ホンクベーシスト 新井健太の雑記

日々起こったこと、感じたこと、音楽のこと、家族のこと、友達のこと、自分のこと。

映画『ハンナ・アーレント』

2014-01-07 02:27:28 | Weblog
昨日観た『ハンナ・アーレント』よかった。
ナチスの戦犯アイヒマンの裁判にドイツ系ユダヤ人である哲学者ハンナ・アーレントが立ち会い、論文を書いて行くという話。
ストーリーがシンプルで隙間もたくさんあるので、逆に観客は常に思考を巡らせる事が出来るというカンジ(例えば劇中に出てくる言葉『全体主義』とか『悪の凡庸さ』について等)。
今観てよかった&寝不足で行かなくてよかった。

お仕事の事その2

2014-01-02 23:52:00 | Weblog
 よくレストランとかお店とかでお客がスゲー偉そうな態度をとっているのを見たりするけど、すごく嫌だ。そもそもお店の人はお客に対して『お金くれてありがとうございます』だけど、お客だって『売ってくれてありがとう』だし、『美味しい料理食べさせてくれてありがとう』なんだから、本来対等な立場なんじゃないのか。だいたいお店の人は敬語でお客がタメ語ってのもいやだ。だからってお店の人がタメ語だったら腹立つので両方が感謝の念を持ちながら丁寧に会話するのが良いのではないかな。
たしかに『お客様は神様です』というように、数あるお店の中から自分のお店を選んでもらう訳だからお客に分があるといえるのかもしれないけど、例えば美味いラーメン屋とか、すげー腕のイイ職人がやってるお店とかだったら、そこの店主が少々カンジの悪いオヤジであっても客は行くだろうし、過剰なサービスはリップサービスも含めかえって気持ち悪くて要らない気もしてしまうのだ。だいたい、価格というのはその仕事が本来通りチャンとなされてさえいれば釣り合いがとれるよう設定されているべきモノで、まぁその価格の付け方に疑問があるものも沢山あるけど、その時初めて文句なりを言えばいい。

で、音楽の仕事である。音楽の場合、演奏する側とお客の関係で、演奏者に対してすげぇタメ語で話しかけてくるお客は割と少なくて(たまにひどい人いるけど)、どちらかというと演奏者の方が偉そうだったりする。場合によるけど感じの悪いミュージシャンはやっぱ良くないよなぁ。
あと面白いのは、CDとかは別だけどライブなんかはその時その時違ってナンボみたいな世界でありながら、お客さんは聴く前にチケット買う訳だからお客としてはもはやギャンブルって事で、それと同時に演奏者はいっそう全力でやらなきゃいけないという事である。
ギャラに関してもちゃんと演奏が成功するかも判らないのに、前払いであったり、もしくは事前に金額が知らされているという場合が多いのも面白い。
最近は投げ銭とかいって出来不出来によって支払うお金が決められて、一見公正の様にも思えるけど、お客も前払いという同じリスクを背負って両者が命がけでその場を作るというほうが面白くて、緊張感のある、時には奇跡的な音楽が生まれる気もする。

話がいろいろずれたけど、いろいろな価格とかギャラの付け方がスゴく適正じゃない時があるなぁというのを最終的に書きたかった。例えばだけど、政治家の人たちが少々多めにお金をもらうことは俺はべつにいいと思う。みんなの意見を代表してすげーめんどくさいこととか取りまとめてやってくれるのが仕事なんだから。だけどチャンとやってない人はダメ!ノーギャラ!過剰なリップサービスやおもてなし要りません、ちゃんとしてください!

新年にお仕事の事その1

2014-01-02 09:46:52 | Weblog
 去年の終わり、友達のイネという男にウチの玄関に生えている枇杷の木を切ってもらった。この枇杷の木、何処からやって来たか分からない枇杷の種が勝手に芽を出し、あっという間に三階建ての家よりも高くなって隣の家の敷地に越境してしまっていたので母親がすごく気にしていたものである。(しかも毎年、実がなる季節になるとそれを狙って近所中のカラスが集まってきて、まるでヒッチコックの映画のようになってしまうのだ。)イネというのは高校からのバンド仲間のボーカリストで、当時から声も体もデカくてどちらかというと乱暴者で厄介な奴という印象を人に与えがちな人間なのだが、職業として造園の仕事を長くやっていて今回の相談に乗ってくれたのだ。イネいわく、いずれにしても枇杷の木はその強さゆえに『首吊りの木』とも言われ、家の敷地に生やすのはあまり縁起の良い物ではないという事であった。その日イネは午前中に同じ昔からの友達、平岡の母親が管理しているマンションの植木の手入れをした後でウチに寄ってくれた。かなりの大きさの木ということもあって、まず塩とお神酒でお祈りを行った後、あっという間に伐採を行うその手際の良さはさすが専門職というカンジで、それは素人には相当困難な作業に違いなかった。終わった後、『おばさんにはお世話になってるし、アラケンにはここんとこベースも弾いてもらってるしお金はいらねぇよ』(イネ、しばらくバンド活動は休んでいたのだが最近またやり始めた)と言う。まぁたしかに俺がベースを弾いているのは正式メンバーとしてではなく手伝いということではあるけど実際には結構自分でも楽しんでるとこあるしなぁと思いながらもお言葉に甘えてしまった。

そしてもう一つの出来事。
去年の台風の時、ウチのベランダから物干竿が飛んでいき隣のウチのベンツにキズをつけてしまい、その請求が20万円(!!)、母親はショックで2、3日寝込んでしまった、ということがあった。そこでやはりバンド仲間のギタリストであり中古車販売業を営んでいるアッちゃんに相談したところ、出入り業者の塗装屋さんに話をつけて格安で修理をしてくれたのである。アッちゃんはいつも『新井さんにはお世話になってるから』なんて言ってくれるけど、コッチが世話になってるばかりで全然世話なんかしていないんだよね。

俺は日頃から『自分で出来る事はなるべく自分でやる!あまり人を頼るべきではない!』などと身の程知らずで偉そうな事を考えていて、それを介在する手段がお金なのだなぁとか思っていたのだが、やはり無理があるのかもしれない。それよりもイネやアッちゃんが自分の持っている仕事と能力に誇りをもって一生懸命やっているカンジに俺は感動するし、それこそが人が交わる由縁なのだなと今更ながら思い知らされてしまうのだ。
そこで更に考える。俺は自分の力では得られない何かを、他から得る代わりに、何を提供できるのか?(無償の愛というのもあるけどそれはまた難しい。)
俺が今のとこできる事はベースを弾く事、あと靴や鞄を修理する事かな(どちらもまだまだだけど、とりあえずあるだけラッキー!)。今まで楽しんでやってきただけだけど、更にそれに誇りを持って精進して一生懸命にチャンとやらなきゃいかんなと。
あ、そういえば以前イネのブーツ直してやったっけ。
とにかく俺も含め、それぞれみんなが神様から与えられた仕事をもっとチャンとやるだけで世の中もっとマシになる気がします。政治家の人とかも。