Une petite esquisse

日々の雑事の中で考えたこと、感じたことを徒然に書き綴ります。

ディエンビエンフーからラオスへータイチャン国境を越えるー

2017年10月18日 | 旅の情報
陸路で国境を越えることはスリリングでエキサイティングである。
ただ、タイチャン国境を個人で越えることは、余程の体力と精神力がない限り不可能です。老婆心ながら、ディエンビエンフーのバスターミナルからベトナム・ラオス国際バスに乗って下さい。
ラオスのウドムサイをめざして、朝6時に出発したバスは平坦な並木道を10Kmばかり走ると、山深い山岳地帯の、曲がりくねった険しい道をアップ・アップ・ダウンを繰り返して進んでいく、霧がかかった視野の悪い道を1時間25分ばかり走ると、突然、視界が開け大きな建物が見えた。これがベトナムのイミグレーションである。
出国手続きを済ませ後、30分ばかり休憩をして、バスは再び出発、森林地帯を今度はダウン・ダウン・アップを繰り返して、約30分、5~6Kmぐらい走るとラオスのイミグレーションに到着した。入国手続きはわりと簡単だったが、訳も分からず、出入国カードに2万キープ(約270円)、パスポートに入国スタンプを押してもらって、7USドル(約770円)を徴収された。おまけに怪しげな体温測定に何と5千キープ(約68円)もとられた。
ラオス国境を8時35分に出発し、ウドムサイのバスターミナルに12時35分に到着した。「のどかな田園風景を抜けるとそこはラオスの国境だ」とガイドブックに書かれていたので、てっきり、並木道を5、6Km走るとラオスの国境に到着すると思ったのが、とんでもない間違いであった。


ベトナムのイミグレーション


国際バスはラオスのイミグレーションに向けて出発


ラオスのイミグレーション


ウドムサイのバスターミナル、中国からのバスが目立つ


データ:ディエンビエンフーを朝6時に出発してウドムサイに12時35分に到着
(所要時間:6時間35分)

ディエンビエンフーからラオス各地へ

ムアンクア   115,000VND(約  550円) 5:30
ウドムサイ   230,000VND(約1,120円) 6:00
ルアンナムター 350,000VND(約1,700円) 6:30 8:30
ポンサリー   345,000VND(約1,670円) 7:15
ルアンパバーン 402,000VND(約1,950円) 6:00 7:30
ボーケオ    560,000VND(約2,700円) 7:00
                                 
          (100円≒20,618VND 2017年9月現在)







ディエンビエンフーのHOTEL

2017年10月15日 | 旅の情報


ラオスからタイチャン国境を越えてベトナムに入ると、のどかな田園風景が拡がっている。
ディエンビエンフーはラオスとの国境の街なのか、外国人旅行者を見かけない割には、やたらゲストハウスが目に付く。比較的安価な宿はバスターミナル周辺かグエン・チ・タン通りに集中している。ホテル選びは旅行者にとって大切であり、旅を快適にしたり、場合によっては「旅」そのものを台無しにしてしまう。必ずしも、グレードの高いホテルが快適とは限らない。泊って後悔しない為にも、街の中心に位置し戦跡観光に便利なムオンタイ通リにある、2軒のホテルを紹介します。


Home stay Muang Thanh



アットホームな感じでホテルスピリットを感じさせる。部屋も簡素で広くてきれい。
シャワールームも広くて新しく清潔な感じ。
バスタオルはふわふわしていて、気持ちがよい。経済的に快適な宿泊を希望する
人には最適。
ミネラルウォーターのサービスがなかったが、部屋にテレビとハンガーとスリッパと
ミネラルウォーターがあれば文句はない。
朝食はヌードルが中心で日本人の口には合わない。

住所:70 Group 19,Hoang Cong Chat Street,Muong That
一泊 15US$朝食別 朝食+2US$


A1 Hotel Dien Bien Phu



部屋は広くて高級ホテルのように豪華。バスタブ付きで熱い湯が出てゆっくりとくつろげる。
とかく、大型ホテルにありがちな様に、受付けは素気ない。朝食はお粗末で期待しない方が良い。
とりあえず、旅の疲れをとり、くつろぎたい人に薦める。

住所:3Hoang Cong Chat
一泊 23,40US$朝食込


ディエンビエンフー戦跡観光案内

2017年10月12日 | 旅の情報


バスコ・ダ・ガマの喜望峰ルート開拓からアジア植民地侵略が始まった。
ディエンビエンフーに関しての、ガイドブックの記述が少ないせいか、交通の便が悪いのか、外国人旅行者の姿を見かけることは稀である。
苛烈な搾取と圧制、現地住民の抵抗には暴力的な弾圧でもって制圧してきた、フランスのインドシナ植民地支配の実態を知る上でも、ディエンビエンフーの戦いによりフランスが敗北し、インドシナ植民地支配が終焉した「地」であること考えると現代史を理解する上で、是非、訪れるべきだと思います。
 ディエンビエンフーの街の中心は四方2キロばかりで、こじんまりとしており、戦争遺跡はメインストリートであるDuong7/5(5月7日通り)とHOANG VAN THAI(ホアン ヴァン タイ通リ)に点在しており観光には便利である。


勝利の丘






勝利の丘のモニュメントはド・カストリ―総司令部の屋根の上で
国旗を振りかざしたベトミン兵の姿と言われている。
勝利の丘は街を見下す展望台になっていて、ディエンビエンフーの街の
全景が見渡せる。


ディエンビエンフー戦勝歴史博物館






当時、使用された武器や写真、実物大の人形などを使って、
険しい小道を物資を運ぶ少数民族の姿や「A1」の丘での戦闘風景など、戦争の
様子が具体的に分かるように展示されている。


「A1」の丘


ベトミン軍が丘の数キロ先から堀進み、フランス軍司令部の
真下で960キロもの爆弾を炸裂させてできたクレーター。


塹壕跡


戦車、爆撃機の残骸




戦車や爆撃機の残骸など戦争の痕跡は街中に展示されている。


ド・カストリ―の司令部跡


ベトミン軍の攻撃を避けるために地下構造の塹壕が作られ、
深さは2メートル半ぐらい、かまぼこ状の波型の鉄板で覆われている。


旧ムオンタイ橋


フランスによってナムゾム川に架けられた長さ30メートル、幅5メートルの橋、
現在も生活橋として人とオートバイが頻繁に通っている。


ノン二ャイ記念碑


フランス軍の空爆により死亡した少数民族444人の鎮魂碑




ディエンビエンフーの市内中心部地図


データ:
ディエンビエンフーへ
ハノイから 飛行機で1日2便 所要1時間
      バスで便は多数 所要約11時間
サパから  バスでライチヤウ(LAI CHAU)まで行き
     ディエンビエンフー行きに乗り換え、約8時間
      直行便もあり(現地で要確認)
ラオスから バスでラオス各都市からディエンビエンフー行きがある








ディエンビエンフー

2017年10月03日 | 旅の情報
ディエンビエンフーはハノイから北西461キロ、ラオス国境近くの辺鄙な山間部の盆地にある。
今から64年前、ベトナム独立同盟軍(ベトミン)とフランス植民地軍が激突し大規模な戦闘が繰り広げられたところである。
外国人旅行者の姿を見かけることは殆どない。戦争の痕跡は至る所にあり、勝利の丘にはモニュメントが設置され、ディエンビエンフーの街の全景が見渡せる展望台になっている。
 街は賑やかで少し離れると見渡す限りの水田が続いている。街の中心は2キロ四方と、こじんまりしていて田舎の街といった風情である。
マーケットセンター(市場)には日用品や安っぽい衣類が山のように積まれ、怪しげな乾物類やサソリ酒、芋虫酒が売られている。このようなマーケットの混沌とした風景はインドシナ全体に見られる光景であろう。グエン・チ・タン通りには衣料品店が軒をつらね、ゲストハウスや大衆食堂、カフェーやベーカリーショップがいたるところにある。この街に住暮らす庶民の生活が垣間見られる所である。


ディエンビエンフーの街並み


ムオンタイ橋


ムオンタイ橋周辺のターイ族のマーケット


勝利の丘のモニュメント


勝利の丘から見たディエンビエンフーの街


「A1」の丘


グエン・チ・タン通り

ディエンビエンフーは「性地」ではないー室橋裕和に反論する

2017年10月01日 | 旅の情報
 
 室橋裕和といえば、アジア専門の紀行ライターで、要点を押さえた取材と幅広い知識、文化や歴史と絡めた、彼の記事は軽妙な文章の展開とともに定評がある。
ただ、「2016年8月7日、東スポweb 亜細亜スポーツ」の記事はいただけない、唾棄すべきモノである。
 室橋によれば、ハノイ在住の商社マンを登場させ「ローカルな風俗街が広がっている、グエン・チ・タン通りという道の左右にはゲストハウスの看板がズラリと並んでいて、これはすべて売春宿で、歩いていると「マッサージ、マッサージ」と声がかかる、体を売っているのはベトナム人ではなく、ベトナム北部からラオスにかけて住む少数民族ターイ族である。・・・(省略)一般のベトナム人と比べて貧しく性産業に従事しなくてはならないケースがある」と話させているが、架空の人物を登場させ、虚偽の出来事を捏造する、よくある詐話の常套手段である。そして、あまりにも少数民族に対する偏見に満ちている。
ディエンビエンフーは、今から64年前、ベトナム独立同盟軍(ベトミン)とフランス植民地軍が激突し大規模な戦闘が繰り広げられたところである。
このディエンビエンフーには2015年から4回、インドシナ戦争の調査で訪れ、グエン・チ・タン通りから20mばかり入ったナムゾム川のほとりにある「Rホテル」に宿を取った。街は賑やかで少し離れると見渡す限りの水田が続いている。街の中心は2キロ四方と、こじんまりしていて田舎の街といった風情である。
グエン・チ・タン通りは衣料品店が軒をつらね、ゲストハウスや大衆食堂、カフェーやベーカリーショップがいたるところにある。子供たちの遊ぶ元気な歓声が響き渡る、ごくごく普通の田舎の街に見られる道路である。ゲストハウスはごく普通の宿泊施設だし、カラオケハウスも健全そのものである。室橋が指摘している様なマッサージ店は見かけない。外国人旅行者もほとんど見かけないし「ニーハオ」と声をかけられる事もない。
 ディエンビエンフーの街中に風俗街は存在しない。もし、室橋が「風俗街が存在する」と主張し、彼の記事の正当性を言い張るなら、東スポwebの記事に添えられている写真がグエン・チ・タン通の「どこ」なのか具体的に指摘されたい。
 ディエンビエンフーは今でもインドシナ戦争の聖地であり「性地」ではない。
旅の情報に「でっち上げ」は禁物である。欺もう行為によってフェイク情報を垂れ流すなら、ライターなどやめるべきである。ディエンビエンフーの名誉回復のためにも速やかに「インチキ記事」の削除、訂正を求めるものである。




ディエンビエンフーの大通り





グエン・チ・タン通り



「東スポweb 亜細亜スポーツ」に掲載の写真
未だに謎である、グエン・チ・タン通りの
何処なのか?分からない。グエン・チ・タン通り
に比べ道幅が広すぎる。