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坂本氏を探る(6)坂本(比叡山東麓)で育った 足利義昭の末裔  坂本 義辰(さかもと よしたつ)

2018-09-24 21:34:15 | 坂本氏

比叡山の東の麓に「坂本」はあります。

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坂本 義辰(さかもと よしたつ、生没年不詳)は、江戸時代後期の陸奥国会津藩士、会津松平家家臣。通称は学兵衛。父は坂本義馮(学兵衛。諱は義応とも)

宝永年間から正徳年間までの松平正容の治世下の会津藩城使に「坂本学兵衛」、宝暦5年(1755年)の御用人に「坂本学兵衛」の名が見られるが、これらは義辰の先祖にあたる。

寛政3年(1791年)に会津藩を通して江戸幕府老中の松平定信に、自身が室町幕府最後の将軍足利義昭の子で近江国坂本で義昭近臣の一色藤長に養育されたという一色義喬の子孫である、という由緒書を提出する。

子孫は松平容敬の御用人を勤める。また幕末の子孫の義続(右兵衛)は戊辰戦争で白河口方面の主将となったが、戦傷死した。その子義劉(栄助)の代で、会津から栃木県足利へ移ったという。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E7%BE%A9%E8%BE%B0


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これは、坂本大炊隆中と関係があるのでしょうか? そこはまだ、調査中です。
(仙台藩と会津藩なので、違いますよね??奥羽越列藩同盟で、二藩の坂本氏が同じ白河口で新政府軍と闘っていた…ということでしょうか??)


さらに井伊直広の母に「坂本氏」が見え、側室 智貞院(坂本氏)となっています。
子どもは、
忠六郎(?-1772) 南渓院
女子(?-1765)  
鶴之亮(?-1769)  
女子(?-1771)  
直広(1769-1792) 聞溪院、幼名外也
越後与板藩世子
真田幸専(初名直専)(1770-1828) 大暁院、幼名順介
信濃松代藩七代藩主

・・・となっていて、現在の長野市と関係があります。この母親の坂本氏は井伊家・真田家共に通じ、藩主となる人物も出ていることから、家格も高いのでは、と思われます。










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