埼玉苗字辞典 http://saitama-myouji.my.coocan.jp/2-5sa.html
忍城士の坂本氏 成田分限帳に「御物頭・坂本将監」。成田記に「本庄越前守の士卒坂本五兵衛は水練の達人なり」。行田史譚に「坂本主水は遊軍として城中を巡廻す。坂本将監は行田口を守る」と見ゆ。
そして、坂本氏の意味は、『下(もと)は浦の意味で海洋民を指す。坂(ばん)族の海洋民集落を坂本と称す。サカノウエ、バン条参照。』
海洋民と水練の達人の部分が見事につながっています。
将監は↓の参軍、親衛軍、親衛校尉、録事のような意味で使っていると思われます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E5%BA%9C
主水とは、↓と同じらしいですが、いまいちピンときません。水や調理の調達に関わっていた人でしょうか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E6%B0%B4%E5%8F%B8
この「本庄越前守」とは、どなたなのだろうかと思い調べてみますと、他の坂本氏についても少しずつ分かってきました。(ほかの坂本氏は次回へ)
この「本庄」は武蔵国、「本荘」は出羽国にあり、そのどちらとも言い難いのですが、置賜郡(出羽)の方には上杉氏の家臣に本荘氏がいました。
また、武蔵国の「本庄氏」はちょっと複雑です。
児玉党系の本庄氏が時家以降に「本庄氏」を名乗り始め、現在の埼玉県本庄市周辺に居館・居城を構えていたそうです。
もう一つ、秩父党系の本庄氏もいます。桓武平氏秩父氏の一族で、本庄城(現在の村上城、新潟県村上市)に本拠を置き、越後上杉氏、長尾氏に従ったそうで、この本庄氏は揚北衆の一氏だそうです。
揚北衆は鎌倉時代から戦国時代にかけて越後北部に割拠した国人豪族のことで、大きな集団で、加地氏・中条氏も入っています。
上記の坂本五兵衛は、いったいどちらの本庄越前守であったのか…を観ますと、児玉党のようですが、まだ謎の部分も多いようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%BA%84%E9%95%B7%E8%8B%B1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%BA%84%E5%AE%9F%E6%98%8E
この児玉党系の本庄氏に仕えていた「坂本氏」が成田氏の忍城にいたことになると思います。