桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

真夏日

2015年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム
5月27日(水)

早いものです。
もう、6月。
なんとまあ、暑~い5月でした。

昨日、今日と真夏日です。
まさに、クレージー!!

運動会の練習中に熱中症にかかった子供が続出とニュースがあった。
こういう日に無理してやるのは考えものですね。
開会式や閉会式なんて、どうでもいいなんて、言いませんが、こんな日は子供も大人もきつい。

この言葉は、何もしないでいる人間の言う無責任な言葉でしょうか?

それにしても、オリンピックや世界大会を目指す人たちは、普通の人間には出来ない事を無理してでもやっている。
この差の大きいこと!

何だか、あまりにも違いがあり過ぎて、おかしなものです。


ところで、暑くて、だんだん思考能力もなくなりそうだ。
今日も、ゴロゴロしながらテレビを見る。
それも大変な姿勢で、テレビを見るには不都合。

気がついて、鏡を通してみることにした。
うまい!
文字は逆さまになるけど、まあ、よく見れる事。
無精から生まれた名案です。

インドは熱波が1100人以上の犠牲者を出しているニュースが伝わった。
色々、文句も愚痴もあるが、日本は有難い。

折角だから、何時までも平和で戦いのない国でありたいものです。

さっさと歩く

2015年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム
5月26日(火)

11時に病院へ行くことになっている。
今日は暑くなりそうだ。それに、足の具合は良くない。

しかし、私は『歩く』事にした。
行きはタクシー、帰りは歩き。
これが、私自身の治療法。

姿勢が良くなったとEIさんが言う。少しは体の曲がりが治ったかな?
しかし、その『道』は遠い。

帰りに治療の成果を示すように、勢いよく歩く。
二本の杖は、私の言うことをよく聞いてくれるみたいだ。
とうとう、バスの道路まで休みもせずに歩いた。
我ながら、すごい!

残念。バスが行ってしまった。
時計を見ると、まだ、15分になっていない。
向かい側のバス停には、二台目のバスが続いてあらわれた。

きっと、先程のバスは道路が渋滞していて遅れて来たのだわ~
と、自分を慰める。
太陽はかんかん照り。
暫くしてバスが来た。3分ぐらい遅れたのかな?

兎に角、よく、さっさと歩けたものだ。
と、我ながら感心する。

その後がいけなかった。
昼食後は、二階でグズグズ、そして眠ってしまった。
もう、洗濯なんかしたくもない。

夕方、近所のスーパーへ行くが、何と、野菜の高いこと。
誰も買わないから、野菜もしおれてしまうよ!
それに、果物まで高いんだから…

今夜は、鍋焼き風のうどんだ。
暑くても、フーフー言いながら食べるのは好きだけど、キノコも選んで入れないと、味が落ちる。

暑い日は、何を食べても美味しいとは思えない。
つまり、夏が早く来過ぎているのだ。
真夏日だものね!

いい加減にしなさい

2015年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム
5月25日(月)

すっかり怠けてしまった。
どうも、書く気がしなかったみたいだ。

だから、つまらない野菜の話などになってしまい、書く気が起こらなかったのだ。
何事も継続しなくては…と思う。

「いや、そんことを言わずに、出来ない時は無理をしないでいなさいよ」と、親切な誰かは言ってくれそうだ。

「いや、甘えてはいかんよ!あなたが、今やれる事は、こんなものしか無いのだから…」
と、別の人が言う。

本人の私は、やはり、意地になって書き続ける。
実際のところ、私が、今、継続しているのはブログだけだものね。
これもやめてしまえば、後に残るもの、いや、生き甲斐かな?などというものは消滅する。

パソコンの良くないところは、夢中になって時間が立つのを忘れることと、体によくないことである。
この事は、リハビリに行くたびに注意される。
もちろん、本人の私は承知の上だから、困ったものだ。
最近はパソコンに触る時間を分けているが、姿勢が悪くなるし、目にもよくない。
兎に角、私は『いい加減を知らない大馬鹿者』というわけ。

最近は、すっかりパスワードに悩まされているから、尚の事、ひどいことになる。
まあ、ゆっくりやろうよ!明日ちゃん。

豆ご飯、久しぶり。美味しかった!

季節のもの

2015年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム
5月24日(日)

風が涼しい。
そういえば、最近の風は秋を思わせるような涼しい感じだ。
昼間の暑さと夕方の涼しさは、東京ではあまり感じられないような天候だったと思う。
いわゆる大陸性気候にでも似ているとでも言おうか。

なんとなく、秋を感じながら細い道を歩くのも侘しさを感じる。
暑さはこれからだと、自分に言い聞かせるのも大事かな?
そうしなければ、本来、暑さを身変えながら育つ植物の実りも心配だもの。

最近の食生活は、季節感が少なくなった。
これは寂しい。
本来、スイカやトマト、きゅうり、茄子などと言った物は夏の季節感を表すものだったのに、今では年中、店頭に並ぶものになった。
味はどうだろう?と言うと、やはり、真の香りはない。
だから、私自身は冬のきゅうりやトマトなどは食べたいとは思わない。

かんかん照りの中で農家の人達が収穫したもの、それは今では贅沢になったのだろうか?
栽培方法が進歩して、年中、様々な野菜、果物が食べられるのは有難いが、太陽の暖かさを感じられないようで寂しい。