今日から年金生活

中国ハルビン市方正県から

子供の思い出

2014年09月22日 | 日記

子供の時ジープの兵隊さんに兄と二人でチョコやガムをよく貰った。m&mの製品だった。子供ながら強烈な印象で忘れない。今思うと山口県の進駐軍はオーストラリア軍だった。だからm&mだった。東京のコンビニでm&mのチョコを見た。とても懐かしくて涙が出そうだった。私が小学1年か幼稚園の頃だと思うので昭和30年頃、終戦10年経っていたのではないか?

両親は国道沿いの山口で写真館を営んでいた。そこに進駐軍が店に突っ込んできて店が壊れた。市役所と県庁に陳情に行ったが、戦勝国だから弁償等は無理だと相手にされない。そこで両親は直接進駐軍に文句を言いに行ったそうだ。自分の反骨精神のルーツはここにあった。

結果、全額弁償になった。県も進駐軍が日本人を殺しても何のおとがめがない時によく弁償させましたねと驚いたらしい。

しかしこれで済む両親ではなかった。父はその後進駐軍に行ってコダックフィルムを持って(もらって)きて写真館の商売を再開した。母は得意の英語の歌でYou Are My Sunshineとかを歌い子供たちのお菓子を貰って来た。

そのお蔭で家庭は裕福だった。

小学生の時毎日のように兄と近くの干潮の川(海)にバケツとガンゼキを持って、自転車でシャコ取りに行った。砂浜をガンゼキではけばシャコがピョンピョンと出てきてすぐにバケツ一杯になった。

持って帰ると母は喜んですぐに鍋一杯湯がいてくれた。。もう両親も一緒に遊んだ兄もいない。その後兄は写真館、写真店を継ぐもデジカメの台頭で店を閉じしばらくして糖尿病で亡くなった。60歳の若い人生だった。

両親は4人いた兄弟全員4年生大学に進学させたが、弟達そういう苦労をしらないと思う。