下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です
120歳まで若く健康なままで生きられる方法
「長生き」は私たちを幸せにしたのか?
生物としての人類は、かつてないほど長生きをするようになった。だが、よりよく生きるようになったかといえば、そうとはいえない。むしろ正反対だ。
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だから私たちのほとんどは、100歳まで生きることを考えるとき、今なお「滅相もない」と思わざるをえない。
人生最後の数十年間がどういうものかを目の当たりにしてきたからであり、それがお世辞にも心ひかれるとはいえないケースが大半だからだ。
人工呼吸器と種々雑多な薬。股関節骨折とおむつ。化学療法に放射線。手術に次ぐ手術に次ぐ手術。そして医療費。そう、いまいましい医療費だ。
私たちは時間をかけて苦しみながら死んでいく。豊かな国に住んでいる人は、次々と病気に見舞われながら人生最後の十数年を過ごすことが多い。私たちはそれが普通だと思っている。
さして裕福とはいえない国でも寿命は長くなり続けているため、いずれは新たに数十億の人々が同じ運命をたどることになるだろう。
医師で作家のアトゥール・ガワンデは次のように指摘している。私たちは寿命を延ばすことに成功したものの、そのせいで「晩年イコール医療を受けること」という図式を生んだ、と。
「若いままでいられる時代」はすぐそこに
だが、そうでなくてもいいのだとしたら? 若くいられる時期をもっと長くできるとしたらどうだろうか。しかも、あと数年、などではない。あと数十年長くだ。
最後の年月も、その前の年月とそうひどくは変わらずにいられるとしたら? そして、自分たち自身を救うことで世界を救うこともできるとしたら?
もう一度6歳になるのは無理だとしても、26歳や36歳にならどうだろう。
何歳になっても子どもと同じように遊び、大人としての約束事へとすぐに移っていかなくてもいいのだとしたら?
10代のあいだに私たちはさまざまなことを詰め込もうとするが、そこまでする必要がないとしたら?
20代に強いストレスを感じることなく、30代や40代になっても中年の気分をかみしめずに済むとしたら?
50代であっても違う自分に生まれ変わりたいと願い、そうしてはいけない理由を1つも思いつかずにいられるとしたら?
60代になっても、自分が何を残したのかと悩むことなく、生きた証しを新たにつくり始めることができるとしたら?
時間が刻々と過ぎていくことを気に病まなくていいのだとしたら? しかもそういう未来が、実際にすぐそこまで迫っているとしたらどうだろうか。
千年また千年と歴史を刻む過程で、人間の平均寿命は確かに少しずつ延びてきた。
かつては私たちの大半が40歳まで生きられなかったのに、それができるようになった。50歳にも達しなかったのが、届くようになった。ほとんどが60歳を見ずに人生を終えていたのに、60の声を聞けるようになった。
しかし、平均寿命が上昇を続ける一方で、最大寿命のほうはそうなっていない。記録をひもとけば、100歳に達した人はいるし、それより何年か長く生きた人もいた。だが、110歳に届く人はごくわずかしかおらず、115歳を迎える人となると限りなくゼロに近い。
だから、この先もコツコツと平均値を上げていけるにせよ、最大値は動かせないという声があるのは無理もないことだ。ネズミやイヌなら簡単に最大寿命を延ばせても、私たち人間はそうはいかない。すでに長く生きすぎているのだ。懐疑派はそう主張するだろう。
それは間違っている。
「健康なまま120歳」が普通になる
もう1つ考えないといけないのが、寿命を向上させることと、元気でいられる期間を長くすることは違うという点だ。私たちはその両方の実現を目指すべきである。
痛みや病(やまい)や、虚弱や体の不自由に苦しむことがすでに生活のすべてになっているのに、ただ死なさずにおくだけのために人生をさらに何十年も長引かせるのは、道義的にいって許されることではない。
長く元気でいられるようになる時代は近づいている。単に寿命が延びるだけでなく、新たに加わった年月を健康で生き生きと幸せに暮らせる時代だ。それは、皆が思っている以上に早く到来しようとしている。
22世紀が幕を開ける頃に122歳で亡くなる人がいたら、天寿を全うしたにせよ飛び抜けた長生きとはみなされなくなっている可能性がある。
120歳という年齢は、けっして例外的な異常値ではなく期待値となっていてもおかしくない。そうなればもはや「長寿」とは呼ばれず、ただの「普通の生涯」だ。そして私たちは、そうでなかった昔を悲しく振り返るのである。
「老化は避けて通れない」とする法則はない
そもそも寿命の上限とは何だろうか。そんなものがあるとは思わない。私と同じ分野にいる研究者も多くが同じ意見である。
老化は避けて通れないと定めた生物学の法則など存在しないのだ。存在するといい張る者がいたら、それは物を知らない証拠である。
死ぬことが珍しくなるような世界はまだはるかな未来の話だとしても、死を先へ先へと追いやれる時代は遠からぬところまで来ている。
むしろ、こうしたすべてが起きるのは必然だといっていい。長い健康寿命を謳歌できる人生はすでに射程圏内に入っている。
確かに、人類の歴史すべてがそれは無理だと告げているかに思える。だが、今世紀に入ってこの研究分野ではさまざまな解明が大きく進んだ。それを踏まえる限り、過去がどれだけ八方ふさがりであろうと何の参考にもならない。
健康寿命が大幅に延びることが、生物としての私たちにどんな意味をもつのか。それを理解するための一歩を踏み出そうとするだけでも、発想を根本から改めることが求められる。
なにしろ、数十億年の進化の延長線上では予測できないことなのだ。だから、そんなものはどだい無理だと信じるほうが簡単だし、そう信じたい気持ちに駆られる。
でもそれは、人類が初めて空を飛ぶ前に世間が考えていたことと同じだ。実際に誰かが成功して初めて、人々は見方を改めた。
人類の「新たな進化」が始まっている
今現在起きつつあることは、ライト兄弟が作業小屋で準備を進めている段階に似ている。これから見事にグライダーを飛ばして、ノースカロライナ州キティホークの砂地に着陸させるのだ。世界は変わろうとしている。
初飛行が成功する1903年12月17日までがそうだったように、現在も人類の大多数はその変化に気づいていない。
かつては、「制御された動力飛行」というもの自体が想像の外だった。そんな発想を組み立てられるような材料がどこにもなかったからである。だから、空を飛ぶなど夢物語か魔法であって、空想小説に出てくる絵空事だとみなされていた。
そのとき、1機の飛行機が地面を離れた。そして世界は一変したのである。
私たちは今、同じような歴史の転換点に立っている。これまで魔法と思われていたことが現実になるのだ。
人類には何ができて何ができないのか。その線を引き直し、避けて通れないと信じられていたものに終止符を打つときがきた。
いやむしろ、人間とは何かを定義し直すときだというべきかもしれない。なぜなら、これは1つの革命(レボリューション)の幕開けであるだけでなく、新たな進化(エボリューション)の始まりでもあるのだから。
生命の「サバイバル回路」を働かせよ
毎朝目覚めると、私の受信メールボックスは世界中から届いたメッセージでいっぱいになっている。「何を飲んだらいいですか?」「臨床試験の被験者になるにはどうすればいいか教えてください」。
確かに、誰であろうと、どこに住んでいようと、何歳であろうと、どれだけの収入があろうと関係なく、自分の長寿遺伝子を今すぐにでも働かせる方法はある。
私は約25年にわたって老化を研究し、何千本という科学論文を読んできた。そんな私からのアドバイスの一つは、「食事の量や回数を減らせ」である。長く健康を保ち、寿命を最大限に延ばしたいなら、それが今すぐ実行できて、しかも確実な方法だ。
動物実験によると、長寿のカギを握るサーチュインのプログラムを働かせるカギは、カロリー制限を通して体を「ぎりぎりの状態」に保つことのようだ。つまり、体の健康な機能を保てるくらいの食物は与えながらも、けっしてそれ以上にはしないということである。
これは理にかなっている。そうすれば生命に備わっているサバイバル回路が始動し、原初の昔から行ってきた仕事をせよと長寿遺伝子に命じることができるからだ。
つまり、細胞の防御機能を高め、環境が厳しいときにも生命を維持し、病気や体の劣化を防ぎ、エピゲノムの変化を最小限に留め、老化を遅らせるのである。
だが、カロリー制限にこだわる必要はない。わざわざつらく苦しい思いをしなくても、カロリー制限をしたのと同じメリットは別の方法でもかなり手に入るのだ。
食物が足りないときの遺伝子の反応を確実に再現することができれば、なにものべつまくなしに腹をすかせていなくてもいい。
そこで注目されているのが「間欠的断食」だ。これは、食事の量は普段と変えないものの、食事を抜く期間を周期的に差し挟むというものである。
短期的な研究からは期待のもてる結果が出ており、長期的な研究でも同じだろうと思う。とりあえず、栄養失調にならない程度の間欠的断食法であれば、たいていは長寿遺伝子を働かせることにつながる。そして、長く健康な生涯をもたらしてくれるといってよさそうだ。
食べる量を制限してサバイバル回路を働かせる以外にも、まだまだできることはたくさんある。
デビッド・A・シンクレア : ハーバード大学医学大学院教授 / マシュー・D・ラプラント : ジャーナリスト、作家
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