5月9日(土)
箱根大涌谷の噴煙がますます激しくて、立ち入り禁止になっている。
ニュースではトップに報道される。
有名な観光地『箱根』に大きな異変が発生して、訪れる人も少なくなり、キャンセルが多いと言う。
最近の私は、箱根には殆ど行ったことがないが、東京から近い箱根とは、随分、以前からの付き合いだった。
家族で出掛けた箱根では、仕事が終わって、夕方、クルマで東京を出発して、家族の待つホテルへ出掛けたこともある。
暗闇に近い山道に、時々、光るカーブの標識を頼りに、一人で運転したが、この時ばかりは、不安を感じて『箱根山の歌』を大声で歌いながら目的地にたどり着いた思い出がある。
若いから出来た事ではあるが、随分、思い切った事をしたと、我ながら感心する。
それも、当時の私にとっては、行き慣れたコースだったからであろう。
兎に角、今の私には出来ないドライブである。
夏休みになると、殆ど、毎年の様に夏季施設へ出掛けた。
滞在中の行事の一つとして、金時山へ登山する。
若い頃だったから、子供たちを励まし励まし、頂上へ達した。
セミの鳴き声を聴き分けながら、頂上まで辿り着くと、気持ち良い達成感を思った。
また、他の区の夏季施設では明神岳を目指して厳しい登山をしたこともある。
箱根は、決して涼しくはない。汗水を流しながら頂上へ達するのは、とてもきつかった。
若かった頃の箱根のあちこちは思い出深いものがある。
もちろん、大涌谷へも度々、訪れた。
噴煙の中で『黒卵』を買ったこともある。硫黄の匂いがする卵にかぶりついた思い出も大きい。
しかし、何回か食べたら、もう、いらないと思うようになった。
何年か前には、もう食べなくても良いと思うようになった。
(こういう事態になったら、食べておけばよかったかな?なんて……未練がましい)
また、養魚場までの道を歩いて、子供の一人が「これじゃあ、ニコニコでなくてプンプンだ!」と叫ばれたこともある。
港区の夏季施設は『ニコニコ学園』と言われていた。今っでも変わらないのかな?
麻布の銀行家が『ニコニコ貯金?』というものを作っていて、その後、港区に施設を贈ったという建物は、木造の建物だった。
今はどうなっているのだろう?
今年の夏休みには、箱根林間学園はあるのかな?と、気にかかる。
品川区の施設は明神岳の麓だった。
大きな別荘地の中にあって、ここでは、大人の研修会なども行われた。
今でも、子供達の明るい声が聞こえるような気がする。
そう言えば、急遽、東京へ私がとんぼ返りで試験を受けに行ったのも、この宿舎だった。
様々な思い出が懐かしい。
一日も早く、平穏な箱根に変わって欲しいと願っている。
火山の多い日本では、いつ何時、異変が起こるとも限らない。
しかし、緑の美しい箱根の騒ぎが静まって、平穏のうちに過ごしたいものである。
箱根大涌谷の噴煙がますます激しくて、立ち入り禁止になっている。
ニュースではトップに報道される。
有名な観光地『箱根』に大きな異変が発生して、訪れる人も少なくなり、キャンセルが多いと言う。
最近の私は、箱根には殆ど行ったことがないが、東京から近い箱根とは、随分、以前からの付き合いだった。
家族で出掛けた箱根では、仕事が終わって、夕方、クルマで東京を出発して、家族の待つホテルへ出掛けたこともある。
暗闇に近い山道に、時々、光るカーブの標識を頼りに、一人で運転したが、この時ばかりは、不安を感じて『箱根山の歌』を大声で歌いながら目的地にたどり着いた思い出がある。
若いから出来た事ではあるが、随分、思い切った事をしたと、我ながら感心する。
それも、当時の私にとっては、行き慣れたコースだったからであろう。
兎に角、今の私には出来ないドライブである。
夏休みになると、殆ど、毎年の様に夏季施設へ出掛けた。
滞在中の行事の一つとして、金時山へ登山する。
若い頃だったから、子供たちを励まし励まし、頂上へ達した。
セミの鳴き声を聴き分けながら、頂上まで辿り着くと、気持ち良い達成感を思った。
また、他の区の夏季施設では明神岳を目指して厳しい登山をしたこともある。
箱根は、決して涼しくはない。汗水を流しながら頂上へ達するのは、とてもきつかった。
若かった頃の箱根のあちこちは思い出深いものがある。
もちろん、大涌谷へも度々、訪れた。
噴煙の中で『黒卵』を買ったこともある。硫黄の匂いがする卵にかぶりついた思い出も大きい。
しかし、何回か食べたら、もう、いらないと思うようになった。
何年か前には、もう食べなくても良いと思うようになった。
(こういう事態になったら、食べておけばよかったかな?なんて……未練がましい)
また、養魚場までの道を歩いて、子供の一人が「これじゃあ、ニコニコでなくてプンプンだ!」と叫ばれたこともある。
港区の夏季施設は『ニコニコ学園』と言われていた。今っでも変わらないのかな?
麻布の銀行家が『ニコニコ貯金?』というものを作っていて、その後、港区に施設を贈ったという建物は、木造の建物だった。
今はどうなっているのだろう?
今年の夏休みには、箱根林間学園はあるのかな?と、気にかかる。
品川区の施設は明神岳の麓だった。
大きな別荘地の中にあって、ここでは、大人の研修会なども行われた。
今でも、子供達の明るい声が聞こえるような気がする。
そう言えば、急遽、東京へ私がとんぼ返りで試験を受けに行ったのも、この宿舎だった。
様々な思い出が懐かしい。
一日も早く、平穏な箱根に変わって欲しいと願っている。
火山の多い日本では、いつ何時、異変が起こるとも限らない。
しかし、緑の美しい箱根の騒ぎが静まって、平穏のうちに過ごしたいものである。