※最近、ある仕事を引き受け、忙しくなってきた。アウトドアは、しばらく御休みであろう。それで、昔書いたものをここに転載する。
「源義経がジンギスカンだ、なんて馬鹿のことを言うヤツがいるが、そういう気違いとは口をききたくない」とよく言われる。特に高校の女性教諭から。私はさらに、「上杉謙信は女人なり」とか、「明治天皇は偽者だ」なんて言うから、友人が次々と去って行く。
クラス会など、私が寄っていくとみんな逃げてしまう。まさにガリレオの心境だ。だから、最近は(自分が学生の時の)クラス会などには出ないようにしている。
「義経は奥州で死んでいるじゃないか。そんなの小学生でも知っている。ばかばかしい。」---それでは訊ねる。どうしてそう断言できるのですか?--- 「教科書に書いてあるでしょう」
----これこれ、これがいけないんです。戦中・戦後教育を受けた者(教科書の内容を信じていいのかどうか)として、声を大にして言いたい。義経は平泉の高館で自害したというのは、『玉葉日記』や『吾妻鏡』にある藤原康衡の、鎌倉への報告をそのまま信じていることになります。
強敵木曽義仲を撃破。鵯越えの坂落とし、壇ノ浦の決戦など、どれをとっても勇猛果敢。戦の天才と言ってもいい。その彼がですよ、秀衡の死後の鎌倉の動き、康衡の苦渋の選択など何も分からぬまま、見晴らしの良い丘の上から口を開けて敵の軍勢を、「はい、いらっしゃい」と見ていたことを、信じるほうがおかしい。
焼け爛れた首を猛暑の中を40日以上もかけて腐らせて、のろのろと鎌倉まで運んだのは何故でしょうか?---しかも、その首は頼朝まで届いていないんですよ。頼朝は首実検などする必要がないことぐらいは、とうに分かっていたのでしょう。
----ここまでにしておきましょう。まず読んでから言ってください。読み出したら止められません。---光文社文庫で簡単に入手できます。
江戸時代以降、義経生存の記録が続々世に出てきたが、大正13年に小谷部全一郎が『成吉思汗ハ源義経也』を発表するに及んで、大いに人々を驚かせた。『成吉思汗の秘密』は推理小説の形をとっているが、並の推理小説よりはるかに読みごたえがある。
生涯にわたる実地踏査を踏まえた研究書としては、佐々木勝三、大町北造、横田正二の著書(いずれも神田の古書街を歩けば見つかるはず)があり、吉川英治、尾崎秀樹も注目した。
かつて、NHKが成吉思汗=源義経説を特集したことがあるが、そこでは、旧日本軍による大陸進出政策の思惑がからんでいるということだった。しかし、上記の本に掲げられた数々の証拠を見せつけられると、それだけでは納得させられない。