7月17日、夕暮れ時。
祖母が亡くなりました。
ブログに書くのもどうかと思いましたが…今の私が在るのは祖母が居たからこそだと思うので、書くことにします。
片親の私に、寂しさ、そして不自由さなど、何ひとつとして感じさせなかったおばあちゃん。
私の育ての親。
毎日、オムツをかえてくれて、ありがとう。
毎日、幼稚園のお迎えしてくれて、ありがとう。
毎日、学校から帰ったら「お帰りなさい」と、優しい声で玄関を開けてくれて、ありがとう。
毎日、セーラー服にアイロンをかけてくれて、ありがとう。
大学時代、授業で使う浴衣を縫ってくれて、ありがとう。
文学座への入所、支えてくれて、ありがとう。
東京での生活、励ましてくれて、ありがとう。
結婚や出産の頃には認知症も進み、私の事は、なかなか思い出して貰えなかったけれど、それでも曾孫になる息子達の名前を呼んでくれて、ありがとう。
その腕に抱いてくれて、ありがとう。
他にも、いっぱいのありがとう。
あまりにも急で、今は「ありがとう」としか言えません。
今、私の両隣で、おばあちゃんの血をひいている息子達が、小さな小さな寝息をたてています。
かつて、おばあちゃんと私とで寝ていた寝室で、安心しきった顔で寝ています。
里帰り出産で福岡に居たおかげで、息をひきとるおばあちゃんを見守る事が出来ました。
救急車で運ばれていく時、息子が救急車に大はしゃぎし「曾おばあちゃん、はやく帰ってきてね~♪」と、この家から笑顔で見送ったこと。
運ばれていく数10分前に、突然大きな声で「里奈ちゃーん!」と、何年か振りに名前を呼んでくれたこと。
全て、全て、忘れません。
90歳のおばあちゃん。
そのうちの約30年を一緒に過ごせて幸せでした。
夕暮れ時、必ずお日様に向かって手をあわせ「今日も一日照らしてくれてありがとう。おかげで今日も無事に一日を終えることが出来ます。里奈ちゃんもお日様に感謝しなさい」そう言って、実家のベランダからお日様を拝んでいた日々が懐かしいです。
いまだに、夕日に出会うと、どこであろうと、ひっそりと手をあわせてしまいます。
そんな夕暮れ時に、おばあちゃんは息をひきとっちゃったね。
桃が好きで、藤色が好きで、海が好きで…。
私が海を好きなのは、海を眺めて落ち着くのは、おばあちゃんの【血】かもしれない。
海と青空の似合うおばあちゃん。
よくドライブして、青空の下で一緒にお弁当を食べたね。
私は、おばあちゃんのにぎってくれた、シンプルな塩味の“白いおにぎり”が大好きでした。
あ~、もう、きりがないですね。
今日がお通夜で明日は告別式、息子達のお世話もあるから眠らなくてはいけないのに…眠れません。
そろそろ、せめて目だけでもつぶります。
最後に、私が【山田里奈】で居られたのは、そして居られるのは、おばあちゃんのおかげです。
これからも、真っ直ぐに生きます。
おばあちゃん、ありがとう。
あ、そうだ。
追伸。
今日の昼間、息子達を連れて、私が幼稚園生だった時に、おばあちゃんが毎日お迎えに来てくれてた《あの道》を教えたんだよ。
「曾おばあちゃんがね、お母さんが幼稚園生だった時にね、毎日お手手を繋いでここを歩いてくれてたんだよ」って。
息子は「???」な顔してたけど、何十年か振りに通った《あの道》は、あの頃のままだったよ。
まさか今日亡くなるなんて思いもせずに《あの道》を歩いてきたよ。
また、一緒に手を繋いでお散歩したかった。
大好きなおばあちゃんの手。
お別れの時、看護士さんから「手を握ってあげて下さい」と、繰り返し言われたけれど…握ってあげる事が出来なかったよ。
なんか、駄目だったよ。
おばあちゃん。
今は新しい家族、小さな息子達としっかり手を握っているから、それが終わったら、またいつの日にか、私の手が空っぽになったら、また、手を握らせてね…。
おやすみなさい。
祖母が亡くなりました。
ブログに書くのもどうかと思いましたが…今の私が在るのは祖母が居たからこそだと思うので、書くことにします。
片親の私に、寂しさ、そして不自由さなど、何ひとつとして感じさせなかったおばあちゃん。
私の育ての親。
毎日、オムツをかえてくれて、ありがとう。
毎日、幼稚園のお迎えしてくれて、ありがとう。
毎日、学校から帰ったら「お帰りなさい」と、優しい声で玄関を開けてくれて、ありがとう。
毎日、セーラー服にアイロンをかけてくれて、ありがとう。
大学時代、授業で使う浴衣を縫ってくれて、ありがとう。
文学座への入所、支えてくれて、ありがとう。
東京での生活、励ましてくれて、ありがとう。
結婚や出産の頃には認知症も進み、私の事は、なかなか思い出して貰えなかったけれど、それでも曾孫になる息子達の名前を呼んでくれて、ありがとう。
その腕に抱いてくれて、ありがとう。
他にも、いっぱいのありがとう。
あまりにも急で、今は「ありがとう」としか言えません。
今、私の両隣で、おばあちゃんの血をひいている息子達が、小さな小さな寝息をたてています。
かつて、おばあちゃんと私とで寝ていた寝室で、安心しきった顔で寝ています。
里帰り出産で福岡に居たおかげで、息をひきとるおばあちゃんを見守る事が出来ました。
救急車で運ばれていく時、息子が救急車に大はしゃぎし「曾おばあちゃん、はやく帰ってきてね~♪」と、この家から笑顔で見送ったこと。
運ばれていく数10分前に、突然大きな声で「里奈ちゃーん!」と、何年か振りに名前を呼んでくれたこと。
全て、全て、忘れません。
90歳のおばあちゃん。
そのうちの約30年を一緒に過ごせて幸せでした。
夕暮れ時、必ずお日様に向かって手をあわせ「今日も一日照らしてくれてありがとう。おかげで今日も無事に一日を終えることが出来ます。里奈ちゃんもお日様に感謝しなさい」そう言って、実家のベランダからお日様を拝んでいた日々が懐かしいです。
いまだに、夕日に出会うと、どこであろうと、ひっそりと手をあわせてしまいます。
そんな夕暮れ時に、おばあちゃんは息をひきとっちゃったね。
桃が好きで、藤色が好きで、海が好きで…。
私が海を好きなのは、海を眺めて落ち着くのは、おばあちゃんの【血】かもしれない。
海と青空の似合うおばあちゃん。
よくドライブして、青空の下で一緒にお弁当を食べたね。
私は、おばあちゃんのにぎってくれた、シンプルな塩味の“白いおにぎり”が大好きでした。
あ~、もう、きりがないですね。
今日がお通夜で明日は告別式、息子達のお世話もあるから眠らなくてはいけないのに…眠れません。
そろそろ、せめて目だけでもつぶります。
最後に、私が【山田里奈】で居られたのは、そして居られるのは、おばあちゃんのおかげです。
これからも、真っ直ぐに生きます。
おばあちゃん、ありがとう。
あ、そうだ。
追伸。
今日の昼間、息子達を連れて、私が幼稚園生だった時に、おばあちゃんが毎日お迎えに来てくれてた《あの道》を教えたんだよ。
「曾おばあちゃんがね、お母さんが幼稚園生だった時にね、毎日お手手を繋いでここを歩いてくれてたんだよ」って。
息子は「???」な顔してたけど、何十年か振りに通った《あの道》は、あの頃のままだったよ。
まさか今日亡くなるなんて思いもせずに《あの道》を歩いてきたよ。
また、一緒に手を繋いでお散歩したかった。
大好きなおばあちゃんの手。
お別れの時、看護士さんから「手を握ってあげて下さい」と、繰り返し言われたけれど…握ってあげる事が出来なかったよ。
なんか、駄目だったよ。
おばあちゃん。
今は新しい家族、小さな息子達としっかり手を握っているから、それが終わったら、またいつの日にか、私の手が空っぽになったら、また、手を握らせてね…。
おやすみなさい。