元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

旧東海道品川宿を歩く(御殿山から青物横丁駅まで)

2014-01-19 07:58:15 | ウォーキング

日時:2014-01-18
天気:曇り後晴れ
同行者:鎌ヶ谷ハイク&ウォークの会、メンバー
カメラ:携帯デジカメ Olympus FE-180

徒歩コース--JR品川駅下車9時前で、京浜急行線・青物横丁駅到着が3時過ぎであった。
 *トイレは徒歩コースの随所にある。 旧街道から離れて、品川神社へ通じる「北馬場通り」には食事処が多かった。
  品川駅→品川教会→御殿山ガーデン→信号・八ツ山橋→旧街道→お休み処・連→品川
浦舟だまり→鯨塚→善福寺→法禅寺→一心寺→本陣跡・聖蹟公園→*品川宿交流館→
品川神社→中華店・味丸[昼食]→*品川神社→荏原神社→目黒川・品川橋→街道松の広場→常行寺→長徳寺→天妙国寺→諏訪神社→青物横丁駅
 ※八ツ山橋から(旧街道の)お休み処・連までの道が分かりずらい。いくつもの車道が立体的に交差しているからだ。

参考地図東海道品川宿まち歩きマップ (八ツ山アンダーパスの上に出た旧街道最初の
「お休み処・連」でも売ってます[50円])


広重の「品川」(ウイキペディアより)---大名行列の最後尾が見える。
右手の山は八ツ山の裾だが、お台場埋め立てに利用されて削られ、現在は無い。また、左手の海も埋め立てられ、現在はビルや住居地になっている。


  品川教会の横から歩行者用の散策路があり、そこを進むと御殿山の公園に
出る。山の斜面下に池があり、工事中であった。江戸時代には将軍の鷹狩り
に利用されたり、庶民のお花見場所でもあったとのこと。
 この御殿山から八ツ山への尾根目掛けて、山を削って鉄道を通したようだ。 

 ↓八ツ山橋から下の場所へ辿り着くのに、だいぶ迷った。

 
                         下の踏み切りからの北品川方面を望む。ここが前掲
                         広重の浮世絵の場所だろうと言われる。[右が山裾]


右上の場所から振り向いて品川駅方面を望む。


上掲踏み切りから旧街道をわずかに進んだ場所。お休み処・連で観光案内所だ。
ここで、50円の地図を買ったり、観光スポットの説明をうけたりした。


品川浦舟だまり


鯨塚。11代将軍家斉の代に品川沖に迷い込んだ鯨の骨を
祭った塚。背景の右上が利田(かがた)神社。弁財天が祭られている。


店名が右から読むようなので、古くからの店なのであろう。


善福寺の(伊豆の)長八の「こて絵」


きらく亭という店に獺祭がおいてあった→日本酒「獺祭(だっさい)」の磨き23%


品海公園の「品川宿の松」の隣にある説明板


法禅寺境内にて


一心寺。黒船来航の風雲急を告げる時代、大老井伊直弼の発案で鎮護日本、
開国条約、宿場町民の繁栄安泰を祈願して建てられたという。


聖蹟公園前にある説明板

↓ 以下、板垣退助まで、品川神社関連。

 
観光客も皆さん、登っていく。          一合目から九合目まで、きちんと付いている。


品川富士。江戸時代は富士講が盛んのようで、富士山に登れない庶民が、ここを
訪れたのだろう。かなりの賑わいだったとのことだ。

 
                 一粒(りゅう)万倍の泉。この水で銭を洗うと万倍に増えるという
                 霊水。最近はパワースポットとして人気があるそうだ。


正確に言うと、品川神社の境内にない。神社境内の右手から裏側に廻り込んで進む。


品川神社から旧街道へ戻るところ。この右手の「味丸」という中華店で昼食とした。

 
街道松の広場にある「浜松宿の松」    天妙国寺にある桃中軒雲右衛門の墓
ここの広場のベンチでしばらく休憩した。

 


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