それから少し時代が下がり、26歳で結婚した。すぐ写真店を開業した。その後順調に推移し携帯電話の代理店になり店を10店舗に増やした。社員は20人いた。毎月電話会社から1000万円以上の振り込みがありベンツに乗ったりしていた。でも写真業はデジタル化に押されすでに限界だった。携帯電話も無料ではなく有料に変化していった。無料で売って1台2-3万円稼げる時代は終わった。
自己破産をしたあとレトリバーのブリーダーを始めた。30年連れ添った奥さんとはギクシャクし始めた。ホームページを自分で作って子犬の販売というよりは犬と一緒の楽しさとかを日記形式で綴った。また毎日自分の夢を描いた。そしてついに自分の面倒を見ない奥さんと離婚した。実は一番下の子供が20歳になったし、親としての責任は果たしたのが大きい理由だった。金の切れ目は縁の切れ目というのを体感した。
そうこうしていると自分の犬のホームページのファンの数人の方から、金銭の提供の申し出があった。一人は富山県のモモさん、一人は神戸市のMさん。特にMさんは無担保低利子で500万円の申し出があった。ありがたくお借りして国道沿いに競売物件の大きな敷地と3階建ての古ビルを買い改装工事もした。全部でちょうど500万円かかった。モモさんは気持ちだけありがたく受け取った。犬舎と自分の部屋の区別がつかない状況で13匹の大型犬と暮らすことになった。中国の奥さんが山口県来てから生活スペースと犬舎を分離した。
離婚してネットを見ているとハルビンの女性が出ていた。それから連絡が始まった。当時はまだQQやスカイプもなく手紙が多かった。福岡空港から大連を経由してハルビン行の切符を買った。しかし雪のため大連ー哈爾浜は欠航となった。そこで大連駅に行きハルビン駅行の寝台で行った。自分はこういう判断は早いが、後で考えると払い戻しの請求を忘れた。翌朝彼女が駅のホームに待っていた。映画のシーンのように泣きながら抱き合った。その後結婚して二人で犬の面倒見たり、子犬の販売を始めた。
このハルビンの奥さんとは7年近く一緒に暮らしたが、その後東京で自分の判断ミスで離婚した。離婚は失敗だった。(この失敗で何度も中国人と離婚再婚を繰り返すはめになった。というのは昔から自分の夢は毛主席と同じ大地で暮らしたいと言うのがあり、そのためにはどうしても親族訪問ビザが必要だった。
その後、奥さんの希望でこの敷地を売って東京に行くことになった。そこで不動産屋に聞くと1200万円の価値があると言う。
しかし早く売りたいので900万円で売り出したら1週間で売れた。そのお金を持って東京に出た。途中神戸に寄って500万円と利息も返却した。手元に400万円残った。
この400万円がその後、方正県に2つ目の大楼に化けた。