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上皇陛下「おじじさま」と呼ばれて…初孫・眞子さまへ29年の愛情&世論の反発招いた秋篠宮発言

2021-01-25 11:00:01 | 日記

下記はヤフーニュースからの借用(コピー)です

上皇陛下は12月23日、87歳の誕生日を迎えられた。 いま上皇陛下にとって一番の心配事は、初孫である眞子さまの結婚問題かもしれない。眞子さまは11月13日《結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です》と、小室圭さんとの結婚の意思を示した文書をご公表されている。 眞子さまはその文書を、《天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》という謝辞で締めくくられている。文書公表にあたって、上皇陛下も眞子さまのお気持ちを「尊重」されているというのだ。 眞子さまが誕生したのは、'91年10月23日。その翌日、上皇陛下と美智子さまは、産後の紀子さまをお見舞いされ、生まれたばかりの眞子さまにも対面されている。このとき上皇陛下は「とても嬉しい気がしました」とおっしゃっていた。 そして'93年、還暦を迎えられた上皇陛下は、誕生日に際して記者から「眞子さまからどのように呼ばれていますか?」との質問にこうお答えになった。 「今は確か、『おじじさま』と呼ばれているように思います」 それから17年が経ち、眞子さまが国際基督教大学に入学された'10年。上皇陛下は78歳の誕生日に際して、眞子さまへの期待を述べられた。 「眞子は、国際基督教大学に入学し、学生生活を楽しく過ごしているようでうれしく思っています。夏には海外英語研修プログラムに参加し、アイルランドで、ほぼ40日間、国の異なる人々と生活を共にしています。帰国後、写真を見せて丁寧に説明してくれました。将来、大学生活を振り返り、有意義なときだったと思えるような日々を送ってほしいと願っています」 その国際基督教大学での学生生活で小室さんと出会われ眞子さま。'17年9月3日にお二人の婚約は内定となる。 「当時天皇だった上皇陛下が裁可されたことで、眞子さまと小室さんの結婚が内定しました。上皇陛下と美智子さまは、皇居の御所で秋篠宮夫妻と眞子さまからごあいさつを受けました。その時に初めて、小室さんとも対面されたのです。天皇陛下は初孫の慶事に、始終和やかなご様子でした。秋篠宮ご夫妻にも、『おめでとう、良かったね』と声をかけられました」(宮内庁関係者) 上皇陛下は同年、84歳の誕生日に際しても「私たちの初孫である、秋篠宮家の長女眞子と小室圭さんとの婚約が9月に内定し、来年11月に結婚いたします。大変喜ばしく、二人の幸せを願っています」と、眞子さまを祝福されていた。 眞子さまの結婚内定から3年余り――。その間、小室さんの母・佳代さんの金銭トラブル、小室さんのニューヨーク行きなどさまざまなできごとがあったが、お二人の結婚の意志は揺らがなかった。 来年には小室さんがアメリカから帰国し、結婚に向けた準備が本格化するとみられているが、お二人の結婚に批判的な声も根強く、先行きは見えない。 高輪の仙洞仮御所で87歳の誕生日を迎えられた“おじじさま”は、初孫・眞子さまの幸せを静かに願われていることだろう――。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b4838448a59729c6eebf2441cb6fb16c90079727


眞子さま「結婚問題」 世論の反発招いた秋篠宮発言の「矛盾」〈週刊朝日〉

秋篠宮さまが長女・眞子さまと小室圭さんとの結婚を「認める」と表明し、宮内庁長官が苦言を呈するなど異例の展開をみせるふたりの結婚問題だが、小室さんが母の元婚約者との金銭トラブルを解決しないまま、なし崩し的に結婚へと向かうことに、世論の反発が強まっている。 
 秋篠宮さまは会見で、「憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります」と述べた。このことに、ネット上では<特権を享受するときは皇族、そうでないときは憲法の権利という主張が、通るのか><憲法のつまみ食いだ>などといった声があふれた。  確かに、天皇は憲法で日本国の象徴とされ、皇室メンバーは無条件に衣食住の心配のない環境にある。コロナ禍で困窮する家庭も増えるなか、天皇ご一家と上皇ご夫妻へは年額3億2400万円の「内廷費」、秋篠宮ご一家へは同1億2810万円の皇族費が支払われている。結婚にともない眞子さまに支給される約1億5千万円の一時金は「ぜいたく費」とも受け取られかねない。憲法から超越した「特権」を享受する人々が、憲法上の権利を持ち出すことにある種の反発が出るのだろう。皇室と憲法の関係に詳しい横田耕一・九州大学名誉教授は、「憲法が適用されない人間はいません。天皇や皇族であってもそうです。人権があると考えます」と話す一方、秋篠宮家についてこう指摘する。 「そうはいっても内廷費や皇族費、結婚に伴う一時金の原資は税金です」  だからこそ、秋篠宮さまが当初言及したように、国民の納得と祝福が結婚の条件となるべきではないか。眞子さまが、「一時金はいりません」と口にしたという話も漏れ伝わってくるが、結婚して民間人となっても当面は新居に警備がつくなど目に見えない税金も投入される。 人々の不満が皇室への怒りに変質しないうちに、小室さんは説明責任を果たすのだろうか。(本誌・永井貴子) ※週刊朝日  2021年1月1‐8日合併号

眞子さまの婚約内定会見で報じられなかった「秘密」

「Let it be」、「太陽」と「月」──。眞子さまの婚約内定会見は、印象深い言葉がちりばめられた。菊のカーテンに包まれた皇族方の胸のうち。だが、その心のひだを読み解く方法はいくつかある。皇室と長年交流のある人物や言葉の専門家に取材し、会見から垣間見えた、「秘密」を解き明かす。

 9月3日午前11時。婚約内定会見を午後にひかえた眞子さまと小室圭さんは、それぞれの車で皇居を訪れた。眞子さまは両陛下にお会いしたのち、小室さんを紹介することになっていた。
 淡いグリーンのドレスに合わせたパールのネックレスと共布の帽子。何げない服装にも、皇室のルールや個性を読み取ることができる。たとえば帽子の白い飾り花。これは眞子さまのお印の木香茨(もっこうばら)を模したもの。
 日中に身に着けていた帽子だが、会見のときには外されていた。なぜか。宮内庁関係者がこう解説する。
「両陛下のもとを訪れるときは、正装として帽子を着用なさったのでしょう。婚約内定会見が開かれた場は赤坂東邸。東宮ご一家や秋篠宮家など、宮さま方がお住まいの赤坂御用地内の建物ですから、自宅と同義とみなして帽子はお使いにならなかったのでしょう」
 眞子さまはここ数年、青や緑系のドレスやワンピースを身に着ける場面が印象的だ。以前は、宮殿行事では淡いピンクや黄色、公務でも白やグレーなどの服装が目についた。外出した際など、眞子さまはカラフルな色やいつもと違うデザインの小物を、長い時間手にとっていたこともあった。
 秋篠宮家の事情に詳しい人物がこう話す。
「紀子さまは、眞子さまに対して丁寧に把握なさっているところがある。たとえば宮内庁職員が仕事で出したメール一本についても把握なさっています」
 服装についてもそうだ。6月のブータン訪問でキラという民族衣装を身に着けたが、これは紀子さまから受け継がれたものだ。「眞子さまは、お母さまのご助言をよくお聞きになっているようです」(前出の事情に詳しい人物)
ファッションデザイナーのドン小西さんが、これまでの眞子さまの服装を見て、「胸のブローチは、母の紀子さまのアドバイスでしょう。この年齢でブローチをつける習慣はない」と分析した。会見の日も、ブローチを身に着けていた。
「最近お作りになるお洋服は、青やグリーン系がほとんど。いろいろなタイプをお召しになりたいのではないか、とお察しするのですが」(前出の人物)
 眞子さまと小室さんが会見で見せた表情や言葉、記者とのやり取りからも読み取れることがある。
 心理学者の佐藤綾子・ハリウッド大学院大学教授(パフォーマンス学)は、口元の動きに注目する。
「なにより驚いたのは、唇をキュッと斜め上に持ち上げる口角挙筋の動きが、お二人ともまったく同じだったことです。母である紀子さまスマイルの口角の上げ方にそっくりなのです」
 人は時間をかけて好意と尊敬心を持つ相手を模倣する。娘の眞子さまに受け継がれたスマイル。今度は、眞子さまと約5年の交際期間を過ごした小室さんにインプットされたのだろう、と佐藤教授は見る。
 皇族の婚約会見は、日本中が“一億総小姑”となって注視する。1958年の美智子さまの会見のときは、「手袋の長さが短い」と皇居内から声があがり、89年の紀子さまは、「兄の皇太子さまを差し置いて非常識だ」と“口撃”された。そして、93年の雅子さまの会見では、「皇太子さまよりしゃべりすぎだ」と非難された。
 当時の皇太子さまと雅子さまの会見を改めて見直すと、雅子さまに幸せに満ちた満面の笑みはなく、外交官のキャリアを諦めて「皇太子」という皇族と結婚する覚悟を懸命に伝えているようにも見えた。
「殿下にお幸せになっていただけるように、そして私自身も自分で『いい人生だった』と振り返れるような人生にできるように努力したいと思います」
 だが、皇室に同調するのを拒むように、自身の価値観と言葉を前面に出す雅子さまに対して、世間は心ない批判を投げ続けた。
 一方で、眞子さまと小室さんは、世間という小姑をサラリとかわした。
「表情や言葉遣いを見ると、お二人の同調性の高さも目を引きます」(佐藤教授)
 記者が「天皇陛下からどのような言葉があったか」と質問した場面を、佐藤教授はこう振り返る。
「眞子さまが『私の心の内に大切にとどめておきたく存じます』と答え、小室さんも同じ表現を選んで、スマートにかわす。陛下のお言葉を軽率に口外しない自制心と、嫌みなく品の良い受け答えに、年配者の心はわしづかみにされました」
 そして世間の注目を集めたのは、互いを「太陽」と「月」に例えた比喩のうまさだった。
「小室さんは『きれいな月を見るとうれしくなって、宮さまにお電話をしています』と具体的なエピソードを紹介し、眞子さまを月に例えた。話の展開が非常に上手です」(同)
 太陽は自ら輝き、月は太陽の光を反射して初めて輝く。小室さんの存在が明らかになって以来、小室さんの家柄や将来性に不安を唱える意見も少なくない。
「しかし、眞子さまは、小室さんを太陽に例えることで、男性として立てた。地頭の回転のよいお二人だと感じます」(同)
 そもそも、「太陽」と「月」の比喩はどこから発想を得たのだろうか。
 ギリシャ、ローマ、日本を含め各国に太陽神と月神が登場する神話がある。ギリシャ神話には、ゼウスの息子の太陽神アポロンと双子の妹で月の女神のアルテミスが登場する。
 日本だと太陽神の天照大神は女神で、月をつかさどる月読命は性別が定かでない。他方、「万葉集」の時代から月を題材に歌を詠んだ。百人一首などで知られる平安時代の歌人西行は、いとしい女性を月に例えて思慕する。
 君にいかで月にあらそふほどばかりめぐり逢ひつつ影を並べん(「山家集」)
 眞子さまのことを思う小室さんのようだ。
 月や太陽を題材やタイトルにすえた小説や映画も少なくない。19世紀の作家ギ・ド・モーパッサンの「月光」は、月の光に照らされた夜、美しい婦人が恋に落ちる短編小説。英映画の名作には、詩人アルチュール・ランボーの愛を描いた「太陽と月に背いて」があり、日本の歌謡界では、つんく♂がプロデュースした音楽グループは「太陽とシスコムーン」。さる大学教授が言う。
「太陽と月を両方登場させる作品はあまりない。お二人独自の発想でしょう」
 皇室とお付き合いのある人物は、こう話す。
「初々しさにあふれる会見は素晴らしかった。あえて言えば、太陽か月の片方のほうが上品です。両方登場させるのは、若さゆえというか、綿密に準備をなさったのでしょう。もう少し素朴な表現でもよかったかもしれません」
 太陽が顔をのぞかせた会見の日、秋篠宮ご夫妻は「私たちは、その二人の意思を喜んで尊重いたしました」と父として、母としての心情を発表。その夜、満月に近い月が夜空を照らしていた。小室さんと母佳代さんは、秋篠宮ご夫妻と眞子さまに温かく迎えられた。
https://dot.asahi.com/wa/2017091200046.html?page=1



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