Rockzy 倶楽部 Ⅱ

♬~私の喜怒哀楽の想い出は音楽と共に~♬

<ブログ更新>暑くなってきたらやはりこの人のサウンドが似合いますね~チャック・ベリー! 「ギター・リ

2013-06-10 13:48:59 | 音楽’13.1~

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YouTube: Chuck Berry - Johnny B. Goode live
ほとんどの黒人アーティストたちと同様、チャックもまた6歳の頃から教会の聖歌隊に入り歌い始めていますが、残念ながら彼は讃美歌を歌う「聖なる館」よりも、「罪の館」刑務所の中の人生を選んでしまいます。悪い仲間たちとともに犯罪に手を染めるようになった彼は17歳の時、車の窃盗犯として逮捕され、その後3年間を感化院で過ごします。出所後、彼はミュージシャンの道を歩み始めます。(彼は美容と理容の資格も持っており、ヘアー・アーティストとして生きて行くことも可能だったようです) 当時のセントルイスはジャズだけでなくR&Bの中心地でもあり、彼にとっての憧れのヒーローはいくらでもいました。 ビリー・エクスタインナット・キング・コールなどのヴォーカリスト、T・ヴォーン・ウォーカーやマディー・ウォーターズのようなブルース・ギタリスト、そしてジャズの新しい地平を切り開きつつあったギタリストのチャーリー・クリスチャンなどは、その後の彼に大きな影響を与えました。彼は「コスモポリタン」というクラブで、ささやかながらプロのミュージシャンとしての活動を始め、自らのバンドをもつようになって行きます。しかし、音楽だけでは食べて行けず、GMの工場で働くことでなんとか妻と子を養っていたといいます。しかし、ある日クラブにやってきたブルース界の大物マディー・ウォーターズが彼の演奏を気に入り、自分が所属するレーベル「チェス」の社長、レナード・チェスに紹介してくれるという幸運がめぐってきます。そして、1955年彼はシカゴのチェス・スタジオでシングルを録音します。それが、カントリーのトラディショナルなナンバー「アイダ・レッド」を焼き直した「メイベリーン」でした。この曲は、当時の人気DJアラン・フリードの後押しもあり一気に全国的なヒット(全米5位)となります。その後はアイドルから犯罪者に1964年、彼は社会復帰し、すぐに音楽活動を再開します。しかし、その間に、ロックン・ロールの時代は終わり、ロックの時代に変わっており、かつての彼の輝きが戻ることはありませんでした。彼を再び日の目を見るきっかけをつくったのは、チャック・ベリーをアイドルとしてギター・リフを刻み続けてきた男、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズでした。彼はチャック・ベリーの60歳の誕生日を祝うためバースデイ・コンサートを企画します。そのうえ、そのライブを映像に収めし、映画「ヘイル・ヘイル・ロックン・ロール」として公開までしてしまったのです。このライブ・アルバムは世界中で大ヒットし、再びチャック・ベリーと彼お得意の「ダック・ウォークは一大ブームとなりました。そのあとは皆さんご存じの通りです!若者文化としてのロックを生んだ貢献者としてこれからも私は聴き続けると確信しています!

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