今日の記憶を一言半句

鮮明に記憶しているのに、思い出すのは少なくなった

2011年の大震災のあの時間、スーパーの駐車場に車を止めて降りたばかりでした。

 

あの突き上げるような揺れの大きさと時間の長さ。

スーパーの店内で棚などが倒れる音、隣の市役所の建物が揺れる音、電線などの音がいりまじり、いつ揺れが終わるのか、もっと大きな揺れになるのではと恐怖を感じたあの時。

 

車が揺れで移動して危ないから、車から離れた場所で仁王立ちで周りを見ていた。

妻が、しゃがみこんで私の足にしがみついて耐えていた。

経験したことの無い巨大地震でした。

 

あの日のことは鮮明に記憶しています。

自宅に戻りTVのスイッチを入れた後は、刻々と状況が分かり出す。

発生後まもなく、津波が家屋や車を飲み込みながら押し寄せる瞬間も。

 

リアルタイムに映し出していたTVの映像に衝撃を受けた。

津波が押し寄せる映像に、妻は思わず「逃げて、逃げて」と叫んでいたのを思い出す。

 

なんと悲しい出来事かと胸が締め付けられる思いでした。

あの生々しい状況を目の当たりにするまで、生と死を強く考えたことはなかった。

 

あの日から12年が過ぎた。

あの震災で、家族や身内を失った方々の今の生活が報道されています。

復興が進む一方、被災者の多くの方々の心の中に、未だ受け止められず、耐え難い思いがあるのも知りました。

 

震災の直接被害ばかりではなく、さらに原発の恐怖を知らされたことも記憶に焼きついている。

 

爆発した原発から茨城に流れ込んだ放射能が、このあたりも高レベルを観測した。

市が貸出した放射能測定器で日々の値を記録したことも。

後に公園など土を入れ替えたほど。

家庭菜園をたのしんでいた知人たちは、作っても食べられないから一斉に辞めた。

 

あの日のことを鮮明に記憶しているのに、それを思い出すのは少なくなった。

忘れたわけではないのに、12年の歳月は、思い出すことさえ遠くになっている。

 

震災後に客が激減した東北の温泉地が困っている報道を聞き、妻の提案で少しでも応援できるのならと、妻が体調の良い時を選んで、その年の9月に岩手県つなぎ温泉、宮城県秋湯温泉、福島県飯坂温泉に宿泊してきた。

牛久市も被災地指定だったから、高速道路無料通行証を発行してもらい、そのときは東北の高速道路を無料で利用できた。

 

 

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