秋の陽が一気に地平線に姿を隠そうとする勢いは、まさに「釣瓶落とし」という素朴で懐かしい表現がぴったりですね。
釣瓶とは、井戸から水を汲み上げる桶のことだが、子供の頃の母方の実家の井戸はこれでした。
2つの桶をロープでつなぎ、滑車で交互に引き上げて水を汲んでいた。
桶が垂直に早く落ちることから、秋の日の暮れやすいさまを言い表しますが、今では上水道とか自家水をモーターで汲み上げるから、釣瓶など見たことがない。
若い方に「釣瓶落とし」と言ってもピンと来ないでしょう。
似たことを表現する言葉だとすれば、「瞬く間」とか「束の間」などになるのかな。
これでは風情がない。
物や形がなくなったり、家庭でも古来からの歳時記をやらなくなっているので、昔ながらの風情のある言葉も同時に消えて行く事になってしまうのだろうな。
日本の「ことのは」は、世界的に類を見ない美しさや風情があり、言葉そのものが文化遺産と言えるのだが。
時代とともに消えていくのは寂しく残念なことです。
牛久沼の高台から、今日の釣瓶落としを。