松ひとり言

谷藤松で御座います。
末永くお付き合いの程よろしくお願い致します。

昇降口が中扉の低床式バスは・・・判りますか???

2015年06月30日 20時02分06秒 | 日記

京都市バスばっかり取り上げているみたいですが

市バスに30分程乗っている間に、車内に女性の声が流れます

同じアナウンスが2・3回聞こえてくるのが・・・タイトルの言葉なんです

最初聞いた時、漢文でアナウンスしているのかな~と思いました

これ文字を見ながら聞くと判るのですが、耳からだけでは

まず・・・昇降口ですが、耳からだけでわかりますか焼香口証拠口・・・

耳からだけでは・・・乗り降りする処って判りまへんで・・・・・中扉は判るけど

昇降口が中扉って・・・・どんな扉やね~・・・・と思いませんか・・・(お前だけじゃ

 

漢字で書くと・・・・・タイトルの様になるのですが・・・全部通して書きますと

≪昇降口が中扉の低床式バスは、開閉時に車体が揺れますのでご注意願います≫

平仮名で書くと・・・・・丁度耳からだけのように感じます・・・・では

【しょうこうぐちが、なかとびらのていしょうしきばすは、かいへいじにしゃたいが

 ゆれますので、ごちゅういねがいます】となります(最近やっと覚えたのでブログに

私だけかも知れませんけどね~・・・京都市バスに乗られたら注意して聞いてくださいませ

意味は書かなくても、文字を見たら、一目瞭然ですけれど・・・・・念のために

最近の市バスは、乗り降りが楽に出来るように、扉が開いた時に車体が傾くのです

乗り降り口の方向に低く傾きます、老人や子供、身体の不自由な人の為に考えられてます

そして、扉が閉まると、また元に戻ります、・・・素晴らしい考えですよね~

それを手短に説明すると、こうなるのですかねぇ

 

  

 

 

 

 

 

 


ラボール八木へお弟子さんの稲澤さん行って写真を!

2015年06月27日 17時49分49秒 | 日記

実は今日、吟道松流の弥生支部のお稽古日でした

この支部所属の稲澤さんが、『小笹さんとこへ行って来たえ~』と

写真も撮ってきてくれまして、・・・早速カメラを借りてパソコンに取り込み

私の撮った写真が一瞬にして消えたのが、これにて挽回です・・・稲澤さん有難う

では・・・・・お待たせしました元気で福与かになった小笹さんの登場です

《素晴らしい笑顔でしょう、鶴見緑地病院の時と、エライ違いです、色々が吹っ切れたんでしょうか・・・うれしい

 

《この建物の二階に小笹さんの部屋があります、中庭は芝生に成っていて、運動会をされているとか、食堂も広いですよ》

 

《この中庭、芝生がとっても美しく、ラボール八木の優しい心根を見た気がしました、食堂も広くって・・何時かここで詩吟を

《小笹さんの作品です、脳梗塞から立直って、この細かい絵が描けるようになりました・・・・ほとんど震えが無いという事です》 

 

《稲澤さんのとツーショットです、本当に楽しそうで・・・良かったですね~、稲澤さんの携帯で詩吟の会員さんへ、松流は素晴らしい》

みんな良い人ばっかりで、私もこんな嬉しい事はありません、

師匠名利につきます、稲沢さん遠い処まで有難う御座いました


吉川先生の叙勲≪瑞宝双光章≫が家に届くの3ヵ月後!!

2015年06月27日 09時53分13秒 | 日記

前回のブログでちょっと気になるバス停名(京都市バス)を取り上げ

あの日午後から・・・・・その3番系統で吉川先生の家にお邪魔してきました

その時に、先生から聞いた話がタイトルなんです

この勲章・・・・・≪瑞宝双光章≫の叙勲の発表が同窓会の席でありました

                       

新聞に掲載されたのが5月29日で二日後の31日に≪吉川先生叙勲・・・・おめでとう・・・≫をブログしました

そして、同窓会≪さよい会≫のメンバー31人に下のハガキを出しました

6月中に何とか伝達も行き渡り、先生の元にもお祝いの便りが届いています

ところがところがこの勲章が先生の家に届くにが三ヶ月も掛かるとか(何でやね~

お役所仕事と言うか、教育の世界の厭らしさを見せられたようで、・・・・・

喜びも半減してしまいますよね、こんな体制を何とか出来ないものでしょうか

その折に先生から、60年以上前の教師に成り立ての頃の貴重な話を聞いてきました

一ヶ月の給料が320円の頃、革の靴が500円した話、(しかも兵隊さんの長靴の編み上げ部分を切った靴)

『靴の片方を助けてくれ』と敦賀のお母さんにおねだりした話とか(片方だけでも給料と変わらない)

また、部屋を借りるのにも、・・・・・今から思ったら信じられない金額やった話・・・・・

『給料が3000円の時に、家賃が同じ3000円やって・・・・家庭教師を一日2回持って、

その分で生活が出来たんや~』・・・・・と先生も懐かしそうに云っておられた

またこんな話も飛び出した、・・・かいにん草(海人草)・マクリ(マクニンと言っていた

皆さんご存知でしょうか・・・・・いやいやお忘れかもしれませんね~

虫下しのお薬の名前なんです・・・・・(昭和20年代の前半から後半に掛けての小学校で・・・・)

私も鳳徳小学校で鼻をつまみながら飲んだ覚えがあります、その後のドロップス(飴)が目的で

その頃の子供のお腹には虫が(寄生虫)沢山居たんですね~・・・食べもんの所為ですよ

今の子供たちは、本当に幸せですよ・・・・・でもそんな時代を過ごして来た人間は強いです

今の子供たちは、精神的にも弱すぎる・・・・100パーセント親の責任でしょう

私達の子供の頃は、夜店で一銭焼き(お好み焼き)を買ったら新聞紙にのせてくれた

最後は・・・・・新聞紙をしがんだもんです、それでも元気でした、

話は尽きませんが・・・・・懐かしさで心がほのぼのしている内に終わりにしましょう

 

 

 


"ちょっと気になる”・・・京都市バスのバス停名!

2015年06月25日 09時16分35秒 | 日記

  

《我が京都市バスたちです・・・・・車内や運転席は全国津々浦々・・・何処の公営バスも私営バスも一緒でしょう・・・・》

今日取り上げるのは、バス停の名前なんです・・・・・ちょっとした疑問です

 

   《毎日の様に乗っている3番系統の路線図と松尾橋から北白川仕伏町まで走っている3番系統の市バスです》

この3番系統は、四条通り(西は松尾橋から東は祇園石段下まで)

西の松尾橋のバス停を東に向かって出発して四条河原町まで直進

この後左折をして北に向かって河原町今出川まで直進して今度は右折

百万遍まで直進して、左折して北進、今度は次の飛鳥井町を過ぎて右折

そしてそのまま東へ終点の北白川仕伏町までバス停は全部で35あります

 

《これはバス停に設置されているバスの進行状況です、・・・・・市バスもICカードが使えるようになって半年》

ここからが本題ですね・・・・・(そんな大袈裟なことではありませんが・・・・気になるので

この3番系統に何時も乗るのが、梅津西浦町のバス停です(松尾橋から次の次のバス停)

この前【瑞宝双光章】を授章された小学校の恩師、吉川先生の処が終点の北白川仕伏町です

アカンわ寄り道ばかりで・・・・・問題のバス停名はこの四条通りにありまんね

3番系統の全35のバス停のうち四条に名前が付いているのが11あります・・・西からですと

四条葛野大路・四条中学前・西大路四条・四条御前通・四条中新道・四条大宮

四条堀川・四条西洞院・四条烏丸・四条高倉・四条河原町・・・・・気が付きましたか

西大路四条だけが四条が後に付いているんです・・・・・私たちは今まで当然のように

見たり、聞いたりしてきましたが、最近になって・・・・・何でやろ~と疑問が(今更・・・・

呼びにくいからでしょうか、・・・・・これだけの事なんですわ~すんまへんでした

 

 

 

 


【柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺】正岡子規は柿が大好物!

2015年06月22日 18時22分34秒 | 日記

またまた仕事の昼休みに・・・・・京都市下京区図書館へ

≪正岡子規・革新の日々≫と≪子規と四季のくだもの≫の二冊借りました

色々と私の知らない子規を知りました・・(お前だけが知らないにゃ

  

《この二冊です 最初≪革新の日々≫を見て、亡くなる時の描写に・・・そして横の≪子規と四季・・・≫が目に入り・・二冊とも》

タイトルの・・・超有名な柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺・・・・・

秋冷えのする斑鳩の里に・・・ゴーンと鐘が鳴った時・・・・・

それは明治28年10月24日の夕方・・・法隆寺門前の茶屋

正岡子規、時に29歳、・・・・この名句の誕生を右上の【子規と四季のくだもの】から

 ~子規は朝早く大阪を発つ。明治25年に開通した大阪鉄道奈良行きの客となる

  紅葉の名所、竜田川を吟行、その足で法隆寺に寄る。 病後の子規には

  今日一日の旅は疲れが激しかったが、寺内千三百年の伽藍、御仏に会い

  緊張と興奮で疲れをすっかり忘れさせてくれた。

  茶屋に腰を下ろし。好きな柿を食べていた丁度その時、荘厳な鐘の音、

  千三百年の響きが子規の終生の名句を生んだ。

  明治を代表する俳人正岡子規、生涯二万三千余という厖大数の作句中、

  今日でも大勢の人々に知られる秀逸な句だ

とあります、・・・・まるで子規が目の前で柿を食べているような見事な描写ですね

このようにして、鐘の音が突発的に子規に名句を齎したんですね

ところで正岡子規は本当に柿が大好き人間やったんです

子規の柿好きについて・・・・・この【子規と四季のくだもの】には・・・・

  ~われ死にし後は・・・・・柿喰ヒの俳句好みしと伝うべし

   青白き少年は勉強と果物を好んで長じた。

   俳聖子規と称されるよりも、無類の柿好きな男が俳句を好んだと

   弟子たちよ伝えてほしい、とこの句を詠むくらいに子規は柿が好物であった。

また、親友の夏目漱石が小説≪三四郎≫の中でこの様に書いている

  ~「子規は果物が大好きだった。且ついくらでも食べる男だった。

    ある時大きな樽柿を十六食ったことがある。それでも何んともなかった。

    自分などは到底子規の真似は出来ない。・・・三四郎は笑って聞いていた」

      柿くふも今年ばかりと思ひけり

明治34年の10月にお弟子よりきざ柿が贈られてきてそのお礼に呼んだ句、

既に6年の闘病生活、今年の秋は生きながらえて好物の柿を

食べる事が出来たが、来年の柿の季節まではとても生きてはいないだろう

と・・・・・喜びと絶望をこの句に表し、事実翌年の九月十九日に不帰の客となる

この本の二ページ程しか進んでいませんが・・・まずは名句の誕生をと思い

さて以前にブログしているかも知れませんが・・・正岡子規の十代の作品

俳句ではなくて、漢詩を載せます、松流の作譜と一緒に・・・・・

  

《正岡子規11歳の作品です、この歳にして≪血に啼いて聞くに堪えず≫と詠っています・・・9年後には現実に》

 

《私が、四十二・三年前に確立した吟道松流の譜面です、見るだけで誰にでも吟じられるようにと創りました》

子規が11歳の時に、もう既に結核で死ぬとでも思っていたのでしょうか

まさか其れはないでしょうけど、自分の9年後を予言しているような

子規のもうひとつ凄いのが、19歳で初めて血を吐きます・・・・・

そして、この詩じゃないですが、啼いて血を吐く・・・から

子規という、号を付けるのですから、正岡子規の凄さがここにある

もっともっと子規の凄さを、ブログしていく予定です・・・宜しく