酒好き文化風俗研究者

みんなで美味しいお酒を飲む方法を模索中!
酒好きの最大の敵であるアルコール依存症に勝つ事を支援しています。

愛が説明できなければ、そこに愛はない。

2020-02-14 | 
 2月14日 金曜日

 おはようございます。 酒好きの思想家です。


五年前に比べれば、

愛をブログにしても笑われなくなりました。(良かった)


私たちは大嫌いな人を通じて、

本当の愛が何なのか考えようとするものです。

不幸な環境が真の愛を見出す手助けになるように、

愛は指導しなければ方向性を見失い、

悲劇が起こるべくして起きるのには、

愛が上手く説明できないからだと思われるのです。

そこで再び、愛とは何ぞ? です。

繰り返しになりますが、二つの説明で示します。


1、自己愛と隣人愛の二つに分かれる。

2、性欲愛と感情愛と理性愛の三つに分かれる。


1は、利己的な愛と利他的な愛のカタチです。

疑問があるのですが、

自己愛同士(利己的同士)それは、愛と呼べるのでしょうか・・・?

呼ぶとすれば、競争愛、闘争愛とでも呼ぶべきでしょうか?


2は、性欲愛(動物愛)と感情愛(子供愛)と理性愛(大人愛)です。

性欲愛同士によるカップルは、・・・それはそれでよいかもしれないが、

感情愛同士によるカップルは、交互にヒステリーを繰り返すだろう。


目指すゴールは、理性愛同士による大人愛です。

そして自己愛と隣人愛、性欲愛と感情愛と理性愛を

あわせ持った人物が 「人間愛」 の証だと。

だから、子供には愛が判らないし人間愛がない。

当然、アダルトチルドレンにも大人愛がない。


逆に、大嫌いな愛について考えてみると、

1、自分のことしか頭にない人物。

2、エッチのことしか頭にない人物。

3、ヒステリーでしか頭にない人物。

さらに最低で最悪なのは、

自分勝手で嫉妬深い裸のサルだ。

そんな人物とは決してショア出来ない、する気もない。

仲間と一緒にクラブやコンパに出かけて、

自分勝手で嫉妬深い裸のサルに出くわしたら悪夢の始まりだ。

理想の愛を求めるはずの空間が、サカリある失敗に終始する。

また、愛を一つに絞り込むことも危険なのである。なぜなら、

たった一人の愛だけでは、人は盲目になり心を病むからだ。

愛によって曇り空を突き抜けた先には、

なんの恐れも感じさせぬ予兆が訪れるものである。

たとえそれが唐突で、馬鹿げて、束縛的で、激しいものだとしても、

愛は神によって準備された一つの試練なのかもしれません。

神はどんなところにでも、常に私たちにメッセージを送り続けた。

この世界に意味のないものは何一つなく、

それは細部にも愛が宿るものであるのだと。




    つづく。