花束(poem)
ああ、私とあなたは絶えず花束を与える人でありたい
ヒトの魂からほとばしでる喜びと悲しみに花束を送るのだ
そして二人は歌い、全ての人の魂に呼びかけよう
二人の歌には花と宝石といのちがあり、
ありとあらゆる美しいそよ風を送り
全ての人の魂を花束一杯にしよう
二人の心に天国と地獄があり、煉獄も畜生界もある
悪の中には愛がある
愛の中には悪がある
二人の道は一つであり、真の愛の道であり、そこへ行けば深い愛で満たされ
歌声に響く情熱は熱帯に輝く太陽のように
ありとあらゆる生物を創造する偉大なエネルギーを秘めており
悲しみに沈んだ全ての人の魂に花束を送り、喜びにしようと歌うのである
さすれば、歓喜に満ちた生命を吹き込むことができるだろう
二人は花束を持ち、情熱的に歌うだろう
我らの歌う音楽は炭素から人工ダイヤをつくりあげた
科学のような魔法の力を持つ
焼き尽くされた黒い魂からは
再び 嬰児のような汚れのない美しい魂を
結晶させることができるだろう
ああ、我らは絶えず花束を渡す人でありたい
悲しむ人には黄色い花を渡し、近くの森の小鳥の声を聞けば慰められると教え
苦しむ人には 紫色の花を渡し、森の中の薬草を教えるだろう
口から流れ出る空気の激しい振動は
この宇宙に浄土をつくる
空からは、この世のものとは思えぬ美しい色の花が降り注ぐ
丘の花壇に取り囲まれた家からは、ピアノソナタの音色が聞こえる
我らの歌う情熱は
全ての人の魂をその原子に至るまで「空」(くう)で染め、
「空」になった肉体と魂から
再び新しい清らかな肉体を復活させることが出来るであろう
ああ、二人は絶えず歌い
悲しみ悩む人に花束をささげよう
たえず森の中を彷徨い、小鳥達のごとく歌う
教会で賛美歌を歌うような小鳥の群れ
子供達が夢中で遊んでいる、それに似た小鳥の叫び
そのような小鳥たちを音楽の教師として
大自然のいのちの歌を人々に伝えよう
ああ、我らはたえず歌う人でありたい
今の人類は気象温暖化と核兵器で、滅亡の危機に瀕している
CO2を減らし、温暖化を防ごう
世界の軍縮を進め、核兵器をなくそう
たえず森を彷徨い、自然の摂理に従って生き、いつも悠々と歩いている虎のように、
寛容で心温かい文化豊かな町づくりをしよう
我らは人々にそうした大自然の歌を伝えよう
ああ、たえず歌う人でありたい
たえず、緑の窓辺を散歩し、ある時は恋人を誘う竪琴をならすごとく
歌い、ある時は失恋の思いをなぐさめるがごとく歌いたい
たえず戦場の近くを彷徨い、武器を捨てて、いのちを大切にしろと歌い、
ある時は戦争に反対する牧師のごとく歌おう
たえず、貧しき人々のくずれかかった古い家並みのあたりを徘徊し、ある
時は、病気に倒れた絶望する人のごとく歌いある時は貧しき人々の最も
善良なほほえみのごとく歌い
こうして歌いながら、その歌によって詩人の魂を伝えよう
たえずあたたかい草原を彷徨いながら
春の花のもとで、生命をたたえる歌を歌いたい
原始の昔より数億の恋の歴史を秘めた
明るい愛をたたえる歌をうたいたい
【久里山不識のコメント】
民主主義の社会にはあってはならない今回の悲劇的事件に有名な新興宗教【以前と名前が違っている】がからんでいることは報道されているから、ご存知の方も多いと思う。
犯人の母親が一億円も献金して家庭崩壊に至ったことを犯人は言っているらしい。
こういうひどい献金問題は以前にも優れた本の中にも書かれているのを目にしたことがある。
私の五十年前も前に読んだ刑法の権威が水俣病の法哲学を披露している場面を思い出し、それに私の人生哲学を加味した見解によれば、こうした高額の献金を庶民から受け取ることは条文がなくても違法であると思われる。家庭が破壊されたというのは前にもいくつもあるからである。普通の庶民から一億の高額の献金を受け取るのが事実ならば、これは宗教ではないと思われる。宗教ビジネスではないか。
集団ストーカーも同じ。オペラ「セビリアの理髪師」で歌われたように、一人の人間の品位を貶めるには中傷がいいと歌われている。集団ストーカーは一人が言う悪口、嫌がらせは安易に行われやすいが、それが多人数になると、被害者は知らない相手から襲われるような心理的ダメージが大きくなる。その上、周囲には分かりにくく、証拠も取りにくいので、安易に自分たちと主張の違う相手を貶めるのに使われる方法のようで、ネットで検索すると、その悪質性が指摘されている。
これも、私は以前に法哲学的に違法であることは主張した。
今度の刑法改正で、悪質なものは侮辱罪、名誉棄損罪に懲役刑が加わった、
【もうすこし、寛容で広い精神的価値を求めて、私はこの文章を書いているので誤解のないように】
私の詩に対するネットの中にどのくらいの風評が流れているか、gooではないと思われるがネット全体でみると、ある一定の量があるだろうと思われる。 (そういうことが耳に入った )
多くの人はそれを見た時、一般市民が自分の意志でブログから批評を出したと思うだろう。
しかし、多くの場合、それは違うと思われる。私が憲法九条を守るをブログの旗印に
していることに対する、何らかの特殊ストーカーなのだ。
中傷のための中傷。私の詩なんか鑑賞しようという気が初めからなく、見た途端、ネタになりそうな句を持ち出し、こんな言葉何言っているか分からないとやるわけだ。
もともと詩というのは、普通の口語の言葉と違う。
普通の言葉の約束ごとを壊して、言葉と言葉を結び付けて神秘なイメージをつくりあげていくということがある。
それから、歌の歌詞をいわゆる芸術詩と間違えている人がいるようだ。
歌詞は音楽があって芸術になる。
ところが、詩は言葉だけで芸術にせまる。だから、欧米と中国では、詩人の評価が高い。
詩を書くだけで、ノーベル文学賞をとる人もいる。
日本では、詩は青年時代に書く感情の吐露ぐらいにしか思われていないから、【もちろん、感情の吐露でも、レベルの高いものは芸術詩になりうる 】
明治以降、一般に親しまれている詩人も少ない。前橋にある萩原朔太郎の詩人館に私が行った時、観客が私一人だったのには驚いた。出る頃、もう一人入ってきたのでほっとしたのを覚えている。
そこへ行くと、中国では漢詩という世界は一大芸術の歴史だ。欧米では、詩人と言っただけで、イギリスにはキーツ、シェリー、ワーズワース、 ダン。フランスにはマラルメ・ランボー、ボードレール、ドイツにはリルケ・トラクール を思い出します。アメリカではホイットマン、ディキンソンがいる。日本にも俳句と和歌の伝統があるが、今の日本は金銭至上主義の社会でどれだけ、若い人の目が向けられているのでしょうか。
高齢者が公園で絵を描く、それはほほえましい感じで見てくれる。美術館でちょっと目には訳のわからない感じのする絵の前でも、人は黙って見て、何かを感じ取ろうとしている。
ところが高齢者がちょっと哲学めいた詩をブログを書くとあら探しをする人がいる。
今の日本は一部と思いたいが、マナーが落ちている。だから、侮辱罪なんて法律ができるのです。
あんなことは優れた文化を持っていれば、マナーの範囲でやれる。
マナーが落ちていることはネット中傷だけでなく、いたる所に見受けられるのはニュースでも感じることだ。
悪口を勧める宗教なんて、この地球にはないのです。本物の哲学も芸術も宗教にもすべて愛と大慈悲心があります。
だから、ハラスメントなんていう言葉の暴力や虐待などという恐ろしい言葉が新聞紙上に頻繁に出てくるわけだ。
高齢者が公園で油絵をやっていたら、良い光景と思うのに、詩だとけちをつけるのだ。
核兵器をなくせとか、気象温暖化を防げとか、憲法九条を守って話し合い外交に徹するのが日本の道ということが小説にもエッセイにも詩にもそういう主張が散りばめられているかでしょう。
これは民主主義の一つの意見ですよ。自分と違う意見なら、相手の文をたたいたり、悪口を言ったりするのでしょうか。
それはファシズムですね。
独裁者が美術館で、ある絵を見て、「わけの分からない絵」と言った例を随分前に、聞いたことがあるが、そう簡単に分からない絵は沢山ありますよ。
芸術の世界はそうですよ。芸術の世界は知性で、これこれと説明できない場合が結構あるのが芸術でしょ。
人生はこういうものだと、真理はこういうものだと明快に説明した哲学でその後も多くの人が正しいと思われたものは一つもないのだ。お釈迦さまですら、悟った内容を言葉で説明して人間に納得させることは不可能だと言われたと聞いています。だから、座禅するのです、言葉でとらえられない世界を直観と心身脱落で悟るのでしょう。真理を明らかにする経典が現代の文章のようでなく、「たとえと詩文」のようであるのもそうなのでしょう。
芸術というのは、それに特殊な方法で近づく試みだと、私は思っています。詩もそうだと思います。ですから、中に入ってくる人は広い心が必要ですよ。嫌いなら、この次行かなければいいのです。それを特殊なストーカー的手法で、名誉棄損罪や侮辱罪にひっかかるようなやり方で攻撃する人はこのブログを壊したがっている人と思われても仕方ないと思われる。大変残念なことです。
周囲の人はそういう人は文化を壊す人という視点が必要だと思います。
【いつも、誠実に見てくださる方に感謝していますし、それに私の見るブログは良いブログが多く、写真はセミプロ級の素晴らしい写真が多く、里山や森の素晴らしい景色や私の知らない美しい花や沢山の可愛らしい小鳥や生き物がこの日本列島に沢山いることに、都会暮らしの私は驚き、感動しているのです。年のせいでしょうか、最近は目が疲れることが多く、多くのブログを見ることが出来ないのは残念です。どちらにしても、こんなストーカーの話などしたくないのですが、世の中には色々な人がいて、降りかかる火の粉は払わねばなりませんので、ペンをとりました。ご理解願います 】
この間、散歩に出て、新聞買ったら、いつも東京新聞とか毎日新聞を買うんですけど、その日は朝日まで売り切れて、普段あまり買わない日本経済新聞を買ったら、こんなことが書いてありましたよ
「近年の治安情勢を見ると、政治家に限らず、自分の意に沿わない者を短絡的に排除してしまおうとする犯罪が目立っている。そしてまた、それを助長し、可能にするような状況が社会に広がっている。」
怖い雰囲気ですね。これから、憲法を守るか、改正するかという議論が盛んになると思います。国際社会では、話しあい外交でいき、日本がそのリーダー格になり、軍縮、核兵器廃絶に向かっていくためにも、 平和憲法は守るべきです。 今の憲法より、良い憲法を作るには、先ほどまで述べたマナー違反の価値観の崩壊の下では、無理だと思います。かってドイツでワイマール憲法という理想的な憲法を破壊したあとのナチスの台頭を許したことを歴史の教訓とすべきです。戦争に向かう雰囲気をつくると思います。
今の自衛隊は合憲だと戦後の歴史の過程で国民が認めてきたことだし、防衛力をより強固にすることは法律の範囲で、力強い防衛力をつくることは、今の日本の高度の技術力でできると信じています。
基本は平和憲法を守ることです。戦後、七十八年、日本が平和でいられたのも憲法九条があったからでしょう。それでも、北朝鮮の
動きを見ていると、我々は不安になり、防衛力を強化したくなる。その気持ちはみんな同じだと思います。話しあい外交と防衛のバランスの下に世界を平和に引っ張っていく土台が憲法九条ではないでしょうか。多くの国民はそれを望んでいると思います。 」
普通の市民がマナーを守って、自由に発言できる雰囲気をつくることがネットでも、一般社会でも必要ですよね。
その時、ぜひ、「正法眼蔵」を書いた道元の「愛語」を思い出して欲しい
(価値観の回復への参考)
1私の好きな道元と良寛の尊敬した「法華経」より
「如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。
如来の座とは一切法空是れなり。」
2 【コリント人への第一の手紙 13章】
日本ではクリスマスを祝う場面を多く見る。それだけに、新約聖書のこの「愛の賛歌」を知っていて欲しいと思う。
「たとい私が予言の賜物をもち、全奥義と全知識に通じ、山を動かすほどに満ちた信仰を持っていても、愛がなければ無に等しい。
愛は寛容で、愛は慈悲に富む。愛はねたまず、誇らず、高ぶらぬ。非礼をせず、自分の利を求めず、憤らず、悪を気にせず、不正を喜ばず、真理を喜び、すべてをゆるし、すべてを信じすべてを希望し、すべてを耐え忍ぶ。
愛はいつまでも、絶えることはない。だが予言ならばすたれ、異語ならばやみ、知識ならば滅びる。^^^^もっとも偉大なものは愛である。】ものです。
ここの文章は休憩中の詩とエッセイになります。高齢である上、体調はあまり良くありませんので、もうしばらく休みます。よろしくお願いします。
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