「10月に入り、各地で秋祭りが開かれたというニュースが聞かれるようになりました。私の住んでいる町でも「よさこい祭り」が開かれました。「よさこい」の語原は「いい世さ、来い!(よい世の中になって欲しい!)」だそうです。本当に新型コロナが2類から5類になるまでの3年数か月の間、辛い生活を余儀なくされた人も多かったように思います。皆さんの街では秋祭りは行われたのでしょうか。
昨日福岡アジア美術館(福岡市博多区下川端町)で開催されている「水俣・福岡展」を見に行きました。水俣病の発生からその後の推移を克明に記録してありました。
水俣展開催趣意書には、
「加害企業チッソの技術力は、世界の化学業界のなかでもトップクラスにありました。その生産過程で副生された原因物質のメチル水銀は、自然界にはまず存在しないものであり、わずか耳かき半分ほどで人を死に至らしめる猛毒でした。水俣湾をつつむ不知火海は、沿岸漁民の主食というべき魚介類の宝庫でしたが、ここに注ぎ込まれたその総量が一億国民を二回殺してもなお余りあるほどに至るまで、チッソの生産活動は続けられました。」
と書かれています。
「生産活動は続けられました」と書かれていますが、1956年(昭和31年)に熊本大学の研究で、原因物質が突き止められてもその後約2年間は生産が続けられたようです。原因をそれと知りながらチッソと行政機関は隠蔽し続けたのです。排水停止と謝罪を求める被害民に対しては、警察力をもって応えました。
記録展を見て、大人が健康被害を受けるのも許しがたいのですが、胎児性水俣病の子どもたちの姿は、不憫で仕方ありませんでした。生まれる前から若くして亡くなるまで病で苦しんだのです。
そして国民の健康よりも企業の利益を優先する政治が行われたのです。
環境問題が取り上げられるようになったのは1970年代頃からです。高度経済成長で公害に対する意識が変わっていったのだと思います。これからは水俣病を発生させた反省の下に環境に対する意識をさらに高めていって欲しいと思いました。
展覧会のポスターです。☟