5月18日(月)
また、台風が来ると言う。
大体、台風はフィリピンに始まって、日本へとやってくる。
日本へやって来た時には、台風の威力も弱まってくる事があるが、現実に猛威を振るいながら押し寄せるものもあって、油断は出来ない。
フィリピンの台風はすごかった。
大体、風と共に大雨も伴ってくる。
私が滞在していた頃のマニラは、水道の施設も十分に整備されていなかったので、一度、雨台風が来ると、場所によっては大洪水となった。
人々の生活を脅かす、上下水道の被害は、幸いと、我々の住む地域では、そのような事態は殆ど無かった。
しかし、洪水のようになるローカルの地域では、すべてが水浸しになった。
こうなると、衛生上の問題が出てくるし、病気にかかりやすい。
台風は『シグナルNo.』がつけられて、交通機関などへの警戒通報になっていた。
特に『シグナルNo.2.』になると、要警戒で学校や主要な機関なども休みになる。
その中で、日本人学校だけが、朝から黄色いスクールバスを何台も走らせて学校へと向かっていた。
しかし、我々も、現地の学校(大学まで休みになる)と同じ様に休講にすることになったのは、大分、後だった。
これで、現地並みとホッとしたものの、『シグナルNo.2』が実際に来るのは何日も先の話である。
毎日、カンカン照りの青空の下には、一向に台風は来る模様は無かった。
家で時間を持て余している子供達の世話は、親達にとっては困ってしまう。
「先生、何とかして下さいよ」と、文句が出てくる事もあった。
子供達は外出が簡単に出来ないため、友達とも会ったり、遊ぶ事も出来ない外国の不便さを味わう。
そんな記憶が、台風が来ると、私は今でも、思い出す。
思えば、子供達も苦労したのだ。
彼らにとって、学校の友達は一番大切な人々であったからである。
親に連れられて、日本を離れている子供達は、生活に余裕があっても、人との繋がりには不便さを否応無しに味わっているのだ。
夕方、外へ出てみた。涼しい風が吹いている。
オヤッ!と思ったら、大粒の雨が当たった。
やはり台風の流れかな?
夜になると、雨が降り出すと言っていた。
* 伊東温泉の写真です。
また、台風が来ると言う。
大体、台風はフィリピンに始まって、日本へとやってくる。
日本へやって来た時には、台風の威力も弱まってくる事があるが、現実に猛威を振るいながら押し寄せるものもあって、油断は出来ない。
フィリピンの台風はすごかった。
大体、風と共に大雨も伴ってくる。
私が滞在していた頃のマニラは、水道の施設も十分に整備されていなかったので、一度、雨台風が来ると、場所によっては大洪水となった。
人々の生活を脅かす、上下水道の被害は、幸いと、我々の住む地域では、そのような事態は殆ど無かった。
しかし、洪水のようになるローカルの地域では、すべてが水浸しになった。
こうなると、衛生上の問題が出てくるし、病気にかかりやすい。
台風は『シグナルNo.』がつけられて、交通機関などへの警戒通報になっていた。
特に『シグナルNo.2.』になると、要警戒で学校や主要な機関なども休みになる。
その中で、日本人学校だけが、朝から黄色いスクールバスを何台も走らせて学校へと向かっていた。
しかし、我々も、現地の学校(大学まで休みになる)と同じ様に休講にすることになったのは、大分、後だった。
これで、現地並みとホッとしたものの、『シグナルNo.2』が実際に来るのは何日も先の話である。
毎日、カンカン照りの青空の下には、一向に台風は来る模様は無かった。
家で時間を持て余している子供達の世話は、親達にとっては困ってしまう。
「先生、何とかして下さいよ」と、文句が出てくる事もあった。
子供達は外出が簡単に出来ないため、友達とも会ったり、遊ぶ事も出来ない外国の不便さを味わう。
そんな記憶が、台風が来ると、私は今でも、思い出す。
思えば、子供達も苦労したのだ。
彼らにとって、学校の友達は一番大切な人々であったからである。
親に連れられて、日本を離れている子供達は、生活に余裕があっても、人との繋がりには不便さを否応無しに味わっているのだ。
夕方、外へ出てみた。涼しい風が吹いている。
オヤッ!と思ったら、大粒の雨が当たった。
やはり台風の流れかな?
夜になると、雨が降り出すと言っていた。
* 伊東温泉の写真です。