私は、ある意味で、とても疑い深い人間でして、ダーウィンの進化論を信じておりません。
私は看護師ですが、人間をはじめ生物の仕組みを見る限り、生物は創られた存在であると確信しております。
このようなすばらしき機能を持ったものが、疑い深き私には、勝手にできるとは到底思えないのです。
さて、最近は朝が寒いので、朝起きるのがとてもつらいですよね。
年甲斐もなく恥ずかしいのですが、「もっと寝ていたいなぁ。」と、いくつになっても思ってしまいます。
ということで本日は、睡眠のメカニズムに着目して見たいと思います。
私は、進化論を唱えた生物学者ダーウィンさんは、「もしかして、睡眠を取らなかった?」と思ってしまいます。(爆笑)
人間の睡眠のメカニズムをつぶさに追って行くと、「元来人間は、最低限の文明で生きることを前提としている。」としか、考えられないのです。
そもそも、人間は完全な昼行性です。
夜行性人間なる言葉もありますが、人間が夜に行動できるのは、何らかの光があるからです。
人間は、真っ暗闇では、人間は視力を失うのですね。
人間ほど、闇夜に対応できていない生物はおりません。
鳥だって、夜目は利くのです。
鳥目という言葉がありますが、鳥目なのはニワトリだけです。
ニワトリ以外の鳥は、夜目が利くのですね。
渡り鳥などは、わずかな星明りや月明かりで、目的地まで飛んで行きます。
驚くべきことに、渡り鳥の多くは、寝ずに飛ぶことができます。
脳の左右半分づつ、交互に寝ることで、昼夜を問わず飛び続けることができるのです。
これらから、渡り鳥などは、夜にも行動ができるようになっているということがわかります。
生物の中で、夜になると行動ができないのは、人間だけなんですね。
人間の睡眠の最低必要時間は、一日4時間と言われていて、理想的睡眠時間は7時間です。
7時間以上でもそれ以下でも、寿命が縮まると言われています。
睡眠時間が最低4時間なのは、起きていたときの毒素を解毒するのにかかる時間が4時間だからです。
睡眠時間が4時間以下だと、毒素が蓄積されるわけですね。
そして7時間で、ほぼ完全に、毒素の解毒ができると言われています。
7時間以上寝てしまうと、体内に毒素がない状態の時間が長くなるわけで、一見すると良いことのように思えるのですが、体が毒素のない状態に慣れてしまって、今度は免疫力が落ちてしまうらしいです。
免疫力が落ちますと、インフルエンザなどの感染症にかかりやすくなるだけでなく、実は日々発生しているガン細胞を駆逐する機能も落ちますので、ガンにもなりやすくなるわけです。
ということは、人間は生命体として、7時間の睡眠時間というものが設定されているということです。
睡眠時間が7時間も必要な生物は、人間しかおりません。
他の生物の睡眠時間は、野生だとほ乳類でも、数分というのが大部分です。
また、夜の0時を超えて寝ると、身体の修復機能を持つ、成長ホルモンが分泌されないのであって、これは夜の夜中に行動することをは、前提とされていないということです。
つまり人間の身体を見る限り、「早う寝ろ!」と、創造主(神さま)からプログラミングされているということです。(爆笑)
またこの事実から導き出されることは、人間には体内時計があるということですね。
人間の体内時計には、2つあります。
ひとつは、睡眠中は、セロトニンという物質が脳内のサビ抜きをしておりますが、これは日中に、太陽の光を浴びないと分泌されません。
これなども人間が、完全な昼行性の生き物だということですね。
もうひとつは、決まった時間に寝たり起きたりしないと、時差ぼけをおこしてしまうのが人間です。
これは、「就寝時間と起床時間」が基軸となっていて、「いつも就寝する時間と起床する時間、前後3時間以内なら修正対応可能」なのだとか。
たとえば、夜0時に寝て朝7時に起きる人は、その前後3時間以内に、寝たり起きたりしないと、時差ぼけを起こすのです。
たとえば、朝7時に起きる人が、寝坊したとして、午前10時を超えて寝てしまったら、体が重くなるのですね。
飛行機で海外に行ったり帰ってきたりすると、時差ぼけが起きますけれども、これは体内時計の狂いから起こるのです。
しかしこれは、日本にいたとしても、寝る時間や起床時間を、たった3時間以上ずらせば、同じことが起きるのですね。
これなども人間が、睡眠というものを機軸とした、厳密な体内時計を持っている証で、生物界で唯一の完全な昼行性の証でもあります。
総括すると、生物としての人間にとって、夜は寝るためだけに存在しているわけです。
7時間の睡眠時間が必要で、しかも夜は寝るためだけに使われる人間。
こういう生物が、もしも完全な野生の中に置かれたら、一発で肉食獣の餌食になり、絶滅するしかありません。
ダーウィンの進化論的な、まったりとした歴史を人類が歩んでいたなら、人類はとっくに他の生物の餌食です。
ですから、人間の睡眠から見える真理は、「人間は当初から、共同体として集団で仲間たちを守るという、最低限の文明の中で生きることを、前提として創られている。」という結論に達してしまうのです。
人間は、健康や美貌には、良質な睡眠が欠かせません。
そしてそれはとりもなおさず、「人間が一定の理念をもとに、何ものかによって恣意的に創られた存在である」という、厳密な証でもあるのです。
その「人間を創り賜うた何ものか」こそが、『神』なのです。
ということで本日は、経典『宗教の挑戦』(幸福の科学出版)より、一部抜粋をお届けいたします。
(ばく)
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What is Happy Science.mov
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これは結局において、造物主、創造主というものと、地球系霊団の人格神とを分けて考える以外に道はないし、そう考えることが、世界の宗教が一つになるための早道だと思います。
人格を持って地上に出てくる、あるいは霊天上界において人格を持って地上の人を指導する神というのは、この大宇宙を創った神と考えるには、スケールにおいて若干小さく見えることは否めません。
大宇宙の神自体が、人間になったり、人間を直接指導したりするというのは、やはり考えにくいことでしょう。
根源神、あるいは根本神、根本仏と言ってもよいけれども、人格を持たない巨大な創造エネルギー、根源的なる力があるということは、やはり認めるべきです。
これをいわゆる神という言葉で呼ぶかどうかは別として、根源神、根本仏、宇宙の根源、光の根源自体はある。
これを認めることが、東洋と西洋の宗教をまとめるためには、どうしても必要な考え方だと思います。
それを認めたうえで、この地球系ということに限った霊団のなかに、人格を持った偉大な神霊がいることを知るべきです。
この偉大な神霊も、九次元というところには、私が説いているとおり、十体の神霊がおります(中略)。
そして、この下になりますと、如来界というところでは、様々な宗教で神あるいは大天使と言われるような方が何百人もいらっしゃるわけです。
さらにその下の菩薩界へ行けば、万の単位の方が活躍しておられます。
そうしますと、「本来、一神教か多神教か」と言われるわけですが、それは論の立て方にもともと問題があるのです。
「一神」と言われる場合と、「多神」と言われる場合の 「神」の概念が同じではないからです。
「天使」を「神」と呼びかえると、多数の天使が実際にはいるわけですから、多神となります。
また、もし「造物主」という意味であれば、本来は一体しか存在しませんので、世界の宗教は一神にまとまるでしょう。
しかし「人格を持った神」ということになるならば、同じ一神の場合でも、これは選択の問題が発生することになります。
その民族、あるいはその地域、その宗教を特別に守護している九次元神霊を唯一と捉えるならば、これがその一神になります。
しかし、残念ながら、それでは世界を包括できていないのが、人類の歴史を見るかぎり明らかです。
砂漠の神様は、唯一の神と称されても、残念ながら全世界を統合することはできないでおります。
それはなぜかというと、結局、世界には二つの思想が流れているからです。
調和の面が強い思想と、進歩の面が強い思想が出ていて、この二つの思想は、それぞれ矛盾しながら両立しているのが現実なのです。
『宗教の挑戦』(幸福の科学出版)P216~219