事業が順調だった頃、ちょうど子供たちが進学を迎えた。長男には高校を出てすぐにオーストラリアのシドニー工科大学短期大学に行かせた。入学は易し卒業が難しいコンピュータ学科を見事卒業した。その後韓国の延世大学の語学院に2年行く。長女は東京のアニメの専門学校に行き卒業した。
で自分は当時天文(彗星探索)にはまり何百万もするフジノンのでかい双眼鏡とタカハシの望遠鏡で毎日夜空を見ていた。当時カナダフォートマックマレーでオーロラを見たり、タイのナコンサワンであった皆既日食を見たり(ちなみに金環日食とは全く別物)、オーストラリアの南天銀河のことを地元紙に連載してたのが目に留まり某市の教育委員会から天文学の講師を委託された。そこで姉妹都市のオーストラリアの某市に派遣交流の依頼で向こうの大学教授宅へホームステイして交流した。最初は公費だったが2回目以降は自腹だ。息子も当時現地にいたので都合6回は渡豪した。
この国には後に別れた奥さんと家族全員でエアーズロック等に連れて行った。一番下の息子以外は頂上まで登った。
その後、長男は英語と韓国語の能力を買われてか日本の大手企業(東証一部上場)に入った。30代で年収700万円オーバーらしい。
娘は漫画の道に行った。末の次男は別れた奥さんと彼の奥さんと三人暮らしらしい。
ある日この機会にと自分は母をオーストラリアに連れて行った。二人旅。旅費は殆ど自分が出した。兄も少し負担してくれた。弟は東証一部の社員でありながらケチなので1円も負担しない。母は足が悪くて私が杖替わりでシドニーやその他の街を観光した。宿は友人の天文学者の家に泊まった。彼に頼んで老人ホーム見学に行った。母は得意のYou Are My Sunshineを何度も老人たちと合唱した。兄の長男も現在は東証一部の大会社の上海支店長らしい。うちの家系が国際的なのは母の影響かもしれない。
あの時の喜んでいた母の姿が忘れられない。若いとき母に多大の迷惑をかけたせめてもの恩返し。最初で最後の親孝行だった。しかも間に合った。それから数年後、母は85年の幕を閉じた。