今年1月に公開した記事「自閉症の診断が外れる」で、いったいどういうこと?と思われた方は多いと思います。
今日はその詳細について述べていきます。
◆3歳での診断
息子が自閉症と診断されたのは3歳のときのことです。
最初は市の発達センターでした。
この子、本当に自閉症なの!?
私は診断を素直に受け入れられず、他県の有名な発達外来を受診しました。
でもやはり同じ診断名を言われました。
このとき私が自閉症について知っていたのは「治らない」ということだけでした。
実際、厚生労働省の自閉症Q&Aにはこうあります。
自閉症は生まれつきの障害で、完全に治ることはありません。自閉症の人は、見たり聞いたりすることや感じることを普通の人と同じように理解することができません。
この頃の息子は、発語はあったものの語彙は少なく、自分の要求は訴えてもこちらの問いかけにはほとんど無反応でした。
私はこの状態が一生治らないものと思って本当に絶望しました。
保育園の帰り道、ほかの子どもが保護者にその日あったことを楽しそうに話すのを横で聞きながら、何を聞いても答えてくれない息子の手を引いて涙をこらえて帰った日々のことは今も忘れません。
◆最初の成長
しかしその後、息子は会話をすることを覚えました。
飛行機や特定の限られたものにしか向けられなかった興味も、どんどん広がっていきました。
文字や計算を覚え、知的にも成長し、8歳で療育手帳(知的障害者向けの障害者手帳)に該当しなくなりました。
ただそのあとも、障害は「ある」と私は感じていました。
例えば小学校5〜6年生の時点で、
周りにあまり意識がいかないので信号無視が頻発、
私が脳貧血を起こして倒れても、気にせず自分のことを続ける、
失礼な発言をして周りの人を怒らせる、
といった課題があり、特別な支援の必要性を感じ、中学校は小学校から引き続き特別支援級に進学することを決めました。
こういった自閉症児あるある的なところは一生治らないんだろうなと、このときまで私は思っていました。
◆息子に表れた変化
しかし、そのあとまもなくして「あれっ?」と思うような変化が表れ始めました。
病院を受診するため小学校にお迎えに行って一緒に歩いていたときのことです。
「(一緒に歩いているのが)恥ずかしいから(母さん)離れて!」と私に言ったのです。
恥ずかしい?????
→ほかの児童の視線を意識し始めた!!!!!
人が見ていることはおろか、止まっている自転車に歩いていてぶつかるほど周りを認識していなかった子が、急に視界がひらけたかのような印象を受けました。
それまで私は事故が心配で息子の登校に毎日付き添っていたのですが、中学校は一人で登校させることにしました。
それからしばらくして息子が得意げに言いました。
「学校行く時、次の信号が変わるタイミングを見ながら歩く速さを変えてるんだ」
!!!!!
私はこの言葉に衝撃を受けました。
というのも小学校の6年間、私が一緒に連れて行っていた時は、私が先の信号を指差して「信号が変わるから急いで!」って何度言っても無反応だったからです。
見える=頭で認識されるようになったのは信号だけではありません。
保育園時代から付き合いのある私のママ友と私が話しているのを聞いて
そのママさんの名前を突然認識して名前で呼ぶようになったのです。
(特定のママさんでなく、複数人の名前を認識し始めました)
さらに、私が体調が悪くてほおづえをついていたら「お母さん大丈夫?」と気遣い、私に代わって小さい弟の世話までしてくれるようになったのです。
(ちなみに兄弟仲はあまりよくなく、その数年前まで時給800円を払うことで弟と一緒に遊んだりお風呂に入ったりすることを無理やり覚えさせていたくらいです)
また、目に見えて私の体調が悪い時でなくても、私の食事量が少なかったりすると「どうしたの?」と聞いてくれます。
息子の変化はそれだけにとどまりません。
学校や利用している放課後等デイサービスの先生から息子が「変わった」という報告を受けるようになりました。
例えば、以前だったらディズニーランドを「くだらない」と一蹴していたのが、「ぼくはそんなに好きではないけど、(先生が好きなのは)いいと思う」と相手を立てる返事ができるようになったのです。
明るくみんなから愛されていて、友達ともうまくやっているとも聞きました。
こういった変化を目の当たりにし、私はこの子が特別な支援なしでも周りとうまくやっていけると確信し始めました。
それと同時に私は再び疑問に思ったのです。
この子、本当に自閉症なの?
◆自閉症は治るのか?
アスペルガー障害(自閉症の一種)の診断基準の1つにはこう書かれています。
(あなたが育てる自閉症のことば 2歳からはじめる自閉症児の言語訓練〜子どもの世界マップから生まれる伝え方の工夫〜、診断と治療社より
この記載の引用元 American Psychiatric Association(原著):高橋三郎ほか(訳):DSM-Ⅳ-TR 精神疾患の分類と診断の手引 新訂版、医学書院)
A以下のうち少なくとも2つにより示される対人的相互反応の質的な障害:
(1)目と目で見つめ合う、顔の表情、体の姿勢、身振りなど、対人的な相互反応を調節する多彩な非言語的行動の使用の著明な障害
(2)発達の水準に相応した仲間関係を作ることの失敗
(3)楽しみ、興味、達成感を他人と分かち合うことを自発的に求めることの欠如
(4)対人的または情緒的相互性の欠如
私から見た息子は、このいずれにも当てはまらないように思えました。
でもそれは所詮、素人判断です。
発達外来の医師の先生に意見を聞くことにしました。
中学2年生の冬のことです。
病院を訪れたその日、息子は不機嫌そうでした。
というのも息子の視界がひらけた頃、リクライニング式の車椅子に乗った患者さんが待合にたくさんいるのに気づき、「俺、なんでここにいるんだ?」と、疑問を感じ始めていたからです。
そして診察前にきっぱり私にこう言いました。
「俺はもうここに来たくない」。
私は「わかった。じゃあ先生に相談しよう」と言って診察室に入りました。
その先生のもとには4歳のころからおよそ10年にわたり、年に1〜2回通っていました。
薬などの処方はなく、私が息子の課題と家や学校での対応を伝え、先生から助言をいただくような感じです。
診察室で先生が息子に聞きました。
「学校どう?」
「特には…」。不機嫌そうな表情を隠し切れないながらも、息子が簡単に答えました。
先生が続けて質問をします。
「学校に行くの嫌な日とかない?」
「ないです」
「嫌なことないの?」
「ないです」
「学校で嫌なこと言うやつとかいないの?」
「そんなの“ははっ”て笑ってやり過ごしますよ」
そんなやりとりを繰り返した後、私がここ最近の息子の変化を先生に伝え、こう切り出しました。
「息子が(周りに気づくようになって)ここに来るのを嫌だっていうようになりました。この先は障害者手帳もとらず、中学卒業後は普通の学校で息子にあった進路を探していこうと思います」。
先生は笑顔で、診察は今日で最後にしよう、と息子に言いました。
私は続けました。
「それで、息子は自閉症が治ったって言えるのでしょうか?」
すると先生は、それはちょっと違う、(自閉症は)程度の問題だから、というような説明をされました。
私はずっと気になっていたことを聞きました。
「ただ学校や保険の書類などで、診断名を書かなくてはならないことって結構多いんです。この先ずっとそこに「自閉症」と書き続けなければならないのでしょうか?」
先生は私の意図を察してこうおっしゃいました。
「もう書かなくていい。過去の診断はお母さんの胸の中にしまっておいて」
先生はこんなような説明を続けました。
「こういう特徴のある子は、いやなことがあったときに閉じこもってしまうようなことがあるのが心配なんだけど、この子は大丈夫、やっていけるよ」。
先生はカルテに何やら書き込みながら「嬉しいねえ」ということばを何度も繰り返していました。
私はこの言葉を聞いて、長年の呪縛から解き放たれた気持ちになりました。
◆息子が証明してくれたこと
この記事の読者の中にはきっと、何をどうやったら子どもが成長するのか、気にされている方が多いのではと思います。
ごめんなさい。それははっきりわかりません。
私がこれまで家庭で取り組んできたことは過去記事でも紹介してきましたが、それは一部であり全部ではありません。
それに、息子が成長したからといってそれが私の取り組みの効果である、つまり因果関係(原因に対する結果)を示すものでは決してありません。
自閉症と診断される子はみんなそれぞれ違うので、私と同じことをやってもうまくいかないという方も多いはずです。
私のブログが自閉症と診断された子の成長を記録した一例にすぎないことは、私も十分理解しています。
でも1つ、確かに言えることがあります。
自閉症の診断は、子どもが成長できないことのスティグマ(烙印)ではない
成長のスピードが人と違うだけ。
会話ができない
人を気遣えない
そんな自閉症に対する私の思い込みを息子はことごとく打ち破ってくれました。
私が親として息子を成長させられたかどうかはわかりませんが
これだけは自信を持って言えます。
息子は私にいろんな気づきを与え、私を成長させてくれました。
息子は現在中3、受験の真っ最中です。
息子の今後の成長について、またどこかでお伝えできる日がくればと思います。
長文おつきあいありがとうございました。
(写真:母の荷物を自ら運んでくれる息子)