桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

夏休みもあと少し

2012年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム
8月18日(土)

激しい雷鳴と共に雨が降り出した。庭を見ると、日頃の雨とは違って雨しぶきが立っている。やっと、夏らしい感じの雨だと思った。
そのように思うのは、日頃、のんびりとした日々を過ごしている所為だろう。
テレビに早速、テロップが流れた。天候の変化が激しい地方では、度々の事であろうが、東京は有難い事に、日頃は平穏と言える日々が続いている。

丁度、洗濯物が洗い終えた時だった。「しまった!」天気予報を確かめずに洗濯機を回してしまったのだ。太陽がさすのを待つしか無い。

ベランダの太陽はやはり暑かった。それでも、もう秋は直ぐそこに迫っている様に感じる。

速いものだ。子供達の楽しい夏休みも、後、十日余りになってしまった。そろそろ憂鬱な月末になる。
そう、思うのは自分の時代だったのだろうか?ノンビリ、遊び疲れた様な子供の姿を見かけるにつけて、付き添う親も大変だなと思う。

いっその事、課題も絵日記も無い夏休みってどうだろう?思い切ってやりたい事をやる、夢中になれる事を経験してみるなど、その子供に合った経験を積むのも良いかななんて、今は、無責任にも似たことを考える。

以前の学校は『夏休み帳』とか『日記』とか、更に自由研究とか、何かしら課題を出した。それが、長い夏休みに対する学校側の対策であり、又、親側の要望でもあった。

日頃の宿題に付いても言える。一人の指導者から課された宿題なら何とかなるが、複数の指導者からとなると、課される方は大変だ。子供が頼んでも断られたとなると、大人同士の意固地さを批判したくなる。(事実、そう訴えた子供がいた)

宿題は出さないが、自主的に勉強を勧めた事がある。これは子供自身が主体になるから、彼等に選択の自由と意欲がある。しかし、これは宿題以上に厳しいものになる事がある。指導する側も、それぞれの子供の傾向を把握して細かな指導をしなくてはならないからだ。

正直なところ、もう、何も責任の無い身分が気楽だ。全く、無責任な話だ。
明るい顔をして夏休みを楽しんでいる子供を見ると「ああ、もっと、自由に過ごせると良いなぁ!」と、無責任に考えてしまうのは、歳の所為かな?

一方では、夏休みを厳しく有意義に過ごしている子供もいると言うのに…





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ごろごろ

2012年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム
8月17日(金)

今日は更に暑い。外へ出れば、ムッとする程の陽射しだ。
この頃は話題が少ない。だから天気の事ばかりが気になる。つまり、非生産的な生活が続くからだ。
(何故だろう?と考えた。そう!オリンピックが終わったからだ)

ゴロゴロしていて、そろそろパソコンを開こうかな?と思っていたら、身体がグラグラして来た。あ、熱中症だと、自己診断する。
二階へ上がって、布団も敷かずに枕だけで、ごろりとなった。なんとまあ、だらしのない事!
姉が買い物から帰って来たのも夢の中、ボケている。塩辛い飴を買って来た。凄ーく辛い。これでは目が覚める。と、思ったが、そのままごろごろ。

話題無し!もう、ブログも終わりかな?
こう、暑くては思考力も、出来の悪い発想力も湧いて来ない。

話によると、オリンピック選手のパレードが銀座で行われるそうだ。どうも、銀座へ私が行く日とは違うらしい。

違う日で良かった。少しは選手達を見たいと思うけれど、きっと、銀座通りは大変な人出になると思う。
以前、東京マラソンの日にも大勢の人が出ていたから、もっと、凄いかも知れない。もう、情熱を燃やす気も起こらない。

ここのところ、Olympicでメダルを受賞した選手があちこちのテレビで出演している。
しかし、早朝から夜遅くまでインタビューされているのを見ると、休む暇が無いだろうなと気の毒になる。

最近のテレビは何か事があると、どの局も競い合う様にして似た様な事を取り上げる。もっと、それぞれが個性のある放送をしても良いのでは無いかと思う。

と言っても、ここのところ問題になっている魚釣島や竹島については別である。大いに論を闘うべし!



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