元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

プロ野球OB戦観戦記

2007-07-25 04:29:21 | スポーツ

  [プロ野球OB戦観戦記]

  勤務校の先生たちと7月3日(月)に、夕方から東京ドームに行った。学校を出るとき、突然土砂降りに遭遇。だが、ドームは無関係だよね。
  CMで知られている、大沢親分率いる「サントリーモルツ」チーム対板東英二率いる「甲子園ヒーローズ」チームの対戦。現役をとっくに退いた中高年の草野球、それも軟式、と言ってしまえば身も蓋もない。
   ところが世の中には暇人が多いんだねぇ。月曜日だよ。開場時間の数時間前から、球場周辺は人の波。さんざん待たされて中へ入って驚いた。内外野のスタンドはほとんど人で埋まっちゃったよ。
   観客にもやたらと興奮するのがいる。大声を出すのは当たり前だが、一人で立ち上がって腕を振り回しながら、何やらわめいているおやじもいる。観客一斉のウエーブの波も何度と無く津波のように襲ってくる。選手一人一人への声援も大変なもの。

個々に選手を取りあげていこう
  村田兆治--いやぁ、速い球投げるね。一流の高校球児と変わらないスピードだよ。多分、130キロ台だろう。50歳だよ。2回までだったが、甲子園組も これには参ったようだ。まったく打てない。ドカベン香川も金村も内野ゴロが精いっぱい。
  田淵幸一--あのスピードをよくキャッチングしていたよ。ごくろうさん。
  山本浩二--良い当たりはするのだが、すべて左に切れてしまう。でも最後に良いヒットを右中間に飛ばしたね。
  R.バース--アメリカからわざわざ来てくれてありがとさんよ。でも硬球でないので、いずれもポップフライに終わった。
  張本 勲--やはり年ですなぁ。カラダがついていけません。
  江夏 豊--最後に出てきたが、相変わらす人気がありますねぇ。体型はあのまま。
  若の花--代打で出てきたが、なかなかのセンス。一塁ベースへの走りも速かった。
  広瀬哲朗--マイッタ。さすがゴールデングラブ賞男。現役でもこうはいかないよ。特に、高木豊とのコンビで、ゲッツウを何回かとったが、これこそ、金を払ってみるもの、プロの技ですね。ボールを受けてから離すまでの時間がほとんどない。速い、華麗。
  「ヒーローズ」の尾上・上福元の内野もうまかったよ。
    尾崎行夫--マウンドから4・5球投げたが、とにかく投げられるような肩ではない。板東監督はすぐ替えたが、えらいぞ、板東! 投げられないのを知っていて登板させたのだ。ファンサービスですよ。尾崎といえば、浪速商業のエースとして夏の甲子園を制覇。2年生で中退して、水原の東映に入団。なみいるプロの強打者をバッタバッタと空振りさせ、我々をうならせたものだ。昨今の松坂以上。その雄姿はこの瞼に焼き付いていますぜ。こき使われて寿命は短かったけど、大いにファンを楽しませてくれました。ありがとうよ。その頃を思い出させてくれただけで、感謝。
   徳島商業のエースとして、あの延長戦を一人で投げきった板東だから分かるのです。にくい演出じゃないですか。
  宮本和知・定岡正二--エンタテイナーですな、あんたらは。特にサダやんは監督らにぼろくそにけなされたが、それでも笑顔を絶やさなかったのはえらい。MVPは川藤でなく、あんたにあげたかったよ。それにしても、あのトンネル(→ランニングホーマーを導く)はわざとやったんだよね。

  蒸し暑い夏の一夜、さわやかなプレーと笑い、楽しませてくれました。ビールがうまかったぜぇ。

 


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「常陸風土記の丘」輪行サイ... | トップ | 勝蔵親分から万葉の飛鳥へ »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
読売巨人軍の真相 (中山)
2007-07-25 12:19:43
何故、巨人だけが、特別扱いされて来たのか?

 これは、小生の子供の頃からの疑問でした。

 大変正確な記述に出会いました。

 転載させてもらいます。

 
CIA組織であるプロ野球・読売巨人軍

第二次世界大戦後、米国は世界各地で低強度戦争を展開する。

「米国に対し反抗的な人間のスキャンダル等をマスコミに流し、社会的に抹殺」し、
またマスコミ操作により米国への批判意識を眠り込ませる「戦争」である。
(拙稿「国家破産への米軍戦略」参照)

日本への原爆投下を事実上指揮した、
米国大統領直属の「心理戦争局」の局長エイブリル・ハリマン=ブッシュ
大統領一族の経営するハリマン銀行社長(戦中は社長、戦後は会長)は、
日本に対し、この低強度戦争として3S計画を実行する。
(拙稿「広島、長崎への原爆投下」参照)

3Sは、テレビ等を通じセックス情報、スポーツ、スクリーン=映画を絶え間なく流し、
重要な政治経済問題から「目を外らす」ように仕向け、
「何も考えさせない」ようにすると言う愚民化計画である。

敗戦当時、日本にはテレビ局はNHKしか存在しなかった。

米軍は3S作戦実行のため、
戦前からのCIAスパイである
読売新聞の創立者正力松太郎とその部下渡辺恒雄
(現在の読売新聞・経営者)に「命令」し、
CIA直営のテレビ局として日本テレビの創立を命令する。

CIAスパイエージェント正力松太郎は、
CIAの資金で読売新聞を日本最大の新聞に育て上げるが、
戦争中、読売新聞は日本の中国侵略と日米戦争を
大々的に「アオッタ」新聞である。

日本に中国侵略と日米戦争を行わせる事は、
CIA新聞である読売新聞を使った米国の戦略であった。

正力松太郎と渡辺恒雄がCIA工作員として読売新聞、
日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍を創立し、
その経営資金がCIAから出ている事実は、
米国政府の心理戦争局の内部
文書Records Relating to the Psychological Strategy Board
Working Files 1951-53に明記されている。

郵政民営化に徹底的に反対した経済学者植草一秀等が、
電車内でのチカン容疑等でマスコミに徹底的に叩かれる理由が
これで明確になる。

日本のマスコミは
「米国に対し反抗的な人間のスキャンダル等をマスコミに流し、
社会的に抹殺する」
心理戦争部門として作られた米軍組織である。


読売新聞、日本テレビ経営者渡辺恒雄はCIA工作員として、
日本最大の新聞社そしてCIAテレビ局=日本テレビを経営し、
3S計画としてプロ野球・読売巨人軍を大々的に宣伝し、
日本にプロ野球ブームを拡げて行く。

日本の新聞社、テレビ局等のマスコミ、プロ野球等のプロスポーツが、
日本人に「貴重な政治経済問題を考えさせず
問題から目を外らす」ための
米軍の「支配の道具」として作られて来た事実が
浮かび上がって来る。

米軍が武器を持ち日本に駐留し、
日本を支配下に置いているように、読売新聞、日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍は
米軍の「兵器」として「作られた」。

なお読売新聞、日本テレビの創立者正力松太郎の
CIAスパイとしての暗号名はポダムpodam、
CIA・米軍の日本支配組織としての読売新聞、
日本テレビ、プロ野球・読売巨人軍のスパイ組織暗号名は
ポハイクpohikeである。


※正確には中小零細新聞社であった倒産寸前の読売新聞社を
正力松太郎がCIA資金で買取り、渡辺恒雄と共にCIA資金で
日本最大の新聞社に成長させた事になる。

オルタナティブ通信
http://alternativereport.seesaa.net/article/47600011.html

 参考書:日本テレビとCIA  新潮社




返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

スポーツ」カテゴリの最新記事