元高校教師のブログ[since2007/06/27]

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秩父路は秋真っ盛り--その2(18番神門寺~5番長興寺)

2007-11-23 12:09:34 | ウォーキング

18番神門寺~5番長興寺】11月20日午後

【前書き】国道や県道など、道路地図には道路の名前より番号が書かれている。我が家の近くに「木下(きおろし)街道」というのがある。地元ではそう呼ぶが、地図では地方主要道の59号だ。未知の土地でドライブマップを見ると、この番号でないと通じない場合が多い。
 秩父では「神門寺」より18番という番号で呼ばないと通じないことが多い。駅員、タクシー運転手はもとより、地元の人に道を尋ねると、この番号を言われる。「×番から○番へは、この先の角を--」という具合だ。観音堂巡りでは、そのことに慣れておく必要がある。
 それと、札所巡りはお寺参りではないのだから、コースなどには堂の名を使うのが本筋だ。だが、両者は同じ場所にあるのが多いので、慣例で寺の名前を用いるが、その点、誤解のないように。

コースタイム    ガスト(1:00)---(1:05)18番・神門寺(1:15)---聖地公園---三番峠---
  (1:50)3番・常泉寺(2:10)---(2:35)4番・金昌寺(2:45)---(3:15)5番・語歌堂---(3:20)長興寺(3:30)---語歌橋---台地上---(4:10)農園ホテル

 ガストから神門寺へはすぐだ。下の写真でも分かるが、寺と堂が同居しているが、元は別個な存在。多分、綱吉の狂気的仏教政策あたりからであろう。 

 
18番神門寺                  蓮華堂

 18番から秩父東高校のグランド沿いに聖地公園の丘に登り、上に出たら車道を左に歩く。右回りのカーブで、公園の先端を廻った辺りに左に降りる山道がある。三番峠だ。下の写真のようにのどかな道を下って行くと三番・常泉寺に着く。

     

 

 これを読めば、堂と寺の関係がよく分かる。堂と寺は別個のものだったが、堂の場所にあとから寺を建て、あたかも寺が中心のように吸収合併してゆき、現在の姿となった経緯が記されている。右下の写真を見てください。棟を四方に広げた堂独特の建造物だが、よく見ると正面・向拝の部分をあとから改造している。左下の写真である。だが、遠方から見れば、明らかに堂の建物だ。

 

 枚数の関係で今までカットしてきたが、どの堂にも下のような絵馬みたいな説明板が飾られている。どれも色鮮やかに描かれていて、観音様を信じていれば、奇跡的に良いことが訪れるという話や因果応報の逸話が多い。巡礼者の目に必ずとまり、故郷に戻ったら、この有難いお話を里人に伝えることだらう。

 3番から4番への道も静かで落ち着いた道だ。

下の写真を見れば、札所巡りは観音堂巡りだといくことが、よく分かる。

 4番は、境内から裏山のハイキングコースにかけて無数の石仏があることで有名だ。1700年代から続く巡礼者たちの寄進で、約1,300体だそうだ。一つ一つ見て歩くと日が暮れてしまいそう。

 

 


 この子育て慈母観音像はあまりにも有名だ。


 巡礼姿の人々がご詠歌をうたっていた。

 

 札所5番は(堂の)語歌堂と(お寺の)長興寺とが、明確に場所を異にしていた。これが本来の姿であろう。 

 

  語歌堂の脇の道に入り、横瀬川にかかる語歌橋へ行く。もう一つの川である大堀川に出合うと、その車道と別れ、前方の丘陵地帯に向かう。その山の向こうに聖地公園があるのだ。今夜のホテルはその台地の左側にある。
  鬱蒼と樹木が茂る、獣道みたいな細い山道を一汗かいて上に出た。そこからは快適なハイキング道となる。聖地公園を取り巻く車道に出て、左に歩いていくと明るいうちにホテルに着いた。 

 ホテルは高台にあるので、眺めは良い。以下の写真は部屋から撮った、夕方と夜の秩父の街並みである。

 

 ※ホテル名は「ナチュラルファームシティ 農園ホテル」であるが、地元では「農園ホテル」で通る。所在地や宿泊代などは、ネットで確認できる。本館ではなく、別館ならリーズナブルな代金であろう。 


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