実施日:2013-11-11
曇り時々晴れ
カメラ:Pentax X5 /オリンパスFE180
歩行:約9キロ
コースとタイム--*トイレ
小岩駅(8:40)→(9:20)善養寺[菊祭り](10:00)→一里塚→(10:25)法林寺→(11:00)宣要寺[おやつタイム](11:20)→(11:25)上小岩親水緑道入口→(11:45)
小岩公園*(11:55)→(12:00)水神碑と善兵衛碑*(12:10)→小岩田八幡(12:20)→(12:45)帝釈天手前のラーメン店[昼食](13:25)→(13:50)矢切の渡し(14:10)→
(14:30)のぎくの小道→(14:55)西連寺・野菊の墓文学碑(15:20)→(15:35)(北総線)矢切駅
小岩駅構内にある元横綱・栃錦(小岩の出身)
善養寺--境内で菊祭りをやっていた
東の横綱(栃錦が銘銘)・影向(ようごう)の松
(京成)江戸川駅近辺--江戸時代には旅籠・渡し・関所があった。
法林寺にある石の常灯明(元渡し場の上り口にあった)
宣要寺にある「瑞鳳の松」
境内にある荷風の句碑--『青竹の しのび返しや 春の雪』
『日のあたる 窓の障子や 福寿草』
上小岩親水緑道--北端に石井善兵衛の碑があるが、彼が農業用水に江戸川から引いた
水路の一部だった。
水神碑の左手に我が母校の小岩三中がある。上の文中にある中村先生は郷土史家で、当時の悪がき共も魅力的な先生の授業だけは真剣に聴いた。
正倉院の御物に、養老五年に書かれた「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」というのがあり、その
中の甲和里というのが小岩で、島俣が柴又だということや、甲和里に住む孔王部(あなおべ)一家の戸籍も載っている、----先生から皆教わった。ちなみに、小岩三中の機関紙は
『甲和』であったが、今も続いているだろうか?
左下が水路である。
緑道の終点に善兵衛碑とトイレがある。水は江戸川から引かれている。
小岩田・八幡宮--
白秋の歌碑『いつしかに 夏のあわれとなりにけり
乾草(ほしくさ)小屋の 桃色の月』
すいません、アングルが悪く、上部を切らしてしまいました。
柴又帝釈天→小岩から立石へ+葛飾柴又(その2)
帝釈天の門前通り、「とらや」もありますよ。
矢切の渡し--
野菊の墓→水元公園のハス花
※「のぎくの道」を通り、文学碑の前に辿り着いたら、どんよりした空から急に雨が降り出し、
已む無く前の建物に避難させてもらい、しばらく雨宿りをした。
その後、北総鉄道の矢切駅まで歩き、そこから地元へ帰った。