大阪龍馬会

1987年に創立して2017年は創立30周年。龍馬好きの集まった大阪龍馬会が龍馬会の活動をお知らせします。

2016年3月13日 総会と講演会

2017-08-18 10:00:00 | 活動報告
総会と講演会は、なんばカルチャービルにて25名が参加されました。講師は三吉慎蔵子孫の正井良治さん。「三吉慎蔵日記を読む-慎蔵とその周辺の人々-」。昨年の続きでした。
講演会は正井良治さんによる「三吉慎蔵日記を読む」パート2! 去年の続きですが、今回もグッと来ました。写真や映像も多くて、よりリアルにつながる「今」も含めての歴史の流れ。今は「点」でなくちゃんと「線」としてつながっているんだなぁと。


講師の正井良治さん


聞き入りますよ。内容が内容だけに

2016年1月24日 京街道を歩く 第2弾 淀から八幡

2017-08-17 10:00:00 | 活動報告
淀城下の史跡探訪と八幡までひたすら畑を歩きました。寒風さす中、八幡の走井餅を食べた時の皆さんの安堵した顔。その後京橋まで移動して新年会をしました。


当初の予定では
淀城下 妙教寺(戊辰役東軍戦死者之碑・砲弾跡)→戊辰戦場址碑→淀小橋旧碑跡→八番楳木(東軍戦死者埋骨地・戊辰役戦死者碑)→淀堤千両松跡→淀城址→光明寺跡(東軍戦死者埋骨地)→明親館跡→大専寺(東軍戦死者埋骨地)→文相寺(東軍戦死者埋骨地)→長円寺(東軍戦死者埋骨地・森田貫輔首級碑・戊辰役東軍戦死者之碑)→東運寺(東軍戦死者埋骨地)八幡市 石清水八幡宮→念佛寺→番賀墓地(東軍戦死者埋骨地)解散予定 16時京阪電車八幡市駅 でしたが、八幡市へ入ってお持ち食べたら終わりました。






淀城での解説





ひたすら寒い中、畑の中を歩きました。京街道を。淀城下はそれなりの街道筋が残っていますが、八幡までの間はほとんど残ってないですね。



終点の石清水八幡宮で食べた走り餅はさぞごちそうだったでしょう。寒かったしね。



みな安堵の表情で記念撮影

龍馬速報135号発行

2017-08-16 10:00:00 | 龍馬速報
2016年1月1日 龍馬速報135号(24頁)を発行しました。




表紙写真(北浜五代友厚像) 京街道を歩こう第2弾案内 新年会案内 総会講演会案内 大坂史跡探訪に参加して(佐藤知佳子) 墓前祭レポート(岡田・林・原田・西尾シモ子)  水戸史跡探訪レポート①(楢崎) 大阪の史跡を訪ねて63回目(長谷) ニュース記事(森館長急逝)ほか 

2015年12月6日 戊辰戦争関連史跡探訪(鳥羽・淀方面)

2017-08-15 10:00:00 | 活動報告
15年ぶりの同地のイベント。講師は林慎吾事務局長 参加者は22名。たくさん歩きました。


 ルートは竹田から淀まで主に鳥羽街道沿いを歩きます。
 まずは鳥羽伏見の戦いのおりに薩摩軍の本営になった「安楽寿院」を含むビッグスケールな『鳥羽離宮址』に向かいました。
 当時の歴代の天皇陵の前を歩きもって大河ドラマではどの天皇の役はどの俳優がしたとか…盛り上がりながら、春には枝垂れ桜で有名な『城南宮』に着きました。
 ここは、京都を攻めるにも守るにも重要なポイントの『小枝橋』に真っ直ぐ到達できる大切な場所であったので、薩摩軍は当時、表参道に四門のアームストロング砲が並び守備していたそうです。
 この「小枝橋」に薩摩軍の最前線が布陣し鳥羽街道を北上して来た幕府軍は 「小枝橋」の南「赤池」付近で薩摩軍と遭遇。
 押し問答の末、薩摩軍の大砲が火を噴き 鳥羽伏見の戦いが 始まったそうです。
 実際 「赤池」から「小枝橋」って 目で見える距離なんですよ。凄いよ!この距離で大砲を打ったんだ。そりゃひとたまりもないよね。
 距離を感じ、実感しました。やっぱり来て良かった。
 だから、史跡巡りは素晴らしいです!
 さて、その「小枝橋」近くにある 「おせきもち」っていう甘み処のお店に事務局長が案内して下さいました。
「おせきもち」とは… 粒餡がポテッと乗った白餅と蓬餅の二種類で、コシが強くて黒文字でもなかなか切れない、もっちりとした、きめの細かいお餅でした。
 素朴でホッとする優しい美味しさで幸せなひとときでありました。
 甘いもの好きな新撰組局長の近藤勇が好物で通われたという通説にもうなずけます。
 事務局長、ご馳走さまでした。おいしかったぁ〜。




 その後、激戦地であった鳥羽街道をひたすら歩く歩く歩く… 途中、タクシー移動しますと言う事務局長の声を聞きましたが。タクシーが拾えそうにないのでまた歩く歩く歩く。
  
 道幅が狭く一人で歩き続ける無言の時間に、この鳥羽街道を負傷して敗走していた東軍兵士達は、どんなに辛かったんかと考え思い続けておりました。
 何ヶ所か 「東軍兵士の墓」にお参りしました。
 その都度、事務局長夫人と子息が持参くださり火を付けてくださったお線香を各人が供えさせていただきながらご冥福をお祈りさせていただきました。
 東軍兵士は既に賊軍となっていたので 死骸は各地でそのままにされていたそうです。それを住民達が集めて何ヶ所かで供養されたとのこと。合掌。
 そして日も暮れかけた時間に、本堂内陣に東軍の砲弾が飛び込んだという「妙教寺」に着きました。
 門の中に入って、こんな時間にどうしたもんかなと皆で少し戸惑っていたら… スッと「我らが正井さん」が庫裡のインターホンを押し、御住職とやりとりされた後に… なんとなんと、全員が本堂の中に入れていただきました (お二人はお友達だそうです)
 そして、御住職に丁寧に東軍の砲弾跡三カ所、どの方向から入ってどこを貫いてどこに着弾し、不発だったのでお寺は燃えず助かったと言う説明をいただき、さらに当時の御住職が内陣の柱の傷跡をふさいだ木片の裏にその状況を刻んだ文章を書かれていたので、読ませていただく事ができました。
 また、その時の本物の不発弾を持たせていただきました。信管を抜いた椎の実型のずっしりと重い砲弾でした。
両腕で抱えないといけないくらいの重さで こんなに重たいもんなんやと 少しビックリしました。
 普通は中になかなか入ることの出来ない本堂の中に入れてもらって、貴重な体験をさせていただき、御住職の親切な説明までいただいて、本当に有り難かったです。
 素晴らしいサプライズでした。 感動致しました。

2015年11月15日 墓前祭

2017-08-14 10:00:00 | 活動報告
龍馬の生誕日であり命日である11月15日に墓前祭を、上田敏雄副会長の案内で28名が参加しました。



 何よりも驚いたのが、上田講師の足取りの軽さ! 助手の手もかりず、ノンアルコール状態でスイスイと知恩院の男坂の階段を上っていくではないですか。
 知恩院は見どころいっぱいで新たな発見がありました。



龍馬の墓前にて ここから見る京の町はいいもんですね


 千姫の墓や淡海槐堂の墓がありました。
 『淡海槐堂は文政5年近江国坂田郡の農家に生まれた。安政3年醍醐家侍となり、従六位下筑前守に叙任され板倉重涂と称した。
 王事に奔走し文久2年私財を投じ文武館を設け、木戸孝允・広沢真臣・品川弥二郎・坂本龍馬・武市瑞山らの志士と交わった。翌3年天誅組の挙兵に当り、銃砲数十挺を藤本鉄石らに送る。
元治元年7月の禁門の変では難を逃れ郷里に逃げたが、翌月入洛した時捕えられ、慶応3年4月許された。
 この年近江屋を訪れ坂本龍馬に「梅椿図」の掛け軸が贈られたと思われる。有名な「血染めの掛け軸」であり、国の重要文化財に指定されている。
 明治元年3月徴士として大津裁判所参謀となり、同時に醍醐家を辞し板倉の姓も返上して淡海と改めた。同3年に槐堂と号した。よって板倉槐堂と称した時期は全くない。。
 5年2月退官し郷里に隠棲し詩画の制作に余生を送り、また進取の気性に富み、長崎からカメラを取り寄せ自ら撮影に取り組んだりしたが、明治12年58歳で没した。』(テキストより)



 知恩院奥にある「濡髪大明神」は、その名から舞妓さん達もお参りされる縁結びの神様だそうで、高1・中3・小6の子達は自分の財布からお賽銭を出して祈っていましたね。
 濡髪とは全く縁のない方々も、きっちりお参りされていました。
 13時半神泉苑平八についた頃はお腹ぺこぺこで、講師は席につくと完全に燃え尽きていらっしゃいました。


 お昼は神泉苑平八さんでお弁当。デザートは冷やしぜんざい。最後にぜんざい?!と思いましたが、冷やしなので軽く甘くうまーでした。
 3歳にして歩き切った福井秋太郎ちゃん、たくましいです。
 息子もよく動いてくれましたが、気づくと半ちゃんにくっついてニヤニヤ話しているので、父と子はここまで似るものか・・・と感心した、とても充実した一日でした。(林美奈子)

龍馬速報134号発行

2017-08-13 10:00:00 | 龍馬速報
2015年9月15日 龍馬速報134号(28頁)を発行しました。



表紙写真(大坂城) 大阪史跡探訪VOL4「大坂城」冊子販売のお知らせ 講演会「三吉慎蔵日記を読む-慎蔵とその周辺の人々」を拝聴して(岡田真実) 大坂史跡探訪VOL.17レポート(林美奈子) 大坂史跡探訪VOL.18レポート(村田倫子・原田拡) 長州逍遥始末 後編その2(薮) 「新政府綱領八策前文とされる龍馬複製書簡について(知野文哉) 14代徳川家茂150回忌・京都法雲寺の石碑除幕式(桜宝寿) 大阪の史跡を訪ねて62回目(長谷) ニュース記事ほか

2015年6月14日 大坂史跡探訪vol.18 大坂城

2017-08-12 10:00:00 | 活動報告
大坂史跡探訪vol.18 大坂城を行きました。講師は長谷吉治幹事で参加者は34名でした。



今日は講師の娘さんたちもお父さんをサポートしてくれました


 原田拡さん
 大阪城は普段のウォーキングのコースで、かなり知っているつもりでした。改めて長谷さんの密度の濃い案内を受けて新しい発見がたくさんありました。
 そんなに広くないこの地で時代毎に数多くの出来事が通り過ぎて行ったことに感慨も一入でした。また、懇談会では多くの仲間と交流ができて楽しく時間の経つのを忘れるぐらいでした。
 感じたことを漢詩にしてみました。

古城逍遥
薫風颯颯白雲揚  薫風 颯颯 白雲揚る
偏愛龍名集一堂  偏に龍名を愛する 一堂集い
争覇錦城青史学  覇を争った 錦城の歴史学ぶ
戦塵覧古喜平康  戦塵 覧古 平和を喜ぶ
           (韻:下平声七 陽)
【語訳】
※颯颯…風がサッと吹く様子 ※争覇…覇権の争い 
※錦城…大阪城のこと ※青史…歴史のこと 
※戦塵…戦争のさわぎ ※覧古…昔を顧みる 
※平康…平和
【通釈】
 緑の風がサッと吹き渡り、空には白雲があがっている。そこに龍馬を偏に愛する一堂が集い、覇権を争う舞台となった大阪城の歴史を学ぶ。戦争のさわぎを繰り返した過去を顧みて現在の平和を大いに喜ぶ。






 大阪城には長い長い歴史があります。その歴史を今回の史跡探訪で実感というか体感できたような気がします。
 大阪城築城400年のとき、確か小学生だったと思います。大阪城博覧会で中国の兵馬俑を見た記憶があります。親父に連れられて大阪城まで自転車で行って、城の中を見学したこと。あれから30年…。
 今度は息子と犬を連れて後日大阪城へ。史跡探訪で城内見学しなかったので。歴史に興味を持ち始めた息子と秀吉のこといっぱい話しました。自分にとっては20年以上ぶりの城内。展示物がガラッとかわっておりビックリ。中国の方の多いこと多いこと。なにげない時間でしたがこうして歴史を継承していくのでしょうね。 林 慎吾


2015年4月19日 大坂史跡探訪vol.17

2017-08-11 10:00:00 | 活動報告
 この日も午前中の雨が上がり、街歩きにはぴったりの気候でした。ここ数年長谷講師は参加者の年齢層を配慮してか、かつての様な「市中引き回し」イベントでは決してありません。老若男女、安心して参加できます。
 今回のイベントでは冊子「大阪の史跡探訪VOL・3」で詳しく取り上げられている大阪ハリストス正教会を見学させてもらえるとのこと。とても楽しみにしてきました。
 阪急豊津の駅から徒歩数分、吹田の山手町という閑静な住宅街の高台に聖堂が見えてきました。
 丸い特徴のある屋根、鐘、十字架はビザンチン形式と呼ばれる建物で、緑の高台に映えて美しく函館で見たハリストス正教会の建物に色彩もよく似ています。



 正門を入ると笑顔の素敵な水口神父様が出迎えてくれました。
 明治15年、ハリストス正教会が天満橋の三橋楼の建物を購入、43年には木造ビザンチン式の聖堂が建立されましたが、昭和20年の戦火で焼失。その後も幾つもの困難を乗り越え、昭和37年吹田の地に新しい聖堂の完成をみることとなったそうです。



 三橋楼唯一の遺物の庭石がここに残されています。
 そして聖堂の中へ。中に踏み入れた途端、うわぁーという小さなどよめきが起こりました。
 写真でお伝えできないのが残念ですが、歴史的な美術館そのものに入っていった感じ。
 その荘厳さはうまく言葉にはできません。
 内部には「イコン」と呼ばれる聖像画が、様々な大きさの木の枠にはめ込まれて掲げられています。近くに行って聖像と目が合うとドキッとするくらいに美しい。イコンが壁となって聖所を仕切っているそうです。
 このイコンの壁(イコノスタス)は、1907年(明治41年)モスクワで作成され、日露戦争の松山捕虜収容所の聖堂で捕虜として永眠したロシア人の鎮魂の為に用いられ、1924年(大正13年)東京のニコライ聖堂に運ばれた後、1962年(昭和32年)に吹田の地にやってきました。様々な歴史を見てきた貴重なものです。
 宣教師ニコライが函館に領事館司祭としてやってきてから、日本文化に合った「正教」を根付かせ、資金集めに苦労しながら布教活動を行った事。沢辺琢磨はじめ信徒が膨大な量の聖書を翻訳、伝授していった事。プチャーチンも多額の支援をした事など知りました。神父様の丁寧な説明に、熱心な質問も続き、30分の見学時間が1時間に。いつもの龍馬会のイベントとは明らかに違う厳かな時間でした。



龍馬速報133号 発行

2017-08-10 10:00:00 | 龍馬速報
2015年3月24日(龍馬脱藩の日)に「龍馬速報133号}(30頁)を発行しました。




表紙写真(下田吉田松陰像) 澤田平施設資料館見学レポート(楢崎省三) 長州逍遥始末 後編その1(薮正尚) 良誠会事件簿23神戸海軍塾へ(結城詩) 東京だョ岡田さん-木更津と♪ウララ・ウララ・ウラ浦賀もあります(岡田真実) 大阪の史跡を訪ねて61回目(長谷吉治) 坂本龍馬・中岡慎太郎宿泊の地 備前西大寺(長谷) 大阪史跡探訪VOL.17の案内 紹介ニュース記事ほか

2015年3月8日 総会と講演会

2017-08-09 10:00:00 | 活動報告
総会と講演会を行いました。場所はアネックスパル法円坂で25名参加。



講師に三吉慎蔵のご子孫である正井良治氏をお招きして「三吉慎蔵日記を読む-慎蔵とその周辺の人々-」を話していただきました。

 さて、今回の講演。レジュメも上下2段組37ページとボリュームたっぷり。なんと!みっちり話すと10時間(!)くらいとのことでした
1.『三吉慎蔵日記』の成立
2.日記の構成と主な内容
3.長府毛利家と宗家毛利家
4.慎蔵と毛利元周公
5.慎蔵と龍馬
6.慎蔵の役目
7.寺田屋遭難
8.お龍の馳せ報知の姿
9.慎蔵と毛利元敏公
10.慎蔵と北白川宮能久親王
11.慎蔵と楫取素彦
12.慎蔵と菅野覚兵衛
13.慎蔵とお龍
14.慎蔵と乃木希典
15.慎蔵と桂弥一
全15章!

さすがに1回では無理でしたので続編は次年度になりました。


2015年1月18日 新年会と澤田平私設博物館見学会

2017-08-08 10:00:00 | 活動報告
澤田平先生はなんでも鑑定団で刀剣や銃器の鑑定をされている大重鎮。
その先生のお宅兼私設資料館を見学させていただきました。



すごいたくさんの貴重品。本物を目の前にして感動とビックリの連続体験でした。


イベントレポートを楢崎さんにお願いしたら、楽しい見出しが。本文は機関紙でどうぞ。

1 年の初めの妖怪ウオッチ! ~ 階段をピョンピョンと登るのは、やはりあの人?

2 迫力の大スクリーン! ~ 桜田門外の変と第一次寺田屋騒動。 このスクリーン、家に欲しいなあと、某事務局長



3 薩摩藩士・橋口壮介の刀と鉄扇 ~ やばっ、本物! 距離50㌢!

4 真田幸村の隠し短筒だあ! ~ そして真実の髪の毛焼ける

5 美味! ふるまいぜんざい ~ 北海道産の小豆の上品な甘さ、塩昆布の塩加減の絶妙さ!



6 私設! 真田幸村公資料館 ~ 期間限定。来年度末まで? 早い者勝ち? 

龍馬速報132号発行

2017-08-07 10:00:00 | 龍馬速報
2014年12月20日 「龍馬速報132号」(28頁)を発行しました。




表紙写真(京都円山公園龍馬像) 墓前祭レポート(福井・中田・西尾) 長州逍遥始末 前編(薮) 良誠会事件簿22粛清(結城) 東京だョ岡田さん(岡田) 大阪の史跡を訪ねて60回目(長谷) 大河ドラマ花燃ゆ関連記事 ニュース記事ほか 

2014年11月18日 墓前祭と御所散策

2017-08-06 10:00:00 | 活動報告
11月16日、お天気にも恵まれ今回は御所近くの史跡探訪です。


清浄華院や廬山寺にははじめて行きましたが、あんなにたくさんの皇室関係のお墓があるのにはびっくりしました。また、蛤御門の向きが違う・弾痕は本当か?等々。今回はじめて知ったことが多くありとてもよかったです。
時間の都合上、積み残しが少しありましたが、又の機会にぜひよろしくお願いします。



昼食の料亭「梅むら」では、部屋から川床へ出ることができるようになっていて、景色もお料理も満喫しました。



皆、ケガなく事故もなく、本当によく歩きました。西尾さん、毎回お花ありがとうございます! 講師の上田さん、何回も下見に京都に行っていただきどうもお疲れ様でした。

龍馬速報131号発行

2017-08-05 10:00:00 | 活動報告
2014年9月23日に「龍馬速報131号」(28頁)を発行しました。


表紙写真(下田の龍馬石像) 大阪史跡探訪レポート(豊田・溝端・西尾) 大阪史跡探訪VOL.3紹介 超マニアック!天誅組十津川郷士史跡めぐりツアー報告レポート③(楢崎) 良誠会事件簿21八月一八日政変(結城) 大阪の史跡を訪ねて59回目(長谷) 大河ドラマ花燃ゆ関連記事 ニュース記事ほか

2014年5月25日 大坂史跡探訪vol.16

2017-08-04 10:00:00 | 活動報告
 谷町4丁目・天満橋付近の史跡を散策しました。講師の尽力で非公開の大阪城の石垣(豊臣期の築造)を見学することができ、とても有意義な史跡散策でした。31名参加。


三橋楼跡にて。長谷講師の尽力でこの場所で様々なドラマがあることがわかりました。三橋楼跡の銅板、石碑設置は近日中だそうですが、これは、長谷氏の尽力で実現されたとのこと。凄い事だと感心しながらみさせてもらいました。


大村益次郎、司馬遼太郎終焉の地と巨大な大村益次郎卿殉難報国之碑です。


豊臣期の一般非公開の石垣です。歴史ある追手門学院小学校の校舎を通り地下へ… 野面積みの石垣に触れる事ができました。こんな貴重な体験ができるなんて、とてもラッキーでした。
そこで記念写真