※当初の予定; [徒歩コース]--*トイレ
鎌ヶ谷駅→初富駅手前左折→貝殻山公園*→斜面林の道→自然霊園*→三橋家の
墓→ほたるの里→グリーンハイツ→南部小→根頭神社→南部公民館*→鎌ヶ谷駅→食事
処で昼食後解散)
○途中、自然霊園に立ち寄った。外のトイレ前でザックを置いたら、休憩室から
職員が出てきて、「ここはお墓参りの人のためにあるので--」と言われ、排除さ
れた。因みに、我々の周りには他に人影すらない状況だったのに。
この霊園近くにトイレ付公園が無いので、急遽、徒歩コースを変更し、南部公民
館へ直行せねばならなくなった。ために、コースは順序通りに歩けなくなった。
→今後、この場所を利用する人は充分気をつけてください。
序に一言;お墓勧誘のチラシを、たびたび我家のポストに入れないでね。
そこはゴミ箱ではありません。
○変更したコース;自然霊園→春日八幡神社→南部公民館*→根頭神社→
キャンプ場*[スマホによるミニコンサート]→鎌ヶ谷駅→吉野家(昼食後解散)。
コース名も「鎌ヶ谷緑陰散歩道」に変えた。
貝殻山公園--公園の北側・女性像の近くでハクビシンを目撃。アライグマでもタヌキ
でもなかったので、間違いないだろう。
鎌ヶ谷周辺は下総小金中野牧(まき)があった所で、江戸時代には軍馬を供給していた。この公園の近くに捕込(とっこめ)もある。→下総小金中野牧跡 捕込/千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば-
[江戸幕府は、軍事上重要な馬を確保するため、直営の牧場をもちました。その中
で県北西部地方に設定されたのが小金牧で、五つに分かれていました。そのうち鎌
ケ谷市域と関係が深いのは中野牧・下野牧です。
小金の五牧では馬が放牧され、その馬は野馬とよばれました。野馬は放し飼いに
され、飼料や飲み水も人の手を加えず、自ら求めて、食べたり飲んだりしていまし
た。えさは雑草でしたが、冬は笹の葉や常緑樹の葉などを食べていました。
この像は、その当時の野馬を参考に制作したものです。]
○松琴の句碑 --「をりをりに 余花(よか)の散りくる 峡田(はけた)かな」
この公園の南端に清田松琴の句がある。松琴は鎌ヶ谷の住人で、高浜虚子の長男・
年尾の弟子というからホトトギス派の俳人だ。
詳しくは以下を参照してください→ かまがや散歩: 「松琴氏 俳人ながら牛飼である」(その
なお、松琴が牛飼いの俳人なら、伊藤左千夫は牛飼いの歌人である→
「牛飼が 歌よむ時に 世の中の 新しき歌 大いにおこる」。多分、(東京に出て
きた)伊藤左千夫に影響を受けているだろう。芥川龍之介は牛飼いの長男として
京橋の入船町で生まれたというから、明治時代の(現江東地区)は酪農が盛んだっ
たことが分かる。
自然霊園内
ミニコンサート曲名--他に誰もいない涼しい森の中で。時間の都合で1番のみ)
寒い国から来た手紙 (泉谷しげる)
春のからっ風 (泉谷しげる)
私に人生と言えるものがあるなら (高石ともやとザ・ナターシャセブン)
---ついでに、合唱曲「水のいのち」の作詞者である高野喜久雄の話もした。
近江の子守唄 (高石ともやとザ・ナターシャセブン)
東京 (マイペース)
遠い世界に (五つの赤い風船)
黄昏のビギン (山本譲二)
或る雨の朝 (石原裕次郎)
I left my heart in San Francisco (Julie London)
ヴァイア・コン・ディオス (Julie London)
Do I Ever Cross Your Mind? (Dolly Parton)
Mockin' Bird Hill (Pati Page)
※この日は緑陰ということもあって、比較的涼しいウォーキングであった。