24 魔王
花火が上がった。天高く、黄色い光が破裂すると、巨大なバナナのような太い黄色い光の束が下の方向に十本以上あるかと思われるほど、美しく舞い降りる、そして、さっと消えて行き、元の夜空に戻るが、その夜空には黒雲が激しく動き出していた。
花火が終わった頃、雷鳴が轟いた。
「さあ、今晩は早く寝ましょう」と虎族の奥様フキはそう言って、立ち上がった。
そして、何やら、猫族の家族に挨拶をして、しばらく、そこの旦那と話をしていた。
その時、一人の猫族の若い女性がその家族のそばの席に座った。
まるで森と湖のある所から、やってきたような不思議な新鮮さに満ちた女性だった。
可憐な感じがするのに、何か知的な職業を持っているようなリンとした賢さを秘めているような感じだった。
虎族の奥様フキがその場を去ると、そばの席の猫族の男が彼女に声をかけた。
「おや、今日はデートかい」
「いいえ、一人よ」
「ほお、若いのにこんなホテルに勇ましいね」
「取材よ」
我々は最後に出たコーヒーを味わった。キリマンジェロに似ているような味がする。コーヒーを飲みながら、食堂の壁に飾ってある風景画をしばらくぼんやり見ながら、聞こえてくる猫族の男と娘のやり取りを聞いていた。急にシーンとなって、しばらくすると男は家族との会話と食事の方に向いていた。
それから、吟遊詩人と吾輩とハルリラはバルコンに出た。リヨウト補佐官はタバコを吸って、そのまま食堂の椅子に座っていた。稲光が庭園をてらしたかと思うと、直ぐにドーンと大きな音がした。
「どこかに雷が落ちたな」と詩人はつぶやいた。
空には何か不吉な黒い雲が素早く流れている。
そんな嵐の夜中に馬を駆っているひずめの音が聞こえる。
吾輩は「魔王」という詩をふと思い浮かべた。
吟遊詩人は瞑想しているように目をつむり、「今、ふと新しい詩と曲が浮かんだ。どこかに、魔王の影響があるかもしれないが」と言い、目をあけ、吾輩を見た。
私の思いと詩人の思いが一致したことを不思議に思いながらも、詩人が歌うなと吾輩は思った。
歌声は深夜の空気の中に響き渡り、吟遊詩人は殆ど舞台に立つテノール歌手のように素晴らしい声をはりあげた。
バルコニーの外を見てごらん。
緑の樹木と柳が黒ずんで激しく揺れている
時々、大空に稲光と雷鳴
嬢や、ドアを閉めないと、突風が家の中に入る
家の中から嵐は見るものよ
ママ、聞こえない
あたしを呼んでいる嵐の魔王が楽しいものを見せるって
それは風の音ですよ。
でもね、面白そうな愉快な声よ
嬢や、ドアをお閉め。ママは今、台所仕事に忙しいのよ
でも、これから面白いパーティーをやるんですって
嵐の魔王のパーティーなんて行くものではないよ
ねえ、あの音は太鼓の音みたい
あれはただの風と木がこすり合う音だよ
あらどうしたの
まあ、突風じゃないの
嬢はまあドアにはさまれて、ああ可哀そうに
指に血が出ているわ
わが子はおびえ、顔を隠している。お母さん。魔王が見えない? 冠をかぶり、長い衣服のすそを引いてこちらに来るよ、母は笑って、嬢や、あれは霧が棚引いているだけだよという。
そのように歌う詩人の声は吾輩の耳に響き、次第に声が大きくなってきた。
魔王が変身した霧は楽しそうに嬢に話しかける。
川を渡り岸辺に立てば色とりどり花が咲いている、小母さんが素晴らしい衣服を着て待っているよ、ああ、楽しい団らんのひとときが待っているよと呼びかける魔王の歌詞は
吾輩の耳に響くのだが、やはりそれは魔王の不吉で不気味な響きを伴っていて、外の嵐の急な突風に負けじという感じがするのだった。、
吟遊詩人は歌い終わると、外の樹木の風に揺れるのを見て、「何か不吉な気がする」と言った。黒雲は空を激しく動く。稲光がさっと夜空を明るくすると、ゴロゴロと雷鳴がなる。
「何か、祖父の話が突然思い出される」と吟遊詩人が小声でつぶやいた。
「どんな思い出 ? 」と、素早くハルリラが素直な感じで聞いた。
「私の祖父は誠実なアメリカ人でした。祖父は東京大空襲に参加したことを話してくれたことがあるのです。それは恐ろしいものです。祖父は苦悶の表情を浮かべていました。戦争とはいえ、ひどいことをしたという祖父の心の苦しみと悔恨の声が耳に響くのです。
私はアメリカで育ちましたが、母が日本人でしたから、大学生の時、広島の原爆資料館に行きました。あまりのむごさに、深い罪を感じました」
その時、突然、稲光と同時に恐ろしい音がした。先程のよりも音は大きく、身体に響くようだった。
詩人の声はつぶやきに変わっていた。でも、吾輩の耳には、はっきり聞こえるのだ。いえ、目に見えるようだった。今まで平和な空のように思えた青空の下で、爆弾の破裂と共に、家や建物は破壊され、焼き尽くされ、町は火の海となる。人は死に、逃げ惑う。火の燃え盛る物が淀んだ川に流れ、川に浮かんだ死体は仰向けになり、様々な人々が浮かんでは沈み、流れていく。燃え盛る火の勢いに倒れ、悲しみの叫び、苦しみの叫び、肉親を呼ぶ声、ああ、何ということを人はやるのだ。
詩人の目を見ると、目に涙が一杯だった。
「ともかく、席に戻ろう」と吟遊詩人が言った。
補佐官はまだタバコを吸っていたが、我々がバルコンから食堂の中に入り、着席すると、タバコを消した。
我々の前にはコーヒーが並べられていた。
「何か変な雲行きですな」とリヨウト補佐官が言った。
「以前は、このホテルでは、こんな嵐の晩に猫族の人達が消えていくという噂は本当なのですか」
「ええ、本当です」
その時、突然五人くらいの虎族の男たちが入ってきた。
「わしは検察官だ。この三人を国家機密漏えい罪で逮捕する」
補佐官は驚いたような顔をして「無礼なことをいうな」と言った。
「あなたは猫族のレジスタンスの幹部ですな。抵抗すると、あなたも逮捕しますぞ」
「何を言っているのだ。わしは大統領補佐官だぞ」
「大統領補佐官。猫族が。笑わせるな。そんな話はどこから出た」
「あんたは大統領の演説を聞かなかったのか」
「演説。そんなものは聞いてない。わしらは広場に行く暇などないのだ」
「大統領に電話してみろ」
「わしらは秘密検察局長の指示の元に動くのだ」
「なるほど、君等か。悪名高い、秘密検察。秘密裏に行動するという」
「わしらは国家の機密を守るために、働いているのだ」
「ちょつと待っていろ。大統領閣下に電話するから」
リヨウト補佐官はホテルに据え付けられている黒い固定電話の所まで歩いて行き、受話器を取った。
「何。大統領閣下は僧院にこもっている。緊急以外は電話に出ない。」
「じゃ、秘密検察局長に電話を回してくれ」
数秒の沈黙のあと、再び電話が始まった。
「検察局長か。わしは大統領補佐官だ。この逮捕は何の意味があるのか」
「何。機密保護法違反の容疑だと」
「どんな風に」
「ヒットリーラ閣下に、テイルノサウルス教の秘密を喋ったという国家反逆罪だと、おかしな話だ」
リヨウト補佐官は電話を切ったあと、検察官に向かって
「君等の上司は変なことを言う。ヒットリーラ閣下は変な演説をしたとね。ティラノサウルス教は邪悪であると、これはきっとティラノサウルス教の秘密を喋った者がいるのに違いないとね。秘密検察局が捜査したところ、三人の不審者が入国し、トラカーム一家に何かを吹き込んだという情報を得たというのだそうだ。あの大統領演説があったあとに、そんなことを言うあんたがたの上司は変な奴だよ」
「トラカーム一家が心配です」とハルリラが言った。
「トラカームは虎族です。まず我々が疑うのは猫族なのです。猫族とその一味が国家の機密を盗み、それから、大統領に何かを吹き込んだ」と検察官が言った。
この中で、吾輩と補佐官とハルリラの三人とも猫族であるから、驚いてしまった。
「リヨウト殿あなたは猫族レジスタンスの幹部であるが、奥様フキ殿によるとジャガー族の血が入っているということで我々は大目に見てきた」と検察官は言い、吾輩とハルリラを見てにやりと笑った。
どちらにしても、この惑星に滞在した日数を数えれば、そんなことが出来る筈はないし、大統領に何かを吹き込んだと言うのは親鸞の教えのことだろうが、あれはカチの功績だ。吾輩が何かを言おとしたら、吟遊詩人がそれよりも素早く、りんとした声で言った。
「私達は親念の話をしただけです。トラカームさんも息子のカチさんも親念を尊敬していたから、私も親念について知っている限りのことを申し上げた。
カチさんは親念を尊敬し、お母さまのレイトさんの所に行き、その話に感動した大統領夫人のレイトさんが夫のヒットリーラ大統領にお話ししただけです。
大統領が変心したのは親念の教えを知ったからです。誰もティラノサウルス教の悪口など言っていないと思います」
「親念という変な坊主が布教していることは知っている。やはり、親念の教えを吹き込んだというのは、結果としてティラノサウルス教の悪口を言ったということになる」と検察官は言った。
「そんな理屈はおかしいと思わないか。わしは大統領補佐官だ。その権限で言うが、親念の教えを知らせただけでは、ティラノサウルス教の悪口を言ったことにならないから、法には触れない」
「猫族が補佐官になるとは考えられない。これは何かの間違いであるというのが、わしらの判断でして。ですから、そういう解釈はとらない。」
「大統領に直接、聞いてみろ」
「先程の電話の様子では、僧院にこもっておられるということですよね。こういうことは最近しばしば起きていたのです。そういう時の大統領の代わりをしているのは、副大統領です」
「副大統領は何と言っているのだ」
「大統領が僧院にこもっている時は、自分で判断しろという指示です」
「これは過渡期の何かの間違いだ。君等の身のためにも引きさがっていろ。銀河鉄道の乗客を意味もなく逮捕すると、宇宙鉄道法に違反して、君たちの首があぶなくなるぞ。この三人の方は銀河鉄道の乗客だぞ」
「その証明は」
「金色の服は支配人にあずけた。カードでいいだろ」
「見せて下さい」
「いいでしょ。宇宙鉄道法と国家機密罪のどちらを優先させるかということは、高度の政治判断になります。我々には出来ない。
それまで、猫族の墓場でもご覧になって、この方たち三人に早くアンドロメダ銀河鉄道にお戻りになるようにするのが良いかと思う。そうすれば面倒なこともおこらない。我々もその方がいい」
「脅して、銀河鉄道に帰らせるのか」
「まあ、そうですね。我々の惑星のことに内政干渉のようなことはして欲しくありませんからね。早くこの惑星から出ていってほしいです」
「かってなことをぬかすな」と補佐官は言った。
「猫族の墓場とは」と吟遊詩人が言った。
「いや、わしはよく知らないのだが、なんとなく、噂だけは聞いている。猫族の重要人物がこのホテルに入った嵐の晩、消えるという噂だ」と補佐官は言った。
吟遊詩人は言った。
「銀河鉄道に戻るにしても、その前に猫族の墓場というのを見たいものです」
吾輩も見たいと言った。
「お見せしましょう。このホテルの下にあるのですから、直ぐですよ」と検察官は言った。
昔の地下牢に行くような陰鬱な道を吾輩は想像したが、結果は逆だった。
エスカレーターで地下三階に行き、そこで降りる。黄金でつくられたような山吹色で囲まれた細い廊下を十分ほど歩くと、
その途方もない金の扉の前に立ち、この惑星には金鉱が沢山あるとは聞いてはいたが、これほどの贅沢な扉を吾輩は見たことがない。
それでも、その重さのせいで 扉が開くときには 鋭い快感をくすぐるような異様な響きが漏れた。
中に入ると、暗かった所に一斉に光がはなたれ、広いローマの円形劇場のような建物が見えた。ただ、ああいう廃墟ではなく、やはり、この円形劇場も金色でおおわれている。
検察官の話では、以前はここで猫族の名士を案内し、下の方で本物の野性の虎とライオンを争わせるのを見せたのだそうだ。
名士とか金持ち族はけっこうこういう格闘が好きなようだ。
ここでカクテルを飲み、歓待された名士は、そのあとその下の処置室に行き、そこから墓場に直行になるらしい。
時には犯罪者の虎族の男と猫族の男を剣闘士としてあらそわせることもメニューの中にあるらしい。
しかし、問題は墓場である。
金色の観客席に囲まれたその劇場は大理石のような真っ白で平らな平面になっているが、その下が墓場である。
我々はそこへ行くのに、円形劇場から下に行く、らせん階段をかなり歩かねばならなかった。
そこは鉄色の扉があり、開けると、薄暗い中に、沢山の墓石が並んでいた。
検察官が、明かりをつけると、墓石は多くが猫の顔の首の所を模写した白い石で出来たものだ。その白い所に名前が書いてあり、簡単な略歴が書いてあった。
「まあ、こういう墓石に入りたくなければ、お早く、アンドロメダ銀河鉄道でこの惑星を飛びたつことですな」と検察官が言った。
「そんな脅しをこの方たちにするとは失礼になることが貴様にはわからんのか」とリヨウトが言った。
「わしは猫族の言うことはききませんから」
その時、向こうの側の壁にある小窓から風鈴の音が響き渡った。
「あそこは ? 」
「あそこは猫族の処置室ですよ。ハハハ。あなた方の中に猫族がいらっしゃるじゃありませんか。それで風が吹いたのですよ」
「地下に風が吹くのですか」
「ええ、空気がよどみますからね、換気のためにそうしてあるのです。お客様が来ると、気持ち良い風が吹き、風鈴が鳴るしかけとなっているのです。」
「確かに、美しい音色だ」
「ここに来るお客はもうすっかりカクテルに酔っていますから、この風鈴はとびきり美しく聞こえ、特に猫族のヒトの耳によく響くような仕掛けになっているのですよ。
それで、処置室の方では、準備を整えるわけです」
吾輩は猫族であるから、ぞっとした。
「まるでナチスみたいですね」
「ナチス」
「どっかで聞いたような名前だな」
「君達の猫族に対する迫害は常軌を逸しているということですよ」
「悪人正機と言ったのは、親念ではなかったのか」
「お前みたいに勘違いする愚かな連中は地球のあの時代にもいたのだ。だから、『歎異抄』が生まれたのだ。
どちらにしても、時代は変わったのだ。大統領演説によって」
「まだ全てが変わったわけではありません。以前の法律がそのままのこっていますからな。あれを変えるには手続きが必要なんです。機密保護法はまだ健在なんですぞ」
「勝手な解釈をするな」
「秘密検察局長の解釈です」
「ねじまげた解釈だ」
「国家を守るためには、時には解釈も捻じ曲げるのです。それが権力というものですよ」と検察官が言った。
「いよいょ、本性をあらわしたな。まあいい。わしが補佐官になったからはそういうことを改めさせるように大統領に進言する」
「大統領には、こういう教えも伝えて下さい。仏教で言う如来の室に入って、つまり大慈悲心で、全てのヒトに良い政治を行って欲しいと」と吟遊詩人が言った。
「大慈悲心。つまり、アガペーとしての愛ですな」とリヨウトは答えた。
【 つづく 】
花火が上がった。天高く、黄色い光が破裂すると、巨大なバナナのような太い黄色い光の束が下の方向に十本以上あるかと思われるほど、美しく舞い降りる、そして、さっと消えて行き、元の夜空に戻るが、その夜空には黒雲が激しく動き出していた。
花火が終わった頃、雷鳴が轟いた。
「さあ、今晩は早く寝ましょう」と虎族の奥様フキはそう言って、立ち上がった。
そして、何やら、猫族の家族に挨拶をして、しばらく、そこの旦那と話をしていた。
その時、一人の猫族の若い女性がその家族のそばの席に座った。
まるで森と湖のある所から、やってきたような不思議な新鮮さに満ちた女性だった。
可憐な感じがするのに、何か知的な職業を持っているようなリンとした賢さを秘めているような感じだった。
虎族の奥様フキがその場を去ると、そばの席の猫族の男が彼女に声をかけた。
「おや、今日はデートかい」
「いいえ、一人よ」
「ほお、若いのにこんなホテルに勇ましいね」
「取材よ」
我々は最後に出たコーヒーを味わった。キリマンジェロに似ているような味がする。コーヒーを飲みながら、食堂の壁に飾ってある風景画をしばらくぼんやり見ながら、聞こえてくる猫族の男と娘のやり取りを聞いていた。急にシーンとなって、しばらくすると男は家族との会話と食事の方に向いていた。
それから、吟遊詩人と吾輩とハルリラはバルコンに出た。リヨウト補佐官はタバコを吸って、そのまま食堂の椅子に座っていた。稲光が庭園をてらしたかと思うと、直ぐにドーンと大きな音がした。
「どこかに雷が落ちたな」と詩人はつぶやいた。
空には何か不吉な黒い雲が素早く流れている。
そんな嵐の夜中に馬を駆っているひずめの音が聞こえる。
吾輩は「魔王」という詩をふと思い浮かべた。
吟遊詩人は瞑想しているように目をつむり、「今、ふと新しい詩と曲が浮かんだ。どこかに、魔王の影響があるかもしれないが」と言い、目をあけ、吾輩を見た。
私の思いと詩人の思いが一致したことを不思議に思いながらも、詩人が歌うなと吾輩は思った。
歌声は深夜の空気の中に響き渡り、吟遊詩人は殆ど舞台に立つテノール歌手のように素晴らしい声をはりあげた。
バルコニーの外を見てごらん。
緑の樹木と柳が黒ずんで激しく揺れている
時々、大空に稲光と雷鳴
嬢や、ドアを閉めないと、突風が家の中に入る
家の中から嵐は見るものよ
ママ、聞こえない
あたしを呼んでいる嵐の魔王が楽しいものを見せるって
それは風の音ですよ。
でもね、面白そうな愉快な声よ
嬢や、ドアをお閉め。ママは今、台所仕事に忙しいのよ
でも、これから面白いパーティーをやるんですって
嵐の魔王のパーティーなんて行くものではないよ
ねえ、あの音は太鼓の音みたい
あれはただの風と木がこすり合う音だよ
あらどうしたの
まあ、突風じゃないの
嬢はまあドアにはさまれて、ああ可哀そうに
指に血が出ているわ
わが子はおびえ、顔を隠している。お母さん。魔王が見えない? 冠をかぶり、長い衣服のすそを引いてこちらに来るよ、母は笑って、嬢や、あれは霧が棚引いているだけだよという。
そのように歌う詩人の声は吾輩の耳に響き、次第に声が大きくなってきた。
魔王が変身した霧は楽しそうに嬢に話しかける。
川を渡り岸辺に立てば色とりどり花が咲いている、小母さんが素晴らしい衣服を着て待っているよ、ああ、楽しい団らんのひとときが待っているよと呼びかける魔王の歌詞は
吾輩の耳に響くのだが、やはりそれは魔王の不吉で不気味な響きを伴っていて、外の嵐の急な突風に負けじという感じがするのだった。、
吟遊詩人は歌い終わると、外の樹木の風に揺れるのを見て、「何か不吉な気がする」と言った。黒雲は空を激しく動く。稲光がさっと夜空を明るくすると、ゴロゴロと雷鳴がなる。
「何か、祖父の話が突然思い出される」と吟遊詩人が小声でつぶやいた。
「どんな思い出 ? 」と、素早くハルリラが素直な感じで聞いた。
「私の祖父は誠実なアメリカ人でした。祖父は東京大空襲に参加したことを話してくれたことがあるのです。それは恐ろしいものです。祖父は苦悶の表情を浮かべていました。戦争とはいえ、ひどいことをしたという祖父の心の苦しみと悔恨の声が耳に響くのです。
私はアメリカで育ちましたが、母が日本人でしたから、大学生の時、広島の原爆資料館に行きました。あまりのむごさに、深い罪を感じました」
その時、突然、稲光と同時に恐ろしい音がした。先程のよりも音は大きく、身体に響くようだった。
詩人の声はつぶやきに変わっていた。でも、吾輩の耳には、はっきり聞こえるのだ。いえ、目に見えるようだった。今まで平和な空のように思えた青空の下で、爆弾の破裂と共に、家や建物は破壊され、焼き尽くされ、町は火の海となる。人は死に、逃げ惑う。火の燃え盛る物が淀んだ川に流れ、川に浮かんだ死体は仰向けになり、様々な人々が浮かんでは沈み、流れていく。燃え盛る火の勢いに倒れ、悲しみの叫び、苦しみの叫び、肉親を呼ぶ声、ああ、何ということを人はやるのだ。
詩人の目を見ると、目に涙が一杯だった。
「ともかく、席に戻ろう」と吟遊詩人が言った。
補佐官はまだタバコを吸っていたが、我々がバルコンから食堂の中に入り、着席すると、タバコを消した。
我々の前にはコーヒーが並べられていた。
「何か変な雲行きですな」とリヨウト補佐官が言った。
「以前は、このホテルでは、こんな嵐の晩に猫族の人達が消えていくという噂は本当なのですか」
「ええ、本当です」
その時、突然五人くらいの虎族の男たちが入ってきた。
「わしは検察官だ。この三人を国家機密漏えい罪で逮捕する」
補佐官は驚いたような顔をして「無礼なことをいうな」と言った。
「あなたは猫族のレジスタンスの幹部ですな。抵抗すると、あなたも逮捕しますぞ」
「何を言っているのだ。わしは大統領補佐官だぞ」
「大統領補佐官。猫族が。笑わせるな。そんな話はどこから出た」
「あんたは大統領の演説を聞かなかったのか」
「演説。そんなものは聞いてない。わしらは広場に行く暇などないのだ」
「大統領に電話してみろ」
「わしらは秘密検察局長の指示の元に動くのだ」
「なるほど、君等か。悪名高い、秘密検察。秘密裏に行動するという」
「わしらは国家の機密を守るために、働いているのだ」
「ちょつと待っていろ。大統領閣下に電話するから」
リヨウト補佐官はホテルに据え付けられている黒い固定電話の所まで歩いて行き、受話器を取った。
「何。大統領閣下は僧院にこもっている。緊急以外は電話に出ない。」
「じゃ、秘密検察局長に電話を回してくれ」
数秒の沈黙のあと、再び電話が始まった。
「検察局長か。わしは大統領補佐官だ。この逮捕は何の意味があるのか」
「何。機密保護法違反の容疑だと」
「どんな風に」
「ヒットリーラ閣下に、テイルノサウルス教の秘密を喋ったという国家反逆罪だと、おかしな話だ」
リヨウト補佐官は電話を切ったあと、検察官に向かって
「君等の上司は変なことを言う。ヒットリーラ閣下は変な演説をしたとね。ティラノサウルス教は邪悪であると、これはきっとティラノサウルス教の秘密を喋った者がいるのに違いないとね。秘密検察局が捜査したところ、三人の不審者が入国し、トラカーム一家に何かを吹き込んだという情報を得たというのだそうだ。あの大統領演説があったあとに、そんなことを言うあんたがたの上司は変な奴だよ」
「トラカーム一家が心配です」とハルリラが言った。
「トラカームは虎族です。まず我々が疑うのは猫族なのです。猫族とその一味が国家の機密を盗み、それから、大統領に何かを吹き込んだ」と検察官が言った。
この中で、吾輩と補佐官とハルリラの三人とも猫族であるから、驚いてしまった。
「リヨウト殿あなたは猫族レジスタンスの幹部であるが、奥様フキ殿によるとジャガー族の血が入っているということで我々は大目に見てきた」と検察官は言い、吾輩とハルリラを見てにやりと笑った。
どちらにしても、この惑星に滞在した日数を数えれば、そんなことが出来る筈はないし、大統領に何かを吹き込んだと言うのは親鸞の教えのことだろうが、あれはカチの功績だ。吾輩が何かを言おとしたら、吟遊詩人がそれよりも素早く、りんとした声で言った。
「私達は親念の話をしただけです。トラカームさんも息子のカチさんも親念を尊敬していたから、私も親念について知っている限りのことを申し上げた。
カチさんは親念を尊敬し、お母さまのレイトさんの所に行き、その話に感動した大統領夫人のレイトさんが夫のヒットリーラ大統領にお話ししただけです。
大統領が変心したのは親念の教えを知ったからです。誰もティラノサウルス教の悪口など言っていないと思います」
「親念という変な坊主が布教していることは知っている。やはり、親念の教えを吹き込んだというのは、結果としてティラノサウルス教の悪口を言ったということになる」と検察官は言った。
「そんな理屈はおかしいと思わないか。わしは大統領補佐官だ。その権限で言うが、親念の教えを知らせただけでは、ティラノサウルス教の悪口を言ったことにならないから、法には触れない」
「猫族が補佐官になるとは考えられない。これは何かの間違いであるというのが、わしらの判断でして。ですから、そういう解釈はとらない。」
「大統領に直接、聞いてみろ」
「先程の電話の様子では、僧院にこもっておられるということですよね。こういうことは最近しばしば起きていたのです。そういう時の大統領の代わりをしているのは、副大統領です」
「副大統領は何と言っているのだ」
「大統領が僧院にこもっている時は、自分で判断しろという指示です」
「これは過渡期の何かの間違いだ。君等の身のためにも引きさがっていろ。銀河鉄道の乗客を意味もなく逮捕すると、宇宙鉄道法に違反して、君たちの首があぶなくなるぞ。この三人の方は銀河鉄道の乗客だぞ」
「その証明は」
「金色の服は支配人にあずけた。カードでいいだろ」
「見せて下さい」
「いいでしょ。宇宙鉄道法と国家機密罪のどちらを優先させるかということは、高度の政治判断になります。我々には出来ない。
それまで、猫族の墓場でもご覧になって、この方たち三人に早くアンドロメダ銀河鉄道にお戻りになるようにするのが良いかと思う。そうすれば面倒なこともおこらない。我々もその方がいい」
「脅して、銀河鉄道に帰らせるのか」
「まあ、そうですね。我々の惑星のことに内政干渉のようなことはして欲しくありませんからね。早くこの惑星から出ていってほしいです」
「かってなことをぬかすな」と補佐官は言った。
「猫族の墓場とは」と吟遊詩人が言った。
「いや、わしはよく知らないのだが、なんとなく、噂だけは聞いている。猫族の重要人物がこのホテルに入った嵐の晩、消えるという噂だ」と補佐官は言った。
吟遊詩人は言った。
「銀河鉄道に戻るにしても、その前に猫族の墓場というのを見たいものです」
吾輩も見たいと言った。
「お見せしましょう。このホテルの下にあるのですから、直ぐですよ」と検察官は言った。
昔の地下牢に行くような陰鬱な道を吾輩は想像したが、結果は逆だった。
エスカレーターで地下三階に行き、そこで降りる。黄金でつくられたような山吹色で囲まれた細い廊下を十分ほど歩くと、
その途方もない金の扉の前に立ち、この惑星には金鉱が沢山あるとは聞いてはいたが、これほどの贅沢な扉を吾輩は見たことがない。
それでも、その重さのせいで 扉が開くときには 鋭い快感をくすぐるような異様な響きが漏れた。
中に入ると、暗かった所に一斉に光がはなたれ、広いローマの円形劇場のような建物が見えた。ただ、ああいう廃墟ではなく、やはり、この円形劇場も金色でおおわれている。
検察官の話では、以前はここで猫族の名士を案内し、下の方で本物の野性の虎とライオンを争わせるのを見せたのだそうだ。
名士とか金持ち族はけっこうこういう格闘が好きなようだ。
ここでカクテルを飲み、歓待された名士は、そのあとその下の処置室に行き、そこから墓場に直行になるらしい。
時には犯罪者の虎族の男と猫族の男を剣闘士としてあらそわせることもメニューの中にあるらしい。
しかし、問題は墓場である。
金色の観客席に囲まれたその劇場は大理石のような真っ白で平らな平面になっているが、その下が墓場である。
我々はそこへ行くのに、円形劇場から下に行く、らせん階段をかなり歩かねばならなかった。
そこは鉄色の扉があり、開けると、薄暗い中に、沢山の墓石が並んでいた。
検察官が、明かりをつけると、墓石は多くが猫の顔の首の所を模写した白い石で出来たものだ。その白い所に名前が書いてあり、簡単な略歴が書いてあった。
「まあ、こういう墓石に入りたくなければ、お早く、アンドロメダ銀河鉄道でこの惑星を飛びたつことですな」と検察官が言った。
「そんな脅しをこの方たちにするとは失礼になることが貴様にはわからんのか」とリヨウトが言った。
「わしは猫族の言うことはききませんから」
その時、向こうの側の壁にある小窓から風鈴の音が響き渡った。
「あそこは ? 」
「あそこは猫族の処置室ですよ。ハハハ。あなた方の中に猫族がいらっしゃるじゃありませんか。それで風が吹いたのですよ」
「地下に風が吹くのですか」
「ええ、空気がよどみますからね、換気のためにそうしてあるのです。お客様が来ると、気持ち良い風が吹き、風鈴が鳴るしかけとなっているのです。」
「確かに、美しい音色だ」
「ここに来るお客はもうすっかりカクテルに酔っていますから、この風鈴はとびきり美しく聞こえ、特に猫族のヒトの耳によく響くような仕掛けになっているのですよ。
それで、処置室の方では、準備を整えるわけです」
吾輩は猫族であるから、ぞっとした。
「まるでナチスみたいですね」
「ナチス」
「どっかで聞いたような名前だな」
「君達の猫族に対する迫害は常軌を逸しているということですよ」
「悪人正機と言ったのは、親念ではなかったのか」
「お前みたいに勘違いする愚かな連中は地球のあの時代にもいたのだ。だから、『歎異抄』が生まれたのだ。
どちらにしても、時代は変わったのだ。大統領演説によって」
「まだ全てが変わったわけではありません。以前の法律がそのままのこっていますからな。あれを変えるには手続きが必要なんです。機密保護法はまだ健在なんですぞ」
「勝手な解釈をするな」
「秘密検察局長の解釈です」
「ねじまげた解釈だ」
「国家を守るためには、時には解釈も捻じ曲げるのです。それが権力というものですよ」と検察官が言った。
「いよいょ、本性をあらわしたな。まあいい。わしが補佐官になったからはそういうことを改めさせるように大統領に進言する」
「大統領には、こういう教えも伝えて下さい。仏教で言う如来の室に入って、つまり大慈悲心で、全てのヒトに良い政治を行って欲しいと」と吟遊詩人が言った。
「大慈悲心。つまり、アガペーとしての愛ですな」とリヨウトは答えた。
【 つづく 】
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