***harukaさん今日もお休み"(-""-)"***
タコ釣りに行きたい(^^♪
昨日天津港で会った釣り人はタコ釣りをしていた。短い竿でタコテンヤに豚の脂身を巻き付けてゆっくり動かしている。つい最近荻浜漁港で一匹釣ったと言っていた。一緒にいた地元の人がよく喋る人で釣り情報を教えてくれた。5月の連休明けにはキスが釣れる。船道まで投げれば20cm超えが釣れるらしい。車も停めやすく耳寄りな情報だった。さだむさんが浜荻漁港に移動して風が強いなか釣りをしていたら、タコ師が来た。手を上げて合図したら答えてくれた(^^)。
5時目覚めて昨日を思い出して布団の中で上のブログの記事を書く。
6時起床、天気は曇り。天気は回復に向かう。洗濯しようか悩む・・・洗濯は明日でいいか(^^♪。
朝食の準備をする。キャベツと新タマネギと焼き豚をスチーマーで蒸す。ポン酢で頂く。ワカメスープとジャム&パン。
6時45分スクールガードに行く。harukaさん今日もお休み。母親にLINEでどうしたのと訊くと熱が下がらなく、今日、医者で治癒照明をもらってから遅れて登校するとのことです。明日は会えるかな?。tagutiさんがお孫さんと登校する。たぶん彼女、民生委員の仕事が11月に終わるのでスクールガードに加わってくれそう(^^♪。
いつも見かけるキジネコちゃんが今日も朝の散歩している。やっと写真が撮れた。
7時35分スクールガード終了する。毎朝、道路際(きわ)の草花の手入れをしているご婦人に菊の枝を1本頂く。庭の空き地に差しておく。根付くかな(^^♪。帰宅して踏み台昇降100回と柔軟体操を済ませる。コーヒーを淹れて香りと味を楽しむ。
完全復活! タイガー・ウッズが5度目のマスターズ制覇 11年ぶりメジャー通算15勝目
海外男子メジャー初戦のマスターズは現地時間14日、米ジョージア州のオーガスタ・ナショナルGC(7,475ヤード、パー72)で最終ラウンドが終了し、タイガー・ウッズ(米)が優勝を果たした。2打差2位タイから出たウッズは後半15番でバーディを奪い単独首位に浮上。16番パー3ではもう少しでホールインワン達成というショットを披露しバーディ、17番パー、18番をボギーとし、6バーディ、4ボギーの「70」を記録。通算13アンダーでフィニッシュした。マスターズ制覇は2005年以来5度目。そして、2008年の全米オープン以来11年ぶりのメジャー通算15勝目、去年のツアー選手権以来の米男子ツアー通算81勝目をオーガスタで手にしている。通算12アンダー2位タイにダスティン・ジョンソン(米)、ブルックス・ケプカ(米)、ザンダー・シャウフェレ(米)が続いた。単独首位から出たフランセスコ・モリナリ(伊)は後半に2つのダブルボギーを叩くなど2オーバー「74」と崩れ、通算11アンダー5位タイとなった。松山英樹は3バーディ、3ボギーの「72」で回り、通算3アンダー32位タイ。金谷拓実(東北福祉大3年)は2バーディ、6ボギー、1ダブルボギーの「78」とし、通算5オーバー58位タイ。ローアマチュアは獲得できなかったが4日間を通して素晴らしいゴルフを展開した。小平智は2バーディ、6ボギーの「76」とスコアを落とし、通算6オーバー単独61位で大会を終えている。
タイガーすごい。完全復活だ(さだむさん)
ブラックホール撮影を成功に導いた日本人の「魂」
世界初となるブラックホールの撮影成功に世界が沸いた。その撮影で中心的な役割を果たしたのが、南米チリの望遠鏡「アルマ」だ。『スーパー望遠鏡「アルマ」の創造者たち』(日経BPコンサルティング)の著書である山根一眞氏が、今回の撮影でアルマが果たした役割と、快挙の礎(いしずえ)となった日本人天文学者の知られざる活躍を紹介する。山根氏による寄稿と、『スーパー望遠鏡「アルマ」の創造者たち』からの一部抜粋をあわせてお読みいただきたい。(JBpress)
ブラックホール撮影成功における「アルマ」の大貢献
ブラックホールの撮影成功で、中心的な役割を果たしたのが、南米チリ、アンデス山脈の海抜5000メートルに建設された「アルマ」。66台のパラボラアンテナを、1つの眼として観測する電波望遠鏡である。このワンセットを「干渉計」とも呼ぶ。日米欧が計画からおよそ30年かけて完成させた壮大な国際共同プロジェクトで、パラボラアンテナは欧米が各25台、日本が16台を製造した。目指したのは、「東京から大阪の1円玉が見える超高分解能」だ。各国それぞれの苦労があったが、日本でも無謀ともいえる挑戦、辛酸、そして歓喜のドラマがあった。
今回の撮影は、世界の8カ所の電波望遠鏡を連携させ干渉計として、同時に観測したデータを重ね合わせて得た。その超高分解能の画像を得たからくりは、「開口合成法」と呼ばれる。実はアルマ自身も「開口合成法」による電波望遠鏡だ。66台のアンテナを自由に移動させることが可能なので、観測目的によってアンテナ群を山手線ほどの範囲に広げて点在させると、山手線のサイズのレンズをもった望遠鏡となる(このからくりを発明したイギリスの天文学者、マーティン・ライルは1974年にノーベル物理学賞を受賞している)。
今回のブラックホール観測は、地球上の8つの電波望遠鏡を連携させて地球サイズのレンズを作り、行われた。つまり、アルマの超拡大版なのである。8つの電波望遠鏡が得た「数テラバイト」という膨大なデータをピッタリ重ね合わせるのは至難の技だったが、それらをもとにあの画像を描き出すことに成功。「月にあるゴルフボールが見える、視力300万」を実現し、観測不能と言われたブラックホールを捉えることに成功したのだ。
国立天文台の天文学者で広報担当の平松正顕(ひらまつまさあき)さんは、今回のブラックホールの観測では、アルマの全66台のアンテナのうち37台前後(観測日によって若干違う)を駆使したと伝えてきた。
「アルマの12メートルアンテナ37台を組み合わせると、集光面積としては直径70メートル強のアンテナに相当します。他の7カ所のアンテナが10〜30メートルであることを考えると、アルマは圧倒的な高感度です。これにより、ブラックホール観測全体の感度が向上したんです」(平松さん)
アルマ望遠鏡のディレクター、ショーン・ドウアティ氏も、次のように証言している。
「アルマ望遠鏡は、ミリ波を観測できる望遠鏡としては世界最大であり、今回のプロジェクトで非常に重要な位置を占めています。アルマ望遠鏡の感度が高いことで、他の望遠鏡のデータと結合させる際の高い精度を保証することができ、今回の素晴らしい成果につながったのです」
その37台には、日本の国立天文台が構想、三菱電機が製造した12メートルアンテナが含まれている。そのことはまったく報道されなかったが、数多くの天文学者、設計・製造を担当した三菱電機、そして多くの町工場の技術者たちの血のにじむような努力があったからこそ、ブラックホールの観測という天文学史上の栄光を手にできたことを忘れないでほしい。
(※)以下は、『スーパー望遠鏡「アルマ」の創造者たち』(山根一眞著、日経BPコンサルティング)の一部を抜粋・再編集したものです。
日本からチリへ、運ばれたアンテナ
私たちが生きている太陽系の惑星、地球。私たちの地球は、1千億個とも2千億個ともいわれる星々からなる天の川銀河にある。同じような銀河が宇宙には1千億個あり、それら無限とさえ思える星々や惑星はすべて、冷たい宇宙空間に漂う、希薄なガスと塵からつくられた。私たちの母は、その冷たいガスと塵なのである。
南米大陸の背骨であるアンデス山脈は7カ国、南北に7500キロメートルも続いている。日本から送り出した16台を含む日米欧の66台の巨大パラボラアンテナは、標高5000メートル、チャナントール高原に設置されている。標高5000メートルは、酸素が希薄で人が住める場所ではない。草木はいっさい育たず、火星のような乾燥しきった光景が広がっている広大な平地だ。電波観測の障害となる大気中の水蒸気がきわめて少なく、地球上でもっとも宇宙に近い場所として、この地が選ばれたのである。
パラボラアンテナは電波の送受信に使われる装置だが、天体観測は「受信」専用だ。光ファイバーで相互に結ばれた66台は、一体となってはるか彼方の宇宙のターゲットに向けられる。天体から数億年、100億年以上かけて地球に届いている「電波」をとらえようというのだ。
宇宙を電波で観測する、こういったパラボラアンテナを電波望遠鏡と呼ぶ。ここ南米のチリにつくられた電波望遠鏡「アルマ」は、およそ1500億円を投じて実現した、史上最大スケールの国際協力の天文学プロジェクトなのである(日本は約250億円を負担)。アルマが宇宙を見る「眼」の解像度は0.01秒角。視力に換算すると6000。これは、東京から大阪にある1円玉がくっきりと識別できるほどの視力だ。
日本経済が低迷するなかで
あらゆるモノは電波を出している。太陽のように燃え輝いている星や、星の寿命の最後である大爆発(超新星)の残骸などは、熱く、荒々しいエネルギーを発しているので、光学望遠鏡でもとらえることができる。しかし、極低温の場所からは可視光線は出ていないので、光学望遠鏡では見ることができない。
ところが、そういう冷たい天体でも電波は発している。モノによって、状態によって、発する電波の波長は異なるため、その電波を調べれば、どんな化学物質があり、ガスや塵がどのような動きをしているかなどがわかる。アルマ望遠鏡なら、これまで知ることができなかったダイナミックな天体の姿がつかめるのだ。
もっともそれには、ごく短い波長、ミリ波とかサブミリ波と呼ぶ電波を受信しなければならないが、それを実現するためには信じがたいパラボラ面の精度が求められた(ブラックホールは1.3ミリメートルというミリ波で捉えている)。人類が経験したことのない超精密なもの作りが必要だったのだ。
だが、アルマ望遠鏡の建設が本格的に始まろうとしていた矢先、日本は大きな経済低迷に見舞われてしまう。1998年には、名目経済成長率がついにマイナスに転じ、大手銀行や証券会社が倒産した。1990年代初頭に約60兆円だった一般会計税収計は、1999年度には47.2兆円、2003年度には43.3兆円と約3割減った。
そのため政府は予算を出し渋り続け、しびれを切らしたアルマプロジェクトは「日本抜き」で動き始めてしまった。だがここで、日本が国際共同プロジェクトから追い出されてしまえば、日本は宇宙を解明するまったく新しい天文学から完全に取り残される。それだけは食い止めなくてはいけない。
さまざまな努力を経た2001年4月、東京で日米欧の会議が実現し、このプロジェクトを日米欧の共同で進める合意をなんとかとりつける。名称を「アルマ」(Atacama Large Millimeter/submillimeter Array)とすることも決まった。「ALMA」はスペイン語で「魂」「精神」「心」「芯」などの意味もある。
アルマが開こうとした扉の先には、輝きに満ちた新しい天文学が、驚きが絶えない科学が、書かれたことのない歴史学が、思いもかけない人間学が待ちかまえていることは間違いなかった。そのとてつもない扉を開けようと奮戦してきた、大胆で無謀ともいえる創造者たちの、数多くの知られざる物語があった。
2013年3月13日、開所
2013年3月13日、いよいよ迎えたアルマの開所式には、山根一眞も列席した。アルマ、2度目の訪問だった。開所式では、日本チームによるアルマヘの取り組みや、今後の決意も紹介された。その間、スクリーンには1人の日本人天文学者の笑顔の写真が映し出された。
写真の人物は、森田耕一郎さん。式典会場には、その森田さんの笑顔の写真を見つめる基子夫人と大学生の長男の姿もあった。1954年、福岡県田川(たがわ)市に生まれた森田さんは、名古屋大学工学部で学んだのち、名古屋大学空電研究所(現・太陽地球環境研究所)に入所した。ここには、9歳年長の先輩で後に国立天文台に移りアルマ計画の推進役となった石黒正人さん(現・国立天文台名誉教授)もいた。
当時の所長、田中春夫教授(後、名古屋大学名誉教授)を師として電波望遠鏡(干渉計)の研究を続け、5年後の1982年に国立天文台野辺山宇宙電波観測所に助手として移籍。野辺山でじつに24年間を過ごし、電波望遠鏡の理論と技術に磨きをかけた。石黒さんとともにアルマ望遠鏡の実現に向けて尽力してきたキーパーソンの1人だった。
2010年に国立天文台教授としてアルマ推進室に転勤後、同年8月にチリに赴任した。当時、現地には続々と日米欧のアンテナが姿を現していたが、2008年頃から日米欧のアルマ全体のマネジメントがうまく回らず、プロジェクトに危機感が覆い始めていた。
森田さんは知識量が豊富で、英語力も堪能で各国との議論でも十分に伍(ご)していける。何よりも海外の電波天文学者たちとのネットワークが非常に密で、サイエンティストでありながらシステムの人であることから起用。アルマ仕上げの要として、チリの首都、サンティアゴにオフィスがある合同アルマ観測所に赴任する。
夫人に送られた「写真」
そして2010年5月22日、ピアニストである基子夫人は、チリの森田さんからアルマ望遠鏡の試験観測の成果を受けた。「土星の写真を送るよ」と、基子さんの携帯に送られてきたメールの添付画像は土星をとらえたものだった。もっとも、黒い背景にオレンジ色の細長い円盤状のものが斜めに写っているだけのぼやけた画像にすぎなかったが、メールにはこう記してあった。
「観測時間が10分しかとれず、しかも4台のパラボラアンテナだけで観測したため、土星の姿が長く伸びてしまったが画期的な成果だと自負しているんだ」
その20時間後、新たな画像が届いたが、それも一面のオレンジの中に白くぼやけた円が写っているのみ。基子さんは「シミみたい」と思ったが、これは太陽から1万光年離れた天体を観測した画像であり、こんな説明が添えられていた。
「生まれたばかりの星からの紫外線に照らされて星間ガスがプラズマの雲となったもの。プラズマガスは、光では見えにくいけれど、電波はとても強く見えるんだよ。もっと面白い観測ができそうな感じになってきたけれど、今日は上が悪天候で望遠鏡は運用停止になってしまった。がっかり」
「上」とは標高5000メートル、アンテナが並ぶ「山頂施設」を指しているが、悪天候とはいえアルマ電波望遠鏡がいよいよ本格的な観測の入り口にたどり着いた、大きな喜びを伝えてきたのだ。前年(2009年)の9月18日、アルマの日本のアンテナは標高5000メートルの山頂施設へ一番乗りを果たし、この年の1月初頭に3台のアンテナをつないで、干渉計として山頂での最初の観測に成功していた。アルマは最終的には66台をつなぎ、各アンテナがとらえた同じ天体から届いた電波のデータをスーパーコンピュータ(相関器)で統合、重ね合わせて1枚の画像にするため(データリダクション作業)、アンテナの数が増えるたびに干渉計としての働きに問題がないか、相関器とのマッチングが円滑にいくかなどのチェックが続けられていたのだ。そのテスト受信画像は膨大な数にのぼったが、成果としては公表されていない。森田さんが送ってきた土星の画像はその1枚で、山頂施設にアンテナが4台揃ったため、澤田剛士さん(国立天文台チリ観測所助教、合同アルマ観測所コミッショニング・サイエンティスト)が、森田さんとともに4台で初めておこなった干渉計観測で得たものだった。2点目の「プラズマの雲」は、土星を観測した翌日早朝の観測成果だ。重たい恒星の周囲に集まっている星間ガスが、恒星が発する強力な紫外線によってばらばらになって光り輝いている(電波を発している)様子をとらえていたのだ。「2つ目の画像は、森田さんに教わりながら、前日の土星の絵を作るために使ったソフトウエアスクリプトを使い、リダクションをした記憶があります」(澤田さん)森田さんはアルマという巨大なコンピュータシステム全体を見渡せるエキスパートとしてアルマの仕上げを進めていたが、基子夫人へのメールはそれが順調であることを物語っていた。だが、開所式を10力月後に控えた2012年5月、信じがたい悲報が届いた。森田さんはサンティアゴ市内で帰宅途中に強盗に襲われ、帰らぬ人となってしまったのである。
命名「モリタアレイ」
スクリーンに投影された、にこやかにほほ笑む森田さんの視線の先には、巨大な仮設テントの開口部から、式典の主役である数台のパラボラアンテナが見えていた。移動可能なアルマ電波望遠鏡ならではの「列席」だったが、その晴れ姿を見ずに他界された森田さんを思い、家族の皆さん、そしてすべてのアルマ関係者は、やりきれぬ無念さを噛みしめた。
その2日後、私の投宿先であるサンティアゴのホテルに石黒さんから電話があった。「さっき、アルマのボード会議が終わったんですが、16台からなる日本製のアンテナ群、ACAを「モリタアレイ」と呼ぶことになりました。日米欧全員一致による決定でした」そのボード会議の終了後、森田夫人と息子さんは、合同アルマ観測所長の夕イス・ドゥフラウ所長(当時)から会食に招かれ、その席で日本の16台のアンテナ群を「モリタアレイ」と命名したことが伝えられた。森田さんの名は、宇宙の謎を解く人類史上最大の電波望遠鏡アルマの、アタカマの守護神として語り継がれることになったのである。その森田さん、宇宙の彼方で、ブラックホール画像撮影成功を大きな喜びをもって見つめているに違いない。
本を購入しようかな。面白そうだ(さだむさん)
昼食はイタリアン外食。
帰宅してvideo三昧・・・
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さだむ農園0415