元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

私の蔵書(一部)

2007-10-24 14:50:34 | 蔵書

 ※以前、私のホームページに発表したものです。そこには、メールアドレスを載せたので、海外からも反応がありました。中には貴重本を「無料で譲ってくれ」というのやら、いたずらやらあって、そのHPは閉じました。
 自宅まで来て、現物を見せ、双方納得の上で売ったこともあります。楽天市場などに出品するのも一方法かも知れませんが、一冊、一冊梱包したり、送るのも面倒です。
 私も先が長くないので、価値の分かる人には譲りたいとも思っています。コメント欄などを使って個人的に連絡はできると思います。

   今は物置に入れっぱなしですが、いずれ整理して以下のようにしたいと思います。いずれもシミの付いた古書ですが,(2)は貴重な本で、古書店の主人が欲しがるものばかりだと自負しています。私も年ですので いつ散逸してしまうかもしれません。今すぐではありませんが、いずれ、研究者や啓蒙家など、この書物の価値が分かり、多くの人に知らせてもらえるような人に譲るほうがいいと思っています。図書館はすぐ無くなるので不可です。異端歴史や民俗学関係が多いです。純文学も、初版本など、少しあります。英語・英文学の本は(3)に属し、苦学の英文科学生などにあげるかもしれません。古い山の本や資料も(1)に属します。 (1)あげます (2)賣ります (3)最終的には寄贈を考えています。
  *未整理本が倉庫に積んであって、いつか整理しなければと思っています。今では何が入っているか忘れている本もあります。従って、下記は ほんの一部です。

 (1)あげます--車で取りに来るか、(段ボールに入れて)料金着払いで送ります。
   1.高校生用英語の辞書(10冊以上)  2.英文法、英文解釈、英作文など、学習参考書類多数

 (3)寄贈します--車で取りに来てくれるのがベスト
  3.(英文科学生用)英語・英文学関係書籍多数  4.英英辞書多数 

 (2) 売ります--理想は直接で

理想です
   5 (昭和)天皇 社団法人・日本世論調査研究所   6 砂の女 安部公房   7 燃えつきた地図(初版) 安部公房   8 日本のキリスト伝説 武内 裕   9 日本史の謎・石宝殿 六興出版   10 日本語の発祥地はメソポタミア 川崎真治   11 契丹秘史と瀬戸内の耶馬台国 浜田秀雄  12 倭と王朝  鹿島 昇   13 倭と辰国 鹿島 昇   14 数理歴史学、他  安本美典   15 サンカ社会の研究  三角 寛   16 サンカ生活体験記 矢切止夫   17 ウエツフミ原文併記全訳全5巻 吾郷清彦  18 大学入試問題正解(英語)25年分 旺文社[売却済み]   19 都電60年の生涯 東京都交通局   20 いろは歌の謎 篠原央憲   21 源氏物語99の謎 藤本 泉   22 成吉思汗の謎 高木あき光   23 霧の山稜 加藤泰三   24 親しい友人たち(初版),他 山川方夫   25 詩集「独楽」,他 高野喜久雄   26 古事記以前の書 吾郷清彦   27 日本超古代秘史資料 吾郷清彦   28 神武天皇実在論 林 房雄   29 日本に生きる徐福の伝承 山本紀綱   30神代の万国史 竹内義宮編   31 富士宮下文書の研究 神原信一郎   32 矢切止夫の著作[約200冊] 日本シェル出版   33 赤穂義人纂書   34 天皇アラブ渡来説   35 日本の民族と言語 戸上駒之助   36 海洋渡来日本史 木村鷹太郎   37 縁切寺満徳寺資料集   38 史疑・徳川家康事跡(復刻版) 村岡素一郎  

 [注] 
 (5) 昭和天皇と同じ年に生まれた父の形見です。大型写真集で、英文あり。ある人々には貴重な本のはずです。(7) 箱入り。「他人の顔」もあったのですが、紛失。(12) 「昇」は字が無いので勘弁してください。最近出た同著者の「明治維新の謎・裏切られた三人の天皇」は明治天皇替え玉説の恐ろしい本です。(14) 他に、「文章心理学入門」、「邪馬台国への道」(現代数学を用いたアプローチです)
  (15) 山や沢筋を転々と住処としたサンカは、真の自由人・自然人と言えましょう。しかし、住所不定の放浪人なので、当局から徹底的に弾圧され、昭和の初期に消滅したと言われています。白柳秀湖(20年以上前のことだが、予備校の帰り、偶然市川の古書店で10巻位からなる昔の全集を見つけ、担いで帰ってきたが、まだ読んでない。もう紙が酸化しているかもしれません)・柳田国男(いずれ語りたいと思ってます)・宮本常一など、利口なのでお茶を濁した程度で逃げています。本格的で体系的な研究は三角寛しかいません。昨年末出た「父・三角寛」(現代書館、ISBN4-7684-6737-7)を読めば分かりますが、彼の著作は世に出回っていません。ある遺族関係者が、かたくなに復刻を拒んでいるからです。(しかし、ようやく現代書館から「三角寛サンカ選集全七巻」として復刻版が出ました。私も(購入していますが、一般的にはこれを買って下さい。)三角の研究は警察当局の全面バックアップなので、その研究を疑問視する人もいます。この本は今から20年くらい前に神田の古書店で、私のポケットマネーをはるかに超える金額で購入しました。倉庫の中に埋まっているので、もしかしたら「サンカの社会資料編」のほうかもしれません。母念寺出版のものです。現在、一般の人に入手できるのは、「サンカ研究」(田中勝也、新泉社、ISBN4-7877-8702-0 ) だけですが、三角寛が否定されたら、この本も否定される、と筆者自らが言っています。五木寛之の「風の王国」や、ショウケン主演の映画「瀬降(セブリ)物語」(現在ではレンタル用ビデオ)で、サンカを扱っていますが、両者とも、サンカという言葉は一言も使っていません。---以下の貴重本をそれぞれこの調子で述べていくと膨大な量になりそうなので、後は後日にして、順次更新していこうと思います。 * 数名の方から三角のものをぜひ、との連絡を受けましたが、未知の人へ渡すのは矢張り抵抗があります。復刻版の三角寛全集を購入してください。  

 私が(2)の分類にした中の書物について、早速未知の方の目にとまり、「譲って欲しい」とのメールをいただき、感激しています。ただこの分類の書物はもう少し手元において、私の口から宣伝したいと思っています。しかるのちに、著者かその縁の人;これらを元にして、小説を書いたり、研究書を出版するような人;大学の研究室や資料館;例えば、若狭にある(水上勉の)若州一滴文庫のような散逸の恐れの無い施設;などのような所に譲りたいと思っています。「譲る」ということは、売る場合もあり、相手によっては寄贈する場合もあるということです。 或る古書仲買人が、私の本棚を見に来たいと言っている、と知らせてくれた者がいます。まだ早いと思っていますが、最後にはそのような形になるかも知れません。

 (17)ウエツフミはいわゆる「古事記以前の書」の一つです。日本には漢字渡来以前には文字が無かったと学校では教えています。高校の教師ですら、それを鵜呑みにして信じています。私など、反論しようものなら、気違い扱いされて近づかなくなります。エジプトのロゼッタストーンの例を挙げるまでもなく、日本では下関彦島の岩刻文字(アメリカの学者は認めていますし、あの日本国文部省ですら補助金を出しているそうです)、銅鐸の絵文字、高千穂の岩戸蓋石に刻まれた文字、等から、いわゆる神代文字で書かれた古史古伝に至る歴史は学会から全く無視されています。 ウエツフミ、ホツマツタエ、竹内文書、富士古文書、物部秘史、東日流外三郡誌などは、学会からは偽書として戦時中に葬りさられていますが、それらが偽書ならば、古事記・日本書紀・風土記なども偽書になります。どうも日本国家の成立や天皇制の根源を犯すので、(竹内文書に関する「天津教事件」の例でも分かるように)権力によって徹底的に弾圧され、その意を汲んだ学会によっても徹底的に、排除された経緯が読み取れます。 「サンカ研究」の田中勝也は、ウエツフミ研究でサンカに至ったと述べていますが、矢切止夫は、「サンカは用心して文字に残さない」ということで、ウエツフミの文字はサンカ文字ではないと言っています。 いずれにしても、この本には紀記よりはるか昔のことが書かれています。

 (19)は十代から定年まで東京都交通局に勤めた父の形見である。今では王子あたりしか走っていないが、私の学生時代は都電華やかなりしころで、往年の都電ファンにはたまらないであろう。この本は一般に売られたものではなく、交通局の職員に配布されたものである。東西線葛西にある、鉄道博物館にこの本があるかな?   (20)初出はカッパブックであったかと思うが、私は両方とも持っている。「いろは歌」は弘法大師空海によって作られたと、幼い頃学校で習った。だが近年では、時代が合わないのでは、ということになっているらしい。現存する最古の「いろは」は、1079年に成立した『金光明最勝王経音義』に、音を表す文字表として、7×7の桝目に記されている。その表の各行の末尾の文字を右から横に読んでいくと、「とかなくてしす」→「咎なくて死す」が浮かび上がることを、筆者は発見したのだ。「いろは歌」は、無実の罪で処刑される柿本人麻呂の暗号であると、筆者は言う。そう云えば、『仮名手本忠臣蔵』(仮名手本=いろは47、忠臣蔵=47)の四十七士も「咎なくて死す」であり、偶然の一致とは考えられない。 これに江戸川乱歩賞受賞の、井沢元彦『猿丸幻視行』(講談社)が続く。彼は「咎なくて死す」は受け継ぐが、作者は山上憶良だという。さらに村上通典『「いろは歌」の暗号』(文芸春秋 ISBN4-16-348330-6)が出版される。  (21)は徳間文庫にあるので、簡単に入手できよう。分厚い本ではないが、これを読めば、「源氏物語」に対する今までの常識が一変するであろう。中身は語らないことにする。

 (26) 「源義経がジンギスカンだ、なんて馬鹿のことを言う者がいるが、そういう気違いとは口をききたくない」とよく言われる。特に高校の女性教諭から。私はさらに、「上杉謙信は女人なり」とか、「明治天皇は偽者だ」なんて言うから、友人が次々と去って行く。クラス会など、私が寄っていくとみんな逃げてしまう。まさにガリレオの心境だ。だから、最近は(自分が学生の時の)クラス会などには出ないようにしている。「義経は奥州で死んでいるじゃないか。そんなの小学生でも知っている。ばかばかしい。」それでは訊ねる。どうしてそう断言できるのですか? 「教科書に書いてあるでしょう」ーーこれこれ、これがいけないんです。戦時教育を受けた者として、声を大にして言いたい。義経は平泉の高館で自害したというのは、『玉葉日記』や『吾妻鏡』にある藤原康衡の、鎌倉への報告をそのまま信じていることになります。 強敵木曽義仲を撃破。鵯越えの坂落とし、壇ノ浦の決戦など、どれをとっても勇猛果敢。戦の天才と言ってもいい。その彼がですよ、秀衡の死後の鎌倉の動き、康衡の苦渋の選択など何も分からぬまま、見晴らしの良い丘の上から口を開けて敵の軍勢を、「はい、いらっしゃい」と見ていたことを、信じるほうがおかしい。焼けただれた首を残暑の中を40日以上もかけて腐らせて、のろのろと鎌倉まで運んだのは何でしょうか?しかも、その首は頼朝まで届いていないんですよ。 ここまでにしておきましょう。まず読んでから言ってください。光文社文庫で簡単に入手できます。 江戸時代以降、義経生存の記録が続々世に出てきたが、大正13年に小谷部全一郎が『成吉思汗ハ源義経也』を発表するに及んで、大いに人々を驚かせた。(22)は推理小説の形をとっているが、並の推理小説よりはるかに読みごたえがある。生涯にわたる実地踏査を踏まえた研究書としては、佐々木勝三、大町北造、横田正二の著書(いずれも神田の古書街を歩けば見つかるはず)があり、吉川英治、尾崎秀樹も注目した。かつて、NHKが成吉思汗=源義経説を特集したことがあるが、そこでは、旧日本軍による大陸進出政策の思惑がからんでいるということだった。しかし、上記の本に掲げられた数々の証拠を見せつけられると、それだけでは納得させられない。

 (23)最近は山の本もいろいろと出ているが、ガイドブック的のものが多い。その点、この本は深く心に残る。若い頃はいろいろ持っていたが、引っ越しなどで散逸し、山の詩集以外はあまり残っていない。キーワードに利用した『星と嵐』も、いつのまにかなくなった。雑誌「山と高原」や「アルプ」なども、夢があった。 (24)私が大学を出て九十九里浜の近く、茂原に下宿していた頃、本屋の店先で出会ったのが、山川方夫の『親しい友人たち』であった。茂原のその本屋の主人は偉い!よくぞ置いておいてくれた。当時の茂原は地方の小都市で、今と違って、本屋も小さかった。本の帯に「閃光の文学」とあったのに惹かれた。これをショートショートと言っていいのか迷うが、まさに鮮烈な出会いであった。以来、山川方夫の本は欠かさず集めたが、そのまま所有しているので、勿論初版本である。今ではほとんど文庫になっているので、容易に入手できよう。彼は郵便局からの帰りに交通事故に遭遇し、惜しくも若くして世を去った。残念ながら、私のような山川ファンは少ないようだが、海外では高く評価され、『親しい友人たち』の中の、「お守り」は TALISMAN として英訳され、当時のライフ誌に掲載された(これも残念ながら引っ越しで散逸した)。今や(薬の錠剤に似て)任意の1個となった現代人の恐怖をえぐり出した掌編で、川端康成のものとは全く趣を異にする。

  (25) (詩集)『独楽』 (1957年、中村書店) がM農高からC高校へ移った頃だから、大学の英米文学科を出て4年目の春だったと思う。「リュウコウさん(彼は私をそう言う→そう、彼がこのホームページの命名者なんです)、凄いのが来たぞ。」ある日、親友の(最近埼玉県の高校校長を最後に定年退職した、若き日の)ケンさんが私にそう告げた。まだ30代の高野さんは、まさに突如として我々の前に現われた。戦後詩の大きな柱の1つに、鮎川信夫や木原孝一の「荒地」がある。高野喜久雄はその「荒地」に途中から参加したが、「生」とは何か、生きているとはどういうことかという、「存在」そのものを執ように問いつめた。 詩集『独楽』に収められた同名の詩、「いかなる慈愛/いかなる孤独によっても/お前は立ちつくすことが出来ぬ/...」(By whatever compassion / By whatever solitude / You cannot be kept standing /...)で始まる「独楽」は現国の教科書にも収録されたものだが、「鏡」、「レコードのように」、「蝋燭」など、日常のごく普通のオブジェを見事に釣り上げて彼の世界に誘い込む、その手法は見事というしかない。国文科の学生が卒論に取り上げることがあるそうだが、日本よりむしろ海外で高く評価されている。都立S田川高校の新校舎落成記念の時だったか、同校合唱部による「水のいのち」(高野喜久雄詩、高田三郎曲、カワイ楽譜)をハーモニーで聞いたとき、茂原の食堂「くにや」でよく我ら二人を前にして語った高野さんの、理知的で色白の顔を思いだした。K岩高校の図書室に『高野喜久雄詩集』を入れて2期生に読ませたが、とっくに紛失していて今はない。『独楽』、『存在』、『闇を闇として』、『高野喜久雄詩集』と、次々に詩集を世に出したが、現在入手できるのは、それらのピック・アップである、思潮社版現代詩文庫40『高野喜久雄詩集』(前記箱入りの同名のものとは異なる詩集)であろう。  昔アメリカの大学で『戦後日本文学特集号』という本を出したが(紀要?勿論英訳--"The Literary Review" 1962, Fairleigh Dickinson University)、私がどうしても欲しいと言ったら、一冊分p144をコピーして送ってくれた。当時はコピー機のはしりで、高野さんに大変な散財をさせてしまった思いがある。他の本で、アンソロジーも数冊所有しているが、"Japanese Poetry Now" (by Thomas Fitzsimmons) なんか、今では入手不可能であろう。そういえば、最初の詩集『独楽』を入手するときも、苦労した。高野さんに言われて、渋谷の中村書店で見つけたときは飛び上がって喜んだものだ。  今は文通していないので分からないが、これらの詩集はひょっとすると、高野さんの手元にもないものがあるかもしれない。ならば、いずれは高野さんにそっくり戻すのがいいとも思っている。コンピュータが世に出た当初から、いち早くこの道具に興味を持った高野さんだから、この私のホームページを見てくれるかもしれない。 *早速、高野さんからメールをいただきました。茂原で書いた「豚のうんこ」という詩は未発表のままなんですか?訊くのを忘れたが、「これらの詩集は高野さんの指示どおりにする」とページに書いたのに、高野さんは黙ったままこの世を去ってしまった。
 日本の頭脳というよりは、もう 世界の Takano でしょう、 →Kikuo Takano

  漢字以前にはわが国には文字は無かった、と学校では教わる。それを否定するのがこれらの書物である。それは(10)ですでに述べてある。象形文字、絵文字、棒文字、縄文字、など様様な文字を紹介している。そして古事記以前の書はこれらの「神代文字」を用いて書かれているのだ。日本各地で次々に見つかったこれらの書物を、筆者は次のように分類している。   (一)古伝四書      ウエツフミ  ホツマツタエ  ミカサフミ  カタカムナのウタヒ  (二)古史四書      九鬼神伝精史  竹内太古史  富士高天原朝史  物部秘史  (三)異録四書      但馬故事記  東日流外三郡史  忍日伝天孫記  神道原典   『ウエツフミ』については、(17)で述べた。『ホツマツタエ』、『カタカムナのウタヒ』に関しては、原文は無理だが、紹介書なら入手可能。今手元にあるのは、『謎のカタカムナ文明』(阿基米得著、徳間書店)。『竹内太古史』は(30)、『富士高天原朝史』は(31)で、高価だが、神田の古書街で見つけることができるだろう。『東日流外三郡史(ツガルソトサングンシ』も古書街で見つかるかも知れない。紹介書なら手元にある。『謎の東日流外三郡誌』(佐治芳彦著、徳間書店)。 (32)次の(33)に登場する、徐福による『富士古文書』及び富士高天原を知ったのは、この『神武天皇実在論』によってであった。これはカッパ・ブックスにあるものだが、絶版となっており、神田で捜すしかないであろう。林房雄は三輪義ひろ著『神皇記』(多分私の蔵書にある)と(35)を友人から借りて読み、すっかりのめり込むことになる。そして富士小室浅間神社宮司の宮下家まで、その古文書を見に行くことになる。勿論、徐福がまとめたとされる古文書がすべて原形のまま残っているはずはなく、度重なる富士山の大爆発や水害、筆写の歴史を経て、現在残っているものは元の一部である。いずれにしても、林房雄は宮下家でその一部を見せてもらっている。 徐福というのは、秦の始皇帝につかえた道教の方士である。司馬遷の『史記』によると、東方の海中に蓬莱という神山があり、そこには不老不死の薬草があるという。始皇帝はそのために、徐福に大遠征隊を組織させ東方海上に船出させた。そこまでは、『史記』にあるが、その後は無い。
 それで次の(39)の登場となるだが、一行が最終的にたどり着いたのが、富士山麓だと言うのだ。 『富士古文書』はそういう時代のものだから、古事記・日本書紀など及びもつかない超古代の日本の歴史が書かれているのだ。また一行によって富士山麓には一大文化圏が成立した。  『古代日本の王都が富士山麓にあった』(加茂喜三著、絶版)という書物がある。その都も大爆発により埋もれてしまった。富士山麓を埋め尽くした溶岩は、南斜面から愛鷹(アシタカ)連峰の北斜面まで覆ったが、その南斜面は無事だった。私の所有する『愛鷹の巨石文化(前・後巻)』(加茂喜三著、富士地方史料調査会、昭和60年発行)によれば、愛鷹山中には明らかに人工の巨石群がたくさん眠っている。写真も載っているのが、飛鳥の謎の石造物の数の比ではない。里人は庭石に利用している写真もあるが、この本が出てから心無い者に巨石群がだいぶ荒らされているらしい。それでも、それらを見に行くには山慣れした探検隊でなければ不可能のようだ。富士地方史料調査会では、他にも、『富士王朝の滅亡』、『隠れ南朝史』、『木花咲耶媛の復活』、『ヒミコの故郷』など、いくつか本を出しているが、現在でもあるかどうか。それらの書物を入手したければ電話するしかないが、昭和60年現在の番号はtel. 0545-52-3058 です。住所:静岡県富士市中央町1-1-1大喜ビル2階、富士地方史料調査会。

  *40から後は物置の整理をしないとどうしようもありません。秋になったら取り出すつもりです。 そしたら、どんどん解説していきますが、どうなることやら---。  


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