大阪龍馬会

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岩倉具視:義弟へ、こまやかな愛情示す 宮崎・日南小村記念館で手紙4通発見

2009-01-26 11:43:14 | 展示会・イベント
◇西南戦争アドバイス 「権謀術数」イメージ払しょく


 明治維新の立役者の一人、岩倉具視(ともみ)(1825~83年)が義弟の元飫肥(おび)藩知事、伊東祐帰(すけより)(1855~94年)にあてた手紙4通が、宮崎県日南市飫肥の小村寿太郎記念館で見つかった。西南戦争への対応などをアドバイスしており、義弟へのこまやかな配慮は「権謀術数にたけた政治家」という従来のイメージを変える発見といえそうだ。2月1日から9日まで、同館で一般公開される。


 飫肥城下町保存会学芸員の長友禎治さん(51)が発見した。同館所蔵の藩主・伊東家の文書を整理中、雑多な文書を納めた箱の中にあった。手紙は巻くように折りたたんだ状態で、封筒はなかった。祐帰は、具視の妻の妹文子を2番目の妻に迎え、具視とは義理の兄弟の関係にあった。


 1通目は明治10(1877)年4月16日付。西南戦争下で、当時東京にいた知事の祐帰は、旧臣の飫肥士族が西郷軍へ加勢するのを心配していた。


 具視は官軍優勢の戦況を伝えたうえで「参戦しないように旧臣を説得することは大事。しかし、高圧的に布告するのは良くない。個人的な手紙のやりとりで伝えた方がよい」と助言している。


 明治15年2月の手紙は、祐帰の妻文子が14年11月に20歳で亡くなったことから、伊東家の行く末を心配し「跡継ぎの祐弘は2歳。後妻を迎えて祐弘の養育を任せるのが大事。今がよい機会と考え直し、見合った妻を探してください」と懇切に助言し、慰めている。残り2通は、飫肥への郡役所誘致の陳情や、学習院の学則改正に関する祐帰の意見書などへの返事だった。


 長友学芸員は「祐帰への岩倉の親愛の情や思いやりがうかがわれ、従来の冷徹なイメージとはかなり異なり、驚いた」と話している。


◇岩倉具視
 倒幕運動を進めた幕末の公卿(くぎょう)で、明治維新後は政府の実権を握り、全権大使として岩倉遣外使節団を率い、欧米各国を歴訪した。帰国後、鉄道建設など富国強兵策に取り組んだ。大久保利通らと交わした手紙や書簡は「岩倉公実記」や「岩倉具視関係文書」にまとめられている。


1/25 毎日新聞


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