左心低形成症候群ってご存知ですか?

お腹の中の赤ちゃんが先天性心疾患の左心低形成症候群という指定難病なので、ブログを始めた新米パパ

朝は来るから

2024-11-07 16:58:54 | 日記
誰にだってどんな場所でだって平等な事がある。

それは時間だろう。

時の流れだけは体感が早いか遅いかだけで皆同じ時に息をしている。

その日の夜は不思議なことに、よく眠れた。

妻とラインでやり取りをする。

お互いに「思ったより眠れた」

そんな感想だった。

私は告げられた翌日に夜勤だった。

正直こんな気持ちで、仕事が手につくわけもないのだが、世の中生きていくにはなんにせよお金という物が必要なものである。

生きるのにもお金が要り、死ぬのにもお金が要る。

とある漫画で「金は命よりも重い 」という言葉があるが、あながち間違いではないのかもしれない。

人が通貨というものを作ったが為にその価値は無限大にある。

いっその事、大根3本と豚肉200グラムと交換の様に物々交換のようにすれば、日本の自給率も上がるだろうに。

石のお金作った人に今を見てもらいたいものである。

しかし、ボヤいていても時間は過ぎる。

本当によく眠れる。

頭が疲れていたのかな?

夜勤までこんなに寝れる事も珍しいなと思いつつ、夜勤に向かう。

夜の間に自分の部署の皆が自分の現状を知ってもらった方が良いだろうと思い、皆が閲覧するファイルへ紙を綴じる。

夜勤中は凄く情緒が不安定だった。

今後、職場の皆さんに急に休みを貰ったりなど迷惑をかけてしまうのも目に見えていた。

何よりこれは本当に現実なのか?とまだ若干疑っている自分もいた。

私は介護の仕事をしていて、入居者の中には「昨日、どうだったの?」と聞いてくれる優しい入居者もいた。

その度に嘘偽りなく説明し、流しても流しても枯れることのない涙が流れた。

そして入居者の何名かも共に泣いてくれた。

私自身が私自身を客観的に見れていた部分もあった。

妻に左心低形成症候群の疑惑を持ちかけられた時から、あまり笑えなくなっていた。

そして話すこと笑うことが大好きな私の声が、部署からほとんど消えていた事にも気付いていた。

ありがたい事に、他のスタッフは優しく、私の置かれている状況を理解して、どう声をかけていいやら…と思いつつも暖かい声をかけてくれていた。

とてもありがたい。

その度に、何か自分の中の違和感を感じていた。

とてもありがたいのだが、声をかけて欲しくない自分と人と関わって少しでも気を紛れさせたい自分がこの時はいたのを、はっきりと覚えている。

上手く笑えず、顔の筋肉が固くなり、声を出さず家でも静寂の中で数日過ごしていた。

仕事が終わると18:30。

家に帰ると19:00頃。

幸い食事と睡眠だけは欠かさずに!と思っていたのでそこだけはなんとか大丈夫だった。

こんな時にも、食欲あるなんて大したもんだななんて時折、心の中で自分自身を褒めた。

そしてシャワーを浴びて21:00頃には、眠る。

そんな、生活をしていた。

起きているとろくな事を考えないと思っていた。

その間も、妻とのやり取りをしていた。

もう病院は今のところにという、話で纏まっていた。

3日後に決断を言うのはここの部分だけなのだが、私達はその先を想像していた。

今となってはとても、恥ずべき感覚だったかもしれないが、本当に当たり前と幸せを考えて考えて考えて考えた末に辿り着いた疑問点。

「積極的な治療をしないという選択肢はありますか?」と。

そう。
愛しいまだ姿を見ぬ我が子。

病気のことを調べて書いてある物を見る。

あまりにも切なく、あまりにも残酷で、あまりにも現実的な文章の羅列を見て、胸が張り裂ける思いであった。

私達夫婦はその選択肢が選べるなら、我が子の命を守らず、この子が自分の心臓で、自分の呼吸で、自分だけの力で生きている。
まだ自分が何者かもわからず、親の顔もわからず、ギリギリは苦しむかもしれないけれど、生き長らえて、他の人とは違う自分。
当たり前が当たり前じゃない世界に住まう住人。
そこから生まれる葛藤と苛立ちなど、色々なことを思うと、自分たち夫婦だけが、この命を見届けて、業を背負って生きようと本当に思った。

本当に罪深い話だと思う。

結論から言えば、それは出来なかった話なのだが、それは後日書くとして、この時は本当に思っていた。

本当に愛のある親御さんなら「最低だよ!なんで我が子にそんな事思えるんだ!」と言われるだろう。

この選択肢を考えるだけで後ろ指指される事もあるだろう。

しかし、これは紛うことなき現実なのだ。

救ってもらって育てて幸せな景色を見せたいし自分達も見たいと本気で思った。

こういう事を言ってはいけないが、メリット・デメリットはどっちがどうだろうかと。

生きてくれたパターン。

治療を望まなかったパターン。

あまりにも不安要素が多すぎて大きすぎた。

それならいっそ…と思ってしまった。

命はそんなに軽いものでは無いのは、重々承知だが、今この瞬間に、命の重さや普通に生きているその当たり前を自分達夫婦以上に考えている人がいるのか?くらいの気持ちだった。

自分達が当たり前に生きているこの時間、この世界は奇跡なんだと思わされた。

「そんなことあるわけない」は普通にある。

起こります。

だから皆にここで言いたいのは、当たり前や普通に慣れないで欲しい。

自分達で自分達を傷付けたり、愚かなことはしないで欲しいと本当に思う。

自分を含めて、今生きているこの瞬間はきっと誰かが生きたくても生きれなかった時間だと思うから。

私達夫婦は「3日後に自分達の思いを聞いてもらおう」と意志を固めていくのであった。


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