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今日の記憶を一言半句

消えてしまう年の瀬の文化

師走だと感じることが少なくなりました。

年の瀬の歳時記というものが消えつつあると思います。

 

数日前、gooブロガーの今日のひとことに「年末に聞く音楽は」のテーマがありました。

それに私が書き込んだのは「耳に入ってくるクリスマスソングや第九の演奏が流れるのを聴き今年もまもなく終わりだな」と。

あとはスーパーの陳列が正月用品のスペースを大幅に拡張して並べているののを見て感じる程度、他には思い当たることも無い。

 

子供の頃に戻ってみると、師走になると年越しの準備がいくつもあった。

12月に入ると、早い時期から門松を立てたり、しめ飾りを飾ったりしているのを見て、正月が来るんだとウキウキしたものでした。

早々と、トラックや自家用車にまで松飾りを付けて走っていました。

 

暮も押し迫ってくると、まず今年の汚れを来年に持ち越さないように大掃除を始めた。障子の張り替えなどもした。

 

餅つきは、母方の実家に親戚が集まってするのが一つの行事で、従兄弟たちにも会えて賑やかなこの日が楽しみでした。

 

さほど裕福では無かったが、新しい衣服とか履物を新調してくれたのも嬉しかった。

 

晦日からは母親は大忙し。

晦日と大晦日の2日間は、お節作りの煮物の匂いが家中立ち込めていた。

今でも昆布巻きを煮ているあの匂いは忘れられない。

 

大晦日の夕方には正月を迎えるすべての準備を終え、蕎麦ではなく年越しうどんを食べたのを思い出します。

そして、父親がラジオで紅白歌合戦を聞いていたことも。

 

それぞれの家に、新年を迎えるささやかな伝統や習慣みたいなものがあり、今思えばそれが文化だとも思います。年寄りの懐古主義なのかもしれませんが、歳時記の季節感はだいぶ薄れてしまいました。

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