下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です
元農水事務次官だった男性が44歳の長男を殺害するという事件が起きた。精神科医の和田秀樹氏は「元次官は子育ての悩みを誰にも打ち明けていなかったのではないか。自分ひとりで問題を抱え込むと、やがて心理的視野狭窄となってしまう。元次官には『甘える勇気』が足りなかった」という――。
東大法学部→農林水産事務次官→長男殺害の、残念すぎる末路
今年6月、東京大学法学部卒で元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76歳)が44歳の長男を包丁で殺害し逮捕された事件は、まだ記憶に新しい。
事務次官ということは、省庁での出世競争に勝ち抜いてトップになったということだ。東大を出たからといっても必ずしも、官僚のトップには立てるわけではない。この次官はエリート中のエリートにもかかわらず、なぜ実の息子を殺すなんていうバカなことをしたのか。
このニュースが耳目を集めたのは、息子が中学2年生くらいから家庭内暴力を始め、引きこもりに近い生活をしていたということもある。
ちょうど、「8050問題」が話題になっていた。5月28日、バス停にいた私立カリタス小学校の児童や保護者ら20人が殺傷された川崎殺傷事件。犯行後に自殺した岩崎隆一容疑者(51歳)が長年引きこもり生活をしていて、その面倒を80代の伯父夫婦がみていた。この事件をきっかけに、引きこもりが高齢化して50代となり、親が80代で破綻寸前の家庭がたくさんあるという8050問題についての報道が再燃したのだ。
元次官の息子殺しのケースは7040問題というほうが正確だが、高齢の親が中高年の引きこもりを殺したという点では、家庭の構造は8050問題と同じと言える。
「息子があの事件の容疑者のようになるのが怖かった」
44歳の長男は元次官の妻である母親に暴力をふるっていたという。事件当日は、家に隣接する小学校で運動会をやっており、これに対して「うるせぇな。ぶっ殺してやるぞ」と長男は騒いでいた。ここで口論が起こり、その際、元次官の頭に川崎の事件がよぎり、「息子があの事件の容疑者のようになるのが怖かった」「周囲に迷惑をかけたくないと思った」と供述したという。
多くの引きこもりの子、とくに家庭内暴力をふるう子を持つ親なら、あるいは、想像力のある人なら、この気持ちは痛いほどわかるかもしれない。
とはいえ、人を殺していいわけがない。裁判では情状酌量を受けるだろうが、殺人で執行猶予がつく確率は高くない。元次官は、その瞬間、やはりバカになったのだと私は思う。その心のメカニズムを考えてみたい。
元事務次官のエリートは「バカ」になったのか
ひとつには心理的視野狭窄がある。
確かに川崎の事件はセンセーショナルなものだったが、引きこもりの子どもの多くはそうした凶悪な犯罪を起こさない。引きこもりの人は今、全国に100万人くらいはいると推定されているが、8050問題と言われるようなケースであんな大量殺人を起こしたケースはこれまでになかったのではないか。
元次官は農水省トップとして日常の仕事の中で各種統計にも触れていたはずだ。客観的な「数字」で状況を冷静に分析・判断する。複数のデータを照らし合わせて、事実を突き詰める……。息子を殺すという行為にはそうした理知的なものが一切含まれていない。
息子を生かしてはおけない。そんな気持ちに支配され、自分の恐れていることにばかりに目がいってしまう心理的視野狭窄の状況に陥ると、自分の考えや予想は100%正しいと思い込んでしまうことがある。その結果「殺人」という行動になってしまったのではないか。
「なぜ周囲に助けを求めなかったのか」
精神科医である私が不可解に思ったのは、元次官が「なぜ周囲に助けを求めなかったのか」ということである。私のクリニックは主に高齢者を対象とする。患者の中には、精神障害者の子をもつ親世代の患者もいるが、8050問題に当てはまる人がいるかどうかはわからない。これまでのところ、そうした事情を吐露する患者はいなかった。
一方、その逆はかなりの人数を診ている。要するに、老親の介護を抱え込みうつになってしまうようなケースだ。実際、これは8050問題と比較にならないくらいの悲劇を生んでいる。
介護をする子どもが高齢者の親に対して暴力を働いて殺したりケガをさせたりするケースは少なくないが、それ以上に多いのは、親を世話する子どもの側が介護うつとなるケースであり、中には自殺にまで発展する深刻なケースもある。
幸いなことに、私の患者には「介護殺人」「介護自殺」に関わった方はいないが、介護でうつになった方はかなりの数になる。とりわけ長年、親を在宅介護していて精神的にも肉体的にも限界にきているにもかかわらず、介護施設に親を預けることに対して強い罪悪感を抱き、自分が無理に無理を重ねダウンしてしまう事例が多い。また、介護保険を使った介護サービスを利用することにさえ抵抗感をもって、自分ひとりで介護を抱え込んでしまったケースもある。
これまで税金や介護保険料を払い続けてきたのだから、もっと「公」に頼っていいのに、あるいは周囲の人に頼っていいのに、それができなかったばかりにうつになり、共倒れの状況になってしまう。
誰にもSOSを出せぬまま30年間が過ぎた結果
おそらく、件の元次官も自分が元官僚という立場にあるという世間体や見栄などが災いして、周囲に弱みを見せたり、泣き言を言ったり、あるいは公的なサポートを受けることができなかったのではないか。
ある週刊誌の記事では、農水省時代の同期が、事件を起こす直前の元次官の様子に関するコメントを紹介していた。
「いつも通り、元気そうに見えましたけどね。息子さんと娘さんがいることは何となく知っていましたが、その時も特に家族の話はしていませんでした」(『週刊新潮』2019年6月13日号)
かなり追い詰められた状況にいながら、人に一切弱みを見せることができなかったようだ。おそらく相談に乗ってもらう人もいなかったのだろうし、公的機関に相談に行くこともなかったのだろう。そんな日が、被害者が中学生の頃から30年も続いていたことになる。
なぜ日本人論の名著『「甘え」の構造』が読まれなくなったのか
これでは心理的視野狭窄が起こってもしかたない。ただ、これは子が親を看る、親が子を看る介護や面倒の話に限ったことではない。宗教学者の山折哲雄氏が以前、面白い指摘をしているのを目にした。
それは、戦後の日本を象徴する日本人論の2つのベストセラー『タテ社会の人間関係』(中根千枝著、1967年刊)と『「甘え」の構造』(土居健郎著、1971年刊)のうち、タテ社会のほうは今でも売れ続けているのに、『「甘え」の構造』のほうは2000年を境に読まれなくなったということだ。
要するにタテ社会は今でも続いているが、甘えを基盤とする社会が崩壊したのではないかという指摘である。
『「甘え」の構造』はタイトルから誤解されることが多いが、「甘え」を悪いものと考えるどころか、それができないことによって引き起こされる病理を問題にしたものである。素直に他人の好意を信じることができないから、すねたり、ひねくれたり、ふてくされたり、被害者意識を高めたりする。
確かに山折氏が指摘するように、2000年になる少し前くらいから、日本型の「終身雇用」や「年功序列」が悪い甘えの象徴とされ、「企業の系列」ももたれあいとか甘えとか言われて断罪された。
セーフティネット「生活保護」受給者をたたく日本社会
さらに生活保護についても、もともとは不正受給が問題とされるべき議論が、いつの間にか「生活保護の人がワーキングプアの人より収入が多いのはいかがなものか」という論調に変化し、政府に頼る受給者に対するバッシングへとつながっていった。誰もが生活保護というセーフティーネットの世話になる可能性があるにもかかわらず、生活保護で国に食わせてもらっている人はけしからんという空気が醸成されたのである。
人に甘えることが許されなくなった事例は他にもある。昔は酒の席では、年齢や肩書に関係なく無礼講で言いたいことを言ってもいいことがあった。いわば「甘え」を認める文化だったが最近は、無礼講と口では言いつつ、その実、暗黙の了解があり、場の空気を壊す人間をKYなどと言って断罪するようになった。
逆に欧米では相互依存の重要性が強調されるようになった
皮肉なことに、日本が「甘え」から「自立」を目指す社会や文化に変貌している際に、欧米では相互依存の重要性が強調されるようになってきた。
私が90年代初頭のアメリカ留学中から学び続けているハインツ・コフートの自己心理学は心理的依存の重要性を説くもので、現在アメリカでもっとも人気のある精神分析理論である。自立を求めてつい無理をしがちなアメリカのエグゼクティブにこれが受けているようなのだ。
また、日本でも一世を風靡した「EQ(こころの知能指数)理論」でも、感情のコントロールと同時に重視されるのは共感能力であり、いい意味で「相互に依存する」ことが人間関係を豊かにする重要性が説かれている。
この応用編の理論の中では、暴君型のリーダーシップは古く、共感型リーダーこそあるべき姿として説かれている。またハーバードやMITのような名門大学で「共同研究のスキル」を教えるようになったことも紹介されている。
「嫌われる勇気」以上に「甘える勇気」が大事
これは道徳論ではなく、ひとりの能力では限界があるから、助け合える点は助け合って成果を高めようというアメリカ流のプラグマティズムに基づくものだ。
人に頼ることや救いを求めることが、日本社会ではとてもハードルの高いものになりつつあるが、そこで勇気を振り絞って、人に頼り救いを求めることで展望が開けることもあるはずだ。少なくともメンタルヘルスの改善を期待することができる。
和田秀樹『甘える勇気』新講社
今回の元次官の事件は、こうした「甘える勇気」の欠如がその根底にあると私は解釈している。それがないと、賢い人ほどメンタルにどんどん追い込まれ、うつ的症状になって本来の能力が発揮できなくなる。最終的には心理的視野狭窄を起こして、最悪の判断や行動をとってしまう。
「甘える勇気」があれば、メンタル面で健康度が上がって判断・決断も健全なものになる。また、人との協働によってパフォーマンスを向上させることができる。
今の日本人に、とりわけ頭のいい人がバカにならないために身に付けるべきなのは、「嫌われる勇気」以上に「甘える勇気」だと私は考えている。その理論や心の持ち方について詳しく論じた『甘える勇気』(新講社)という本を上梓したので参考にしていただけると幸いである。
和田 秀樹(わだ・ひでき)
国際医療福祉大学大学院教授
アンチエイジングとエグゼクティブカウンセリングに特化した「和田秀樹 こころと体のクリニック」院長。1960年6月7日生まれ。東京大学医学部卒業。
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