2月 4日 火曜日
おはようございます。 酒好きの思想家です。
団塊ジュニア世代である私自身は
戦後から数えれば二世代目にあたる。
敗戦後、豊かになった日本に見えたが、
全学連による内ゲバ闘争の激化や、
沖縄返還と安保条約をめぐって激しい対立もあった。
中国との関係が次々にギクシャクしていったのも事実だ。
だが、
それを上回る高度成長が救いだった。
波の乗った所得倍増計画によるはずみであり、
いわゆる集団就職による高い賃金と、
都会生活におかれた個人の所得が跳ね上がったことである。
1965年(昭和40年)制約は次々と取り除かれ、
その後、6年~7年間の成長率は年12%を超え、
1960年(昭和35年)、約250億ドルだった日本のGNPは、
1970年(昭和45年)には、二千億ドルに達し、
1980年(昭和55年)には、一兆ドルを超える。
1960年(昭和35年)の国民所得は、
1970年(昭和45年)には、
アメリカやフランスに近いところまで、
一般国民の生活水準を引き上げ、
日本のGNPは英国、仏国、独国に近づいた。
同時に、休暇を楽しむ余裕も高まった。
当時、三種の神器と言われたテレビ、冷蔵庫、洗濯機が、
自動車、マイホーム、ハイテク家電へと
見る見るうちに格段と変わっていった。
労働者のエンゲル係数は50%を超えていったのである。
賃金は年率15%の上昇、
商売の神様は 「消費は美徳だ!」 と高らかに言い放った。
何もかもが 「うなぎ登り」 の威勢のよさだった。
それは日本人が贅沢になったのではなく、もう一度再び、
自信を持つことに大きな意味があったのだ。
いわゆる日本流の国民総中産階級である。
娯楽拡張や文化の再現、高水準の教育はもちろん、
海外旅行は自らを発見するだけではなく、
世界を日本流へと発見していったのである。
これらの流れに火を付けたのは、
まぎれもなく南北朝鮮戦争だった。
日本の繁栄には、ソ連と中国が北朝鮮軍を使って
釜山近くまで迫ってきたおかげである。
特需景気に沸いた時代だった。
日本は対外貿易の重要性を自覚していったのである。
軍事拡張などせずとも豊かで満足のゆく
生活が出来ることを立証したのだった。
戦勝国が要求する厳しい戦後生活の時代から、
切り抜けられる願ってもないチャンスだった。
その後、第七艦隊がベトナム戦争に突入すると、
日本は再び功を奏した。
米軍に必要な物資の多くは、
真面目な労働者に信頼が集中した。
新しい溶接技術、石油化学、造船、工作機械の産業が、
軒並みに素早く整えられていったのである。
品質が良く、コストが安い日本の商品は、
瞬く間に世界一流のブランドへとのし上がっていった。
その成長の足取りは、技術革新が相次ぐなか、
改善と継続によってそのまま維持された。
代表的なのはトランジスター革命だろう。
テクノロジーの画期的な発達は、
パイオニアとして世界市場の70%と、
日本全体の市場の40%を独占した。
実際、日本の産業で不良品が出る率は、
世界で許されている率の10分の1以下である。
今では日本人が海外に出かけて
そのノウハウを教えているくらいである。
これら戦後の日本の復活は、
政府と民間である産業協力の所産だといえるのである。
こうして日本は世界でも最先端のテクノロジーで装備し、
後続を大きく引き離して独走してゆく。
そして現代。
世界に追いつき追い越せと一団となって取り組んできた戦後政策に今、
求められているのは世界に先行した新しいビジョンそして、
日本人としての誇りと自信なのである。
つづく。
おはようございます。 酒好きの思想家です。
団塊ジュニア世代である私自身は
戦後から数えれば二世代目にあたる。
敗戦後、豊かになった日本に見えたが、
全学連による内ゲバ闘争の激化や、
沖縄返還と安保条約をめぐって激しい対立もあった。
中国との関係が次々にギクシャクしていったのも事実だ。
だが、
それを上回る高度成長が救いだった。
波の乗った所得倍増計画によるはずみであり、
いわゆる集団就職による高い賃金と、
都会生活におかれた個人の所得が跳ね上がったことである。
1965年(昭和40年)制約は次々と取り除かれ、
その後、6年~7年間の成長率は年12%を超え、
1960年(昭和35年)、約250億ドルだった日本のGNPは、
1970年(昭和45年)には、二千億ドルに達し、
1980年(昭和55年)には、一兆ドルを超える。
1960年(昭和35年)の国民所得は、
1970年(昭和45年)には、
アメリカやフランスに近いところまで、
一般国民の生活水準を引き上げ、
日本のGNPは英国、仏国、独国に近づいた。
同時に、休暇を楽しむ余裕も高まった。
当時、三種の神器と言われたテレビ、冷蔵庫、洗濯機が、
自動車、マイホーム、ハイテク家電へと
見る見るうちに格段と変わっていった。
労働者のエンゲル係数は50%を超えていったのである。
賃金は年率15%の上昇、
商売の神様は 「消費は美徳だ!」 と高らかに言い放った。
何もかもが 「うなぎ登り」 の威勢のよさだった。
それは日本人が贅沢になったのではなく、もう一度再び、
自信を持つことに大きな意味があったのだ。
いわゆる日本流の国民総中産階級である。
娯楽拡張や文化の再現、高水準の教育はもちろん、
海外旅行は自らを発見するだけではなく、
世界を日本流へと発見していったのである。
これらの流れに火を付けたのは、
まぎれもなく南北朝鮮戦争だった。
日本の繁栄には、ソ連と中国が北朝鮮軍を使って
釜山近くまで迫ってきたおかげである。
特需景気に沸いた時代だった。
日本は対外貿易の重要性を自覚していったのである。
軍事拡張などせずとも豊かで満足のゆく
生活が出来ることを立証したのだった。
戦勝国が要求する厳しい戦後生活の時代から、
切り抜けられる願ってもないチャンスだった。
その後、第七艦隊がベトナム戦争に突入すると、
日本は再び功を奏した。
米軍に必要な物資の多くは、
真面目な労働者に信頼が集中した。
新しい溶接技術、石油化学、造船、工作機械の産業が、
軒並みに素早く整えられていったのである。
品質が良く、コストが安い日本の商品は、
瞬く間に世界一流のブランドへとのし上がっていった。
その成長の足取りは、技術革新が相次ぐなか、
改善と継続によってそのまま維持された。
代表的なのはトランジスター革命だろう。
テクノロジーの画期的な発達は、
パイオニアとして世界市場の70%と、
日本全体の市場の40%を独占した。
実際、日本の産業で不良品が出る率は、
世界で許されている率の10分の1以下である。
今では日本人が海外に出かけて
そのノウハウを教えているくらいである。
これら戦後の日本の復活は、
政府と民間である産業協力の所産だといえるのである。
こうして日本は世界でも最先端のテクノロジーで装備し、
後続を大きく引き離して独走してゆく。
そして現代。
世界に追いつき追い越せと一団となって取り組んできた戦後政策に今、
求められているのは世界に先行した新しいビジョンそして、
日本人としての誇りと自信なのである。
つづく。