理系母の療育と自閉症児の成長の記録

3歳で自閉症スペクトラムと診断された息子。約3年でDQ57→97。14歳で診断が外れ,高校受験を経て通常学級デビュー。

合格・入学後に起きた変化

2024-06-08 20:11:15 | 発達障害

支援級からの高校受験4 学力はどこまで伸ばせるか? 後編のつづき

 

努力の末、めでたく第一志望校に合格はしましたが、これで終わりではありません。

受験勉強とは違ったハードルが続きます。

 

まず、猛勉強して入った学校の授業に果たしてついていけるのか。

それも特別な支援のない社会で1人でやっていけるのか。

 

そういった不安もさることながら、さらに心配なことがありました。

 

それは、その学校が自宅から遠く離れた県外にあるということです。

電車、飛行機、バスなどを乗り継いで最速片道7時間。

通える距離ではありません。

 

息子にあった学校があるなら移住したってかまわないと、探し歩いて選んだ学校です。

ですが、いろいろあって移住はやめ、まずは学校の寮に入ることを決めました。

 

正直、合格時点で息子に一番足りていなかったのは生活能力。

学校から帰宅後、脱いだ制服や靴下が脱いだままの形で家の中に散乱しているというのは中学生男子あるあるかもしれません。

しかし息子はそれが家以外でもところかまわずで、

学校では先生に物の片付けや整理をつきっきりで手伝ってもらっていました。

 

でも息子、片付ける能力がないわけではありません。

ただ、スイッチが壊れているというか、スイッチを押し続けていないと作動しないタイプで、

常に隣で誰かが見守って声をかけ続けないとすぐに止まってしまうのです。

 

また、時間もルーズで、朝、自力で起きられないのはもちろん、

準備をして学校に間に合うように家を出るとか、

そろそろ寝る時間だとか、時計を見て行動をすることがまったくできないのです。

常に横に誰かがタイムキーパーとしてついていて次の行動を指示し続けなければなりませんでした。

 

受験勉強で息子を塾に通わせることなく私が家庭教師をすることを選んだのは、塾に送り出す方が私の負担が大きかったからです。

 

私も、支援級の先生も、デイサービスの専門家も、ありとあらゆる人がありとあらゆる支援をしてきたのに、生活面ではさっぱり効果のなかった息子。

 

しかし、ある通信高校の先生は私にこんなことを言いました。

「こういう子に一番いいのは、寮に入って誰にも頼れない環境を作ること」。

 

確かにそれは一理あるかもしれない。

一度、寮生活を試してみてダメだったら家族で移住すればいい。

そう考え、まずはその可能性を試すことを決めました。

 

 

そこで、合格発表から入学までの1カ月弱の間に、

寮生活に慣れるための練習を始めることにしました。

 

自分で起きること、自分で身支度をすること、洗濯や掃除をすること。

 

洗濯は、寮のものと似たような縦型洗濯機を近所に住む私の父の家で使わせてもらい、

自分の服は全部自分で洗濯し、たたみ、片付けることをルールとしました。

服の素材に応じて乾燥機にかけるものとハンガーで乾かすものを教え、

シーツや布団カバーの付け替えも練習しました。

 

以前なら文句を言って嫌がる息子でしたが、覚悟を決めたのか、声をかけたらすぐに行動するようになりました。

 

そして4月、寮生活は始まりました。

 

最初はとにかく心配でした。

 

朝ちゃんと起きられたか、

授業時間に合わせて登校できているか

食事や入浴時間は守れているか

洗濯物は溜め込んでいないか

朝から晩まで一日中何度も電話をして確認しました。

 

最初の1カ月は寝坊してしまうことが何度かありましたが

自分で絶対に起きられる音楽を目覚ましとしてスマホで設定したりして、今は確実に起きられるようになりました。

 

部屋は足の踏み場もないだろうという私の予想を裏切り、広々とした床の写真を見せてくれました。

 

洗濯物も、さらにはシーツや寝具も定期的に洗って片付けているようです。

スイッチを押し続けていないと作動しなかった息子の生活スキルが、センサー・タイマーがついてさらに自立走行可能な機能にグレードアップしたことに、私も含め息子を知る人はみな驚きました。

 

物が見つからない、ということはまだありますが

財布や鍵など重要な物にはAir Tag(紛失防止用のトラッキング電子タグ)をつけて自分でスマホで探せるようにしておいたので、なんとかなっています。

 

そのほかの細かいものは、寮に送った物は事前にすべて写真を撮っておいたので、

「薬?そんなの見た覚えがない」と言われたら、その写真を息子に送って見せると

「あ〜、そういえばここにあったような」と自分で探しています。

 

また、起床以外の細かな時間の管理はまだ課題ですが、

私が予定をスマホのカレンダーに入れ、Apple Watchやスマホに予定の通知が自動で来るように設定することで何とかやっています。

 

そのほか、息子は過集中で食事や入浴を忘れてスマホに夢中になってしまうことがあるのですが、

そこはiPhoneのペアレンタルコントロールを使い、ゲーム時間の延長を私が許可しないとできないようにすることで調整しています。

 

 

勉強の方はというと、受験時の猛勉強で限界突破して知性が上がったのか、

「授業を聞いていてわかるようになった」、と本人。

もちろん、それでも難しい内容はあるので、夜の学習時間や週末に、私と夫が交代でビデオ会議で勉強を教えています。

 

支援級の出身であることはまだ同級生には知られていないようですが、

天然キャラ的なボケを連発、周囲から総ツッコミされつつも

学校で一番難易度の高い科に成績中位以上で合格したおかげで、バカにされることもなくやっているようです。

 

入学して1週間ほどたったある日、私が息子と電話で話していると、息子の周りから明るい笑い声が聞こえてきました。

「誰かいるの?」と私が尋ねると、こう返されました。

「あ〜、友達」

 

最後の発達外来で、ドクターから言われた言葉を思い出して私は目頭が熱くなりました。

─────────「この子は大丈夫、やっていけるよ」*。

 

 

私は息子が3歳で診断されたとき、親が死んでも生きていけることを療育の最終目標にしました。

それが15歳の今、息子がこんなふうに自立して願いがかなうとはまったく予想しませんでした。

ここまで成長を遂げた息子に、私も、夫も、古くからの息子の友達も、尊敬の眼差しを向けています。

 

息子に負けないようにがんばろう。

それが私の今の目標です。

 

いつか息子は私を超えると信じてきましたが、すぐに追い越されるつもりはありません。

ライバルとしてもっと高みに導けるよう、自分も成長を続けていきたいと思います。

 

 

*過去記事「自閉症の診断名はいつまでついて回るのか?」参照。


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支援級からの高校受験4 学力はどこまで伸ばせるか? 後編

2024-06-03 13:14:35 | 発達障害

支援級からの高校受験3 学力はどこまで伸ばせるか? 前編の続き

勉強を続けていけば学力が上がり、限界を突破できるはず、

それが試験日に間に合うようにするための対策を考えます。

 

はじめに述べておくと、私は受験の専門家ではないし、受験のために猛勉強をしたこともありません。

受験に関しては素人です。

 

それでも確実に言えることがあります。

 

それは、入試本番において合格点以上の点数が取れていれば受かる、ということ。

 

偏差値はあくまで相対値であり、受験者の集団が異なれば値は異なるし、出題の仕方が本人に合っているかどうかでも違ってきます。

 

志望校の偏差値はネットで検索すると60前後でしたが、地元の学力試験で偏差値が60取れたとしても、肝心の入試で合格点を取れるかというと、そうとも限りません。

 

一方、志望校の合格ラインは在校生の話によると入試問題で5教科合計300〜320点。

 

だから、過去問/類似問題で同じくらいの点数を取れればいいわけです。

 

そこで、目標に向けて逆算して勉強計画を立てました。

 

★最終目標:5教科320点←入試当日

●過去問が解ける←入試までラスト1カ月で繰り返し解く

●類似問題の解き方を身につける←冬休みに専用の問題にチャレンジ

●中学3年間で学ぶ基本的なことがわかる←中3の12月までに基礎的な問題集を終わらせる

 

 

障害を取り除き、勉強量を増やす

上記の目標をどのように実行していったかというと

 

まず、基礎を身につけるための教材としては、明治図書の「整理と対策」シリーズを使いました。

しかし、教材を与えただけで自ら勉強するような息子ではありません。

 

私はこのシリーズの目次と学習計画表・記録表を見ながら進捗をチェックし、その日にやるべき課題を決めて遠方に住む祖父(私の義父)に依頼し、

祖父がAmazonのEcho Showを通じてオンラインで息子に国語・数学・理科・社会の4教科を教えました。英語は週末に私が教えました。

 

また、いろいろあった勉強の障害については

  • 問題集をなくす→予備を用意しておく。
  • 筆記用具をなくす→1本で書く・消す・丸付けができる多色フリクションペンを用意して、管理コストを減らす。

  • 机が汚くて勉強するまでに時間がかかる→母が机を片付ける、あるいは食卓にスペースを確保して問題集を開いてあとは勉強するだけ、という状態を用意する。

 

  • 家だとほかのことが気になる、勉強に集中できない→会議室をレンタルして集中できる環境を整える。

 

こういった地味な工夫で無駄な時間を減らし、勉強に集中できる時間を増やしました。

 

また、息子が英語を書くのを嫌がる、書くのに時間がかかりすぎる問題については、

本人に書かせることを諦め、代わりに英文を読み上げ+口頭で意味を確認、または口頭で英文を答えたのを私が代筆するようにしました。

さらに、重要な構文を家中の壁に貼り、夜寝る前や隙間時間に読み上げ+意味の確認を繰り返しました。

 

志望校の英語の試験が選択問題だけで記述問題がなかったので思い切った戦略に出たのですが、結果、息子には功を奏しました。

以前は1日に1単元をやるのがやっとで、これだと300語程度の英文にしか触れなかったのに対し、書くことをやめたことによって1500〜2000語の英文を読むようになり、学習量を増やせました。

また、本人が読み上げて私が意味を聞く、を繰り返すと、息子が覚えていない単語や間違って覚えている語がすぐにわかるので、この言葉は大事だから絶対に覚えよう、と繰り返し注意することができた点もよかったです。

 

そうこうして基本の問題集を大方終わらせて迎えた冬休み。

入試に向けた勉強は私や祖父よりプロに学んだ方がいいのではないかと、オンライン動画で学習ができる塾の講習を申し込むことにしました。

 

ところが、オンライン講座では息子は寝ていたりぼーっとしていたりネットでほかのサイトを盗み見したりして、まったく学びません。

ほかのサイトが見られないように、YouTubeプレミアムを契約して学習動画をダウンロードしたのちWifiをオフにしてPCを渡すなど、あれこれ試しましたが、集中はできず。

受身の一方的な授業は息子には合わなかったようです。

ちゃんと最後まで見ることができたのは、国語のみでした。

 

しかたなく、その塾の教材だけ使って、私と祖父とで家庭教師を続けることにしました。

祖父には社会をお願いし、私が数学・理科・英語を担当しました。

 

理系人間なら中学の数学・理科は余裕と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。

中学の数学は20〜30年前に家庭教師のアルバイトで教えたっきり。

理科に至っては学習内容が昔とだいぶ変わっているのと、中学理科は浅いけれど広いのでわからないことだらけ(天気や地学、電気などはさっぱり…)

 

しかし、50年以上前に家庭教師のアルバイト経験があるだけの元公務員の祖父が毎日予習をして勉強を教えてくれているのに、私ができないというわけにはいきません。

 

何とか時間を作って解答を見ながら予習し、息子に解説しました。

 

 

限界突破

飲み込みがいい息子ではなかったのですが、それでも少しずつわかることが増えていき、県内の実力テストも冬休み明けには5教科偏差値が53にまで上がりました。

 

ただ、上がったといっても、合格圏にはとても届きません。

普通の子だったらきっと心が折れていたでしょう。

 

でも息子のメンタルは鋼でした。

誰が何と言おうとやると決めたらやる、そんな小さい頃からの特性が幸いしました。

結果を受け止めつつも、

「(偏差値が)足りないならもっとやればいいんだろう」とやる気を高めていったのです。

 

しかし、口でそうは言っても、できれば勉強をしたくないというのが息子の本音。

私が目を離せばすぐにゲームに心が流れていくので、できるだけ隣にいて勉強を見守りました。

そうすることで、休日は朝9時から夜10時過ぎまで勉強に取り組めるようになりました。

過去問と問題集の山

冬休みから入試本番までにこなした過去問と問題集の山

 

息子に変化が表れ始めたのは1月中旬のことです。

何度教えても覚えられなかった英単語が、数学の解法が、確実に身についているのが私にはわかりました。

 

そして2月に入ると、過去問や模擬テストで5教科300〜310点取れるまでになりました。

 

しかし、ここで終わりではありません。

 

入試の数日前に、その時はやってきました。

 

数学の過去問で、私でもこれは難しいと思える問題を息子が「簡単じゃねーか」と言ってすらすら解き始めたのです。

驚きのあまり私が声も出せずにいたら、息子は自分の学力が一気に跳ね上がったことに気づいていないのか、それが本当に簡単な問題だと思っていたようで「なんだよ、母さんは俺のこと馬鹿だと思ってたのか?」と怒り出したのです。

 

これは数学だけではありません。

秋には30点台だった英語が、過去問で80点以上を連続して叩き出したのです。

 

息子が限界を突破したのがはっきりわかりました。

 

そして挑んだ試験当日。

息子は会場からガッツポーズで出てきました。

 

 

試験結果

合格発表までの1週間は、人生で一番長かったように感じました。

いくら本人の手応えがあったとはいえ、第一志望の学科は倍率2倍超え、まず期待できません。

学校全体でも1.5倍近い倍率なので、第二志望でもひっかかるかどうか。

内申点も不利にはならないように配慮してくれることにはなったものの、どう扱われるかは不明でした。

 

発表は平日の正午で、オンライン公開でした。

その日は私も夫も在宅ワークだったので、昼休みに2人で結果を見ることにしました。

 

PCの時計が12時ちょうどに切り替わった瞬間、夫がリンクをクリックしてPDFを開きました。

たくさんの受験番号が並んだ列に目をこらすと、何度も記入練習をした見慣れた数字が目に飛び込んできました。

 

あった!

しかも一番難しい第一志望の科に!!

 

息子を育てていて泣いたことは何度もありますが、このときほど号泣したことはありません。

 

息子の努力が報われたこと、そして限界を突破して新たな成長を遂げられたことが嬉しくて、ただただ泣き崩れました。

 

後の成績開示でわかったのですが、

この時の息子の点数は、5教科合計351点と過去最高点で、1番人気学科の成績中位以上で合格していました。

 

この結果は息子に自信を与え、更なる成長へとつながっていきました。

 

次回は予想もしなかった

合格・入学後に起きた変化

についてまとめたいと思います。

 


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