希典はおもむろに手帳を取り出し、

勝典を偲びながらこの詩を

メモ書きにしたためた・・・・・山川草木転た荒涼

                 十里風腥し新戦場

                   征馬前まず人語らず

                     金州城外斜陽に立つ

当時、陸軍大将に成ったばかりの

乃木希典の名詩「金州城」はこの様にしてなった

私のこの詩への想い、声に出し戦争の悲惨さを伝える事こそ、

松の使命だと思っています、命ある限り吟じつづけて・・・・