理系母の療育と自閉症児の成長の記録

3歳で自閉症スペクトラムと診断された息子。約3年でDQ57→97。14歳で診断が外れ,高校受験を経て通常学級デビュー。

合格・入学後に起きた変化

2024-06-08 20:11:15 | 発達障害

支援級からの高校受験4 学力はどこまで伸ばせるか? 後編のつづき

 

努力の末、めでたく第一志望校に合格はしましたが、これで終わりではありません。

受験勉強とは違ったハードルが続きます。

 

まず、猛勉強して入った学校の授業に果たしてついていけるのか。

それも特別な支援のない社会で1人でやっていけるのか。

 

そういった不安もさることながら、さらに心配なことがありました。

 

それは、その学校が自宅から遠く離れた県外にあるということです。

電車、飛行機、バスなどを乗り継いで最速片道7時間。

通える距離ではありません。

 

息子にあった学校があるなら移住したってかまわないと、探し歩いて選んだ学校です。

ですが、いろいろあって移住はやめ、まずは学校の寮に入ることを決めました。

 

正直、合格時点で息子に一番足りていなかったのは生活能力。

学校から帰宅後、脱いだ制服や靴下が脱いだままの形で家の中に散乱しているというのは中学生男子あるあるかもしれません。

しかし息子はそれが家以外でもところかまわずで、

学校では先生に物の片付けや整理をつきっきりで手伝ってもらっていました。

 

でも息子、片付ける能力がないわけではありません。

ただ、スイッチが壊れているというか、スイッチを押し続けていないと作動しないタイプで、

常に隣で誰かが見守って声をかけ続けないとすぐに止まってしまうのです。

 

また、時間もルーズで、朝、自力で起きられないのはもちろん、

準備をして学校に間に合うように家を出るとか、

そろそろ寝る時間だとか、時計を見て行動をすることがまったくできないのです。

常に横に誰かがタイムキーパーとしてついていて次の行動を指示し続けなければなりませんでした。

 

受験勉強で息子を塾に通わせることなく私が家庭教師をすることを選んだのは、塾に送り出す方が私の負担が大きかったからです。

 

私も、支援級の先生も、デイサービスの専門家も、ありとあらゆる人がありとあらゆる支援をしてきたのに、生活面ではさっぱり効果のなかった息子。

 

しかし、ある通信高校の先生は私にこんなことを言いました。

「こういう子に一番いいのは、寮に入って誰にも頼れない環境を作ること」。

 

確かにそれは一理あるかもしれない。

一度、寮生活を試してみてダメだったら家族で移住すればいい。

そう考え、まずはその可能性を試すことを決めました。

 

 

そこで、合格発表から入学までの1カ月弱の間に、

寮生活に慣れるための練習を始めることにしました。

 

自分で起きること、自分で身支度をすること、洗濯や掃除をすること。

 

洗濯は、寮のものと似たような縦型洗濯機を近所に住む私の父の家で使わせてもらい、

自分の服は全部自分で洗濯し、たたみ、片付けることをルールとしました。

服の素材に応じて乾燥機にかけるものとハンガーで乾かすものを教え、

シーツや布団カバーの付け替えも練習しました。

 

以前なら文句を言って嫌がる息子でしたが、覚悟を決めたのか、声をかけたらすぐに行動するようになりました。

 

そして4月、寮生活は始まりました。

 

最初はとにかく心配でした。

 

朝ちゃんと起きられたか、

授業時間に合わせて登校できているか

食事や入浴時間は守れているか

洗濯物は溜め込んでいないか

朝から晩まで一日中何度も電話をして確認しました。

 

最初の1カ月は寝坊してしまうことが何度かありましたが

自分で絶対に起きられる音楽を目覚ましとしてスマホで設定したりして、今は確実に起きられるようになりました。

 

部屋は足の踏み場もないだろうという私の予想を裏切り、広々とした床の写真を見せてくれました。

 

洗濯物も、さらにはシーツや寝具も定期的に洗って片付けているようです。

スイッチを押し続けていないと作動しなかった息子の生活スキルが、センサー・タイマーがついてさらに自立走行可能な機能にグレードアップしたことに、私も含め息子を知る人はみな驚きました。

 

物が見つからない、ということはまだありますが

財布や鍵など重要な物にはAir Tag(紛失防止用のトラッキング電子タグ)をつけて自分でスマホで探せるようにしておいたので、なんとかなっています。

 

そのほかの細かいものは、寮に送った物は事前にすべて写真を撮っておいたので、

「薬?そんなの見た覚えがない」と言われたら、その写真を息子に送って見せると

「あ〜、そういえばここにあったような」と自分で探しています。

 

また、起床以外の細かな時間の管理はまだ課題ですが、

私が予定をスマホのカレンダーに入れ、Apple Watchやスマホに予定の通知が自動で来るように設定することで何とかやっています。

 

そのほか、息子は過集中で食事や入浴を忘れてスマホに夢中になってしまうことがあるのですが、

そこはiPhoneのペアレンタルコントロールを使い、ゲーム時間の延長を私が許可しないとできないようにすることで調整しています。

 

 

勉強の方はというと、受験時の猛勉強で限界突破して知性が上がったのか、

「授業を聞いていてわかるようになった」、と本人。

もちろん、それでも難しい内容はあるので、夜の学習時間や週末に、私と夫が交代でビデオ会議で勉強を教えています。

 

支援級の出身であることはまだ同級生には知られていないようですが、

天然キャラ的なボケを連発、周囲から総ツッコミされつつも

学校で一番難易度の高い科に成績中位以上で合格したおかげで、バカにされることもなくやっているようです。

 

入学して1週間ほどたったある日、私が息子と電話で話していると、息子の周りから明るい笑い声が聞こえてきました。

「誰かいるの?」と私が尋ねると、こう返されました。

「あ〜、友達」

 

最後の発達外来で、ドクターから言われた言葉を思い出して私は目頭が熱くなりました。

─────────「この子は大丈夫、やっていけるよ」*。

 

 

私は息子が3歳で診断されたとき、親が死んでも生きていけることを療育の最終目標にしました。

それが15歳の今、息子がこんなふうに自立して願いがかなうとはまったく予想しませんでした。

ここまで成長を遂げた息子に、私も、夫も、古くからの息子の友達も、尊敬の眼差しを向けています。

 

息子に負けないようにがんばろう。

それが私の今の目標です。

 

いつか息子は私を超えると信じてきましたが、すぐに追い越されるつもりはありません。

ライバルとしてもっと高みに導けるよう、自分も成長を続けていきたいと思います。

 

 

*過去記事「自閉症の診断名はいつまでついて回るのか?」参照。


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支援級からの高校受験4 学力はどこまで伸ばせるか? 後編

2024-06-03 13:14:35 | 発達障害

支援級からの高校受験3 学力はどこまで伸ばせるか? 前編の続き

勉強を続けていけば学力が上がり、限界を突破できるはず、

それが試験日に間に合うようにするための対策を考えます。

 

はじめに述べておくと、私は受験の専門家ではないし、受験のために猛勉強をしたこともありません。

受験に関しては素人です。

 

それでも確実に言えることがあります。

 

それは、入試本番において合格点以上の点数が取れていれば受かる、ということ。

 

偏差値はあくまで相対値であり、受験者の集団が異なれば値は異なるし、出題の仕方が本人に合っているかどうかでも違ってきます。

 

志望校の偏差値はネットで検索すると60前後でしたが、地元の学力試験で偏差値が60取れたとしても、肝心の入試で合格点を取れるかというと、そうとも限りません。

 

一方、志望校の合格ラインは在校生の話によると入試問題で5教科合計300〜320点。

 

だから、過去問/類似問題で同じくらいの点数を取れればいいわけです。

 

そこで、目標に向けて逆算して勉強計画を立てました。

 

★最終目標:5教科320点←入試当日

●過去問が解ける←入試までラスト1カ月で繰り返し解く

●類似問題の解き方を身につける←冬休みに専用の問題にチャレンジ

●中学3年間で学ぶ基本的なことがわかる←中3の12月までに基礎的な問題集を終わらせる

 

 

障害を取り除き、勉強量を増やす

上記の目標をどのように実行していったかというと

 

まず、基礎を身につけるための教材としては、明治図書の「整理と対策」シリーズを使いました。

しかし、教材を与えただけで自ら勉強するような息子ではありません。

 

私はこのシリーズの目次と学習計画表・記録表を見ながら進捗をチェックし、その日にやるべき課題を決めて遠方に住む祖父(私の義父)に依頼し、

祖父がAmazonのEcho Showを通じてオンラインで息子に国語・数学・理科・社会の4教科を教えました。英語は週末に私が教えました。

 

また、いろいろあった勉強の障害については

  • 問題集をなくす→予備を用意しておく。
  • 筆記用具をなくす→1本で書く・消す・丸付けができる多色フリクションペンを用意して、管理コストを減らす。

  • 机が汚くて勉強するまでに時間がかかる→母が机を片付ける、あるいは食卓にスペースを確保して問題集を開いてあとは勉強するだけ、という状態を用意する。

 

  • 家だとほかのことが気になる、勉強に集中できない→会議室をレンタルして集中できる環境を整える。

 

こういった地味な工夫で無駄な時間を減らし、勉強に集中できる時間を増やしました。

 

また、息子が英語を書くのを嫌がる、書くのに時間がかかりすぎる問題については、

本人に書かせることを諦め、代わりに英文を読み上げ+口頭で意味を確認、または口頭で英文を答えたのを私が代筆するようにしました。

さらに、重要な構文を家中の壁に貼り、夜寝る前や隙間時間に読み上げ+意味の確認を繰り返しました。

 

志望校の英語の試験が選択問題だけで記述問題がなかったので思い切った戦略に出たのですが、結果、息子には功を奏しました。

以前は1日に1単元をやるのがやっとで、これだと300語程度の英文にしか触れなかったのに対し、書くことをやめたことによって1500〜2000語の英文を読むようになり、学習量を増やせました。

また、本人が読み上げて私が意味を聞く、を繰り返すと、息子が覚えていない単語や間違って覚えている語がすぐにわかるので、この言葉は大事だから絶対に覚えよう、と繰り返し注意することができた点もよかったです。

 

そうこうして基本の問題集を大方終わらせて迎えた冬休み。

入試に向けた勉強は私や祖父よりプロに学んだ方がいいのではないかと、オンライン動画で学習ができる塾の講習を申し込むことにしました。

 

ところが、オンライン講座では息子は寝ていたりぼーっとしていたりネットでほかのサイトを盗み見したりして、まったく学びません。

ほかのサイトが見られないように、YouTubeプレミアムを契約して学習動画をダウンロードしたのちWifiをオフにしてPCを渡すなど、あれこれ試しましたが、集中はできず。

受身の一方的な授業は息子には合わなかったようです。

ちゃんと最後まで見ることができたのは、国語のみでした。

 

しかたなく、その塾の教材だけ使って、私と祖父とで家庭教師を続けることにしました。

祖父には社会をお願いし、私が数学・理科・英語を担当しました。

 

理系人間なら中学の数学・理科は余裕と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。

中学の数学は20〜30年前に家庭教師のアルバイトで教えたっきり。

理科に至っては学習内容が昔とだいぶ変わっているのと、中学理科は浅いけれど広いのでわからないことだらけ(天気や地学、電気などはさっぱり…)

 

しかし、50年以上前に家庭教師のアルバイト経験があるだけの元公務員の祖父が毎日予習をして勉強を教えてくれているのに、私ができないというわけにはいきません。

 

何とか時間を作って解答を見ながら予習し、息子に解説しました。

 

 

限界突破

飲み込みがいい息子ではなかったのですが、それでも少しずつわかることが増えていき、県内の実力テストも冬休み明けには5教科偏差値が53にまで上がりました。

 

ただ、上がったといっても、合格圏にはとても届きません。

普通の子だったらきっと心が折れていたでしょう。

 

でも息子のメンタルは鋼でした。

誰が何と言おうとやると決めたらやる、そんな小さい頃からの特性が幸いしました。

結果を受け止めつつも、

「(偏差値が)足りないならもっとやればいいんだろう」とやる気を高めていったのです。

 

しかし、口でそうは言っても、できれば勉強をしたくないというのが息子の本音。

私が目を離せばすぐにゲームに心が流れていくので、できるだけ隣にいて勉強を見守りました。

そうすることで、休日は朝9時から夜10時過ぎまで勉強に取り組めるようになりました。

過去問と問題集の山

冬休みから入試本番までにこなした過去問と問題集の山

 

息子に変化が表れ始めたのは1月中旬のことです。

何度教えても覚えられなかった英単語が、数学の解法が、確実に身についているのが私にはわかりました。

 

そして2月に入ると、過去問や模擬テストで5教科300〜310点取れるまでになりました。

 

しかし、ここで終わりではありません。

 

入試の数日前に、その時はやってきました。

 

数学の過去問で、私でもこれは難しいと思える問題を息子が「簡単じゃねーか」と言ってすらすら解き始めたのです。

驚きのあまり私が声も出せずにいたら、息子は自分の学力が一気に跳ね上がったことに気づいていないのか、それが本当に簡単な問題だと思っていたようで「なんだよ、母さんは俺のこと馬鹿だと思ってたのか?」と怒り出したのです。

 

これは数学だけではありません。

秋には30点台だった英語が、過去問で80点以上を連続して叩き出したのです。

 

息子が限界を突破したのがはっきりわかりました。

 

そして挑んだ試験当日。

息子は会場からガッツポーズで出てきました。

 

 

試験結果

合格発表までの1週間は、人生で一番長かったように感じました。

いくら本人の手応えがあったとはいえ、第一志望の学科は倍率2倍超え、まず期待できません。

学校全体でも1.5倍近い倍率なので、第二志望でもひっかかるかどうか。

内申点も不利にはならないように配慮してくれることにはなったものの、どう扱われるかは不明でした。

 

発表は平日の正午で、オンライン公開でした。

その日は私も夫も在宅ワークだったので、昼休みに2人で結果を見ることにしました。

 

PCの時計が12時ちょうどに切り替わった瞬間、夫がリンクをクリックしてPDFを開きました。

たくさんの受験番号が並んだ列に目をこらすと、何度も記入練習をした見慣れた数字が目に飛び込んできました。

 

あった!

しかも一番難しい第一志望の科に!!

 

息子を育てていて泣いたことは何度もありますが、このときほど号泣したことはありません。

 

息子の努力が報われたこと、そして限界を突破して新たな成長を遂げられたことが嬉しくて、ただただ泣き崩れました。

 

後の成績開示でわかったのですが、

この時の息子の点数は、5教科合計351点と過去最高点で、1番人気学科の成績中位以上で合格していました。

 

この結果は息子に自信を与え、更なる成長へとつながっていきました。

 

次回は予想もしなかった

合格・入学後に起きた変化

についてまとめたいと思います。

 


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支援級からの高校受験3 学力はどこまで伸ばせるか? 前編

2024-05-20 12:54:22 | 発達障害

支援級からの高校受験2 内申点の不足は入試で不利になるのか?の続き

 

支援級からの高校受験をするにはいろんなハードルがありますが、どうしても本人が乗り越えなければならないのが学力の問題です。

内申点は合理的配慮でどうにかなっても、学力が足りなければ入学の機会は与えられません。

 

息子の学力は支援級の中では高い方でも、通常級の中では真ん中前後、それもいろんな人に個別支援をしてもらってなんとか真ん中を維持している状態でした。

 

それに対し、息子が志望した学校の偏差値は60前後、上位16%くらいの学力が求められます。

 

息子の現実とあまりにかけ離れた希望だったため、

中学校で最初に相談した際は、すべてにおいて献身的な支援級の担任の先生が固まってしまい、

「……………難しい(学校)ですよね……?」と返答につまるほどでした。

 

それでもその学校にチャレンジすると決めた根拠は、たいしたものではありません。

志望先は理系の学科だったので入試では数学の配点が2倍になるのに対し、息子は数学が得意で県内の実力試験で偏差値58と、努力すれば届くかもしれない成績だった、というくらいです。

 

それに、もともと通信制高校を希望していたので、ほかに行きたいと思える学校もないのにあちこち受験する意味はありません。

その学校がダメなら通信制高校で学びつつ、私と夫(理系研究職)で息子に研究テーマを与えて一緒に研究をするつもりで準備を進めていました。

 

担任の先生にはそのことを伝え、無謀とも言える受験に挑むことにしました。

 

 

勉強の障害

しかし、息子は勉強が得意ではありませんでした。

 

IQ(知能指数)が知的障害に該当しなくなったあとも、勉強が健常児と同じようにできる、とはなりませんでした。

 

家に遊びに来てくれた近所の子供たちと一緒に勉強をしているときも、他の子は私が教えたことをどんどん吸収していくのに対し、息子は何一つ覚えず、課題を形だけ終わらせるのがやっとでした。

 

それでもなんとか根気強く教えてやっとできるようになった!ということも1週間も経てばすっかり忘れている始末。

 

これは、学習障害というより興味の偏りが障害になっていて、例えば地理に対する関心がなさすぎて、全国の都道府県名と県庁所在地の小テストと間違え直しを毎日繰り返しても、覚えられるのは20個前後から増えず、結局、受験本番まで全部覚えることはできませんでした。

 

また、本人が得意とする数学も、それは他の教科と比べてのことであって、偏差値60くらいの人が初見で解けそうな応用問題はさっぱりダメでした。

 

ほかにも勉強の障害となるようなことはいっぱいありました。例えば

・書くことに対する抵抗やこだわりが強すぎて、勉強を始められない。また、始めても終わらせるのに時間がかかりすぎる。

・物の管理が雑すぎて、勉強道具やドリルなどがすぐに行方不明になる。また、机の上が散らかりすぎて勉強ができない。

・語の柔軟性が低いせいなのか、設問をきちんと読まずに一部を読んで勝手に解釈し、誤回答をしてしまう。あるいは問われていることを理解できない(例:「次の□(四角)の中から適切な回答を選べ」という設問で、選択肢全体を囲む四角形を認識できず、「問題がおかしい!」と怒って進めない、など)

・国語の読解問題などで、登場人物の心情を想像できない(「口元がゆがんだ」という表現からその人物の気持ちを推測するのは、息子にとって国語というよりソーシャルスキルトレーニング)

 

そんなこんなが重なって、本人としてはがんばっているつもりでも、成績は伸び悩みました。

 

そして実際、多くの中3生が勉強に本腰を入れ始める夏休み明け、県内の同地区の実力テストで、5教科偏差値は46にまで下がり、得意のはずの数学も52と、かろうじて平均を超えられたくらいでした。

 

諦めかけた心を支えた理系父の言葉

息子の中でこれまで一番勉強したはずのテストでのこの結果に、私と息子はすっかり心が折れてしまいました。

 

私が隣でマンツーマン指導をする時間を増やせば少しは成績を上げられるのではないか、そんな見積もりが甘かったことを突きつけられたときでした。

中3の2学期以降はみんなが必死に勉強するので、偏差値を10上げることがとてつもなく難しいのに、どんなに教えても何の手応えもない中、残り5カ月で偏差値を14以上上げるなんてとても不可能に思えました。

 

私は息子と頭を抱えながら、結果を夫(理系父)に伝え、「もう無理かもしれない…」とこぼしました。

 

「そっか〜。難しいなあ。勉強はやった分だけ比例して伸びるわけではないからなあ」と、夫は理解を示しつつ、こう続けました。

 

「限界突破だ」。

 

「知識って、一定量を超えるとつながりが増えて、あるところで一気に賢くなるんだ。その一定レベルに達するまで成果は目に見えにくい。だからその間はつらいけど、その限界点を超えるまでやり続けるしかないんだ」。

 

そして笑いながらこう息子に言い聞かせました。

「ChatGPTだって途中まではバカだったんだ。それがたくさん情報を与えて学習を続けることで今みたいに賢くなったんだよ」。

 

そこで私はふと気がつきました。

 

会話ができなかった息子とiPadに提示した写真で指差し対話をしていたのが、iPadなしでやりとりできるようになったとき

語彙の増えない息子のために動詞のリストをチェックしながら一語一語教えていたのが、リストが必要なくなったとき

息子が周りに気をつかえるようになったとき

これらは全部、限界突破だったのかもしれない。

息子はこれを全部突破したんだ。

だからきっと勉強だって限界突破できる。

私が十分な情報を与え続ければ……

 

絶望の中に、一筋の光を見いだした瞬間でした。

 

 

支援級からの高校受験3 学力はどこまで伸ばせるか? 後編に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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支援級からの高校受験2 内申点の不足は入試で不利になるのか?

2024-05-10 20:06:34 | 発達障害

支援級からの高校受験1 子どもにあった学校探し の続き

 

中2の夏の学校見学を経て目標は決まったものの,その道のりは前途多難でした。

そもそもに学力が足りていないのと

受験で重要な内申点が,支援級であるため数値として出せない教科があったからです。

 

多くの高校の一般入試は,試験当日の学力試験の成績と,中学校の9教科(英国数理社+美術,音楽,体育,技術家庭科)の5段階の評価(45点満点×1〜3学年*)とを合算して合計点を出し,点数順に合格者が決まります。

したがって内申点が数値で出せなければ,その分,合計点が低くなってしまう計算です。

 

息子は特別支援級に在籍していたものの,英国数理社の5教科は通常級で受ける「交流」という制度を利用していたので,その5教科分の数値はありました。

しかし,ほか4教科の数値はなく,支援級で受けた授業は「◯◯に取り組みました」という記述式です。

中学校が高校に提出する調査書では,数値が出せない教科は斜線/がひかれます。

それらの教科の数値が足りない分が,入試で不利になる可能性がありました。

 

そこで,このことについて中学の支援級の担任の先生に相談しました。

選択肢としては3つありました。

  1. 支援級から通常級に籍を移す。
  2. 支援級に在籍したまま9教科すべてを通常級で受ける。
  3. 現状のまま支援級に在籍して5教科のみ通常級の授業を受ける。

 

悩みましたが,結論から述べると,3)の現状維持を選択しました。

1)は,息子の5教科の成績やIQだけで判断すれば無理ないように思えるかもしれませんが,籍が支援級から通常級に移れば,これまで親身に指導してくれていた支援級の先生のサポートを得られなくなります。

物を散らかしていたり,不適切な言動をしたときに,適切な声かけで息子を導いてくれていた先生から離れるのはマイナスになるだろうと判断しました。

それに,小学校から家族のように一緒に過ごしてきた支援級のクラスメイトと離れることも,精神的ダメージが大きいと考えました。

すると2)の選択肢であれば支援級の先生やクラスメイトと離れずにすむので妥当に思えましたが,これもやめました。

まず,支援級では5教科以外のところでほぼマンツーマンの指導を受けられていたことが大きな理由です。

息子の支援級は生徒全体十数人に対し,先生は補助の先生も含め5人と多く,美術の時間や,技術家庭科の代わりにある「作業学習」の時間での縫い物やミシン,電鋸を使った木材加工などで,手取り足取り教えてもらっていました。

そのおかげで通常級の授業ではなし得なかったほど手先が器用になり,できることが増えました。

この授業を捨てるというのは息子のできないことを増やすのと同然でした。

 

そして何より,通常級で受ける授業が増えると,支援級と通常級の教室間移動が増えます。

疲れたり,忘れ物が増えたり,ストレスになったりして,逆に成績が下がる可能性がありました。

内申点を増やすために授業を増やした結果,内申点が下がったのでは元も子もありません。

 

一方,先生の話によると,県内の公立高校では支援級の生徒の評価に斜線/がある場合は,そこを0点とはせず,内申点はあくまで参考とし,当日の学力試験の成績で評価する決まりがあると言われました。

実際,市内の支援級からその制度を利用して内申点なしで公立高校に合格した人がいるというお話も聞きました。

だから,県外であっても国公立の学校であれば似たような制度があるはずで,無理して9教科を受けて成績に1がつくよりも,今のまま5教科に集中した方がよいという判断に至りました。

 

内申点はあくまで参考で,学力試験で評価するという制度があることを知って,

私は志望した学校に確認の問い合わせをしました。

しかし,その対応はつれないものでした。

「前例がない。斜線/の教科は0点の計算」。

 

ショックでした。

前例がないから難しいというのは理解できましたが,優秀な学校に支援級出身の生徒は歓迎されていないのかと卑屈な気持ちになってしまい,思わず涙がこぼれ落ちました。

 

学力試験だけでも厳しいのに,内申点でマイナス評価になれば,とても受かるような学校ではありません。

そこで他県の似たような学校を探し,1校1校,内申点がどう評価されるのか,と聞いて回りました。

担当者の言い方は違っていても,ほとんどの学校で同じような回答が返ってきました**。

私たちの県にはそういう制度があるから,同じような制度ありませんか?と聞いても同じでした。

 

息子のために「なんとかするって」決めたのに,頭が真っ白になって何の言葉も出ず,かすれた声で「わかりました…」と返事をするのがやっとでした。

 

さらに辛いことに,一緒に見学・相談に行った息子は,私が毎回「支援級に在籍していて…」と人前で説明するのを嫌がり,見学のあとはいつも不機嫌でした。

 

帰国子女には外国の学校での評価を特別換算するルールを設けていたりするのに,国内の特別支援級の生徒の成績は0点換算なんておかしな話で,

どこかにちゃんと制度があるはずなのに,それがどこに明記されているのかがわからず…

 

どこをどう調べてもわからなかったので,私は志望校を統括している機関の「入試に関する合理的配慮」の担当者に直接電話して聞くことにしました。

 

ここで答えが得られなかったら文科省に直接問い合わせをするくらいの覚悟でいましたが,

あっさりこう返されました。

「前例は少ないですが,支援級の生徒が内申点で不利にならないように各校で配慮するよう定めています。担当者が知らないだけだと思うので,次にそのようなことを言われたら私どもに確認するように伝えてください」。

 

このときは嬉しさで声がかすれ,やっとのことで「ありがとうございます」とお礼を伝えて電話を終えました。

 

ここに辿り着いたのが3年次の11月の終わり。

願書提出目前でギリギリ間に合ったという感じです。

 

そのあとは志望校に再度,そのことを伝え,対応していただくことになりました。

また,支援級の担任の先生が,志望校と統括機関に何度も電話をして,調査書の内容が不利にならないようにどう記載するのがよいか確認してくれました。

 

さらにありがたいことに,先生は「合格の可能性が少しでも上がるように」と調査書を入念に準備してくれました。

特別事項などの記入欄に,息子が通常級で受けていない4教科の学習指導要領を調べて,その中から息子が学んだこと,できるようになったことをたくさん書いてくれたのです。

これについては頭があがらないくらい先生に感謝しています。

 

こうして何とか内申点のことを気にせず,受験に挑めるようになりました。

 

次回はは足りない学力をどう伸ばすかについてまとめたいと思います。

 

支援級からの高校受験3 学力はどこまで伸ばせるか? 前編に続く。

 

補足

*中学校の成績は,地域や学校によって3年分必要,または3年次だけで判定
**問い合わせた中で,唯一,都立の某学校だけは,内申点は参考で,その分が不利にならないように,学力試験と合わせて評価する,と入試担当者がその場で答えてくれました。

 

 

 


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療育と発達検査の略歴(2024年4月更新)

2024-04-15 09:44:24 | 発達障害

いつもこのブログを見に来てくださっている方,ありがとうございます。

これまで私が取り組んだことと息子の成長をブログ記事につづってきましたが,

ブログの形式上,過去記事が見づらいので,

いつ,何をやったのか,時系列を追えるように,この略歴に過去記事のリンクを貼っています。

最近の結果を追記しました。

 

理系母

2024年4月15日更新

 

 

 

0歳    K県K市にて誕生。

0歳2カ月 市内の保育園に入園。

0歳6カ月 引越しのためH県K市の保育園に転園。

1歳3カ月 2〜3語しゃべる。

2歳6カ月 大人の問いかけに対する反応が1歳児よりも少ないことに気づく。

3歳3カ月 コミュニケーション等の問題を保育園から指摘される。

     飛行機のおもちゃをきっちり並べる等のこだわりの出現(「消えたこだわり」参照)。

3歳6カ月 市の相談所で新版K式発達検査2001

全領域  DQ57(2歳0カ月)

姿勢・運動DQ88(3歳1カ月)

認知・適応DQ55(1歳11カ月)

言語・社会DQ55(1歳11カ月)

 保育園での生活をサポートしてもらうための加配の先生をつけてもらう。

 

3歳7カ月 療育本などを参考にコミュニケーションボードを自作して利用(「言葉を引き出す 自作コミュニケーションボード+デジカメでの語りかけの効果」参照)。

     3語文がではじめる。

3歳8カ月 

コミュニケーションボードをデジタル化。ipadにデジカメで撮影した写真をフォルダで分類し,必要に応じて示す。

興味を持ったもの,一日のできごとをデジカメで撮影し,寝る前に写真を見せながら話しかける(「言葉を引き出す 自作コミュニケーションボード+デジカメでの語りかけの効果」参照)。

3歳9カ月 市の療育センターで再び新版K式発達検査2001

全領域  DQ59(2歳3カ月)

姿勢・運動DQ81(3歳1カ月)

認知・適応DQ51(1歳11カ月)

言語・社会DQ66(2歳6カ月)

 中〜軽度の自閉症と診断される。

 療育手帳を取得。

3歳10カ月 ipadの知育アプリを開始

4歳0カ月 最初の幼児ドリルに失敗(「字を書き始めるまで アプリとプリントを合わせて使う(1)

4歳2カ月 数に関するアプリ開始(「数を覚えるまで」参照)

     動詞のリストを作成して一語一語教える(「語彙を広げる コミュニケーションボードの次の工夫」参照)

4歳3カ月 Xbox Kinectを導入。お家で運動開始(「Kinectで全身運動 療育に使えるゲームあれこれ」参照)

     指先の訓練かねてパン作り開始(パン生地こねて指先訓練」参照)

4歳4カ月 ipadアプリを印刷した練習プリントで,字を書くのに成功(「字を書き始めるまで アプリとプリントを合わせて使う(2)」「字を書き始めるまで2 鉛筆の持ち方を正す」参照)

4歳6カ月 引越しのためS県K市の保育園に転園。

     事前に市に相談し,加配の先生をつけてもらう。

     都内の療育センターで再び新版K式発達検査 

認知・適応DQ81(3歳8カ月)

言語・社会DQ70(3歳2カ月)

4歳7カ月

絵日記を開始。その日あったできごとを母が絵日記に書き,翌日,本人がそれを見ながら保育園の先生と会話をする練習。だが,話したがらないことの方が多い(「過去の出来事を話す練習 目指せ!ほう・れん・そう1」参照。

都内の療育センターで言語訓練の開始。言語療法士によるレッスン+課題や家庭での声のかけ方を助言してもらう。就学まで月1回。

療育になる細々した工夫を家庭で開始(「字を書き始めるまで3 その他の工夫」参照

4歳8カ月 絵日記に保育園からの連絡欄を追加。保育園での様子を把握するため。

5歳3カ月 新版K式発達検査

全領域  DQ88(4歳7ヶ月)

認知・適応DQ92(4歳10ヶ月)

言語・社会DQ83(4歳4カ月)

公民館の会議室を借りて,友達と就学に向けた勉強会。簡単なゲームやプリント,みんなで掃除など学校生活に必要な課題に慣れるため(「格安会議室で就学に向けた自主勉強会」参照)。

5歳4カ月 絵日記の絵を写真に変更。保育園の先生との会話が進むようになる(「過去の出来事を話す練習 目指せ!ほう・れん・そう2」参照)。

5歳10カ月 療育手帳再申請,田中ビネー式知能検査Ⅴ

       IQ75(4歳4カ月)

      ipadの計算アプリにはまる(「数をおぼえてから算数が得意になるまで」参照)

5歳11カ月 ひらがなをほぼ書けるようになる。

6歳4カ月 新版K式発達検査

全領域  DQ97(6歳1ヶ月)

認知・適応DQ95(6歳0ヶ月)

言語・社会DQ100(6歳4カ月)

6歳6カ月 市内小学校の特別支援学級に進学(「支援級という選択」参照)。

7歳7カ月 体育の授業を普通級(2年生)で受け始める。

7歳11カ月 算数も普通級(2年生)で受け始める。テストは80〜100点。間違いは簡単なミスのみ。

8歳6カ月 理科も普通級(3年生)で受け始める。テストは80〜100点。間違いは簡単なミスのみ。

8歳10カ月 療育手帳再申請,田中ビネー式知能検査Ⅴ

IQ92(8歳02カ月),療育手帳・非該当になる(「発達検査結果ー療育手帳から外れる」参照)

9歳6カ月 社会も普通級(4年生)で受け始める。テストは80〜90点。説明式の解答が難しい。

9歳11カ月 国語も普通級(4年生)で受け始める。普通級の授業は体育,算数,理科,社会,国語の5教科。1日のほとんどを普通級で過ごす。

10歳1カ月 ペースメーキングのための声掛けをAmazonのAIスピーカーEchoで代用開始(「電子母」参照)

10歳2カ月 言語検査(LCSA検査)(「言語も伸びる」参照)

LCSA指数 91

リテラシー指数 114

10歳3カ月 AmazonのAIスピーカーEchoを介して遠方に住む祖父による宿題の見守り開始(「電子母の進化」参照)

11歳5カ月 知能検査(KABC-2検査)(「知能検査結果詳細」を参照)

認知総合尺度(認知能力の評価) 98

習得尺度 (勉強することで獲得した学力みたいなもの) 78 

11歳5カ月 読売KODOMO新聞購読開始。

      コロナ休校の影響で,家庭学習を増やす(「電子母の進化」参照)。

11歳11カ月 本人の希望にて市内の中高一貫校を目指し,家庭で受験勉強開始。遠方の祖父とAmazonのAIスピーカーEchoで対話しながら毎日1時間くらい,ドリルを進める(「電子母とリアル母」参照)。

12歳3カ月 市内の中高一貫校を受験も不合格。

12歳6カ月 市内の中学校の特別支援学級に進学。国数英理社の5科目は普通級で学習。入学初月の普通級の授業は「眠くなるほど簡単」とのこと。

13歳 WISC-Ⅳ結果

全検査IQ 101

言語理解 117

知覚推理 95

ワーキングメモリー 91

処理速度 94

14歳 自閉症の診断名が外れる

15歳 高校入試,内申点(美術,技術家庭科,体育,音楽)がない中,一般受験(国数英社理)を経て偏差値60前後,倍率2倍超えの理系学科に合格→進学

 

 

 


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支援級からの高校受験1 子どもにあった学校探し

2024-03-27 14:53:57 | 発達障害

数カ月ぶりのブログ更新です。

X(Twitter)でお伝えしていた息子の高校受験についての詳細について述べていきます。

 

3歳でDQ50台,会話ができなかった息子。

小学校と中学校と特別支援級に在籍したまま学力試験(5教科)で高校受験に挑み,

結果,偏差値60前後の理系の学科に合格しました。

 

はじめに述べておくと,私も夫も偏差値の高い学校に行かせたいと思っていたわけではありません。

本人に至っては受験勉強が本格化する中3二学期くらいまで,偏差値を気にしていないどころかその言葉の意味すらわかっていませんでした。

ただ,本人が行きたい!と思った学校に入るのに要求される学力が高かったために,猛勉強をしたのです。

だから,難しい受験にチャレンジすることを決めさせ,結果的に息子を成長させたという意味で,学校選びはとても重要だったと思います。

支援級からの高校受験について全部書くとかなり長くなるので,今回は最初の課題:学校探し,について書いていきます。

 

******************************************************

 

息子の進学先を真剣に探し始めたのは中2の夏です。

それまで私は中学卒業後の進路として通信制高校を考えていて,本人もそのつもりでいました。

それがマイペースな息子にはあっていると,みんなが思っていました。

 

ところが中学生になって息子にさまざまな変化が表れ始めました。

周りが見えるようになり,いろんな気遣いができるようになったほか,コミュニケーション能力が格段に上がったのです。

その変わりっぷりは,息子の幼馴染が「昔は一人でゲームばっかりして全然喋らなかったのに,久しぶりに会ったらよく喋るやつになっちゃって」と驚くほどでした。

そんな息子を見て私は,このまま通信制高校だけを考えていていいのだろうかと疑問を持ち始めました。

 

息子には理系の私から見て,理系専門職が向いていると思える特性があります。

集中力,観察力,自然のシステムについて体系的な仮説を立てたがるなどなど。

特に体系化志向は理系の職業では重要な能力で,自閉症をもたらす遺伝子と一緒に受け継がれている可能性がケンブリッジ大学の研究者から提唱されており*,息子にもぴったり当てはまります。

だからいずれは大学もしくは大学院で専門的なことを学び,そこで技術と社会性を身につけて自立していけたら……と私は考えていました。

通信制高校は,自宅で自分のペースで勉強しながら高卒の資格をとり,次の進路に備えられるという点で理想的でした。

しかし,コミュニケーション能力が上がった今,同年代の仲間と切磋琢磨しながら上を目指せる環境の方がより成長できるのではないか,そんな可能性が浮かんできたのです。

 

ではそんな息子にあった学校をどうやって見つけたらいいのでしょうか?

 

大学進学を希望しているからといって,進学校は息子には向かない気がしました。

偏差値の高い大学に行くことがいいことで,模擬テストでの成績がいい人が評価される学校は,それにかなった人やその目標に共感できる人はいいのですが,成績がとれない,そこに価値を感じられない人間にとっては窮屈な場所です。

大学受験のためだけに息子が3年間通いたいと思えるかどうか疑問でした。

 

そこで,大学進学者がある程度いつつ,理系の専門的なことを学べる学校を探すことにしました。

そういうタイプの学校は日本全国で見れば数はあるものの,家の近くにはありません。

そこで親戚や友人のつてをたどり,時には飛行機に乗って4都道府県の学校を見て回りました。

 

最初に見学したのは,子育てがしやすいといって私の友人が移住した先の地域の学校です。

中2の夏休み,学校公開の日に訪れました。

独特のゆる〜い空気が流れる土地で,その学校は大学のような自由な雰囲気があり,マイペースな息子が支援級から出てもここならやっていける! そう感じられるものがありました。

さらにパソコンを使った授業が進んでいるためプリントが少ないというのも,整理整頓ができない息子にとっては魅力的でした。

 

ほかにもいいところはたくさんありましたが,その中でも特に印象的だったのは生徒たちです。

最上級生が自分の研究を紹介しているコーナーで,私と息子が研究内容についてあれこれ質問をしました。

「もしかして専門家の方ですか!?」と聞き返されるほど突っ込んだことも聞いたのに,その的確な受け答え方で教育レベルの高さがわかり,私は衝撃を受けました。

 

そんな先輩方に憧れたのでしょうか。

帰り道,息子は私にこう言いました。

「オレ,勉強してここ受けるよ」。

 

私は息子が自分の意思で目標を持てたことに感激し,なんとかしてその願いを実現させてあげたいと切に思いました。

 

支援級から受験できるのか,内申点はどうなるのか,足りない学力をどう伸ばすのか,

わからないことだらけでしたが,

なんとかする

そう覚悟を決めて対策を立てていくことにしました。

 

2につづく)

 

*「自閉症と理系思考」,S. バロン=コーエン(英ケンブリッジ大学)著,日経サイエンス2013年3月号参照。


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今更ですが,X(twitter)アカウントつくりました

2023-12-26 10:32:42 | 発達障害

このブログを開設してはや6年半,

いつもに見来てくださっている方,続きを気にしていらっしゃる方,

更新が遅くてほんとうにごめんなさい。


このブログの息子は自閉症の診断が外れて今は高校受験の真最中。

支援級から普通の学校に受験する,そのための勉強をすることに,ものすごい“ハードル”を感じています。


物の管理が苦手なこと(筆記用具やテキストがすぐに行方不明),字を書くのを極力嫌うこと(普通の参考書や問題集がなかなか進まない),などなど

自閉症で問題だったコミュニケーション以外の課題が受験で障害になっている感じがします。

そのハードルを乗り越えるための工夫を日々こらしていますが,

ブログ記事にまとめる時間がなかなかとれないので,X(twitter)でメモがわりに発信していくことにしました。

ご興味のある方はこちらをご覧ください。

https://twitter.com/rikeihaha

@rikeihaha

 


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できた親ではありません

2023-12-09 15:37:13 | 発達障害

こんにちは。

 

ここ数ヶ月は息子の高校受験勉強と

次男(自閉+ADHD傾向ありの不登校小学生)の対応に追われていた理系母です。

 

さて,今回は久々のブログ更新ですが,

これまでと少し趣旨を変えて

発達障害児の「親」として,私自身のことに触れたいと思います。

 

このブログで触れてきた息子のために家庭で療育を始めたのが十年ちょっと前。

その頃に比べるとネットや書籍で親向けの情報が格段に増えたと感じます。

 

「怒らない」とか「子どもが変わる声かけ」とか

親が取るべき具体的な行動に関する情報がいっぱいあって,

それらを実践しているお母さん方と出会うことも多く

ただただ感心するばかりです。

 

というのも,私はそういうこと,あまりできていないんです。

以前,All Aboutさんの取材(https://news.allabout.co.jp/articles/o/60863/)に応じたときにも「私はできた親ではありません」とお話しました。

毎日怒っているし,毎日のように子どもと喧嘩しています。

言ってはいけない言葉を言って子どもを傷つけたこともあります。

 

療育的には絶対NG的なことはいっぱいやっているのですが

子どもは確実に成長してくれています。

 

それはなぜか?

 

理由は一つではないかもしれませんし,もちろん息子の性格もあります。

でも,おそらく影響しているだろうと思われる心当たりがあります。

 

それは小学校の卒業にむけた特別支援級での行事でのこと。

 

クラスメイトの前で親から子どもへの贈る言葉を発表する機会があり,私はこんなことを言いました。

「H(息子)は,自分の子どもの頃と比べても,周りの子どもと比べても,できないことがいっぱいあって,つい怒ったり心配になったりすることがいっぱいある。

でも,H(息子)はちゃんと成長して,いつかは母さんを超えると信じている。

それが何歳になるかわわからないし,すごく年をとってからかもしれない。

でも必ず超えると信じている」

 

それを聞いた息子の反応は,正直あまりなく,そのときは「わかっているのかな〜?」という印象でした。

 

ところが中学生になってしばらくしてからのある日,

息子の些細なことで,私が「このバカ息子がーっ!」と怒り出したとき

息子がニヤッと笑ってこう切り返しました。

 

「でも母さんは俺のことをバカだと思っていても,俺がいつかは母さんを追い越すと信じていて,その可能性に賭けているんだろう?」

 

私は予想もしなかった息子の言葉に,私の思いが伝わっていたんだという嬉しさと

こんなとっさの切り返しができた息子に感動して言葉を詰まらせてしまい,

喧嘩にならなくなってしまいました。

 

この一件で,私が息子の成長と可能性を信じていることが息子に伝わっていること,そしてそれが息子の自信につながっているとわかってからは,

私にはできないけれど息子が得意なことを認めたり,

テストの成績が悪くても「Hはちゃんとできるようになると思うよ」

などと,今の息子ではなくて,息子の未来を私自身が信じていることをはっきりと伝えるようにしています。

 

母が完璧でなくても,子どもの成長を信じ続けること自体が子どもを本当に成長させることにつながるのかもしれません。

 


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自閉症の診断名はいつまでついて回るのか?

2023-04-21 14:59:29 | 発達障害

今年1月に公開した記事「自閉症の診断が外れる」で、いったいどういうこと?と思われた方は多いと思います。

 

今日はその詳細について述べていきます。

 

◆3歳での診断

息子が自閉症と診断されたのは3歳のときのことです。

最初は市の発達センターでした。

 

この子、本当に自閉症なの!?

私は診断を素直に受け入れられず、他県の有名な発達外来を受診しました。

でもやはり同じ診断名を言われました。

 

このとき私が自閉症について知っていたのは「治らない」ということだけでした。

 

実際、厚生労働省の自閉症Q&Aにはこうあります。

 

自閉症は生まれつきの障害で、完全に治ることはありません。自閉症の人は、見たり聞いたりすることや感じることを普通の人と同じように理解することができません。

 

この頃の息子は、発語はあったものの語彙は少なく、自分の要求は訴えてもこちらの問いかけにはほとんど無反応でした。

私はこの状態が一生治らないものと思って本当に絶望しました。

 

保育園の帰り道、ほかの子どもが保護者にその日あったことを楽しそうに話すのを横で聞きながら、何を聞いても答えてくれない息子の手を引いて涙をこらえて帰った日々のことは今も忘れません。

 

◆最初の成長

しかしその後、息子は会話をすることを覚えました。

飛行機や特定の限られたものにしか向けられなかった興味も、どんどん広がっていきました。

文字や計算を覚え、知的にも成長し、8歳で療育手帳(知的障害者向けの障害者手帳)に該当しなくなりました。

 

ただそのあとも、障害は「ある」と私は感じていました。

 

例えば小学校5〜6年生の時点で、

周りにあまり意識がいかないので信号無視が頻発、

私が脳貧血を起こして倒れても、気にせず自分のことを続ける、

失礼な発言をして周りの人を怒らせる、

といった課題があり、特別な支援の必要性を感じ、中学校は小学校から引き続き特別支援級に進学することを決めました。

 

こういった自閉症児あるある的なところは一生治らないんだろうなと、このときまで私は思っていました。

 

◆息子に表れた変化

しかし、そのあとまもなくして「あれっ?」と思うような変化が表れ始めました。

 

病院を受診するため小学校にお迎えに行って一緒に歩いていたときのことです。

「(一緒に歩いているのが)恥ずかしいから(母さん)離れて!」と私に言ったのです。

 

恥ずかしい?????

→ほかの児童の視線を意識し始めた!!!!!

 

人が見ていることはおろか、止まっている自転車に歩いていてぶつかるほど周りを認識していなかった子が、急に視界がひらけたかのような印象を受けました。

 

それまで私は事故が心配で息子の登校に毎日付き添っていたのですが、中学校は一人で登校させることにしました。

 

それからしばらくして息子が得意げに言いました。

「学校行く時、次の信号が変わるタイミングを見ながら歩く速さを変えてるんだ」

 

!!!!!

 

私はこの言葉に衝撃を受けました。

というのも小学校の6年間、私が一緒に連れて行っていた時は、私が先の信号を指差して「信号が変わるから急いで!」って何度言っても無反応だったからです。

 

見える=頭で認識されるようになったのは信号だけではありません。

保育園時代から付き合いのある私のママ友と私が話しているのを聞いて

そのママさんの名前を突然認識して名前で呼ぶようになったのです。

(特定のママさんでなく、複数人の名前を認識し始めました)

 

さらに、私が体調が悪くてほおづえをついていたら「お母さん大丈夫?」と気遣い、私に代わって小さい弟の世話までしてくれるようになったのです。

(ちなみに兄弟仲はあまりよくなく、その数年前まで時給800円を払うことで弟と一緒に遊んだりお風呂に入ったりすることを無理やり覚えさせていたくらいです)

 

また、目に見えて私の体調が悪い時でなくても、私の食事量が少なかったりすると「どうしたの?」と聞いてくれます。

 

息子の変化はそれだけにとどまりません。

 

学校や利用している放課後等デイサービスの先生から息子が「変わった」という報告を受けるようになりました。

 

例えば、以前だったらディズニーランドを「くだらない」と一蹴していたのが、「ぼくはそんなに好きではないけど、(先生が好きなのは)いいと思う」と相手を立てる返事ができるようになったのです。

 

明るくみんなから愛されていて、友達ともうまくやっているとも聞きました。

 

こういった変化を目の当たりにし、私はこの子が特別な支援なしでも周りとうまくやっていけると確信し始めました。

 

それと同時に私は再び疑問に思ったのです。

この子、本当に自閉症なの?

 

◆自閉症は治るのか? 

アスペルガー障害(自閉症の一種)の診断基準の1つにはこう書かれています。

(あなたが育てる自閉症のことば 2歳からはじめる自閉症児の言語訓練〜子どもの世界マップから生まれる伝え方の工夫〜、診断と治療社より

この記載の引用元 American Psychiatric Association(原著):高橋三郎ほか(訳):DSM-Ⅳ-TR 精神疾患の分類と診断の手引 新訂版、医学書院)

 

A以下のうち少なくとも2つにより示される対人的相互反応の質的な障害:

(1)目と目で見つめ合う、顔の表情、体の姿勢、身振りなど、対人的な相互反応を調節する多彩な非言語的行動の使用の著明な障害

(2)発達の水準に相応した仲間関係を作ることの失敗

(3)楽しみ、興味、達成感を他人と分かち合うことを自発的に求めることの欠如

(4)対人的または情緒的相互性の欠如

 

私から見た息子は、このいずれにも当てはまらないように思えました。

でもそれは所詮、素人判断です。

 

発達外来の医師の先生に意見を聞くことにしました。

 

中学2年生の冬のことです。

病院を訪れたその日、息子は不機嫌そうでした。

というのも息子の視界がひらけた頃、リクライニング式の車椅子に乗った患者さんが待合にたくさんいるのに気づき、「俺、なんでここにいるんだ?」と、疑問を感じ始めていたからです。

そして診察前にきっぱり私にこう言いました。

「俺はもうここに来たくない」。

 

私は「わかった。じゃあ先生に相談しよう」と言って診察室に入りました。

 

その先生のもとには4歳のころからおよそ10年にわたり、年に1〜2回通っていました。

薬などの処方はなく、私が息子の課題と家や学校での対応を伝え、先生から助言をいただくような感じです。

 

診察室で先生が息子に聞きました。

「学校どう?」

「特には…」。不機嫌そうな表情を隠し切れないながらも、息子が簡単に答えました。

 

先生が続けて質問をします。

「学校に行くの嫌な日とかない?」

「ないです」

「嫌なことないの?」

「ないです」

「学校で嫌なこと言うやつとかいないの?」

「そんなの“ははっ”て笑ってやり過ごしますよ」

 

そんなやりとりを繰り返した後、私がここ最近の息子の変化を先生に伝え、こう切り出しました。

「息子が(周りに気づくようになって)ここに来るのを嫌だっていうようになりました。この先は障害者手帳もとらず、中学卒業後は普通の学校で息子にあった進路を探していこうと思います」。

 

先生は笑顔で、診察は今日で最後にしよう、と息子に言いました。

 

私は続けました。

「それで、息子は自閉症が治ったって言えるのでしょうか?」

 

すると先生は、それはちょっと違う、(自閉症は)程度の問題だから、というような説明をされました。

 

私はずっと気になっていたことを聞きました。

「ただ学校や保険の書類などで、診断名を書かなくてはならないことって結構多いんです。この先ずっとそこに「自閉症」と書き続けなければならないのでしょうか?」

 

先生は私の意図を察してこうおっしゃいました。

「もう書かなくていい。過去の診断はお母さんの胸の中にしまっておいて」

 

先生はこんなような説明を続けました。

「こういう特徴のある子は、いやなことがあったときに閉じこもってしまうようなことがあるのが心配なんだけど、この子は大丈夫、やっていけるよ」。

 

先生はカルテに何やら書き込みながら「嬉しいねえ」ということばを何度も繰り返していました。

 

私はこの言葉を聞いて、長年の呪縛から解き放たれた気持ちになりました。

 

◆息子が証明してくれたこと

この記事の読者の中にはきっと、何をどうやったら子どもが成長するのか、気にされている方が多いのではと思います。

 

ごめんなさい。それははっきりわかりません。

 

私がこれまで家庭で取り組んできたことは過去記事でも紹介してきましたが、それは一部であり全部ではありません。

それに、息子が成長したからといってそれが私の取り組みの効果である、つまり因果関係(原因に対する結果)を示すものでは決してありません。

 

自閉症と診断される子はみんなそれぞれ違うので、私と同じことをやってもうまくいかないという方も多いはずです。

 

私のブログが自閉症と診断された子の成長を記録した一例にすぎないことは、私も十分理解しています。

 

でも1つ、確かに言えることがあります。

 

自閉症の診断は、子どもが成長できないことのスティグマ(烙印)ではない

 

成長のスピードが人と違うだけ。

 

会話ができない

人を気遣えない

そんな自閉症に対する私の思い込みを息子はことごとく打ち破ってくれました。

 

私が親として息子を成長させられたかどうかはわかりませんが

これだけは自信を持って言えます。

息子は私にいろんな気づきを与え、私を成長させてくれました。

 

息子は現在中3、受験の真っ最中です。

 

息子の今後の成長について、またどこかでお伝えできる日がくればと思います。

 

長文おつきあいありがとうございました。

(写真:母の荷物を自ら運んでくれる息子)


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自閉症の診断が外れる

2023-01-17 15:37:42 | 発達障害

自閉症は一般に治らないと言われているので,このタイトルを見てみなさま「トンデモ!?」と思うかもしれません。

でもここ数年で息子は驚くほど成長しました。もう普通の子といっていいくらいです。

なので医師に相談したところ,各種の書類で診断名を記入する欄に「自閉症と書かなくてよい」と言われました。医師の先生も驚き,そして喜んでいるようでした。

なお,直近のIQは101(WISC-Ⅳ)で,学校の5教科の成績も真ん中よりちょい上とちょい下を行き来しています。

DQが50代だったころ(3歳)には想像もつかない変化です。

 

これは学校の先生やデイの先生,いろんな方々の支援のおかげだと思っています。

(ちなみに投薬や特別な医療ケア,食事療法みたいなのはいっさいやっていません)

 

今は仕事に追われているので詳細は後日,お知らせいたします。

WISC-Ⅳの詳細はこちらに追記しましたのでご参照ください。

療育と発達検査の略歴

 

 

 


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自閉症児に人を思いやる心は育つか?

2021-09-11 14:09:09 | 発達障害

ブログ引っ越し,どういった構想にするか考えてはいるものの,なかなか準備が進まず時間だけが過ぎていく日を過ごしています。

 

ですがこの頃,息子にちょっといい変化があったので再びここでご報告します。

 

息子は小さい頃,いろいろな面で問題がありましたが,最初に知的な部分が大きく改善し,遅れ気味だった言語も伸びてきました(「言語も伸びる」参照)。

では今,まったく問題がないかというとそうでもなく,課題はまだまだ山積みです。

中でもあまりよくなっていなかったのが「他者視点」。

人の視点にたってものを考える,人がどう思うか(人からどう思われるか)という感覚が,なくはないんですが,ずっと今ひとつでした。

あまり見た目を気にしない(というか気にならない)ので,身なりはいつもだらしなく,人が困っていることにもなかなか気づけません。

数年前,私が家で脳貧血を起こして倒れたときもしかり。下の子は大慌てなのに,息子HはEchoで勉強を見てくれていた遠方の祖父(過去記事参照)に平然とした声で,「あーお母さん大変だから弟が騒いでいるだけ」と,まるで私が家事で忙しくてかまえないから弟が騒いでいるとでもいうような言い方をしたのを聞いて,絶望したことがあります。

 

そんな息子がここのところ,ちょっとした気遣いができるようになってきたのです。

息子がいろいろ優しくなっていて,みんなを手伝ってくれる,という嬉しい報告が,中学校に進学した頃から学校や放課後デイ等から入るようになってきました。

 

さらには先日,ゴミ出しを頼んだ際も,「大変だったら別にいいよ,持てる分だけ出してね」と頼んだにもかかわらず,「母さんが大変そうだから」と,マンションの階段を何往復もしてすべてのゴミを出してくれました。

 

たかがゴミ出し手伝い,と思われるかもしれませんが,現金報酬(こづかい)でやっとのこと手伝いをしてくれていた時代と比べるとものすごい進歩です(「お手伝いは現金報酬で交渉」参照)。

 

「他者視点」の欠如は自閉症を特徴づける特性の一つで,どうやっても治せないような印象を私はずっと持っていました。それが変わることがあるというのは,非常に驚きです。

小難しいことをいえば,脳のニューロンのネットワークに変化でも起きたのでしょうか? まあそれは調べようがありませんが,ここで確信したのが,成長とともに子どもは変われる,ということです。

 

まだまだ大変なことは多いですが,これからもがんばろうと思いました。


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ブログ移転計画中

2021-08-21 09:26:31 | 発達障害

こんにちは。理系母です。

このブログを始めてかれこれ数年経ちますが、記事をなかなかアップできずごめんなさい。

書きたいことはまだ山ほどあるのですが、執筆時間とかいろんな問題があるのと、このブログサイトではどうしても見やすさ、情報の探しやすさに限界があるので、ほかのサイトを新たに作ろうと考えています。

今は有志を集めていて、ちょっと大変な子育てに奮闘している私以外の方の経験談もまとめて発信していくつもりです。

新サイトは今年秋以降に公開予定です。

しばしお待ちくださいませ。

 

 


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数をおぼえてから算数が得意になるまで

2021-04-26 14:30:24 | 発達障害

「数をおぼえる」までの続き

 

先の記事で述べましたが,10までの数はいろいろな知育アプリなどを使って4歳5〜6カ月で数えられるようになり,20までの数もそれから1カ月くらいで数えられるようになりました。

 

数量や数値の概念の獲得に知育アプリによるところが大きかったのはもちろんなのですが,同時期に入れた「Hey Day」という農園アプリも影響したと思います。

これは知育でもなんでもない,一般向けの娯楽アプリで,小麦を蒔いて収穫して増やす,といった単純なものですが,息子はものすごくはまっていました。このアプリでは自分の所有している農作物の量が数で表示されたり,作物の売買などでお金が増えたり減ったりして,数を意識することが多かったと思います。計算することはなかったかもしれませんが,どっちが多い少ないといった概念はここでしっかりしました。

 

こうして数の概念が定着したころに,初歩的な算数アプリをipadにいくつか入れてみました(4歳10カ月頃)。最初に入れたのは「りんごの足し算」(今はないようです)というアプリで,数字のボタンをおすと,その数だけりんごがゴロゴロと出てきて,さらに数字を押すと違う色のりんごが出てきて,さてりんごは全部でいくつ?というのを数えながら答えさせるというもの。1+2=のような数式は出ませんが,電卓のような数字ボタンと「+」と「=」のようなボタンがあったので,ここでなんとなく計算に必要な記号を認識したようです。

 

ただこれですぐに算数に目覚めたわけではありませんでした。転機が訪れたのはそれから1年近く経ってからのことです。年長の夏休み,1歳年上のお友達がうちに遊びに来ました。このころはタブレットやスマホが今ほど普及していなかったので,その子はうちのipadに興味津々。小学1年生ということもあって,すでに入れてあった算数アプリ「おサルさんの算数−空飛ぶアドベンチャー」をサクサク解いて披露してくれたのです。これに息子は釘付け。ゲーム性もあって,息子もどはまりしました。その後,このアプリにのめり込むほどに恐ろしい速さで計算能力を獲得し,就学前までには九九をほぼマスターするまでになっていました。

 

このアプリの優れていた点は,ゲーム性もさることながらステージの設定にあったと思います。例えば足し算から始まって,問題がランダムに出るのではなく,「+1」の問題をひたすら解いたあと,「+2」のステージに移行するといった具合です。いくら数の概念が定着していても,いきなり色々な数の足し算がランダムに出てくるようなアプリだったら,足し算のとっかかりとしてはハードと言えるでしょう。このアプリで1つ大きい数(+1),そして次に2つ大きい数(+2)がイメージできるようになって計算ができるようになったのだと思います。

 

その点をよくおさえたくもんの幼児ドリル「はじめてのたしざん」シリーズは優れもので,ものすごく簡単な問題から作られているので計算の概念が得やすいのと,簡単な構成だったので,息子に「オレ,できるぜ!」とその気にさせる効果もありました。これらのドリルは先のおサルさんアプリと並行して進め,小学校就学前に「たしざんのおけいこ2」まで終わらせました。

 

そういうわけで,小学校に入学したときには自分でも算数が得意という自信ができていたように思います。入学したのは支援級ですが,計算力があることを担任の先生も理解してくれたので,学校に慣れた2年生から普通級で算数の授業を受けるようになりました。

 

息子のように「得意」が突然目覚めたのはたまたまかもしれませんが,いろんなベースやきっかけが下地にあったことが重要だったと思っています。そのきっかけの1つを作ってくれたお友達には今でも感謝しています。


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数をおぼえるまで

2020-12-12 20:46:33 | 発達障害

小6の現在,息子の得意科目は算数です。

特別支援級に在籍しながら普通級の授業を受け始めた科目も,体育についで算数でした(2年生〜)。

アスペルガータイプは算数が得意な子が多いので,息子も最初から算数が得意だったと思われる方もいるかもしれません。

ですが,そうではありませんでした。今回は,まったく数に関心を示さなかった息子が,算数が得意になるまでの経過について紹介したいと思います。

 

数の概念は普通,何歳くらいからできてくるのでしょう? はっきりはわかりませんが,遠城寺式・乳幼児分析的発達検査表には「数の概念がわかる(3まで)」が3歳6カ月に位置付けられています。

一緒に(というか母が一方的に)数を数えたり,というようなことは物心ついたころからずっとしていたのですが,ほぼ無反応でした。数についてちゃんと教え始めたのは4歳2カ月ごろ,自閉症の診断を受けてから(3歳9カ月)しばらくたってからのことです。

 

ここで整理をしておきますと,ただ数といっても,数量としての数の概念と文字としての数字の認識は別物なので,まずは数量としての概念を覚えてもらうことを目標にしました。

 

このころはコミュニケーションもままならなかったので,こちらから授業形式で数について教えるというのは困難でした。

しかし,そんな息子でも,こっちにまっすぐと向き合ってくることがありました。

それは,自分の要求を通したい──自分の食べたいものを食べたいと訴えてくるときです。

卵を焼いてほしい,袋に入ったお菓子を食べたい,そんなときこそチャンスです。訴えられたら「何個ほしいの? 1個ね」,と数をはっきりと強調して伝えるようにしました。

 

ここで気をつけたのは,最初に1という数量をしっかり定着させることです。

たくさんほしがられても,渡すのは1個だけ。さらに欲しがったらまた1個を渡すというのを繰り返しました。

また,息子が関心のあることがらについては,こちらからも「1個とって」などと,1単位で指示を出したりしてみました。

 

1という数量を理解するのにどれくらいかかったか,正確な記録がなく,すみません。ただ何週間とはかからなかったと記憶しています。

1がしっかりと定着した時点で2を教えました。「何個ほしいの? 1個,2個ね」といった感じで,ほしがるものを数えながら渡しました。こうして2が定着したら3を,といった具合に,各数量の概念が定着したら1つ大きい数に移行していきました。

 

数を数えることになれてきたらしめたもの。

ipadのアプリには数量を数える知育アプリがたくさんあるので,いろいろ与えてみました。「みんなで数をかぞえよう 123 - 数えることを学ぶ」や,「Counting with the Very Hungry Caterpillar」(はらぺこあおむしの数えるアプリ,今は利用できないようです),「かぞえる〜る」(こちらも残念ながら今はないようです)を喜んでやっていました。

 また,数量理解と並行して,数字を覚えるのにもやはりipadアプリを使いました。息子が一番気に入っていたのは,数字の形の道に沿って列車など乗り物を走らせる「モジルート」ですが,それ以外にも点つなぎ系のアプリも気に入っていました。また,写真に隠れた数字を探す「数さがし」も親子で楽しめてよかったです。

 こうして数を教え始めてから4カ月後には,10までの数が数えられるようになっていました。

 

 

数をおぼえてから算数が得意になるまでにつづく

 


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知能検査(KABC-2)結果詳細

2020-11-08 12:35:59 | 発達障害

今日は直近で受けた(といっても1年近く間が空いてしまいましたが……)知能検査(KABC-2検査)の結果の詳細についてお伝えしようと思います。

 

検査時の実年齢は11歳5カ月で

認知総合尺度 98

習得尺度 78

という結果でした。 

 

認知総合尺度は勉強とは別の認知能力の評価で,地頭みたいなものでしょうか。

それに対し, 習得尺度は勉強することで獲得した学力を評価するもので,認知総合尺度より習得尺度が低いのは、持っている認知能力レベルに比べて学力が低いことを意味するそうです。

 

認知総合尺度は,数字だけ見れば年齢相応の平均的な頭と言えなくもないですが,その中の能力にばらつきがあり,平均すると98という結果でした。

具体的には,物語を完成させたりやパターンを推理する課題で評価される「計画尺度」は116と高かったのに対し,言われた言葉の順番や手の動作の順番を覚えて再現する「継次尺度」は82と低めでした。後者は時間軸に沿って記憶しておく能力が試されるもので,確かに日頃の息子の苦手とかぶるものがあります。目的(夜9時までに布団に入って寝るなど)のために必要な課題(入浴,歯磨き,明日の学校の準備)を順番に終わらせるのが難しく,To Doリストを作ったり考えられるありとあらゆる手段を尽くしているのに,一つ一つ親や先生が声かけをしないと終わらせることができません。

そもそもそういうところが苦手だったのかとわかると納得もしますが,具体的な解決策についてはまだ見いだせていません。

 

習得尺度が低かったことについては,検査を受けた頃,精神面で不安定なことが多く,普通級での授業をあまり受けていなかったことが影響していたかもしれません。


習得尺度内の各尺度では大きな差はなかったそうですが,はっきりとした苦手も見られました。

例えば「算数尺度」では,息子が計算ミスの多い繰り上がりなどのある課題が出され,そのまま低めの評価になりました。これは継次尺度の苦手が関係しているかもしれないと言われました。

また,「読み尺度 」で文の理解に苦手があり,言われたことをジェスチャーで伝える課題でずれた解答があったそうです。

 

先の投稿「言語も伸びる」で言語能力の成長に触れましたが,伸びていること自体は実感として間違いなく感じています。ただ,以前の言語の検査で「柔軟性」に欠けると指摘されており,思い込みが激しく,一部を読んだり聞いたりして間違った考えを持ったまま修正がきかず,周りと衝突することが日常生活でよくあります。これも自閉症児に多い苦手なのかもしれません。

 

これについては試行錯誤しながら対策を検討中です。

ある程度まとまったところでまた報告させていただこうと思います。

 


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